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番外②:死霊の王ホテピン・カメーン


 ―――我輩は王の器ではないのである。


 空中庭園から見下ろす彼の目には、小麦の穂波が一面に広がり、国の者らが住まう家々が灼熱の日差しに照らし出されているのが映っている。

 国は豊かで、人々は平穏に過ごす国を支えるのは、砂地を流れる雄大なるオシリス河。

 王墓であるピラミッドも、目を少し右に向ければ砂混じりの景色遥かに眺める事が出来る。


 まぎれもない平和。

 それを見ていた、イジプト王国第二王子にして神官たるホテピン・カメーンは、暗澹とした気分でため息を吐いた。


 白い、ジャラビーアと呼ばれる衣服を身に纏いターバンを巻いた彼は、お世辞にも優れた体格をしているとは言い難い人物だ。


 むしろ貧相と言えるだろう。

 痩せていて、威厳もなく、神官と呼ぶにはあまりにも陰鬱な今の表情と相まって大した人物には見えない。


「ホテピン。あまり日差しの中にいると体に障りますよ」

「……姉君(あねぎみ)であるか」


 そんな彼に、庭園に上がって登り口から声をかける者がいた。

 ホテピンと同じような服装に褐色の肌、艶やかな黒髪と黒い宝石のような瞳を備えた目元の美女……今はその美貌は当然、顔布(ブルカ)によって覆い隠されている……姉にして王妃たるウシスだ。


 この国で真なる王位継承権を持つのは、代々第一王女である。

 彼女の夫にして偉大なる(ファラオ)、アハムドは現在、病床に臥せっていた。


「何故、我輩なのであるか」


 ホテピンの問いかけに、ウシスが軽く首を傾げる。


「アハムドの望みです」

「我輩には、務まらぬのである……」


 ホテピンは、幼少より体が小さかった。

 人より優れている面もなく、少しばかり人より聖気の扱いに長けているだけの凡俗でしかない。


「私も、アハムドが亡くなれば相応しいのは貴方のみであると感じています」

「我輩はその兄君を、救えぬ程度の男である」


 勇壮にして偉大なる兄は、父王ナナメルがイジプトを平定した時に右腕であった男だ。


 その時に自分は何をしていたか。

 神職にある事を理由に、貧相なホテピンを嫌う父王の命ずるままに、この王都に引き篭っていたのだ。


「我輩は、王を蝕むあの強大なる魔物の毒を、解毒する事が出来ぬのである」


 ホテピンは唇を噛み締めた。

 イジプト王国は今、脅威に晒されている。


 魔王の放った魔物が王墓に住み着き、それを退治しようと向かった兄王は負けた。

 命を拾ったが毒によって弱り、今は病床から起き上がることすら叶わない。


「我輩は、無力である……」


 あの魔物は、決してホテピンには退治出来ないだろう。

 ホテピンは、自身の不甲斐なさに打ちひしがれていた。


 一体こんな自分のどこが、王に相応しいと言うのか。


「……アハムドが貴方を呼んでおります」


 ウシスは、ホテピンの弱音には応えず、要件を伝えてきた。

 頷いて、ホテピンは兄の元へ向かった。


 姉にして、兄王が亡くなれば自分の妻となる女性の目を見ることは、今のホテピンには出来なかった。


※※※


「……ホテピンか」


 寝床のアハムドは、ほんの半月で、元の筋骨隆々とした体から見る影もなく、まるで老人のように痩せさばらえていた。


「参りました、王よ」

「畏まらずとも良い……ホテピン」

「は」


 手招きする王に膝をついたままにじり寄ると、アハムドは囁いた。


「……魔物は、間も無く制されるであろう……」


 アハムドの言葉に、ホテピンは目を見開いた。


「どういう意味でありまするか?」

「朕が曲がりなりにも一命をとりとめたのは……」


 アハムドは、細々とした声で語り出す。

 彼が魔物から逃れ得たのは、勇者を名乗る者達が、殺される間際に救い出してくれたからなのだと。


「かの者らは、砂に潜る魔物を追った……朕も遠く及ばぬ力を持っておる……いずれ、魔物は制される」


 勇者。

 噂に聞く、魔王の配下を次々と屠っているという者だ。


「勇者が、この国に……」

「うむ……再び取り戻される平和を継いで行けるか否かは、ホテピン、汝に掛かっておる……」


 アハムドはそっと手を伸ばしてホテピンの肩に触れ、それだけは衰えない眼光で彼を見据えた。

 真正面から受けることの出来ない自分を不甲斐なく思いながら、ホテピンは目を伏せる。


 すると、優しさを滲ませた声音がアハムドから降りてきた。

 

「自信を持て、ホテピン。汝は聡い。そして頑健だ。……体が小さい事が何だ。戦が出来ないくらい、将軍に任せておけば良い。そんな事を気に病む必要は、もう、ないのだ」

「頑健……でありまするか」


 ホテピンは戸惑った。

 顔を上げると、苦しみに眉を寄せながらも、アハムドは笑っていた。


「幼き頃より病一つ患う事のない肉体……そんな奇跡は、他では聞いた事もない。真に神の加護を受けし者は、汝よ。健全なる魂は、健全なる肉体にこそ相応しい。平和の王は、とかく健やかである事こそ至上よ」


