15
そのトライをするか悩みながらも、俺はもう少し周りを調べてみることにした。一階から入れるならそれに越したことはない。
家の周りを進んでいくと、勝手口があった。
ゆっくりとドアノブを回すと、手ごたえがあった。
「開いてる……」
音を立てないように引き開けると、中の様子をうかがった。
いや、これがあの老人の家なら、誰かがいるわけがなかった。本人が、生涯独身だ、と言っていたからだ。
おなじように音を立てないように扉を戻すと、俺は靴を脱いで上がった。
「(おじゃまします)」
小さくそういうと、スマフォのライトで部屋を照らした。
明かりがついておらず、人がいないはずなのに、家の中は暖かかった。
居間にはこたつがあって、小さなタンスがおいてあった。
固定電話の傍に、ちいさな電話帳が置いてあった。
電話帳を見てみるが、電気や水道、市役所の電話番号があるだけだった。
タンスの上には紙が数枚置いてあったが、地域のお知らせが書いてあるものだった。
そんな風に俺は一階の他の部屋を見て回ったが、目ぼしいものは見当たらなかった。
そのまま階段を上がり、物干しのベランダに通じる部屋があった。
そこは布団が敷いてあり、枕元に明かりがあるだけの殺風景な部屋だった。
もう一つの部屋に入ると、そこには本棚と机が置いてあった。
ここだ。
何か書き残しているとすれば、ここにあるに違いない。
俺はスマフォの明かりで探すのに疲れ、部屋の明かりのスイッチを入れた。
本棚には、原子力発電所に関する書物が多くあり、それ以外は大半が娯楽小説であり、背表紙だけで見るべきものはなかった。机の上にはノートがあったが、日記とかではなく、学生時代の科目のノートであり、これにももぐら人のことは書いていなかった。
机の引き出しを順に開けていくと、筆記用具や、古びた写真が見つかった。
写真の束をめくっていると、共通する人物があり、よくみると林老人の面影があった。これが若いころの姿か、と思って続けてめくっていると、一つ、奇妙な写真があった。
「これか……」
写真は細いスリットからとったように左右が暗くなっており、中央だけが映っていた。そこに映っている布団の上には黒い毛の生えた生き物がいて、その横には若いころの林がいた。林は下腹部にタオルがかかっているものの、服を着ている様子はなかった。
友人に撮らせたという写真に違いない。
林が娘だ、と思った人と行為に及んだ時の写真。
写真の裏を見ると、昭和の日付と『もぐら人』という単語が書かれていた。
俺はその写真をスマフォで撮った。
さらに机の引き出しを探して、ノートを出しては中を見た。
何冊かを見終わった後、新聞の切り抜きが張ってあるノートを見つけた。
新聞の切り抜きには、原発が立てられることになったこと時から、立って稼働が始まったことや、片方の炉が停止することになった最近の臨界事故までが貼り付けられていた。
「なんだ、原発だけか……」
そう思って、もう一度引き出しに視線を戻すと、手のひらほどの小さな手帳が残っていた。
これが最後かと思いながら、開けてみると初めに『もぐら人の考察』と書かれていた。
「あった」
俺はそれを読み進めた。
原発村に、一部の光に強い『もぐら人』が住んでいること。
もぐら人は大人になっても大きい者で一メートル四五十センチまでであること。二十年ぐらいの寿命であること、などと書かれていた。
『もぐら人の性は一種類しかない。男がいないのだ。従って自ら増えることができない。人と交わることで妊娠して、子供を産む。驚異的なことに、妊娠六時間から八時間で生んでしまう。人間のように一人か二人ではなく、多産で同時に四人も五人も妊娠する。だから、あの時だけで二十人から三十人増えたことになる』
もしこれが事実なら、犬や猫より早く生んでることになる。
『生まれたもぐら人は、光に弱ければ地下に帰っていく。帰ったものは、地下を広げるために、短い一生を終えることになる。光に強い者はそのまま村に残っていく』
