番外③:忠義の男ゴストン・ナガオカ
ーーーソロモンを倒して、ナイア死霊団を装う準備を始めた日の夜。
のんびりと手入れされた庭を散策して置かれたベンチに腰を下ろしたゴストンの元に、夜着の上に薄いショールを巻いたナイアが現れた。
「ゴストン?」
「これはナイア様。どうされました?」
ゴストンはいつものむっつり顔で、ナイアを観察する。
体を覆うのは薄い絹の布地で、長く、引き締まった足と、細いが肉感的な腰のライン。
残念ながら両手でショールを巻いた上半身、胸元こそ見えないものの、薄い肩から伸びる首元の青白いほどに白い肌にはシミ一つなく、月光を照り返して艶かしい。
艶やかな黒髪は、湯浴みでもした後なのか少し濡れており、顔にかかる一筋が芸術的で優しげな美貌と、淡い桃色の唇を際立たせている。
また今は聖布を部屋において来たのかホテプがおらず、その無防備な様子がいつもより際立っていた。
その可憐な乙女に対して、いつもと変わらぬ表情でベンチを立ったゴストンはうやうやしく席を譲った。
ーーーS級の霊力と侍従を持つ聖女でなければ、この場で襲っているかも知れん。
そんなゴストンの内心と品性があるとは言い難い視線の意味を微塵も感じていないのか、ナイアは礼を述べて腰掛けた。
「コープ様のお話をお聞きしたいと思いましたの」
ゴストンは、ナイアの言葉に軽く眉を上げた。
「何故です?」
「ふふ、それは乙女の秘密ですわ」
微笑んで口元に人差し指を当てるナイアに対してそれ以上詮索せず、ゴストンは頷いて話し始めた。
勿体ぶるような真似はしない。
ゴストンがからかうのはコープだけで、それは彼の親しみの証だった。
コープに対してだけは、飾らないと決めているからだ。
またナイアが、その軽さと裏腹に真剣な目をしたのを、ゴストンはきちんと見て取っていた。
コープの馬鹿話などではなく、あいつの本質に関する話を求めているのだと。
「あいつは、凄まじい度胸を持つ男です。尊敬に値します」
ゴストンの言葉に、ナイアは驚いた顔をした。
どちらの意味だろうか。
ゴストンの発言の意外さか、それともコープの度胸に関する事か。
どちらにせよ、ナイアも年相応の面があるようだ、とゴストンは思った。
コープの表面的な部分に隠されたものを、見抜けていないのなら。
「そうなんですの?」
「はい。俺がそれを知ったのは、この傷を負った時です」
ゴストンは、自分のこめかみから右頬に走る古傷を指差した。
左腕を失い戦力がほとんどない自分だが、それでもコープに付いていくのは、自分の少し賢しい頭でも何かの役に立つかと思うからだ。
「俺がコープについて行こうと思ったのは、この傷を負った時でした……」
ゴストンは、自分の過去を語り始めた。
まだ、子供だった頃の話を。
※※※
ワンサイート山は、ゴルバチョフ盗賊団の遊び場であり、狩場だ。
盗賊団を名乗ってはいるものの、正直内容は人を襲う事ではない。
むしろ狩人の集団だった。
墓暴き、密輸、生きたモンスター売買などの非合法な活動はするが、憲兵に追われれば逃げろ、というのが、ゴルバチョフの方針だった。
ゴストンは、正直そんな方針に不満を抱いていた。
飯は確かに食える。
だが基本的に金はなく、頭領の腕であればこの辺り一帯にのさばる大盗賊団になる事も可能だというのに、頭領にそのつもりは毛頭ないようだった。
憂さ晴らしがてら、ノルマの狩りが終わればゴストンはリブや他の同年代の連中とつるんで山に出掛けて遊んでいた。
そんなゴストン達に、いつも付いて来るのがコープだった。
ゴストンは、コープをへたれた奴だと思っていた。
「なー、やめようぜ、危ないだろ?」
大して体もデカくない、危ない遊びに参加する訳でもない、ただ付いてきて文句を言うコープは、他の連中からもバカにされていた。
「根性ねーくせにうるせーよ!」
その日は、狩りのノルマを達成出来たのはリブ、ゴストン、コープの三人だけで、他の連中は煮炊きに回っていた。
リブと遊びに出掛けると、またしてもコープがくっついて来たのだ。
「死んじまったらどーすんだよ」
コープは、物怖じしない。
大したツラでもないチビで、でもその目が気に入らなかった。
根性なしのクセに勝気で、譲らない芯があるように見えるのが、本当に気に食わない。
しかも喧嘩がそこそこ強い。
腕力はないがすばしっこく、なるべく怪我をしないように立ち回るのだ。
