7:悪役令嬢VS悪魔
兄への劣等感から、アイライト様は自暴自棄になっている。それに追い打ちをかけるように、婚約者の私も(天使を召喚するという)偉業をなしてしまった。焦ったアイライト様は、秘密で行っている「転移魔法」の研究を完成させようとする。
転移魔法とは、遠く離れた場所にワープ……一瞬でたどり着ける便利な魔法だ。これを使える人も滅多にいない。
アイライト様はその研究を進めようとし、失敗。転移の扉ではなく、冥界の扉を開いてしまう。扉の中から悪魔が現れ、アイライト様は無理矢理、悪魔と契約させられるのだ。
悪魔と契約させられたアイライト様は誰にも相談することなく、独りでその力を抑えながら、学園生活を送る。
しかし。
主人公と出会う頃には、その恐ろしい力は制御できなくなっていた。そんなアイライト様を救うのが、主人公の役目だ。アイライト様の穢れた力を浄化し、悪魔を退治するのだ。
惹かれ合う二人!
だが。王子の婚約者である悪役令嬢・ラシュカは二人を許さなかった。アイライト様を取り戻すため画策し、しぶとく二人の邪魔をしようとする!
ラシュカに殺されそうになる主人公。
アイライト様は「真の力」でラシュカを倒し、処刑場送りにする。ラシュカという邪魔者を排し、アイライト様と主人公は結ばれるのだ!
ビバ・ハッピーエンド……! じゃねえよ、私が!
「アイライト様が冥界の扉を開き、悪魔と契約するのは……ちょうど、婚約者の私が天使を召喚した次の日だったはず!」
つまり、今日だ!
「アイライト様を止めるわよ!」
『何故だ、そんなもん放っておけば良いだろう』
「運命を壊してやるのよ」
アイライト様と悪魔の契約を阻止できれば、わずかでも運命が変わるかもしれない。その積み重ねで、”私の死亡ルート”が回避される可能性もある。
それになにより……いずれ救われるのだとしても、私はやっぱり、アイライト様が苦しむ姿を黙って見過ごせないの、友達として。
「さあ、行くわよチェイン!」
『そういうことなら、付き合ってやろう』
こうして私は走り出した。
私の記憶が正しければ、アイライト様が悪魔を召喚する場所は旧校舎の地下だったはず。
旧校舎は今やほとんど使われていない。物置代わりに利用されていて、学生は近づくことを禁じられている。
『誰も来ないのを良いことに、秘密の研究としゃれこむわけか』
「その通りでしょうね」
この学園はとてつもなく広い。ちょっとした緑地公園や水路もある。その先に旧校舎があるのだ。偶然通りかかる生徒もいない。
朝焼け眩しい学院をひた走り、件の旧校舎前にやってきた。見るからにボロボロだ。
「アイライト様はどこかしら」
『いたぞ、隠れろ』
チェインの声に従って、私は茂みに身をひそめる。ちょうど、旧校舎に入っていくアイライト様の姿があった。
私たちはこっそりと、旧校舎の中に踏み込んだ。薄暗くてほこりっぽい。床はところどころ抜け落ちていた。
『ラシュカ、気をつけて歩けよ』
腕の中にいるチェインは、するすると私の肩をよじのぼり、ちょこんと頭の上に陣取った。子猫だから軽い。
私はアイライト様が歩いた経路をたどって、慎重に後をつける。二階の一番奥の部屋に到着した。私はうっと後ずさる。
部屋の中には、おびただしいほどの魔法陣が記されていた。
毒々しい紫色で、数式のようなものも記されている。
「……僕はもう、誰にも負けない。今度こそ、転移魔法を成功させてやる」
アイライト様はそう呟いた。部屋の中心で、分厚い本をめくっている。
よかった、まだ悪魔は召喚されていないようね、間に合いそう。
「ねえチエイン。アイライト様を止める方法はないかしら?」
私は小声で堕天使に問いかける。
チェインはしなやかに体を起こすと、もったいぶったように言った。
『俺は息の根を止める方法しかしらん』
「物騒なことを言わないの! あ、だったら時間を止めてちょうだい!」
昨日、チェインは学院生たちの時間を止めていたのだ。
『簡単に言うな。あれはポンポン使えるほど簡単な魔法ではない。それにな、俺の力の半分をラシュカ、お前にやったんだ。今の俺は、ちょっとした魔法しか使えん』
「だったら、私がやるしかないのね……」
それにおいて、問題がある。
私には力があっても、方法が分からない。
むしろ力がありすぎて、加減ができないのだ。
そうなると、永遠にアイライト様の時をとめかねない。
考える私の耳に、アイライト様の弾んだ声が響く。
「……できた!」
「え……?」
顔をあげる。アイライト様はもう、本を片手に詠唱をし終えた後だった。アイライト様の目前には、巨大な魔法陣がある。それが光始めた……赤黒く。
しまった、出遅れた……冥界の扉が開かれてしまう!
「これは、どうなっている!?」
異変に気付いたアイライト様が後ずさる。魔法陣は勝手に光をまき散らしながら、止まらない。今にも爆発かなんかしそうな勢いで、ビリビリと雷を放っている。
『冥界の扉が開かれるぞ、ラシュカ……!』
「それは、だめ!」
思わず立ち上がった私。
『馬鹿者! 今立ち上がっては……!』
チェインの言葉でハッとする。そうだ私、隠れてたんだった……!
