第20節:ナイアたんは煽てられます。
「あら、負けちゃったわねぇ」
やれやれ、とでも言いたげに呟いたセクメトは、腰に手を当てて肩に槍を担いだ。
「そうだな。だが、逃げられるとは思うな」
左手の小盾を前に、体の脇に垂らすように剣を構えたジャンヌはセクメトを睨み付ける。
雄々しい表情を浮かべると、その気の強い感じと相まってやっぱりそそる顔立ちだ。
「ま、そうよねぇ。でも、あっちは手を出しては来ないみたいだし」
ライオンの面に覆われた顔をこちらに向けたセクメトは、担いでいた槍を翻して、地を這うように低い姿勢で構えた。
「貴女くらいは、道連れにするわよぉ?」
「出来るものならな。こちらとしても、これ以上の無様を晒す訳にはいかん」
ヒュゥ、と二人の間を風が吹き抜ける。
先に仕掛けたのは、セクメトだった。
足元の沼地が弾けるほどの勢いでジャンヌに一直線に迫り、左手を添えた穂先を目に追えない程の速度で扱き抜く。
しかし冷静な目でそれを見極めていたジャンヌは、横から弾くように穂先を逸らして逆にセクメトに対して踏み込むと、小盾を使ってセクメトの面に一撃を加えた。
「ガッ……!?」
それまで正攻法で戦っていたジャンヌからの予想外の一撃に、ライオンの面を砕かれながらも。
セクメトは弾かれた槍を回転させて横薙ぎにジャンヌの頭を撃ち、二人は後ろと横にそれぞれ弾き飛ばされる。
仰け反った姿勢から背筋の力だけで転倒せずに上体を戻したセクメトは、獅子のような赤毛を靡かせながら、割れた仮面で傷付けられた額から血を流している。
茶色の瞳をギラリと野生的な美貌の中で煌めかせ、牙を剥いて槍を強く握り締めた。
ジャンヌも、打たれたヘッドギアの下から血が頬に滴るのをそのままに、気の強そうな口元を引き締めてダメージを噛み殺すと、その場に踏み止まる。
盾を消して両手で剣を握ると、ジャンヌは吼えた。
「ぬぅぅ……あああ!!」
「ガアアアアアアッ!!」
同様に咆哮を上げて、セクメトは相手に叩き付けるように斜めに槍を薙ぎ、それを真正面から横に剣を振り抜いて迎え撃つジャンヌ。
ガン、とぶつかり合ったお互いの獲物だが、鋭さでジャンヌが勝った。
槍を半ばから断った戦乙女は、屍人兵隊長の腹をザックリと斬り払う。
「ぐ……おおお!!」
しかし、セクメトは止まらなかった。
鋭い断面を見せる短槍と化した槍の柄を反転させ、思い切りジャンヌの左肩に真上から叩き付ける。
「がはっ!」
ジャンヌはよろめいて後ろに下がりながら左腕をだらりと垂れさせる。
腕の腱を傷付けられたようだ。
「ふーっ、ふーっ」
「ゼェ……ゼェ……」
お互いに一撃が重いからか、ほんの数合にも関わらず疲弊した様子を見せる二人だが、戦意はまるで失せていない。
呼吸を無理やり整えた二人は、再度獲物を構えた。
あと一合で全てが決する。
示し合わせたように、ジャンヌとセクメトはお互いに片手で武器を持ち上げて、一歩を踏み出した。
大上段から、剣の重さを加えた一撃を振り下ろすジャンヌと。
腰位置から、鋭く速い一撃で短槍を突き抜くセクメト。
だが、二人が不愉快な音を立てて引き裂いた肉は、お互いのものではなかった。
「なっ……!」
「貴様は……?」
ジャンヌの驚きと、セクメトの訝しげな声に。
「……これ以上は、もう良いだろう」
渋く答えたのは、誰あろうゴストンだった。
いつものむっつりした顔で二人の間に割り込んだ彼は、痛みなどないかのように微動だにしない。
右腕の肘近くの肉に、手甲を引き裂いて骨まで届いているジャンヌの剣を食い込ませ、隻腕故に受けれなかったセクメトの槍に脇腹を貫かれている。
