番外④:肉弾系死霊術士ナイア・メイリア・アウター
その日の喧嘩の理由は、覚えていない。
ただ、ひどくつまらない事でナイア自身が意固地になり、ホテプの聖布を置いて出掛けた事は覚えている。
出掛けた先はいつもの森。
父母は、その日多忙でいなかった。
ナイアは油断していた。
ネクロの都の近くにある森は瘴気の溜まりやすい土地で、決してホテプを置いていってはいけないと言われていたのに。
いつも、ホテプの力を借りてすぐに倒せていたから、この森の魔物がこんなに強いなんて思っていなかった。
「ひかりよ!」
聖気を振りまいても、少し怯むだけで魔物は倒れてくれない。
ナイアは走り続けながら、焦っていた。
「う……」
やがて逃げ続ける事も難しくなり、ナイアは木立を背に半円を作った魔物達に囲まれてしまう。
追い詰められたナイアは、頼りない聖結界だけを支えに、涙目になっていた。
「うぅ……ほてぷぅ……」
言いつけを守らず、ホテプと喧嘩した事を後悔する。
殺される。
そうしたら、謝る事も出来ない。
「たすけて……」
縋るように言葉を呟くと。
「ごらっしゃああああああああああいッ!!」
ひどく威勢の良い掛け声と共に、魔物の一匹が吹き飛んだ。
「え?」
「ぬぅおりゃぁ!」
続いて二匹目が吹き飛んだ時、ナイアはその人物の姿を目で捉える。
真っ白な棍棒……巨人の骨に見える棍棒を振り回す、黒髪に筋肉質な体を備えたさほど大柄ではない男だ。
生き生きと目を輝かせていて、口元には楽しそうな絵笑みを浮かべる彼は、邪気を纏っていた。
魔物の群れをものともしない彼の乱入に、魔物達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「どんなもんよ!?」
ふん、とこちらに背を向けたまま鼻息を荒く吐き、自分の身長ほどもある棍棒を肩に担いだ男に、ナイアは恐る恐る話しかける。
「あ、あなたは……どなたですの?」
「ん?」
振り向いた男は美形ではなかったが、頑丈そうな旅装に身を包んでいる。
邪気が薄まり、男は人好きのする快活な笑みを浮かべた。
「俺か? 俺はデッド!」
そう言って、デッドと名乗る男は親指を立てた。
「肉弾系のーーー死霊術士よ!」
「にく……?」
しかし、そんなナイアの疑問に構わず、男はわしゃわしゃと彼女の頭を撫でながらしゃがんで、目を覗き込んだ。
「よく頑張ったな、お嬢!」
デッドの言葉に、自分が助かった事を理解したナイアは。
我慢していた涙が溢れて、泣き出してしまった。
※※※
「落ち着いたか? ほれ」
デッドはナイアが泣き止むと水をくれ、干し肉を渡してくれた。
「ネクロの都から来たのかい? ま、それならすぐそこだし、送っていってやるよ!」
ナイアの話を根気強く聞いてくれたデッドは、明るい笑顔でそう言った。
「……あ、ありがとうございます、ですわ」
しゃくりあげながら、しょぼしょぼする目をこするナイアに、デッドは頷いた。
「っても、今日はもう遅いしなぁ。門が閉まってるだろうから、明日の朝な!」
そうして二人で焚き火を前にしていたが、ナイアはちらっとデッドの胸元からのぞいたネックレスに目をやった。
オシャレにしては、細いそれをデッドが引き出すと、髑髏のヘッドを持つペンダントは、その口に咥えるように記録玉という映像を記録する玉がついていた。
「俺にも、お前くらいの歳の子どもがいるんだ。中に入ってるのはそいつの写真よ!」
「そうなんですの?」
「ああ、コープって名前でな。ちっとばかし事情があって小さい頃に行方不明になっちまったんだけど、こないだ、昔の知り合いが見つけたって言って写真を送ってくれたんだよ!」
嬉しそうに笑うデッドが見せてくれたのは、何故かぶっちょづらでこちらを睨んでいる少年だった。
『何とってんだよ!』
『お前さんのアホな行動でも映らねーかと思ってよ。せっかく買ったし』
『わざわざいわれて、うつるかそんなモン!!』
撮っている人物とやり取りする彼は、なるほど確かにデッドによく似ていた。
「げんきなコですわ」
「だろ。生きてて良かったよ」