アイライト様がこちらを振り返ろうとする……見つかってしまう!
ああ……だめだ、見つかる……こういうヤバイ時って、本当に時間の流れがゆっくりに感じるのよね。まるでスローモーションになったみたい。
懐かしい感覚だ。
前世の私が死ぬ寸前も、こんな感じだったっけ。
そんなことを考えていると。
『仕方あるまい』
チェインが軽やかに飛び上がり、その豊満な毛玉ボディを、アイライト様の頭にダイレクトアタックさせた。アイライト様はへなへなと気絶する。
『うむ、完璧だ。アイライト・アリスティアは気を失った、これで一安心だ。ラシュカ、褒めろ。褒めたたえながら俺の喉をなでろ』
ゴロゴロと喉を鳴らしながら近づいて来るチェイン。
だけど悪いが、まだまだ安心できない。
「冥界の扉、開いちゃったみたいよ……」
『なぬ?』
気絶したアイライト様の前に、巨大な、禍々しい扉が現れていた。でかい、甲鉄の扉だ。それはゆっくりと開き、中から黒い霧が溢れだす。
『我を召喚したのは、貴様か……?』
地響きのような声が響いた。霧の中からのっそりと、人が姿を見せる。黒い翼に、筋骨隆々のマッチョ。ただし、顔が怖い。ツノなんか生えちゃって、まるで鬼だ。これが、アイライト様に契約を強いる、悪魔さんだ。
「いえ違います私は召喚なんてしていません!」
私は一息で言い切った。
『なるほど。たしかに、この倒れている男が我を呼び出したようだな。しかし』
悪魔は鬼のような顔を近づけてくる。
『――貴様の方が、我にふさわしい。小娘よ、我と契約を結べ。そしてその魂を捧げろ。さもなくば』
悪魔はムンズと、アイライト様をつかみあげた。
『この男を握りつぶす』
物理攻撃はないでしょう!? と、心の中で絶叫する私。アイライト様は「スヤァ」と穏やかな顔で、悪魔の手中にいる。そんなところにいられちゃ、私も本気で戦えない。
「だったら、手を抜いて戦ってやろうじゃないの」
私はそう言い放った。
『……この我を相手に嘘はよせ、舌を抜いてやるぞ』
せせら笑う悪魔。私は小さく息を吐いて、片目を閉じた――視認、50パーセント。
次の瞬間。ズサッと、悪魔の翼が千切れた。
『なっ……!?』
悪魔は後ずさる。
「あんたなんて、片目だけで十分よ」
チェインにもらった、闇の力を使うまでも無い。
私の血統は天使の加護を受けているの。
敵なんて両目で視る必要も無い。省エネ魔法で倒してあげるわ。
『ひっ……!?』
悪魔が舌を巻く。
「翼を全て切られたくなければ、アイライト様を放しなさい」
私が低い声をあげると、悪魔は悔しそうに渋々、アイライト様を解放した。
「……よくできました、今日のところは見逃してあげるわ。とっとと冥界に帰りなさい」
そう言ってやると、悪魔は大人しく背中を見せた……かのように見えた。
『まだだ、ラシュカ!』
切羽詰まったチェインの声に、私は顔をあげた。悪魔はにやりと笑って、アイライト様めがけて瓦礫の石を、投げたのだ。叩きつけるように。
「だ、だめ……!」
私はとっさに、アイライト様の前に飛び出した。人を死なせたくない。体が勝手に反応したのだ。
まるで、前世のように――
私の脳裏に、前世の最期の記憶が蘇る。事故で呆気なく死んだ、生涯最後の記憶だ。
あのとき私は、車道に飛び出して死んだ。
お気に入りのファンタジー漫画を買って帰った夜だった。漫画のタイトルは『不死鳥の令嬢』。不死鳥を使い魔にした令嬢が、颯爽と事件を解決していくファンタジー。主人公の令嬢は、呪われし少女と畏れられながらも、強い正義感の持ち主だった。私はそんな彼女に強い憧れを抱いていた。
お気に入りの漫画を購入できた前世の私は、残業帰りでもご機嫌だった。
ふと視線を流すと、道路で歩いている猫を発見した。そこに、トラックがつっこもうとしていた。
危ない……!
私は考えるよりも先に飛び出していた。
気づいた時には、目の前が真っ赤だった。私の血だった。漫画が赤く濡れていた。猫が『にゃあ』とすり寄って来た。良かった、あなたは助かったみたいね。
猫がのぞきこんでくる、心配そうな顔をしている、気がした。
だから私は囁いた。
「大丈夫よ……燃え盛れダークソウル、不死鳥は永遠に死なない」
それは漫画の主人公……憧れの令嬢の、キメ台詞だった。
その言葉を最期に、私は命を落としたのだった――
現世の私、ラシュカも絶体絶命のピンチだった。目の前に迫るトラック――いや、瓦礫の石。目前に迫るそれを見ながら思う。私はまた、こんな感じで呆気なく死んじゃうのかな……? やだな、今度こそ人生を謳歌してやろうと思ったのに。
けど、アイライト様が死ななくて良かった。
バンという重たい音が爆ぜ、私は意識を失った――