「セクメト。貴様の勝敗は既に決している。今更逃げられるとも思っていないのだろう?」
「……」
無言でゴストンを睨むセクメトに、彼は静かに告げる。
「その腹の傷には、治療が必要な筈だ。誰に義理を立てているのかは知らないが、みすみす死ぬ意味はない」
「……何を言いだすのかしらねぇ?」
ゴストンがセクメトを説得するのに、ジャンヌが抗議の声を上げた。
「何故邪魔をする、ナイアの従者」
「ご無礼を、ジャンヌ様。私はゴストンと申します。……美しく可憐な貴女が、何を思ってそれ程の戦技を得たのかは知りませんが。死してなお、命のやり取りに明け暮れる程の理由が、あるのですか?」
「なっ……」
ジャンヌがカッと赤くなり、頬に手を当てた。
「いいい、いきなり何を言うのだ! かかか可憐などと……あ……」
ぷつん、と糸が切れたようにジャンヌが倒れ、ゴストンはそれを棄て置いたまま腕に食い込んだ剣を傾けて地面に落とすと、セクメトに向き直った。
「死霊を装っているようだが、実際は違うのではないか? セクメト。貴様は生きているように見える」
ゴストンの言葉に、セクメトは倒れたジャンヌに目を向けて、ふ、と息を吐いた。
そのまま短槍を握った手から力が抜けて、ふらふらと倒れそうになりながらも踏み止まる。
「……何故気付けたのか、教えて貰っても良いかしらねぇ?」
「死霊の肉体に溜まっているだけの血は、それほどの勢いで吹き出しはしない。心臓が止まっているのならな」
セクメトの出血は、彼女の足を伝って膝から滴り、踵から足元に向けて広がり続けていた。
「大方、家族でも人質に取られて協力させられていたか?」
「外れねぇ。握られていたのは、私自身の命……心臓に呪いを掛けられ、ソロモンに協力させられていたのよねぇ。奴が死んだから、どっちにしろ私ももうすぐ死ぬのよぉ」
諦めたように言うセクメトに、ゴストンはちらりとルラトに目を向けてから、すぐに視線を戻した。
片手で短槍を引き抜き、それも打ち捨てる。
「良い事を教えよう。既に貴様の心臓の呪いは消えている。先程のルラト様の術式によってな」
「え……?」
血を失い過ぎて朦朧と倒れこむセクメトを、ゴストンが支える。
「貴様を縛るものは何もないのだ。そして、私は貴様を助ける」
「どういう……意味……?」
ゴストンを見上げるセクメトに、彼は唇の片端を上げた。
「貴様の勇猛さと美しさが気に入った。共に来ないか?」
「戯言……を」
かくん、とセクメトも気絶し、ゴストンは彼女を抱えて一度ナイアの所へ来た。
「彼女をお救い下さい、ナイア様」
セクメトの体をナイアの前に横たえて頭を下げるゴストンに、ナイアが首を傾げる。
「わたくし、回復魔法は使えませんけれど」
「大丈夫です、ナイア様。彼女は死霊の騎士。貴女様の死霊術で猛毒の魔術を掛ければそれが回復魔法になります」
「そういう事ですの!? わ、わたくしが! 死霊術を行使して! 猛毒の、魔術を!?」
「ええ、そうです」
生真面目にゴストンが頷き、ナイアはパァァ、と喜びに満ち溢れた笑顔でセクメトに術式を行使した。
彼女の傷が瞬く間に癒え、苦しげな顔がスゥ、と安らかなものに変わる。
「感謝いたします、ナイア様。そしてお喜び下さい。私が必ず彼女を説得し、ナイア様の一団に加えましょう。
隊長格になりえる強力な死霊の騎士が、貴女様の配下に加わるのです! 紛れも無い死霊の騎士が!」
「素晴らしいですわ、ゴストン!」
ゴストンの大仰な仕草と言葉に、最早そのまま昇天しそうなほどの恍惚とした表情でナイアが彼を褒め称える。
膝跪いたまま深く頭を下げたゴストンは、倒れたままのジャンヌの元へ戻ると彼女の頭を持ち上げて膝に横たえ、剣を彼女の体の上にもたせかける。
