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……だって……。

ちょっと短めです。

 その後のご飯はうまく喉を通っていかなかった。好物の唐揚げなのにただもくもくと無感動無感情に咀嚼する陽花を見て、母が「熱でもあるの?」と心配したほどだ。

 元々話し上手な紅が母と話を弾ませていたおかげで食事中深く追及されることはなかったが、いつもは二人で何やかんやと話している茜と陽花の会話が全くなかったことは気になっていたのだろう。


「茜くんとケンカでもしたの?」


 茜と紅が自宅に帰ってから、穏やかな微笑を浮かべて母は問うた。

 ソファでぼうっとしていた陽花はクッションに顎を乗せ、ふるふると首を振る。


「そう。茜くん、なんだかちょっと寂しそうだったわよ?」

「……だって……」


 二の句が継げないのは、自分でもどうしてこんな風になっているのか分からないからだ。茜の顔を、目を見ると苦しいだなんて。

 胸の澱が陽花を苛み続ける。どうしようもなくなってクッションに顔を埋めた娘の姿に、母は困ったように笑った。


「今日は茜くんの部屋に行かないの?」

「……行かない」

「明日から夏休みなんでしょ? 長い休みになるとほとんどお泊まりしてるのに」

「……うん……」

「それに、明後日から二人とも一週間ご実家じゃない。いつもみたいにお泊まりして朝お見送りしないの?」


 陽花は何も答えない。もうどう答えていいのかも分からなくなってきた。


「……お風呂入ってくる」

「はいはい」


 逃げた陽花にそれ以上の解を求めない母の優しさがありがたかった。


 部屋から薄手のパジャマを取ってきて、脱衣所で服を脱ぐ。先に一通り洗ってから浴槽に入るのは陽花のマイルールだ。

 お湯が並々と張られた浴槽で、陽花はくたりと四肢を投げ出した。半ば寝そべるようにして全身を弛緩させて、リラックスモードに移行する。

 目を閉じて、思い出すのは茜のことだ。


 出逢った頃の茜は、それはもう陽花にべったりだった。何がどうしてそうなったのかは覚えていないが、とにかくかわいかった記憶がある。大きな灰褐色の瞳をうるうると潤ませてぷっくりした唇を尖らせる姿は、今思い出しても胸キュンものだ。あの頃はまだ色気が今ほど溢れていなくて、ただひたすら恐ろしいほど美形の幼児だったように思う。

 同じクラスだった小学校の低学年まで茜のべったりは続き、三年生になってクラスが離れた辺りで徐々にその度合いは薄れていった。高学年になる頃にはもう手を繋ぐこともしなくなって、ほんの少し距離が開いた。なんとなく避けられているのを感じるようになったのは、中学に上がってからだ。


「……あれ?」


 そういえば、何で避けられていたんだろう。

 一時期だけで、いつの間にか自然と傍らに戻っていたから深くは考えなかったけれど。当時は声をかけてもぎこちなくて、触れ合うことなんてもってのほかだった。今から思えば考えられないことだ。

 男女の幼なじみは中学辺りで一度離れるとはよく言うが、しかしそれにしては違和感がある。普通そういうのは徐々に離れて行くものだろう。陽花と茜は(今思えば常識的にアウトだが)十二歳まで一緒に風呂に入る仲だったので、あまりにいきなりすぎるのではなかろうか。

 こればかりは直接茜に訊かないと分からないか、と思うとまた気が重くなった。風呂に入ってもやっぱり胸の澱は消えてくれない。

 むかむかもやもや、ずしんと重たい。


「……吸血鬼、かぁ……」


 茜に触れられた首筋をそっと指でなぞる。何故わざわざ触れたのかは知らないが、吸血といえば首筋からが定番だ。


 茜は血を飲んだことがあるのだろうか、とふと思う。

 ほぼ四六時中一緒にいるのに、茜が誰かの血を啜っている光景なんて見たことがなかった。想像してみよう、茜が腕にナイスバディーの美女を抱いて首筋から血を啜っている姿を。……怖いもおぞましいもなく、ただ様になるなぁと思ってしまう自分がいっそ謎だ。

 見た瞬間は頭が真っ白になってしまったものの、今日の紅とピンヒールのお姉さまもよくお似合いだった。吸血鬼に血を啜られる女性はお色気美人か儚げ美少女がいいというのは陽花の偏見だろうか。だってあの吸血鬼ブラザーズの色気にかき消されない程度の存在感がないと、いざ吸血というシーンで様にはならないだろう。

 そこを行くと陽花では駄目だ。色気が足りなければ儚げでもない。緩く天然のウェーブがかかった黒髪とこの顔立ちは我ながら悪くないと思うが、茜の色香に対抗しうるかと言われれば答えは否だ。言ってしまえばプランクトンがシロナガスクジラに挑むようなもの。根本的に不可能だ。


 ……ほのぼのと割とどうでもいいことを考えている自分に気づき、やっぱり茜に対する恐怖や嫌悪なんて微塵もないと改めて認識する。

 だったらどうして、この苦しさは陽花の胸に居座り続けているのだろう。


「ヒナー、お母さんそろそろ入りたいー」

「あ、はーい」


 考えごとをしているうちに思ったより長風呂になっていたようだ。慌てて出ると若干のぼせていて頭がふわふわした。

 体を拭いて、パジャマに袖を通す。髪は乾かすのが面倒だったので、徹底的に水分を絞って自然乾燥に。

 今日はもう早く寝てしまおうと思い、水分補給だけして部屋に入った。


 パジャマを取ったときに冷房のスイッチを入れておいたので、部屋は充分涼しくなっていた。電気も点けずにベッドに倒れ込み、掛け布団とシーツの間に潜り込む。ふんわりとした柔らかさが陽花の肩や背を包んだ。

 ……ふと思い出したのは、対比的な痛み。

 じんわりと痺れるほどに強い拘束は唐突にやってきて、陽花が反応する前に終わっていた。普段気まぐれに陽花が抱きついたときに返してくれるような、そっと半身を包むような抱擁とは全てが違った。茜はどうしてあんな風に抱き締めたのだろうか。


 わからない。……茜の何もかもが、分からない。

 十三年ずっと、理解していたつもりだったけれど。どうやら違ったみたいだ。


 ぐちゃり、とかき乱された感情を無理矢理握り潰して、陽花は目を閉じた。向かいの部屋の光から顔を背けるように寝返りを打ったのは、単純に眩しいからか、苦しいからか。


 向かいの部屋の電気が消えたのは、それからしばらくしてのことだった。

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