25
俺がホテルに戻った後、スナックに行くのを見て、タクシーを使って原発村に入ったらしい。
「君が酔っ払ってホテルに帰るところを見た。一緒に『すみれ』の友達の黒い子が乗っていくのが分かった」
「なんだって?」
「色の黒い、いかにももぐら人って感じの女の子さ。そこでわかったんだよ。ロリコンは俺だけじゃない、君もそうなんだってね」
「違う! あれは勝手に乗り込んできたんだ。大体、タクシーに乗るときは俺は気づいていない」
小田は笑った。
「君が帰った後、俺はスナックに忍び込んだ。すみれを連れ出すのに、君のことを使わせてもらったよ。君のことを言ったら簡単についてきた」
急に表情を変え、膝を叩いた。
「正直、複雑だったよ。君に嫉妬した。すみれに対して殺意が湧いたよ」
小田は立ち上がった。
「さあ、船底にいる船長の様子を見に行こう」
小田の後をついてさらに下への階段を降りていった。
ランタンは消えない。次のフロアも酸素はあるようだった。
しかし、階段を降り始めると急に、空気が変わった感じがする。湿度が高く、外の寒さから考えるとかなり温かい。
「小田さん。なんて言っていいかわからないけど、変な感じがしませんか?」
「ちょっとジメッとしてるね」
「……さっきの話ですけど」
小田が立ち止まった。そして、ゆっくり振り向く。
「急がなくても話してあげるよ…… クッ、ククク……」
「何がおかしいんですか?」
「いや。なんでもない」
そう言った小田の表情からは悪意しか感じ取れなかった。
何か、何か違っている。
「反原発団体の人たちは助かったんですかね」
小田は次の階段のところで立ち止まった。
「助かるわけないだろう?」
「どうしてそんなことが言えるんです?」
「この船の底に張り付いている生き物は、もぐら人達から神として崇められる最強の生物だよ。一人たりとも見逃す訳ないだろう?」
「小田さん? どうしたんですか、なんの話なんですか?」
「ほら、見て見給え」
階段の下を指差した。
小田の見ている先は、暗くてよく見えなかった。
「ほら、懐中電灯」
「えっ? 海水が入ってきてますね。船底はもう破壊されてしまったんでしょうか?」
俺は覗きこむようにしていると、その海水から巨大なタコ、あるいはイカ…… 吸盤がついた触手が動いた。
「うわっ!」
飛び上がるように体を引くと、小田に肩を掴まれた。
「ほら、もっとしっかり見るんだ」
懐中電灯を持つ手を捕まれ、階段の開口部から身を乗り出すようにして下の様子を覗き込む。
幾つかの触手がついている根本のあたりが海水が引いて見えた。
パッと開口し、そこは無数の尖った歯が、螺旋を描いて奥へと続いていた。
「う、うわっ……」
「あれが口だよ、君の墓場だ」
「えっ?」
肩を押され、上体がのけぞったところを足で蹴られる。
「あっ!」
俺は体が階段の開口部へ倒れかかった時、思い切って足で蹴って飛び、開口の反対側へ手をかけることが出来た。ギリギリ手が掛かって落ちるのを免れた。
「君、器用なことするね」
落ちないようにつかまっているのがやっとで、小田の方を見ることは出来なかった。
「そうだ。話の続きをするんだったね。すみれは、君のことを話したら、スイッチが入ったように明るい顔で俺についてきたよ。君を驚かせるから、このカバンに入って、といえば素直に入ったから、そのカバンのままホテルで連れて行ったよ」
小田はそう話し続けるが、俺は下に落ちないようにつかまるので必死だった。
懸垂なんて、学生の時以来だ、俺はそう思いながらも腕の力で体をフロアに上げようとしていた。
下にあふれている海水が、ゴボッ、ガボボッっと音がする度、気持ちは焦っていき、正気が失われていくようだった。