記録玉を仕舞ったデッドは、少し苦い笑みを浮かべる。
「会えねーんだけどな。一言謝ってやりたかったが」
「なにを、あやまるんですの?」
「一人にしちまって、悪かった、ってな。母親、死んだ時に、まだ小さかったあいつのそばに、俺、いなくてよ」
もう遅いんだけどな。
そう呟いてから、デッドはまた、ナイアの頭を撫でた。
「さ、もう寝ちまいな。明日にはネクロの都にきっちり送り届けるからよ」
デッドに言われて、ナイアは素直に眠った。
……一度、夢うつつで、デッドが誰かと話すような声を聞いた気がしたが、ナイアはすぐにまた深い眠りに落ちた。
※※※
デッドがナイアをネクロの都まで連れてきてくれた時。
門の前に待ち受けていたのは、待ち受けていたのは都の兵士たちと……完全武装した、父、アブホース・アウター伯爵だった。
「お父様!」
駆け寄るナイアに笑みを見せた父は、そっと彼女の肩に手を触れると、囁いた。
「後で、お説教だ。僕たちがいない時にホテプから離れてはいけないと、ちゃんと言っておいたはずだね?」
「ご……ごめんなさい……」
ナイアが俯くと、父が頷く気配と共にそっと聖布をナイアの手に渡した。
ホテプは、姿を見せない。
ただ、声が聞こえた。
『無事で……良かったのである』
「ごめんなさい、ほてぷ……」
『もう、無茶はして欲しくないのである』
「うん……」
ぎゅっと聖布を抱きしめたナイアだが、父がスッと前に出て、口元に笑みを浮かべるデッドと対峙した。
「さて、まずは娘を送り届けてくれた恩人に礼を言うよ」
「別に大したこっちゃねぇよ」
「人質にも取らなかった。君は高潔な人物だね」
「はん。そういうやり方が気に入らねーだけだよ」
デッドが肩をすくめると、棍棒をひょい、と構えた。
「やろうぜ。その為に待ってたんだろ?」
「今なら見逃しても良いけどね」
「立場が悪くなるぜ」
「僕が立場を気にするように見えるかい?」
「見えねーな。でも、お嬢を罪人の一人にするのはいただけねーよ」
「……そうか」
そのやり取りから、二人が戦おうとしている事を、ナイアは悟った。
「な、なぜですの……?」
ナイアの問いかけに、デッドは困ったように笑みを浮かべた。
「残念ながらな、お嬢。俺はお前らの敵なのさ」
敵?
助けてくれたのに?
ナイアは混乱し、再び泣きそうになりながら問いかける。
「どういう……事ですの……?」
「俺は、魔王軍なのよ」
ナイアは、その言葉に衝撃を受けた。
最近、魔王が現れて南で勢力を増し始めているという話は知っていた。
だが、デッドがその一員だったなどとは、全く思えなかった。
確かに邪気を使っていたが、彼は明るくて、優しくて……。
「俺、魔王軍でも結構偉いんだぜ? ただ、病気で死にかけでよ。不死者になっても良いんだが、息子が先にくたばっちまうのはちょっとな?」
ナイアには、意味が分からなかった。
「死んだ後くらい、先に待っててやりてーのよ。まぁ、それで許されるとは思っちゃいねーが」
「そんな……」
顔から血の気が引くのを感じながら足を踏み出しかけるナイアを、父が手で制する。
「ナイア。君に彼を止める資格はないよ。この対峙は、軽率な君が生んだものだ」
「ちげーよ。俺は最初から、ここへ来るつもりだった」
「だろうね。だけど、君は迷っていたんじゃないのか? 本当は息子に会ってから来る予定だったんじゃないかと、僕は思っているんだけど」
「……」
沈黙は肯定だ、と、聡いナイアは分かってしまった。
「わたくし、が……」
つまらない意地を張って、一人で森へ出掛けたから。
助けて、送る事になったデッドが、息子さんと会えなくなった。
「そう、彼が自分の息子と会えなかったのは、君の罪だ、ナイア」
父は、穏やかだが強い意思を秘めた声で、そう言った。
「君には、彼の最後を見届ける義務があるよ。だからこそわざわざ、こんな所で待ち構えていたんだ。君を助けてくれた、彼の心意気に自ら報いる為に」
父は、立ち止まったナイアを置いて前に出た。
「最後だ。もう一度問う。逃げるなら、追わない」
「望まねーよ、そんな事は。分かってんだろ?」