それが、すみれと一緒にいた黒い子、なのだろう。
『光に強い者は、何度も世代を重ねているせいで、かなり人間に近い姿になっている者がいる。この地域の女性には気を付けた方がいい。もぐら人の可能性があるからだ』
あの老人が、どうやってこの事実を知って、ノートに書き記していったのかが気になる。
林本人が研究者な訳でも、何か元になる研究発表や、論文があったわけではないだろう。老人が適当に想像したことを書いているだけかもしれない。
ただそれらを差し引いたとしても、あの黒い子や、地下でみた『もぐら人』らしい生物についての事実は覆されない。それは人間が時間をかけて変わり果てた後の姿だとは到底思えず、そう考えると『もぐら人』というものを受け入れざるをえないのだ。
俺は何ページか気になる部分をスマフォに撮り、更にそのノートを読みふけっていった。
村との密接な関わりがあり、血が混じっていくこと。一人一人が差別され、その内、原発村自体が地域から蔑視されていったようだ。
「ん……」
気付くと、灯りを付けた部屋に煙が上がってきていた。
煙はあっという間に部屋を覆っていく。
俺はノートを机に置いた。
「まずい」
慌ててベランダに出る方の部屋に移動するが、スイッチを入れても灯りがつかない。
スマフォで照らすと部屋の高さの半分ぐらいに煙が入ってきている。
這うようにして窓際に移動し、窓を開け、物干し用のベランダに出る。
下の階から火が上がっていて、最初にこのベランダに登ろうとしたルートが安全でないことが分かる。
「……」
ベランダは煙がこもらないだけ室内よりましだった。スマフォを使って、消防へ連絡をする。
「火事です。原発村の、住所? 住所はわかりません。とにかく、早く」
電話の向こうでは、原発村ってだけじゃ、という声が聞こえる。そして何か目印はないか、と訊かれる。
「なにって、このベランダから原発が2基とも見えますよ。すぐ近くです」
電話の向こうでは急にあわただしくなって『すぐ向かいます。飛び降りないように。そして煙を吸わないように』と言われた。
どこに消防署があるのかもわからない。助かる時間内に消防は助けに来てくれるのだろうか。
とにかく煙を吸わないようにハンカチで口を押える。
ブログへ載せるかもしれないから、静止画と動画も撮ってみる。
「死ぬかもしれないのに…… 何やってんだろ」
遠くから消防のサイレンが聞こえた。
助かった、と思う反面、もうこのスリルは終わりなのかと考えてしまった。
だが、聞こえた後、数分経っても、サイレンが近づいてくる様子がない。
「えっ? 何やってるんだよ」
俺の頭の中に、火の勢いと同様に、恐怖が広がってきた。
階下の炎から、俺がいるベランダ部分へも火が移ろうとしていた。俺は敷いてあった足ふきようのマットで、火を叩いた。
しばらくはそうやって時間が稼げたが、右から左から同時に燃え上がってくると、足ふきマットではどうにもならなくなっていた。
「死ぬ…… 死ぬのか……」
燃え盛る炎に囲まれ、もうだめかと思った時、サイレンの音が聞こえた。
今度ははっきりと、大きい。眼下に赤い消防車の姿も見えた。
「助けて! ここです! 助けて」
消防隊が、こっちに向かって梯子を伸ばしてきた。
何とか立ち上がってそのカゴにつかまると、消防隊が大声で指図した。
その梯子がゆっくりと旋回してから、またゆっくりと下がっていく。
「助かった……」
あたりには火事騒ぎでやってきた野次馬が何人かいた。
その中にタクシーの運転手も来ていた。
俺を見つけて寄ってくると、
「お客さん、大丈夫?」
俺はうなずいた。
俺はそのまま救急車に載せられ、そのまま救急車で病院へ移送された。
病院での検査を終えると、俺は警察に事情聴取を受けた。放火したという疑いがあるのだろう。
「何故あの家にいましたか?」