「ホテルですみれをカバンから出した時、君がいないことを話すとずいぶんがっかりしていたよ。けれど、俺が落ち込んでいると、次第にすみれは俺のことを可哀想だと思うのか、優しくしてくれるようになった。俺は念願だったすみれの肌に触れることが出来た」
「気持ち悪いこと言うな」
やっと上体がフロアの上に上がった。後は足を掛けて……
「そこに這い上がってどうなる? 結局こっちに来るしかないぞ。こっちにきたら、今度はきっちり落としてやる。今度こそ下の邪神の胃袋の中だ」
階段の開口部の縁に這い上がった。確かに逃げ場はなかった。
「あんた、何がしたい? 何が目的なんだ?」
「俺はこの地域を守らなきゃけいないんだよ。だから原発の再稼働は必須なんだ。だからじゃまな反原発団体はいなくなってもらった」
「すみれちゃんの殺人であれだけ報道陣がくるんだから、反原発団体のように大人数が行方不明になれば、すぐ報道が」
小田は壁に背中を付けて言った。
「報道に与える情報は警察の調査結果さ。政府側の機関ならどうとでもなる。そうそう、君がもぐら人のことを調べようと林の家を探るから、家に火もつけた。だが、一方で君はもぐら人を増やすことにも協力してくれた。だから…… この原発村社会の仕組みを、ある程度理解しているんだ、と思っていたんだけどな」
下のフロアから、ゴボッ、ガボボッという音に混じり、猫の鳴くような声が混じってくる。だが、海水が入り込んでいる船底には猫はいない。この声は例の螺旋に歯が生えた口の奥から絞り出されているものに違いない。
「君のブログやアカウントなんか、一瞬で消えただろう。情報なんてそんなものだ。いくらでもコントロール出来るんだぞ。団体の人間が一度にいなくなったって、捜索願いがいっぱい出たって、報道する側の人間に知られなければ記事にはならない。俺はそういう警察側から送られたエージェントって奴さ」
階段の開口部を間に挟んで、俺と小田は対峙している。
ランタンが付いているロープが垂れているのが見えた。あれをどうにかして……
「君には、すみれの死体を木に吊るした殺人鬼として、ここで死んでもらう必要がある。遺体はこの下の生物が、一欠片も残さずに消化してくれる」
手を伸ばせばランタンのロープをつかむことは出来る。何をしたいのかが小田に知られないようにしないと。
「ここで起こった事実を都心に戻って言いふらす」
「今頃別のエージェントが、君のホテルの部屋に残っているものを処理しているだろう。そうなったら何をもって言いふらす? インパクトのない情報なんて誰も興味もたないさ。しかも、君はすみれを殺した犯人だからな」
大丈夫。小田は俺の目線には気づいていない。
「死んだ時には、君がやったことになっているんだから、俺がすみれとどんなことをして楽しんだか教えてやろう」
自慢気な小田の方を見つめながら、俺は手をのばす。
「まず最初にすみれと一緒にお風呂に入って、綺麗に洗ってあげた。幼女はションベン臭いからな。その後、裸のまま布団に寝かせて……」
俺は気が付かれないように、ゆっくりと、ロープを手繰る。
「そんなに好きなのに何故殺したんだ」
「ああ、お前の事ばかり言うのも理由の一つだがな…… あいつは、目の前で、体に手を突っ込んで卵を取り出し、俺の精子を塗りたくりやがったんだ。知っているか、もぐら人の卵って。まるでカエルの卵のように管にたくさん入っているのさ。そして精子が塗りたくられると、物凄いスピードで半透明の中に体が出来上がっていくんだ」
「!」
想像するに気持ちが悪く、俺は手を止めてしまった。
「カッとなって首を絞めていたよ卵管にいた命も一緒に動きが止まっていったよ……」
ガっ、と俺は強くロープ 引き下げた。すると、ロープの先についていたランタンが勢い良く持ち上がり、小田の頭上で音を立てて壊れる。