「……君は、あの小物の魔王の下に置いておくには惜しい男だ」
父の言葉に、デッドは嬉しげに笑った。
「最高の褒め言葉だ、アブホース・アウター!」
デッドの声の大きさに、ビリビリと空気が震え、同時に放たれた邪気に、都の兵士たちが怯んだのが、ナイアには感じられた。
「昨日あんたと話したから、俺は死に場所をあんたとやるこの場に決めたのよ! ……邪霊よ!」
デッドが邪気によって呼び出した邪霊は、巨人の姿をしていた。
あの棍棒の魂であるのだろう、解けて全身に巨人の魂が纏わりつくと、デッドがさらに邪悪な存在感を増す。
父は軽く剣を抜くと、体の脇にだらりと垂らした。
「手加減はしない。だが、騎士の作法に則ってやろう」
「それで上等!! 俺は肉弾系死霊術士、デッド様だぁ!!」
二人はそれぞれに顔の前に剣と棍棒を掲げると、同時に足を踏み出した。
デッドは力強く、父は滑るように。
デッドが叩きつけた棍棒の一撃に対して、父は神速の剣を振るって半ばから棍棒を斬り飛ばし、返した刃を喉元に突きつけた。
「やめて! おとうさま!」
「良いんだよ、お嬢。俺の望んだ結末だ」
一瞬にして決着した戦い。
それを、デッドは予測していたようだった。
「最後に、言いたい事はあるかい?」
問われて両手を上げたデッドは、ペンダントを首から外した。
それは髑髏のヘッドに記録玉を嵌め込んだ……彼の子どもの姿が納められたもの。
「お嬢。これを受け取ってくんねーか? 死んで壊されるには、ちっと大事でよ」
ナイアが首を横に振るが、父は素直に受け取る。
「娘が君の死を受け入れたら、渡そう」
「そうしてくれ」
父がデッドの首を跳ねる光景は、ナイアの心の糸を、同時にぷつん、と断った。
※※※
デッドが死んで数日、ナイアは抜け殻のように部屋からほとんど出ない生活をしていた。
それを咎める者はいないが、その数日の間、母は仕事に出向かずに家にずっと居たようだった。
父も必要最低限の仕事の他に、食事の時に一日だけ他のことをしていたという話をし、ナイアはそれを聞き流す。
『そろそろあの森の瘴気の元も、目覚めさせなきゃね』
『ですことね。ナイアも一人で出かけるようになりましたし、お目付役が必要です』
『あの頑固者のことだ、動いたりはしていないだろうけど、一度確かめて来ようかな』
『お願い致しますわ』
そうして、さらに数日。
黙っていたホテプが、ナイアに言葉をかける。
『ナイア。今のままでは肉体を損ない、やがて魂までもを損なってしまうのである』
「わたくしは……ヒトをころしたのですわ……」
ナイアは、己の罪深さに潰されそうになっていた。
「わたくしが……デッドさまをころしたのですわ……」
カーテンを閉め切った部屋のベッドの上で膝に顔を埋めるナイアに、青く光る隆々の肉体を持つホテプがその姿を浮かび上がらせ、黄金のデスマスクでナイアを覗き込む。
『ナイア。ナイアは、託されたのである』
ホテプの言葉に、ナイアは顔を上げない。
『あのデッドという男から、大切なものを託されたのである。殺したというのなら、元より殺した相手こそが、ナイアを許しているのである』
「もし、そうでも、わたくしはじぶんを、ゆるせませんわ……」
『それでも許すのである。許すことこそが、本来、ナイアに与えられた罰なのである』
「罰……?」
疑問を覚えたナイアは、顔を上げてホテプを見た。
表情の変わらない、健康そのものの肉体を誇示しながらも、死したる魂であるホテプを。
『ナイアがこのまま肉体と魂を損なうのは、デッドに託されたものを諸共に損なうのと同じである』
「たくされた、もの……」
髑髏のペンダント。
デッドが、大切にしていたもの。
『託された者のすべき事は、想いを遥かに継ぐ事なのである』
「ホテプの言う通りですわよ、ナイア」
がちゃりと戸を開けて入ってきたのは、常と変わらない無表情の母だった。
手にあるのは、昼の茶と菓子、そして、反対の手に持つペンダント。
「そろそろ、心を取り戻しなさい。貴女はこの先、多くの命をこうして奪うのですことよ」
盆をナイトテーブルに置いた母は、掌に持つ髑髏のペンダントをナイアに差し出した。
