12
何か武器……
考える前に走ろう。
老人の階段を上がるペースは明らかに落ちている。
「登ろう、とにかく登ろう」
俺は声に出して老人に追いつくことを目標に階段を登った。
次の踊り場で追いついた。
「なんで写真を撮った……」
「……」
「奴らは光に弱い。光を浴びせられると、逆上するんじゃ」
老人を押し上げながら、二人で階段を上がる。
「なんであなたのことを知っているんですか?」
「この原発を作る話が出た時からの因縁だからな」
「……」
「奴らの寿命は短い。口伝えでわしのことを伝えたんだろうさ」
「やつらって、さっきもぐら人は女性だけだって」
金網が引裂されたような妙な金属音がする。
いよいよこの階段の上り勝負だ…… 勝てそうにないが……
「女性といったのは、もぐら人の生殖に特徴があるんだ。あいつらは、人間の精子を利用する」
「えっ?」
「人間の男をたぶらかし、精子を盗み取る。自分の腹にいれ、増やす」
「どういうことですか?」
「……」
老人は膝を押さえながら、ゆっくり階段を登る。
「……むりじゃ。わしは助からん」
「何言ってるんですか、登りきれば助かりますよ」
「奴らは、人間との協定であの岬の鳥居からは出てこれない。あそこまで逃げ切るんじゃ」
「ほら、肩を貸しますから頑張りましょう」
引っ張る俺の腕を強く叩いた。俺は痛くて老人の腕を離す。老人は階段に座り、壁にもたれかかった。
「わしをなぶれば、もぐら人も気がすむじゃろ」
「あなたを置いていけません、人間同士なんですから」
「……わしはもぐら人のようなもんじゃよ。わしは、もぐら人が増えるのに加担したんじゃから」
老人は闇を向いてそう言った。
懐中電灯を手渡され、老人は俺にハエでも払うかのような仕草をした。
「わしの話を聞いてくれればいい。大声で話すから、階段を登りながらでも聞こえるじゃろ」
「……」
「行け! お前だけでも助かるんじゃ。ここで倒れても誰も助けに来んぞ」
俺は不思議と涙がこぼれるのを感じた。
そして階段を登り始めた。
自分の呼吸がうるさくて、まともに老人の話は聞こえなかったが、こんなようなことを言っていた、と思う。
『わしは生涯独身だった。だが寂しくなかった。わしの気持ちが高まった時に限って、村に色っぽい娘が遊びにやって来たからだった。数回言葉を交わして、笑いあい、気持ちを通わせると、体のまじわりをもった。すると、スッとその娘は消えてしまい、わしはまた村で孤独な生活をすることになった。また、数ヶ月すると、別の娘がやって来て、わしに近づいてくる。口づけをかわし、さまざまなことを語りあったのち、また体の交わりをもつと、娘は消え失せた。それは何度も何度も繰り返された。ある時、村にあそびに来た娘と交わりをもっているところを、ゲスなおやじに盗み見られた。娘がさったあと、そのおやじは、お前が娘だと思っているのはもぐらのような黒い毛むくじゃらの生き物だ、と笑った。わしは信じられなかった。次に娘が来たとき、親友に頼んで写真を撮ってもらうと、そこにはゲスおやじが言ったとおりの、黒い、けむくじゃらの生物が映っていた……』
そして老人の声が聞こえなくなった。
いや、まだ何か言っている、あるいは叫び声を上げたようだったが、自分の喉や肺を通る空気の音で、何も聞こえなかった。
俺は心の中で手を合わせた。
いま、老人のところにもぐら人が来たのであれば、俺は踊り場二つ分のアドバンテージが有る。逃げて、地上に戻り、もぐら人に関しての事実を伝えないと行けない。
俺は一生の内に走ったことが無いくらい、階段を走った。
もぐら人の奇妙な鳴き声のような音に、追いつかれずに最後の踊り場まで上った。
「あと、少し」
最後の踊り場から十数段上った時だった。
気持ちはまだ大丈夫、だったが、実際の足がついてこなかったのか、俺は階段を踏み外して、頭を強打した。
「うっ……」
体をコントロールできず、踊り場まで転がり落ちる。
落ちる過程で、あちこちを打撲したようだった。
「まっ…… まずい……」
握りしめていた懐中電灯を踊り場の下へ落としてしまった。全面のプラスチックが割れたようで、光が収束せず、ぼんやりと周りの階段を照らしている。
「立ち上がらないと……」
足を踏ん張るが、強烈な痛みが膝に走る。
しりもちをついてしまう。
怖くなって、懐中電灯のあたりをみるが、下からやってくるもぐら人も、まだそこまではたどり着いていない。
「頼む、頼むから」
俺は足を何度もこすった。
「あと少し、あと少しだから」
この状態で、階段を昇れたとして、縄梯子を上れるだろうか、とふと考えた。
もう俺も駄目なのかもしれない。
「写真に撮った人間がいるはずだ」
「あの光の近くにいるに違いない」
「気を付けろ」
そんな、もぐら人の声が聞こえ始めた。
「だめか……」
もう距離が無い。
「!」
目の前に、細い目のもぐら人特有の顔が現れ、俺は気を失ってしまった。
気が付くと、俺は岬の鳥居のところに腰かけていた。
天気が悪くなり、少量の雪が舞っていた。
痛みを感じて、腕や頬を触ると、半分ほど固まってはいたが、血がついていた。
「助かった、のか」
ここまでつながる記憶がない。
正面にもぐら人の顔を見て、卒倒してしまった。それ以上の出来事が思い出せない。
バッグも、スマフォも無事だ。
横穴の部分にはすのこのような板で蓋がされていた。
まさかいままでの出来事はすべて夢、と思いスマフォで写真を探すと、そこには禍々しいもぐら人の姿が残っていた。
ということは……
「あの老人が」
助けれるかも、と思い体を起こそうとしたが、体を動かそうとすると皮膚が張って思うように動けない。
「いたっ……」
夢でないのだとしたら、もう助かるまい。
そもそも俺は老人の名前も何も知らない。この話を警察に届けて、果たして信じてもらえるかも疑わしい。
いや、この写真があるのだ……