「……はっ!」
「ジャンヌ様。不用意に剣を体から離してはなりません。それは真実、貴女の魂そのものとなったのですから」
目覚めたジャンヌの顔を覗き込んで優しく微笑むゴストンに、気絶前のやり取りを思い出したのかジャンヌが顔を赤くする。
「う……あの……」
「貴女には、騎士としてよりも令嬢としての姿が似合うように思えます。ジャンヌ様。貴女が騎士となった理由をお教え願えませんか?」
「ののの、ノーデンス家は、代々武でならす家系だ! だが、あああ、あいにく、私以外の子に恵まれず……」
「恐怖を押し殺して、家の為に騎士の道を?」
そっと、憂いを帯びた顔でゴストンが彼女の頬を撫でると、ジャンヌの目が潤みだした。
「そ……そうです」
まるで乙女のように顔を伏せるジャンヌを再び優しく上向かせたゴストンは、どこか恍惚とした目をしている彼女に、憂い顔でそっと囁いた。
「誰も貴女の苦しみに気付いておられなかったのですね。おいたわしい」
「ご……ゴストン様……」
「立てますか? 見ての通り、片腕なものですから。お抱えして差し上げる事が出来ない不甲斐ない身でして」
「え、ええ……大丈夫です!」
自分が今までどんな姿勢だったのかをようやく理解したのか、慌てて起き上がったジャンヌをそっと支えながらゴストンも立ち上がり、こちらへ歩いてくる。
「囚われの身となり、戦い、今日はもうお疲れでしょう。宰相の謀略はしっかりと記録の宝珠に収めましたので、ジャンヌ様の疑いも、すぐにl晴れる事と思います」
「何から何まで……本当にありがとうございます」
……という茶番を見せ付けられた俺は、全てのツッコミをルラトによって口を塞がれる事で封じられていた。
もう何から何までツッコミどころだらけだこんなモン!!
セクメトに生きているように見えるだの記録の宝珠だのなんだのは、全部全部ぜんっっっっっぶルラトから教えられた事だろうが!!
そしてナイアもナイアで都合の良い耳しやがって、セクメトが生きてるって話はお前にも丸聞こえだったよなぁ!?
何が強い死霊の騎士だゴストンの舌先で軽く煽てられて舞い上がりやがって羽毛かお前は! 猛毒の死霊術ってどう見ても回復魔法だろお前が使ったのはああああああ!!
そんでジャンヌが辛いだの何だのと、あいつ嬉々としてセクメトに斬りかかってたのも見えてただろテメェゴストン!!
そもそも俺の腹に、初対面で、人間だったら確実に死んでる一撃を突き込んでくれたのもソイツなんですけどおおおおおお!!!
奥歯が浮くような言葉を並べたむっつり野郎にツッコミたいツッコミたいツッコミたいいいいいいいいい!!!!!!
しかしそんな俺の気持ちは骨野郎の『余計な事を言ったら分かっておるの?』という一言で封じられて。
ジャンヌやセクメトを一時的にアウターの屋敷に匿い、ようやくゴストンと二人割り当てられた客間に戻った俺は、いつものスカし顔のゴストンに対して、だらりとソファにもたれながら、ボソリと言った。
「おい、ゴストン」
「俺はルラト様の指示に従っただけだ」
ああ、そうだな。
確かに『事実を伝えて二人の戦闘を止めろ』って指示には従ったな。
だが、歯の浮くようなセリフで口説けとは一言も言われてねーよなぁ!?
「なぁ、ゴストン」
「誰も損はしていないだろう?」
ああ、そうだな。
美味しいとこ持っていって、丸々得したお前以外は得も損もしてないな。
「それで、ゴストン」
「何だ?」
「本音を言え」
俺の言葉に。
ゴストンはニヤッと笑って答えた。
「貴族令嬢と褐色美人、どちらにするかというのは贅沢な悩みで、悩みがいがあるよ」