 長きに渡り、善政を敷け、と。

 そう呟いて、アハムドはホテピンの肩から手を離し、スゥ、と、眠りに落ちた。


 侍従に任せて場を辞したホテピンは、外で待っていた姉と入れ替わりに外に出る。


「我輩は……」


 そうして数日、王が息を引き取った直後に、勇者達が魔物の首を携えて現れたのだった。


※※※


 感謝している……そう伝え、もてなした日の夜。

 アルディーノと名乗る不思議な雰囲気を持つ勇者と共に空中庭園で涼みながら、ホテピンはいつしか己の苦悩を口にしていた。


「我輩には重いのである。姉の、そして亡くなった王の我輩に掛ける期待が……」


 重さの理由は分かっている。

 ホテピンが、ホテピン自身が、自分を信じ切れない事にある。


 王として立ち、人々を平和に導く己が、ホテピンにはどうしても想像出来なかったのだ。

 アルディーノは少し考えてから、金の髪を風に揺らしながら星空を見て目を細めた。


「……君が兄を偉大な傑物と思うのなら、兄ならどうするか、と考えれば良いんじゃないかな」

「兄ならば……?」

「そう。アハムドは果敢だった。僕は間に合わなかったけれど、魔物相手に一歩も引かずに戦っていた。君は彼を、間近に見てきたんだろう? 彼は君を、自慢に思っていたよ」


 そうして勇者は、爽やかな笑顔を残して二人の仲間と共に立ち去った。

 もう一人仲間が居たらしいのだが、彼は人前に出る事を嫌い、王城には現れなかった。


 暗黒騎士であるというその男にも礼を言いたかったのである、と思いながら、ホテピンは婚礼を迎えて姉と結ばれた。

 王女は既に居る。兄と姉の子が。


 王位継承権を持つ彼女がいるのだから、自分はつつがなく後に託す事だけを考えよう、と思った。

 そしてホテピンは、治世の傍ら、体を鍛え始める。


 兄ならばどのように人を導くか、とそう考えながら、十数年、国を導き続け。




 そして、ホテピンは殺された。




 殺したのは、王女とその夫である次代の王だった。

 ウシスは流行り病によって死んでおり、王女は父と比べて貧相なホテピンを嫌い、次代の王は粗野で争いを好む男だった。


 無念である……。


 装いだけは立派な王墓の中で、ホテピンは眺め続けた。

 新たな王は争いを繰り返し、兄より継ぎ、育てた豊穣の大地が病んでいく。


 無念である……。


 魔王は滅びたというのに、イジプト王国は人同士の争いによって滅んだ。

 それをホテピンは、ただ、見続ける事しか出来なかった。


 無念で……。


 神に懺悔した。

 自分が悪かったのならば、幾らでも償おう。


 出来る事など、少しばかり人よりも聖気を高める事のみであり、今は動けすらしない身であるが。

 全霊の聖気をもって、せめて遺された同族たる人々が生き抜けるだけの豊穣なる大地を……!




 そうしてホテピンは、聖気によって大地の実りを取り戻す術式を行使した。




 ホテピンの王墓は、一昼夜聖気を放ち続け。

 全てを終えて後、ホテピンの王墓は『奇跡の王墓』として、崇められた。


 しかしホテピンの虚しさは消えない。

 目的もなく、昇天もせず。


 ただ聖気を溜めては大地が病むたびに少しずつ放つ事によって、やがて砂の舞う土地であったイジプトは、緑の恵みに満ちた大地となっていた。

 周囲に降り積もった土と生えた巨木によって山の一部となっていたホテピンの墓を、遥か時を隔てて訪ねたのは、変わらぬ姿のアルディーノだった。


「やぁ、ホテピン。久しぶり」

『何用であるか……?』


 虚しさの中、惰性で恵みをもたらしていたホテピンは、特に感慨もなく呟く。


「少し手伝って欲しい事があるんだ」

『国を滅ぼした無能なる朕に、出来る事など何もないのである……』

「そんな事はない。君は受け継いだ兄の志を全うしたよ。人が滅んだのは、君のせいではなく、君以外の者の愚かさ故だ」


 アルディーノの言葉は、相変わらず不可思議な説得力を帯びている。


「仲間が、大切な者を殺されて大地を穢してしまってね。そのせいで争いが起きている。少し困っているんだ」


 その言葉に、ホテピンは心を動かされた。

 争いの種は、潰さねばならない。


 ましてアルディーノには恩があった。

 