それもお互いに、だ。
付いて来る時も、撒こうとしても足が速い。
撒けたと思ったら、先回りしている。
山を、誰よりも熟知しているような気さえするその行動も、ますます気に入らないのだ。
思えば、コープだけはいつも煮炊きに回る事がない。
ヘタレのくせに、バカにされてもヘラヘラしてるくせに、まるで上から見下ろされているような気分になる。
「暑いなぁ。あの滝から飛び込もうぜ!」
リブが言うのに、ゴストンは賛同した。
根性試し、と称して、7メートルくらいある崖から滝壺に飛び込む遊びだ。
「やめとけよ」
コープがまた、空を見上げて言った。
「あの辺り、今日ちょっだけ雨降ったんだぜ? 滑ってるよ」
その言葉に、ゴストンは驚いた。
今日はゴストンの居た辺りは一日中晴れていた。
滝は、狩場からは少し遠い。
ゴストンは、すぐにコープがゴストン達を行かせない為に嘘をついているのだと思った。
あの崖に向かう道は他と比べて少し険しい。
山道もなく、細木を手掛かりに登る場所で、頭領からは雨の降った日には近づくなと言われていた。
「黙れ嘘つき!」
ゴストンの言葉に、リブも賛同する。
「今日は雨なんか降ってなかった!」
「降ってたんだって。なぁ、やめようぜ」
ゴストンとリブが無視して崖に向かうと、仕方なさそうにコープも付いて来た。
「ついてくんな!」
「お前らがやめたらな」
結局、コープは崖登る場所まで付いて来た。
見ると、下生えが湿り、細木も少し濡れている。
「ほらな?」
コープの言葉に、ゴストンは頭に血が上った。
「ちょっとだけじゃねぇか! 行ける!」
意固地になっていた。
ゴストンも、本当は少し危ないと思っていたが、コープの言葉に従うのは癪だったのだ。
登り始めたゴストン達に、コープは危ないと言い続けて、ゴストンはイライラしながらも無視し続けた。
いつも一息つく、中継地点の三角形の台地に着くと、コープも登って来来る。
一緒に居たくないゴストンは、休憩せずに細木に手を掛けて。
「おい! ちょっと休めって!」
慌てたコープが肩に手を掛けて来るのに、ゴストンは思い切り振り払う。
「うるせーな!」
そして……濡れた細木から、自分の勢いで手を滑らせた。
「あ……」
軽く声を漏らして踏ん張るが、下生え滑り。
ゴストンは、登って来たのと別の斜面に向かって体を投げ出される。
頭が真っ白になり、思わず遠ざかる空に、伸ばした手を。
凄まじい力で、コープに掴まれた。
「ゴストンッ!!」
体を支えようとコープが踏ん張るのが見えたが、コープも下生えに足を滑らせる。
「ーーー!!」
一瞬の滑落感と、静止。
見ると、コープが斜面に生えた木に腕を掛けて、逆の手でゴストンを支えていた。
「ぐぐ……リブ……!」
コープが、少し上の台地から青ざめた顔で見下ろすリブに声を掛ける。
「紐、落とせ……ッ!」
リブが頷いて腰に手を当てるが、さらに青ざめる。
「置いて来ちまった……」
「この、ボケ……! 山登んのに、何で……!」
いつもと違う強い語気を込めたコープの弾劾に。
リブは、逃げた。
「おい!」
その途端、ゴストンを掴むコープの手がズルっと滑る。
「わああああああ!」
逆の手を上げた瞬間、揺れたせいでコープの手が細木から離れ。
ゴストンとコープは、斜面を滑り落ちた。
※※※
「……トン……ゴストン……!」
呼び掛けられてうっすらと目を開いたゴストンは、自分を覗き込むコープの顔を見て、呻いた。
頭の右側がズキズキと痛み、手を添えると痛みが増してとっさに離す。
手には、べったりと血糊がついていた。
「目ぇ覚めたか……!」
「俺、は……」
安堵した顔のコープに、ゴストンは自分がどうなったかを思い出す。
斜面を滑り落ちた先は、ワンサイートの山道の一つで、運良く死にはしなかったらしい。
「立てるか?」
既に辺りは薄暗く、ゴストンは体を起こしたものの立ち上がれなかった。
「頭が……」
グラグラと目眩がした。
コープは黙って腰紐の上に巻いていた腰布を抜くと、ゴストンの頭の傷を縛った。
「おぶされ」
「あ、ああ……」
背を向けたコープに手をかけると、コープは自分より重いゴストンを担いで少し右に傾いだが、持ち直して歩き出した。
「崖に、登る、辺りの、道まで……」
この山道の先は、ゴストン達が滝壺に向かう脇道に逸れた斜面に繋がっている。
