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第六夜

 前世の記憶を取り戻した時、私はふわふわと漂う空間にいた。今度はどの世界に産まれたの? 戸惑いつつ周囲を見渡すが、どこまでも続く闇の中。ぼんやり宙に煌めく鏡がいくつも浮んでいる。


 この世界は何? 戸惑いつつ鏡を観察して気がついた。


 茨の蔓に包まれて、眠りについた城。その城の一番高い塔に女が眠っていた。女の周りには不死の薬が入った壷に、ガラスの靴と、白い羽、金の鎖。塔の外には馬車もある。


 私だ。あそこに寝ているのは私なんだ。ここは茨姫の世界だ。


 寝てるんじゃない。起きなさい! そう自分に叱咤して手を持ち上げようとする。しかし……まるで水の中で溺れる様に、眠りの海をもがくだけで、腕を持ち上げる事さえできなかった。

 なぜかはわからないが、体は眠ったまま、このように意識だけは闇の中で外の世界を認識しているようだ。


 このまま眠り続ければ、きっと彼が口づけをして起してくれるだろう。しかし、それでは彼に返した命がまた帰ってきて……そこで気がついた。

 前世でラプンツェルとして彼に命を与えすぎ、だからこうして今ここで目覚める事もできず眠り続けているのだろうか? 


 彼から私に、私から彼に、命は巡り、往きつ戻りつ、行ったり来たり。

 そうして何度も生まれ変わりを繰り返すうちに、色んな情報が混線していく。

 もしも、ロッドバルトの記憶がなければ、前世の私はもっと早くあの塔を飛び出して、彼と旅をしていたかもしれない。


 なんとか手を動かそうと必死にもがき、鏡の向こうの自分の指が一本震えた。少しでも動かせる可能性があるのなら、今度こそ後悔しない為になんとかしなきゃ。

 どれだけ足掻いていただろう。鏡の1つに彼が映った。気高くまっすぐな澄んだ瞳を輝かせ、茨の蔓をかきわけて城の中へとやってくる。


「ジークフリート!」


 私の叫びは届かない。それなのに彼は躊躇う事もなく突き進む。城中に蔓延る茨には、黒い霧が纏い付いて、怨嗟の声をあげている。


『タスケテ』

『ワタシヲエランデオウジサマ』

『シアワセニシテ』

『ドウシテエランデクレナイノ』


 嗚呼……またあの呪いだ。世界中の王子を求める女達の声。選ばれなかった者達の嘆き。その想いが凝り固まって黒い霧となり、茨を作りあげている。


『マジョヲ、シロニ、トジコメネバ』

『ワレラノ、オウジヲ、トリモドス、タメニ』

『マジョニ、エイエンノ、ネムリヲ』


 そうか。彼女達にとって私は魔女で、王子が欲しくて私を眠らせて封印してたのね。私がいなければ……自分たちの所に王子様が来てくれると願って。


 そんな女達の声が聞こえていないのだろうか? ジークフリートは必死に茨をかきわけ一歩づつ歩む。茨が体にまとわりつき、浅くない傷をつけていった。滲んだ血が黒い霧へと変わり彼を包み込んで行く。まるで呪いにかかったように。

 血を流し、苦し気に呼吸をしながら、それでも懸命に前に進もうとする。なぜ……ジークフリートはここまでできるんだろう? 今までの前世の全てで彼は記憶を持っていなかった。今生だってきっとそうだ。前世の記憶がなくても、約束された幸せな未来がなくても、それでも何を信じて彼はここまで突き進めるのか。


 無謀という名の勇気、愚者という名の勇者。彼は何も知らず、何も持っていない。それでも彼が彼らしくあり続けるのは、心の奥にある愚直なまでの気高さ。


 私も彼のように頑張らなきゃと必死に手を伸ばし、白い羽に触れた。羽は白い鳥に変わり、鏡の向こうからじっと私を見ている。もしかして……。


「私の声を彼に届けて」

『私の声を彼に届けて』


 この世界にいても、あの白い鳥を使えば声は届くのだ。鳥は窓から旅立ち彼の元へとたどり着く。


『どうして……こんな怪我をしてまで行くの』


 彼は不思議な顔をしてじっと白い鳥を見つけた。


「この城は呪われていると聞いたから。呪いを解きにいくんだ」


 困っている人を助けに行く。それが正義なんだと疑いもせず。嗚呼……この純粋な気高さはまさにジークフリートだ。


『そんな事をしても貴方が幸せになる保証もないの。帰って……これ以上貴方を傷つけたくないわ』

「未来はわからないし、保証なんていらない。僕はただ、助けたいって思ったんだ。傷つく事を恐れて立ち止まりたくない」


 毅然と言い放ってまた歩き始める。私の制止を振り切って、むしろ前より歩調を早めて、大きく傷を増やし、黒い霧に包まれながら彼は進んだ。


「僕の身を案じてくれる優しい君が待っているなら、なおさら助けたい。どこにいるのか教えてくれないか?」

『……』


 揺らぐ事の無いまっすぐな瞳に、私は覚悟を決めた。私のいる塔の方へと白い鳥を使って誘導する。その間に私はまた、眠れる体を必死に動かして、手元の品に触れようともがく。やっと金の鎖に触れると、それは見る間に大きくなって、長く丈夫な縄に変貌し、塔の窓から垂れ下がった。


『金の縄を伝って登ってきて。そこに私はいるわ』


 白い鳥に向かって頷くと、縄を掴んで必死に登り始める。既に手には無数の傷があって、縄を握りしめると血がにじんで赤く染まる。塔の周囲の茨が、体を切りきざみ続ける。それでも彼は登る事を諦めなかった。それを手をこまねいて見ている事しかできないのが歯がゆい。


 やっと塔の窓から彼が入ってきた時、思わず涙をこぼれた。彼は私の頬に伝う雫をそっと拭って言った。


「やっと……君に会えた。会いたかったよ」


 触れるだけのキスと共に、彼から私に命の息吹が吹き込まれるのを感じた。泥に沈んでいたような重い体に力が入って目が開く。間近に彼の顔が映った。

 全身真っ黒な霧と黒い羽に覆われ、体中の傷から血を流しながら、それでもその瞳の輝きだけは失わない。全身を呪いに蝕まれ傷ついた彼に、たった1つ残された宝石のような瞳。その美しさが悲しくて涙が溢れる。


 私が目覚めた事で城の呪いは解かれ、茨がゆっくりと消えて行く。私が零した涙が触れた白薔薇1つを残して。

 白薔薇に彼の血が降り注いで赤く染まる。私と彼で作り出した、今生で唯一の宝。私はその薔薇を鉢植えに移して、一生大切にした。不思議とその薔薇はオーロラとして生きた人生で、一度も散る事無く側に居続けた。

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