『朕で役に立つのなら、連れて行くと良いのである』

「ありがとう、ホテピン・カメーン。君の崇高な魂に感謝を」

『朕などが崇高な訳がないのである』


 死体から聖布に魂を移し替えたホテピンは、憎悪の滲む凄まじい邪気を払って大地に実りを取り戻すと、再度ピラミッドに安置された。

 だが、墓が心なき者によって荒らされ、抜け殻の肉体と自身の魂を宿した聖布が墓より奪われ、売り払われる。


 既に役目を終えていたホテピンは、何もしなかった。

 流されるまま、ホテピンにとってはほんの少しの時間……二百年程度の時間を彷徨い、再びある王族の宝物庫にあった聖布の元にアルディーノが現れた。


『また、何やら穢れでも?』

「いいや、今日は別の要件さ」


 ホテピンはそのまま、アルディーノが住んでいるという屋敷に連れて行かれた。


『何が始まるのであるか?』

「少しだけ付き合って欲しい。何、手間は取らせない。数ヶ月くらいは待って貰うかも。ただ、君が気に入ってくれたら……選んで欲しい」

『何を、であるか?』


 アルディーノは倉庫にある台の上にそっと聖布を置くと、悪戯っぽく笑った。


「それは内緒だ」


 ホテピンは、薄暗く乾いているが、冷えて少し埃っぽい空気の中で待たされた。


『かつてのイジプトの夜に似ているであるな』


 そんな呑気な事を考えて数ヶ月、キィ、と軽く音を立ててドアが開いた。

 隙間から光が差し込み、細く小さい影が差す。


「……どなたか、いらっしゃるのでしゅの?」

「宝物があるよ」


 アルディーノの声と、幼い少女の声が聞こえた。


「たからもの、でしゅの?」


 目を輝かせながら歩いてきたのは、ほんの3歳になるかならないかの少女。

 大きくキラキラとした瞳に、魂の聖気は輝かんばかり。


 老いて疲れたホテピンに、その幼子は眩しいものに映った。


「ほぇー、でしゅわ」


 聖布の上に姿を見せたホテピンに、ポカーンと口を開けた少女は、次いで満面の笑みを浮かべる。


「すごくおおきいでしゅわ!」

「そうだろう? 自己紹介をしてごらん」

「ないあ、めいりあ、あうたー、でしゅわ!」


 ホテピンは、戸惑いながらも言葉を返す。


『朕は、ホテピン・カメーンである』

「ほちぇ……ほちゅえぴ……?」

『ホテピン・カメーンである』


 ナイアは幾度か名前を口にしようとしたが、言えずにしょんぼりとうなだれた。


「わ、わたくし、しつれーでしゅわ……」

『口にするのが難しいのであるか』


 幼子にそんな憂いを浮かべさせている訳にはゆかぬと、ホテピンは考える。


『ならば、ホテプと呼ぶが良いのである』

「ほちぇぷ! それなら、おにゃまえをいえますわ!」


 バンザイして、全身で喜びを表現する幼子に、ホテピンの頬は自然に緩む。


「おっきいおうででしゅわ……」

「お願いしてみたら?」


 アルディーノの優しい言葉に、ナイアはもじもじと恥じらう様子を見せたが、少しずつホテピンに近づいて、手を伸ばした。


「あの、しゃわらせて、ほしいでしゅわ」

『良いのである』


 この世にとどまった死霊ホテピンの魂は、いつしか聖霊(ジンニー)となり。

 生前とは比べ物にならない、兄すらも超える隆々とした筋骨の霊体となっていた。


 生前であればの、と幼子に腕を差し出すと、彼女は自分の手にも自然に聖気を纏わせてホテピンに触れた。


 凄まじいまでの才覚だ。

 この歳で霊的な存在に自然に触れるとは、アルディーノの娘に相違ない、とホテピンは思った。


「かたい、おうででしゅわー……」


 うっとりと呟くナイアに、ホテピンは喜びを覚える。


『気に入ったであるか! そう、筋肉とは良いものである!』


 健やかなる肉体に近づくのは、健全なる魂である証だ。

 そう考えたところで、ホテピンは電撃のような衝撃を覚えて自身の肉体を見下ろした。


 一念に凝り固まって、ついぞ意識していなかったが。

 ホテピンはただ豊穣を求め、無為に過ごしていたと思っていた時間の間に……自身の贖罪の想いが昇華されていた事に、今更ながらに気付いたのだ。


 神は、彼を聖霊と認めていたのだと。

 罪人と思っていた己が、既に許された存在であるのだと、ナイアによって気付かされた。


『朕は……』


 ホテピンは、自身の顔を模した死者の仮面の下で涙する。


「ないて、いましゅの?」


 ビックリする幼子に、アルディーノが近づいてきて声をかける。


「ナイアは君を気に入ったみたいだ。どうだい? やる事ないなら、娘の面倒を見てくれない?」


 そしてホテピン・カメーンは。

 聖霊(ジンニー)のホテプとして、彼女を見守る役目を承諾した。


『ナイアよ』

「なんでしゅの?」

『やがて、大きくなったら』


 ホテプは、ナイアに対して告げる。

 いずれこの幼子にとって、自分が必要なくなった時は。


『朕を再び、王墓へと安置して欲しいのである』


 そのホテプの願いを、ナイアは聞き入れてくれた。

 

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