表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/26

9:婚約者は変わっている(アイライト目線)

「今のところは見逃してやる」


 男はそう言った。

 鋭い瞳は赤く光り、背後には……悪魔なんてとるに足らないほど禍々しい黒のオーラが燃え上がっている。なによりその腕には、ラシュカが抱かれている……ように見えた。

 かすむ視界はさらに歪み、思考が乱れていく。


 ラシュカ、僕の婚約者。


 混沌とする意識の中で、彼女の姿がぼやけていく。


 僕は一瞬だけ、意識を手放す。

 子供の頃の夢を見た。

 ラシュカと出会った頃の記憶だ――


 十四歳になった僕に縁談が持ち込まれた。父上が見つけてきた話だ。

 オフェリアン侯爵家の、天使に愛されし令嬢――そんな誰もが欲しがる彼女を僕の婚約者に選んだのは、単なる父親の愛情ではないだろう。きっと、兄より劣る僕に後ろ盾でもつけたかったのだろう。哀れみというやつだ。

 謁見はあっという間に進んだ。


 僕の人生は、何をしても比較対象がいた。べつに、僕が出来損ないといわけではない。

 侍従も民草も、僕を「なんでもこなせる王子」と噂している。

 たとえば、野営しながら隣国に遠征へ出かけられるくらい騎馬は得意だ。

 剣術の大会では必ず優勝したし、試験では常に一位だった。魔法学では誰にも負ける気がしない。

 ただし

 唯一かなわない人がいた、それが兄だ。


 兄は神童と呼ばれる天才児だった。

 身体能力も頭脳も何もかもが完璧だ。非の打ち所がない。

 舞うような剣術は誰の攻撃もかなわない。

 新しい術式をいくつも完成させるほど、頭も良い。

 そんな神童の弟が何をがんばったところで皆からは


「お兄様が素晴らしすぎるだけで、アイライト様も頑張られていますわ」

「お兄様がすべての才能を持っていってしまわれたのよね」


 と、生暖かい声援を送られるだけだった。

 父上も同様だ。


「お前は兄に比べると、まだ努力が足りないようだ」


 徹夜で勉強した次の日、父上に言われた言葉だ。


「だから、お前は兄の補佐をしていれば良い。そら、近々お前に会わせたいご令嬢がいる。彼女なら不出来なお前のことも――」


 比べられるだけの人生だった。

 僕は永遠に、兄の劣化版なのかもしれない。


 次の週、父上の命令で、僕は婚約者と会うことになった。

 自慢ではないが、僕は女の子たちにもてた。理由は王家の血と、この容姿だろう。

 兄の方が人気だったが、人気すぎる兄よりも、一段劣る僕で妥協してやろう……そういった女性も大勢いた。

 彼女らは、上辺では僕をもてはやした。

 兄と比較され笑われるのは腹がたつけど。これみよがしにお世辞を言われるのも気分が悪い。


 正直な話、まだ婚約なんて考えたくなかった。

 しかし、命令はぜったいだ。

 僕は仕方なく、ラシュカ嬢と対面した。


 キリッとしたエメラルドの瞳。やわらかそうな金色の髪……想像していたよりも美しい少女だった。

 外面だけではない。

 その立ち居振る舞いは、オフェリアン家の名が恥じないほど美しく洗練されていた。


 僕は一瞬、言葉を失いかけたが……すぐに挨拶をした。

 いけない、たかが綺麗なだけで、心を許すわけにはいかない。


 とはいえ、ラシュカは他の令嬢とは違った。

 まず、僕にお世辞を言わない。その分わずらわしくなかった。勉強のために本を読んでいても、ラシュカは他の令嬢のように邪魔したり、拗ねたりしない。むしろ興味深そうに本をのぞきこんでくるのだ。無駄な気を使う必要がなかった。だから僕は定期的に、ラシュカに会うことを了承した。

 ただ、ラシュカはとても頭が良いようだった。魔力も大きい。さすがは天才とうたわれるだけはある。兄上に並ぶほどの才能を感じた。


「また、僕のほうが落ちこぼれか」


 心は荒んでいった。

 神童の兄をもち、天才の婚約者がいるなんて……男としてのプライドはズタズタだった。

 僕の心はしだいにモヤモヤと曇っていく。婚約者に抱いてはいけない、嫉妬という気持ちさえ芽を出した。それは日に日に成長し、敵意となっていった。


 しかし


「今度こそ、幸せな人生を送ってやるわ!」

「はああ、令嬢ってめんどくさいわねぇ。まだ社畜の方がマシだったかしら? そんなことないわよね、温かいご飯を出してもらえるし、楽しいし、今のほうが幸せよ、転生、サイコー」


