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第一夜

 満月が刻一刻と登り始める。牛車の遅い歩みに怒りたくなる程、気が急いていた。


「かぐや姫は……月に帰ると言っていた。まさか今日……」


 そう想ったらいてもたってもいられなかった。牛車の中に散りばめられた、朱、梔子、葵、浅葱……色とりどりの紙の1つを手に取る。そこにはたぐいまれなる美しい文字が散りばめられていた。かすかに残る香の匂いも品が良い。

 これらは全てかぐや姫からの手紙だ。今まで幾度も手紙のやり取りはしてきたが、まだ一度も会った事は無い。内裏に来る様に何度も誘ったが断られた。

 そして……彼女は月に帰るらしい。夜に供も少なく牛車に乗り込んで、女の元にかようなど、帝としてあるまじき事かもしれないが……。それでも我慢できなかったのだ。手紙だけのやりとりでもわかった。彼女と自分の間に何か運命があるのだ。


「今宵を逃せば、もはや後が無い」


 顔もわからぬ女に恋焦がれ、帝は夜の道を牛車で突き進んだ。



「まさか……主上がこんな大胆な方だと想いませんでした」


 鈴を転がす様な愛らしい声が響く。御簾の向こうにかぐや姫がいる、その事実に帝は緊張と興奮を覚えた。ずっと手紙を通して遠くから話をするしかできなかった存在が、今目の前にいるのだ。御簾からこぼれ落ちる着物の裾の見事な色の重なり合いと、漂う梅花香の甘い匂いが脳を痺れさせた。


「貴方こそ……女房を側に侍らせず、私と二人だけにするとは……ずいぶんと大胆ですね」

「主上に対して失礼でございますから。本来は御簾の中にいるべきは、貴方様でいらっしゃるのに。恐れ多くて打ち震えておりますわ」


 そう返事を返す姫の声は震えていた。言葉はおっとりと優雅であるのに、本当に緊張しているのかもしれない。帝は袖の中から1つの包みを取り出して、そっと御簾の前に置いた。


「これは……貴方が送ってよこした不死の薬だ。お返しにきた。貴方が私の愛に答えてくださらないというのに、この世に生きながらえる理由などあるでしょうか?」

「その薬は……真に主上に必要な品。どうぞお受け取りください」

「お返しする。貴方が手にとらないなら、山の上で焼いて煙に致します。月にいる貴方にもきっと煙の匂いが届く事でしょう」


 渋々……という風情で、御簾の下からそっと白く小さな手が伸びてきた。薬の包みを掴んだ時、帝はその手に触れた。あっと気づいた時には御簾はめくり上げられ、帝が中へと忍び入る。

 とっさにかぐや姫は扇で顔を隠そうとするが、月明かりに照らされた、この世の物とも想えぬ美しいかんばせが、帝の瞳に映る。


「美しい……想像していた以上に。嗚呼……貴方を月になど行かせたくない。どうぞ……このまま私と共に内裏にお帰りいただけないだろうか」


 かぐや姫の手を握ったまま、もう片方の手でかぐや姫の顔に手を沿える。恥ずかし気に視線を落とした姫は、手元にあった不死の薬の包みを開けた。中から繊細な技法をこらした壷がでてくる。


「主上……わたくしは貴方様をお慕い申し上げております」

「私もだ……姫。共に妹背の契りを交わしたい」


 姫の切れ長の瞳からじわりと滲む涙が、帝の指先を湿らせた。驚いて両手を離した所で、姫に手首を掴まれる。


「今生で主上のお側に侍る事……叶わぬ夢でございます」

「なにゆえ……なにゆえ月に行かねばならぬのか」


 戸惑う帝の顔に突然姫の顔が近づいてきた。重なる唇に苦い味が滲む。口の中に何かを流し込まれたのがわかった。


「貴方様に会いに行く為に……わたくしは月に行かねばならぬのです。さようなら……愛しの我が背の君」


 今目の前にいるというのに、月に会いにいくというのはどういう事か……そう、問いたかったが、薬が体にしみ込んできて朦朧としてきた。視界に入る不死の薬の器が空いている。これを飲まされたのかと気づいた時には遅過ぎた。

 ただ一度の逢瀬、ただ一度の口づけ。苦い味が口の中で甘さへと移り変わる。姫がそっと帝の体を包み込むように抱きしめた。梅花香の香りと温かな手に包まれて、帝は眠りの淵へと落ちていった。


「口づけを待って眠り続ける過去の自分を叩き起こしに、今会いにいくの。自分の力で目覚めて、今度こそ貴方と同じ世界を歩むわ」


 姫は腕の中の帝の頬に口づけを落とす。月明かりが二人を包み込み、霧のように姫は絶ち消えていった。

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