だが、それなりに距離があり、しかも、コープのこの歩き方は。
「お前……足」
ゴストンの呼びかけに、コープはぶっきらぼうに答えた。
「別に大した事ねーよ」
コープも、斜面から滑り落ちて無傷ではなかったらしい。
足に怪我をした状態で、ゴストンを背負って。
「お、置いていけよ……」
そんな足で一人歩くだけでも辛いのに、その上ゴストンを背負って。
「何でだよ」
「そっちのが、早いだろ!」
夜の山に一人置いていかれるのは、そりゃ怖い。
だが、コープは、鼻で笑った。
「大丈夫だよ」
散々邪険にしたゴストンに対して、コープはいつもと変わらない。
何でここまで、と理解出来ない気持ちで黙って背負われていると、少し拓けた場所に出る。
滝から流れた水源が湧き出しているその場所は、他の場所と違い水草と細かい岩が転がっている。
普段は休憩に使うその場所に。
巨大な影がいて、のっそりと動いてこちらを見た。
頭領以上の巨躯に、金の毛並みを持つそれ。
「え、エンペラー……コング……?」
ワンサイートに棲む、夜行性の魔物。
日が暮れて目覚め、水を飲みに来ていたのだろう。
ゴストンは、ガタガタと震える。
その金色の目に見つめられただけで、射すくめられてしまったのだ。
「ったく、運ねーな。ゴストン。お前が日頃の行いが悪いからだぞ」
コープはゴストンを落とし、腰からナイフを引き抜いた。
子供用の、刃渡りの短いナイフは。
巨大な魔物に対しては、あまりにも貧弱な武器だった。
「這ってでも逃げろ。死にたくねーだろ?」
「お、お前は……」
「時間稼ぎはいるだろ。俺、すばしっこいからイケるイケる」
「足怪我してんじゃねぇかよ!」
そんなゴストンに、コープは振り向いてニッと笑い、自分からエンペラーコングに向かって歩き出した。
「コープ……」
逃げなきゃ。
無茶だ。
断片的な言葉だけが脳裏に浮かぶが、震える体は逃げる為にも、コープを止める為にもちっとも動こうとしない。
何でお前、そんな落ち着いて、ゴストンはコープを見て。
ナイフを握りしめた彼の手が、微かに震えている事に気付く。
怖いんだ、とゴストンは気付いて、それなのに何故彼がそんな行動を取るのかも、同時に悟る。
決まってる。
ゴストンを助ける為だ。
なのに、俺は逃げるのか。
だが、残っていたところでなにが、と、そこで。
ゴストンの思考を引き裂く、エンペラーコングの咆哮が轟いた。
心が、叩き折られる。
「無理だ! コープ!」
「無理じゃねぇ!」
ゴストンの叫びに、コープが振り向かないままナイフを構えて怒鳴る。
「仲間見捨てて、俺は逃げねぇ!!」
エンペラーコングが舌舐めずりをして、コープに完全に向き直る。
コープの背丈は、エンペラーコングの太ももくらいしかない。
エンペラーコングが、コープの胴回りくらいありそうな凶悪な爪を備えた両手を、振り上げ、胸を何度も叩いた。
「美味ソウ、ガキ……」
コープは、大きく息を吸い込み。
直後に、聞いた事もないような凄まじい叫び声を上げた。
「俺は、諦めねぇぞこのエテ公があああああああああああああああああッ!!」
山を揺るがすような馬鹿でかい声に、ゴストンだけでなくエンペラーコングまでも一瞬怯んだが、すぐに気を取り直して身をかがめる。
「声、ウルサイ……」
ゆら、と動いたかと思うと、巨体からは想像もつかない速度でエンペラーコングが宙を舞い、ゴストンは目を閉じた。
耳に届いたのは、重い衝突音と、静寂。
その後に、コープの声が、聞こえた。
「頭領……?」
ば、と目を開くと。
襲いかかってきたエンペラーコングの拳を、片手で受け止めた頭領が、そこに居た。
「子どもがこんな時間まで出歩くんじゃぁねーよ。クソガキども」
頭領が軽く眉を上げて、こちらを見る。
「おっせーよ……」
安堵の滲む声で言うコープに、頭領が下唇を突き出した。
「口が減らねーな、コー坊。見捨てんぞ?」
「ふざけんな!」
慌てるコープに頭領が笑い、エンペラーコングに向き直る。
攻撃を防がれた魔物は怒り狂って逆の手を頭領に振り下ろすが、軽く体を引くだけで避けた。
「ちょっと遊んでやろう、エテ公。血の気ぇ有り余ってるみてぇだしな」
そして、片手でエンペラーコングをあしらった頭領は、怯える魔物をぶん投げて地面に叩きつけた。
「トドメだ」
「マテ」
拳を振り上げる頭領に、腕を上げたエンペラーコングが手を上げる。