 と。

 ラシュカは一人でいるとき、たまにおかしな独り言を呟いた。

 僕は何度か、その場面に遭遇したことがある。最も印象的だったのが、ラシュカがこっそり魔法の練習をしていることだった。


「必ずみんなに天才って言われてみせる!」


 影でこんなに努力していたのだ。

 それを知った時、僕の心に曇ったモヤモヤが晴れて行った。

 なぁんだ、ラシュカも僕と同じ。一生懸命がんばっていたんだって。

 それを知ると、敵意はポッキリと折れた。


 もし、こんなラシュカを見ることができなかったら。

 もし、ラシュカに偉そうに振る舞われていたら。

 僕は彼女を妬み、嫉み、恨んでいたかもしれない。


 でも、実際はそうじゃなかった。

 ラシュカも僕と同じだったんだ。お互い頑張っていたのなら、僕も負けていられないなって、どこか清々しい気持ちになった。


 なによりも。

 ラシュカは他の令嬢のように、僕を「王子」だと意識しなかった。

 婚約者だというのに、視界にすら入れられてない気がしたけれど。

 それでも、神童の兄を持つ王子としてではなく、ただのアイライトとして僕を見てくれた、唯一の人だと思う。


 それから数年後、僕は王立学院に入学した。学院ではさらに努力をつんだ。

 ラシュカが来るまでに立派な男になるつもりだった。それで、僕が婚約者なんだと意識させてやりたかった。


 いよいよラシュカが入学してくる一ヶ月前となった。そこで事件がおこった。

 兄が、隣国に留学したのだ。

 優秀な学生を一年間勉強させるという、誰しもが憧れるプログラムだった。

 僕はずっと前からそれに参加したくて、応募していた。それなのに選ばれたのは、応募すらしていなかった兄だった――


「もう二度とこんな思い、したくない」


 僕は研究中の転移魔法を完成させることにした。学院の書庫にしまわれていた禁書目録を持ち出して、旧校舎で研究をし続けた。

 たとえ怪しげな項目でもかまわない。とにかく僕は成果をあげて、自分の存在を示したかった。兄よりも、僕を認めてほしかったから。


 ラシュカが入学してきたのは、研究が完成する前日だった。

 二年見ないうちに、ラシュカは誰よりも眩しい女性へと成長していた。


「ますます美しくなったね」


 その言葉に偽りはない。

 なにより、僕はお世辞が嫌いだ。他の女性にはこんなこと、言わない。


 ラシュカがAクラスになった。天使を召喚したのだ。天使は召喚されてすぐ、消えてしまったようだけれど……ラシュカは本物の天才だと、照明された瞬間だった。

 先生たちは騒いでいた……僕は幸せ者だって。兄が神童で、婚約者が天才なのだから。


 早く研究を完成させなければならない。


 僕は次の日、研究を仕上げることにした。今度こそ上手く行く。朝から旧校舎におもむいた。期待に胸を膨らませ、魔法陣に詠唱を行った。


 すると。

 物々しい霧が現れた。扉だ、扉がある。冥界の扉だった。

 失敗したのだ。扉の中から、恐ろしい悪魔が姿を現した。

 悪魔は力を与えるかわりに、人の魂を食らうのだ。関わってはいけない。けど、逃げられない。そう悟った瞬間。


 どこからか、鈴のなるような澄んだ声が――ラシュカの声が、聞こえた気がした。

 なんでこんな時に、幻聴かな?

 振り返ろうとした瞬間、黒くてモッフモフしたものが僕の頭にぶちあたった。


 薄れゆく意識の中で、ラシュカの姿を見た。


 ラシュカが、戦っている……?

 僕に石をぶつけようとした悪魔。ラシュカは両腕を広げ、僕をかばおうとした。


 あんなに細い体で。悪魔なんて召喚してしまった僕を、命がけでかばおうとした。

 僕は兄ではないのに。ラシュカは必死に、僕を助けようとしている。


「ラシュカ、だめ、だ……」


 僕はそこで意識を失ったのだった――


 目が覚めたら、悪魔はいなくなっていた。

 かわりに、悪魔より禍々しいオーラを放つ男が立っていた。ラシュカを――僕の婚約者を抱いて。

 僕はイラッとした。

 なぜお前が、僕の婚約者を抱いている……?


 もしかしてラシュカを助けてくれたのか?

 そう思い至って、怒りを沈める。

 また一瞬、意識が飛んでしまったが……僕は頬をぶって現実に引きとどまった。


 歩き去ろうとする男に、低くなる声を投げつけた。


「僕の婚約者から手を離せ」


 いくら命の恩人でも、ラシュカは僕の婚約者なのだ。

 今までとくに意識しなかった。けれど今、確実に分かる。彼女は僕の婚約者だ。他のやつに触らせたくない。


「……お前は、この女に敵意を向けていたんじゃないか?」


 男はそう問い返してきた。だから僕は言ってやった。


「子供の頃はね。けれど今は違う。ラシュカは、僕の未来の妃だ。他の男に触れられているのは、我慢できない」

「そこまで言うなら、お前にラシュカが守れるのか見ていてやろう」


 男は偉そうにそう言った。

 人の婚約者を気安くラシュカ呼ばわりするな……胸の中でそう毒づく。


「もしラシュカを火刑にでもしたら……お前の魂は千年間氷漬けにしてやるからな」


 そんなおかしなことを、男は囁いた。


「火刑? たしかに僕の魔力は、炎属性だが……婚約者を火あぶりにするわけがないだろう」


 ラシュカは僕の大切な婚約者だ。今日、はっきり確信した。ラシュカのことは、僕が未来永劫大切にしなくちゃあいけないって。

 男はラシュカを静かにおろすと去って行った。僕はラシュカに駆け寄る。ラシュカはまだ目を覚まさない。黙っていると本当に美人だ。

 けれど僕は、黙っている君よりも、

 令嬢としてふるまう君よりも、

 魔法の練習をしてガッツポーズしている素の君が一番、好きだよ。


「ラシュカ……ねえラシュカ。起きてよ?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