19
俺に気付いて、あやめさんも口を動かしたが、何も聞こえてこなかった。
なぜだろう……
体がふわっと持ち上がったような気がした。
枕の下へ、頭が無限にもぐりこんでいくような、同時に体が回転しているような感覚がある。
「もしかして、夢」
あやめさんが微笑みながら薄いセーターを脱ぎ、下着姿になって俺の上にまたがってくる。
「えっ?」
やっぱり自分の言っている言葉が聞こえない。相手にも伝わらない。
もしかすると夢、あるいは意識もうろうとした状態で、実際の俺は、病院の中で死ぬ間際なのかもしれない。
なぜなら、いきなり肌を露出させた女性が自分の上にまたがってくるという状況そのものが尋常ではなく、異常としか思えないからだった。
また意識がなくなり、まだあやめさんが同じ状態にあると感じられた時、俺のなかの理性が崩壊した。
再び気が付いた時、またがっているあやめの姿は消えていた。
「やっぱり夢……」
首を左右に振って、置いてあるパソコンを探した。
しかしそこにはパソコンは無く、この部屋がホテルの部屋ではない、知らないどこかの一室なのだとわかった。
俺はフラフラしながらも立ち上がり、その部屋の仕切っていた引き戸を開けた。
「あら、まだ寝ていなくて大丈夫ですか?」
引き戸の先には、小さな部屋があり、こたつに入ったあやめがこちらを見つめていた。
「……」
俺は声が出せなかった。
まさか、さっきのは……
「ちょっと前まで、私病院へ行ってたんです」
俺がどんな事を考えているか伝わるわけもなく、あやめは唐突にそう言った。
「ああ、そう言えば『臨時休業』の張り紙を見て、記者のような人がそんな事を言ってましたね」
「じゃ、すみれの事、ご存知ですか」
小学校の前にいたおばさんが言っていた、あの話だろうか。
「ええ、直接テレビは見ていないんですが、小学校の前に集まっている人たちから話を聞きました。その話、本当ですか」
「本当です。今、すみれの遺体は警察で調べています」
「……」
こたつのテーブルに涙が落ちるのが聞こえた。
「あの、なんて言っていいか」
俺が言葉をつなげようとしているところに、割り込んでくる。
「こんな時に」
あやめは立ち上がって、俺に体を寄せてくる。
「不埒な女と思われるかもしれないけれど」
その時、俺は女の匂いにのぼせ上っていた。
「お兄さん、鎌田さんだったわね…… 鎌田さんが、私のそばに居てくれれば、すみれを失った悲しみも薄れるのですが」
俺はとっさにここへ来た時、黒塗りの車とともに男がここにいたことを思い出していた。
両肩を掴んで押し戻すと、
「それは俺じゃないんじゃないのかな?」
と言った。
「?」
あやめは、不思議そうな顔で俺をみる。
「ほら。俺がここでピラフを食べた時、黒塗りの車がここに止まっていて……」
目を細め、それから目をそらした。
「あの男…… そう。あの時外に顔を出したってわけね」
あやめはこたつに入り、タバコに火をつけた。
一口目の煙を吐き出すと、言った。
「そう。あいつがすみれの父親よ。結婚もしていないし、籍もいれたことないけど。すみれが死んだってのに、電話にもでない残酷なな父親」
タバコを口につけ、煙を吸って吐いた。
「知ってる? あいつ、あれで国会議員なんだよ。元々、父親も地方に地盤を持っててさ」
「そ、そうなんですか」
「そうだよね。そんなやつのオサガリなんか抱きたくないよね」
俺はなんて答えていいのかわからなかった。
他人の愛人だった女と結婚しようとは思わないが、抱くだけなら十分魅力的ですよ、なんて慰めにもならない。
そんな風に、俺は心と体がバラバラだった。
あやめは、ニヤリ、と笑った。
「本当に抱きたくない? じゃあさ、さっきのは何だった? 夢だとでも思った?」
半分以上残っているタバコを灰皿に押し付けて消す。
「あんた、何言ってんだ!」
すると、こたつから出ている上体をそらし苦しそうに唸り始めた。全てがいきなり過ぎた。
「ううぅぅぅ」
あやめの顔が苦痛に歪む。
俺は背中に冷たいものが走ったような気がした。
「うわぁぁぁぁぁ!」
液体が流れ出たような、嫌な音がした。
こたつ布団が揺れ、まるで中で何かが動き始めたようだった。
「まさか……」
あやめは髪が長く、色も白い。背も高いし、胸が大きく、スタイルがいい。
どう考えても『もぐら人』とはつながらない。
つながらないはず、だ。が、しかし。
こたつの机がしたから持ち上がるように動く。あやめの手は後ろについていて、こたつ机を持ち上げている様子はない。
「さっき、私、鎌田さんの精液をいただいたの」
凍りつくような感覚が、体を走った。
奴ら、もぐら人はもの凄い速さで増殖する。このこたつの下の膨らみは、まさか……
今度は、あやめの顔が微笑む。
何か企んだ様な顔だ、と俺は思う。
「何を思ったか当ててあげようか」
俺は逃げ出そうとしたが、こたつから見えるだろうソレを確認したい気持ちもあった。見たら、どうにかなってしまいそうなのに。
「まだ産まれる程時間は経っていないはずだ……」
いきなり甲高い声であやめが笑い始める。
「しっかり時計を見た方が良いわよ」
まさか、と思い俺はスマフォを取り出した。
記憶にある時間より最低でも八時間以上経っている。おそらく、これは俺の精子を使ったもぐら人……
「みゃぁ」
「みゃぁ、みゃ」
一度にたくさん、鳴き声が聞こえてきた。
あやめは、いきなり上着をめくりあげでお腹を出した。そこには哺乳動物のような複数の乳がついていた。
俺は寝ていた部屋を振り返り、ケースに入ったバットを見つめた。
これであやめを殺れば、親のいない子もぐら人も死ぬだろう。やるか、やらないか。これ以上俺の顔をした異常生物が増えてしまうことは許せない。