尻尾が丸まり、完全に服従の姿勢を示していた。
「分カッタ、モウ、オソワナイ。縄張リモ、ワタス」
「ふーん?」
頭領は拳を下ろすと、ひょうひょうと後ろに下がった。
「なぁら、消えろよ。この山で見かけたら次は殺すぞぉ?」
「アア……」
了承して逃げて行くエンペラーコングに、近くにいたコープがへたり込んだ。
その頭を、屈んだ頭領がわしわしと撫でてから、担ぎ上げる。
「いい声だったなぁ、コー坊。お前さんの声のデカさはピカイチだ」
「何の役にも立たないことで褒められた!」
「役に立っただろうが。お前とエテ公の声で、お前さんらの居場所に気付いて俺っちが間に合ったんだからよぉ」
頭領は、ゴストンに近づいてきてこちらも抱え上げると、何事もなかったかのように言った。
「さ、帰るぞ。今日はお前ら飯抜きだ」
「最悪だああああああああ!!!」
コープの絶叫を聞きながら、疲れ果てたゴストンは失神した。
※※※
帰った後。
目覚めたゴストンは治療され、コープと二人で反省部屋で寝転がっていた。
二人を見捨てて逃げ帰ったリブは、頭領に報告したとかで免除だ。
納得はいかなかったが、コープは、「ま、どーでもいーだろ」と呟いてそれきりリブの事は口にしなかった。
そんなコープの腹の虫の鳴く声を聞きながら、ゴストンは話しかける。
「あのよ」
「何だよ」
起きていたらしいコープが、ゴストンに背を向けたまま答える。
「その……悪かった。お前、俺とリブなんか、追っかけなけりゃ……」
「気にすんなよ。生きてたんだからそんで良いよ」
ゴロン、と仰向けになったコープは、笑っていた。
再び腹の虫が鳴き、彼腹をさする。
「腹減ったな……晩飯抜かれた分、朝飯は目一杯食おうぜ!」
そう言って笑うコープに。
ゴストンは感謝しながら目を閉じる。
「そうだな……」
コープは、バカで軽いし、臆病だと思っていたが。
エンペラーコングに立ち向かい、自分やリブを全く責めないコープは、尊敬に値するクソ度胸のあるヤツだと、そう彼の事を認めながら。
※※※
「……その後、しばらく山に入るのを禁止されて煮炊き番を命じられたのですが、コープは一日で難を逃れました」
「あら、何故ですの?」
「作る料理が、あまりにもマズ過ぎて」
ゴストンがむっつりと言うと、ナイアがクスクスと笑う。
月は、そろそろ頂点に差しかかろうとしていた。
「ナイア様は、お得意ですか?」
「調理は好きですわ。昔からホテプやルラトと色んなところに行きましたもの。ルラトに習いました」
懐かしそうに目を細めるナイアに、ゴストンは頷いて話を締めくくる。
「……と、コープはそんな奴です、ナイア様。お役に立てましたか?」
立ち上がったナイアは、ゴストンに対して優美に頷いた。
「ええ。感謝いたしますわ、ゴストン。……コープ様はやはり、そういう方なのですね」
「コープを知っていたのですか?」
ゴストンが尋ねるのに、ナイアは髪をさらりと流しながら微笑む。
「それも、乙女の秘密ですわ」
「そうですか」
ゴストンは深く突っ込まなかった。
何故ゴストンが、そしてゴルバチョフ盗賊団の面々がコープについて行くのか。
あいつ自身は基本バカだから分からないようだが、俺たちはあいつについて来たのだ。
少なくともゴストン自身は、コープは仲間を決して見捨てない、と知っているからこそ、付き従っている。
救われた自分の命に対する感謝を、ゴストンは未だに返せてはいない。
返せたと思えない内は、離れる事はないだろう。
「……あいつがもし」
「? はい」
普段は誰にも言わない胸の内を、ゴストンはナイアに語る。
「自分で何かを望む事があったら、俺は全力でそれを助けるでしょう」
ゴストンの言葉に、ナイアはジッと目を見てから、納得したように口を開いた。
「ゴストンは、コープ様に感謝し、忠誠を誓っているのですね」
「忠誠?」
意外な言葉だった。
そうなのだろうか。
どこか、しっくり来る気もしたが。
もしそういう言葉でゴストンが自分の持つ気持ちを表現したら、きっとコープは嫌がるだろう。
今度、冗談交じりに嫌がらせしてみるのも、良いかも知れない。
ゴストンは珍しく微笑んで、ナイアを見た。
「そうかも知れませんね」
どこまでもついていき、その望みを、行く末を見定め、助けたいと思う気持ち。
それを忠誠と呼ぶのなら、確かに、俺はコープに忠誠を誓っているのかも知れない、と、ゴストンは思った。