消えた街
霧深い街でただ一人、私は立っている。この街には私以外誰一人として存在せず、ネズミ一匹すらも存在しない。周りの建物は荒廃し風化が進んでおり、残存する建物の間では風が木霊して、何処か不気味な雰囲気を醸し出している。
ここは神に見離された土地。消えた街。
今は昔、この地は神が天界から地上に降り立つ地として栄えていた。神は神聖なる象徴であり、人々は神を崇拝していた。私はこの街の神職として神に奉仕し、祭儀や社務を行っていた。神が降臨される日は年の始まりとされ、人々は神殿に向かい、その年の作物が豊かに実るように、家族が元気で暮らせるようにと願った。この日を人々は正月と名付け、年中行事として毎年欠かさず神に祈りを捧げた。そして人々の願いは届いた様に、大きな災害なども起こらずに平穏な日々を送ることが出来た。
年月が過ぎるにつれて神の恵みによって人々の生活水準は向上していった。しかし然すれば自ずと神への信仰心は薄らいでくるものである。神が人々の平穏のために、その願いを叶えるのは当然と思う輩が出るのは時間の問題だったのであろう。徐々に徐々に神に祈りを捧げる人々は減り始め、私が気付く頃には全盛期と比べて半減していた。
ある年の正月、私が神殿で祈りを捧げているところに神が降臨されて、神職である私に神託をくださった。その内容を簡略化すると、このまま人々の信仰が薄らいでいくにつれ、それに応じて神としての力が十分に発揮できなくなるというものだった。つまりは人々へもたらしていた神の恵みが無くなるということである。この時の私には、人という生き物が神にとって大切な存在である様に感じた。
その期待に応えるためにも私はすぐに行動を起こした。神の言葉を拝借し、人々に正月は神殿に赴き、平穏を願うことの重要さを説明しながら布教活動を行った。後になって考えてみれば、この行動が間違いであったのだろう。人という生き物は何かを強要されるとその物事を心の何処かで拒絶するようになるものである。結果、年月が過ぎるにつれて神殿に赴く人々は増加することなく、減少し続けた。
人々の信仰が減り、神の恵みが薄らぎ始めると、作物の実りが目に見えて悪くなった。すると当然作物の物価が上昇し、裕福な者でしか手を出せないものとなってくる。裕福でない者達は今まで普通に購入出来ていた物が出来なくなった事に怒り、そして飢え死にするくらいならと略奪を始めたのだ。この様な出来事が数年間続き、最終的には街は混乱状態に陥り、無法地帯と化した。
その翌年の正月、神殿に赴く人々はほんの一握りとなっていた。その大半は飢え悩まされ、神へ救いを求める者達である。街は混乱状態が続いており、街としての機能は停止している。飢えで倒れている人も多いだろう。この時の私は、人々が神託を受け入れなかったために起きたのだと考えていた。私自身は人々に神託を伝え、神に祈り続けたので間違ったことをしていないと自惚れていた。全ては信仰を捨てた人々が悪いのだと。
しかしそうではなかった。例年通りに私が祈りを捧げていると神が降臨された。そこで私は神の口から真実を知ることになったのである。神は人々に平穏という甘い汁を吸わせていただけではなかったのだ。甘い汁を吸わせ続けることで、この様に街が混乱状態に陥ることは神も十分に予測出来ただろう。然れども、人間が地上で理性を持っている唯一の生き物であるため、神は興味本位で人々に甘い汁を吸わせ続けた。その果てに理性を持つ人々がどのような未来を描き出すのかを観察していたのだ。
神が初めて地上に降臨されてから長い年月が経ち、挙げ句の果てに人々は再び神に助けを求めるという行為に走ってしまった。その行為に神は酷く落胆した。まるでやり場のない不満が体の中を駆け巡るように。そして神は私に「終わりです」とただ一言だけ言い残し、街から去っていった。そして二度と降臨されることはなかった。
……あれからもう何年経っただろうか。私は不老不死にされ、街は深い霧に覆われた。街から出ようと霧の中を彷徨い歩いても、何故かいつの間にかまた同じ場所に戻っている。そう、ここは脱獄不可能な牢獄と化したのだ。収監されている囚人は私ただ一人。他の人々は皆死んでいった。無限牢獄にも等しいこの場所で一人、私は懺悔をし続けるのだろう。
霧深い街でただ一人、私は立っている。明日も、明後日も、明々後日も。未来永劫ここに立っているのだろう。然れども神に許される時が来たのならばこの地の霧が晴れ、再び光が戻ると私は祈っている。
この街に光が射すことを願って、私は一人立ち続ける。