割れて、漏れ出したオイルが小田にかかる。そして壊れたランタンが追いかけるように落ちていく。
小田についたオイルが勢い良く 燃え上がる。
「なっ、君は、こんなことを考えていたのか……」
小田は火の着いた服を懸命に脱ごうとするが、慌てるせいか、手間取ってしまう。
俺は縁を横歩きして開口部を過ぎると、小田を蹴り飛ばして階段を登る。
「待て!」
階段を登る足を捕まれてしまった。手すりにしがみつき、降ろされないように抵抗する。
下を見ると、小田はまだ燃えている。掴まれてない方の足で蹴りこむが、顔も腕も痛みを感じないかのようにビクともしない。引っ張り続けられているせいで、腕に力が入らなくなってくる。
「早く消さないと燃え死ぬぞ!」
「君を殺してからでも遅くない」
腕の力が尽きた。顔や背中を階段に打ちつけながら、落ちていく。
小田も俺の体を受け止めきれず、尻もちをついてしまう。
下のフロアから波打つ音と、猫の鳴き声のような音が聞こえてくる。船は止まっていて、底が抜けているせいで、沈み始めている。
足を掴んでいる小田の手を、つかまれてない足で剥がそうとするが、小田も足を使って俺を押さえ込んでくる。
「痛い!」
何かプロレス技なのか、足を取って固められた。
骨がきしむような、曲げては行けない方へ足が曲がって、筋が伸びていく。
「えっ?」
目の前に、街で買ったバットとケースが差し出された。
ケースごとつかむと、足元にいる小田に向けて叩きつけた。
地面を叩いたような手応えがあった。同時に、足の拘束がゆるくなった。俺は何度も振り回した。
「君、武器を使うなんて卑怯じゃないか」
炎に包まれた小田が、立ち上がった。
「今です」
足元から小さい声が聞こえた。
俺はその声に従って、思い切り小田の頭にバットを振り込んだ。
声も上げずに小田はうつ伏せに倒れた。服の炎が、全身に広がっていく。
「誰だ? 誰かいるのか?」
炎の光がいくつかの赤い輪郭を浮かび上がらせた。
背の低い、小学生ぐらいの……
「まさか?」
「父!」
そう言って振り返ったその子らの顔は、皆同じものだった。鏡でみる俺の顔だ。
船が沈んでいく。
俺たちは必死に船の外へ走った。
岩だらけの岸にたどり着いた時には、沖に浮いていたはずの船の姿は全く見えなくなっていた。
黒い岩も、波が掛からないところはどんどん白く雪が重なっていく。
もう夕方なのだろうか。酷い疲れと、びしょ濡れの服せいで、フラフラと岩場を歩く。岩場の先にあるコンクリートの防波堤にたどり着くと、俺は疲れ切って倒れてしまった。
暗くなりつつあるところに閃光が走り、轟音が響いた。
「雷?」
海の先に巨大な触手をもつ生物が浮かび上がって、沈み、浮かび上がっては沈み、沖へと去っていく。
小田があの後どうなったのか、小田は何故あの巨大な生命体を利用しようとしたのか、そして、もぐら人や海中の巨大生物を知っていたのか。謎は全く解決されないままだった。この後、俺は小田が言ったとおり、すみれの殺人犯とされてしまうのか、それすら分からない。
原発とその先の岬を見ていると岬の一番高いところから空へ向かって稲妻が走った。
冬場の雷は、地上から空へ伸びる、と聞いたことがある。
枯れ木のようなシルエットを描く雷で、あたりが明るく照らされた。
「!」
雷の光で、俺は自身の回りに立っているものに気づいてしまった。
そして、今生きているのがその者達のお陰だったことに気付いた。
最初に地下空間で気を失った時、防波堤から来たもぐら人に襲われた時、そしてさっき船が沈む時だ。最初の二つは気を失っていたが、さっきははっきりと覚えている。ブログ、携帯…… 持っていたものは全て失ったが、命は失わずに済んだ。今度は俺がこの子達に報いなければならない。
俺は腕を広げ彼女達を抱きしめ、同時に運命を受け入れた。
終わり