「人の上に立つ者は、多くを救い、同時に多くを殺すのです。……人の命を預かる貴族として。アウター家を継いで行く者として。貴女はそれを受け入れねばならないのですことよ」
こんな重みを、幾つも。
これから先、何度も。
「……わたくしには、たえれませんわ、お母さま……」
「いいえ。耐える事が出来ますことよ。貴女に、本当にデッドを思う心があれば」
前に突きつけられたペンダントの髑髏は、黙して語らない。
しかしペンダントの咥えた宝玉の中に、ナイアはデッドの顔と言葉を見る。
『お嬢。これを受け取ってくんねーか? 死んで壊されるには、ちっと大事でよ』
「……デッドさま」
死んでしまったデッド。
彼がナイアに託したのは……本当にペンダントだったのだろうか。
『会えねーんだけどな。一言謝ってやりたかったが』
『一人にしちまって、悪かった、ってな。母親、死んだ時に、まだ小さかったあいつのそばに、俺、そばにいなくてよ』
―――だからお嬢。死んじまった俺の代わりに、デカくなったら、あいつに会いに行ってやってくれよ。
そう。
デッドの声が聞こえた気がした。
「……デッドさま」
震える声で、ナイアは彼の名を口にし、ペンダントに手を伸ばす。
「わたくしは……デッドさまから、たいせつなことを、たくされたんですの……?」
『朕はそう思うのである。朕が兄を思うよう、ナイアも高潔な御仁の想いを継ぐのである。……ナイアが罪悪感で己を殺してしまわぬよう、デッドはナイアに託したのである』
ホテプは言い、母はペンダントを胸元に握りしめるナイアを見て、微かに笑う。
「そう。託した者の意を汲み、継ぐ事こそが、託された者のすべき事なのです。その為に……生きなさい、ナイア」
「……わかりましたわ」
ナイアは、ためらいながらも頷いた。
その様子を見て。
『そう、生きるのである! ナイア! 健康に、健全に! 健やかなる魂は、鍛え上げた肉体に宿るのである!』
ホテプは、ふん、と筋肉を誇示するポーズを取り、それを見てナイアはある事を思いついた。
「わたくし、つよくなりますわ。だから、ホテプ」
『なんであるか?』
「……ホテプは、わたくしにとりつくことができますの?」
『可能である。しかし、朕の力を使いこなすには、ナイアには修行が足らんのである』
「……なら、修行をいたしますわ」
ナイアは、ペンダントを首に掛けると、決然とベッドから立ち上がり、ぎゅ、とデッドに比べればとても小さな拳を握りしめた。
「わたくしは、デッドさまを、つぎますわ。―――にくだんけいの、しりょーじゅつしになるのですわ!」
※※※
「しりょーじゅつしには、ゾンビやスケルトンのなかまがひつようですわ!」
そうして意気揚々と、父から教えられた場所に赴いて、ルラトを仲間にし。
ナイアは、肉弾系死霊術士の道を歩む。
デッドのいた魔王軍に入り、不死師団長ドラコンの下に配され。
ルラトと出会い、デッドのいた魔王軍へ志願し、ある任務に赴いたナイアは……そこで、映像の面影を残す少年が、ゾンビに殺される光景を目撃した。
「助けなければ!」
ゾンビを殴り倒すが、コープの息は絶えていた。
間に合わなかった―――いや、彼の魂はまだそこにある。
腕を失った男を庇ってやられた彼を、呼び戻すのだ。
「なんじゃ、その小僧が気に入ったのかの?」
事情を知らないルラトの問いかけに、ナイアはホテプを見る。
『蘇らせるのである!』
「……ゾンビとして、ですわね!」
「どうせ作れるのはフレッシュゴーレムじゃ」
「そんな事はございませんわ! わたくしは見事、ゾンビを作り出して見せますわ!」
自分は聖女だ。
しかしコープと出会う自分はデッドの想いを継ぐ者でなければならない。
ナイアは深く息を吸い込み、術式を行使する。
―――わたくしは肉弾系の死霊術士、ナイア・メイリア・アウター。
目を開くコープを見ながら、ナイアは微笑んだ。
―――デッドさま。わたくしは彼の前で、培った役割を、演じ切りますわ。
そうして、ナイアは微笑みと共に囁く。
「ほら、成功しましたわよ? ルラト」
True End.