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操舵室から何か不安なやり取りが聞こえる。
「舵がききません」
「どういうことだ?」
「舵がきかないんです…… それにエンジンも動いています」
原発団体の連中が操舵室の扉を叩く。
「どうした、何があった?」
大騒ぎしている割には、船は順調に航行している。原発団体が目指している方向へ。
スピードは落ちているが……
バン、と音をたてて操舵室の扉が開く。
厳しい面持ちの船員が二人、急ぎ足で階段を降りていく。
俺は船の回りに何かおかしなことがないのか、手すりに沿って船を一周してみることにした。
船の後方に、大きな煙突があり、音とともにエンジンの排気が噴き上げている。
黒くて、たくさんの煙。
これだけの音と煙を出しているのに、これだけしかスピードが出ていないのはおかしい。
どんより曇った空からは、雪が少し落ち始めた。
回りの海は、もう船もいなくなっていた。船の真後ろには岬が見え、その近くに原子力発電所が見えていた。
ぐるっと一周して戻ってくると、船底の方を見てきた二人が上がってきた。
操舵室の扉が開かれて、中に入った。
原発団体の連中は扉に耳を付けている。
「エンジンは順調に動いています」
扉に耳を付けている男がそう言った。おそらく、中から聞こえたことを、伝えているのだ。
「舵はきかない、エンジンは動いている、しかし船は進まない。進まないどころか、バックしている」
「なにかきしむような音がしました。何かに捕まっているのかも」
「捕まっている? この船の大きさを考えてみろ? ゴジラか何かが船にしがみついているとでもいうのか?」
原発団体のリーダーが、耳をつけて、こちらに伝えている男を一人剥がすようにどかし、自らが耳をつけた。
「そうとしか思えません」
「ゴジラ?」
原発団体が大きな声を出してしまった。
「クジラのこと?」
一番若い者がそう言うと、おじさんが、首を振った。
「違う。コジラってのがあるんだよ。……そうだな。原子力発電所とくればゴジラが出てきてもおかしくはないか」
操舵室の外にいた反原発団体の連中が、大声で笑った。
「!」
突然扉が開き、船長が出てきた。
「君たち。何が可笑しいのかね。船がかなり変な動きをしているんだぞ。ゴジラではないにしろ、何か船底にいるかもしれない」
原発団体の一部が、後方に見える原発に向かって抗議の声を上げ始めた。
船長の周囲にいた原発団体の連中は、それがきになるらしく、何も言わずに一人、一人と去っていく。
「船の喫水線をみろ」
船員が船のヘリから、双眼鏡を持って確認する。
「おかしいです、船が持ち上がっているようです」
「ほらみろ。だから舵がきかんのだ」
船長は自分の言ったことの不思議さに気がついた。
「喫水線が見えるというのか?」
「はい」
「どれくらい?」
「海面よりかなり持ち上がっているとしか……」
「ばかな」
船長は双眼鏡を持ち、船の下部を確認した。
「さすがにこれだけ水についていれば舵は効く。しかし……」
船長は姿勢を正し船員に向き直った。
「何かに乗り上げているぐらい持ち上がっているのは確かだ」
俺は一瞬、もぐら人の洞窟でみた、浮き彫りに描かれた神ーー恐ろしい節足動物のような頭の怪物ーーがこの船の船底を捕まえている、そんな光景が頭に浮かんだ。
「避難ボートの用意をしろ。コントロールが効かない船はそのまま原子力発電所に突っ込むおそれがある。地上の連中に伝えるんだ」
「メーデー?」
船長はうなずいた。
「避難しよう」
そこに反原発団体はいなくなっていた。
船員は船の内部に放送を流した。
『救助艇をおろします。速やかに避難してください。繰り返します……』
船員が準備を始め、船の両脇につりさげられている小さな船をおろしていく。
反原発団体が、何やらブツブツ言いながらも乗り込んでいく。
「全員乗ったか?」
「はい」
切り離され、救命艇が離れていく。
バシャッ、と大きな波しぶきを上げたかと思うと、船がひっくり返った。
「えっ?」
俺は身体を乗り出して確認した。
「おかしい」
何かいた。
海の底に、何かいた。
まるで指で弾くように簡単に救命艇をひっくり返してしまった。
「なんだ、何があった?」
船員達が騒ぎ出した。
「とにかく、このままじゃ」
「もう一度救命艇を下ろそう。今日は定員に達してない。一艇ダメにしても他の船に載せられる。だから、次の奴には誰も載せるな」
同じサイドにある救命艇を下ろし始める。
誰も載せず、そのまま海へ切り離される。
すーっと離れていった、かと思うと、何か海から伸びて来て、いとも簡単にひっくり返された。
「何か見えました」
「何かいる」
「……」
俺もはっきり見てしまった。
大きな動物の腕だ。いや、触手と言うものだろうか。この船自体の問題と、さっきの白波は、救命艇をひっくり返した生物と同じ可能性がある。
また、もぐら人の洞窟でみた、浮き彫りの生き物を思い出した。もぐら人が神と崇めているとも思われる、頭に触手を持つ、巨大な生き物。
「もう一度、もう一度、舵をきって、エンジンを全開にしろ」
操舵室へ船員達が戻り、大きな音がしたかと思うと、煙突から黒々とした煙が上がる。
スピードが落ち、一瞬、船が止まった。
「やったか?」
一瞬静まり返った後、エンジンから高い音が響き始めた。
船はまたバックし始めた。さっきより動きが早くなっている。
「エンジン回転数が一定になってしまいました」
「スクリューが破損したかもしれません」
船の底にいる怪物が、舵を、そしてスクリューまでも壊してしまった。見えないものの、状況からそう考えるしかない。外で聞いているだけの俺が考えても、そういう結論だった。




