第1節:ナイアたんはご主人様です。
「スゲェ……」
俺は呆然と呟いた。
ナイアのあの細身の腕に、一体どれほどの力があるのか。
動きは緩慢だが、斬っても斬っても起き上がり、足の健を斬っても這いずってしがみついてくるゾンビどもを相手に、ナイアは。
「セリャァ!」
淑女らしからぬ声を上げながら肉薄し、頭を狙えば一撃で脳天を叩き割り、胸元を狙えば背骨ごと破壊し、蹴りを打てば真っ二つにゾンビを両断する。
それをサポートするのはナイアの背中から生えたホテプで、ナイアが突っ込んで討ち漏らしたゾンビをその豪腕で薙ぎ払うと、ゾンビの肉体は破損せずに魂だけが昇華されてただの死体に還る。
『ふふん、朕の拳の前に不死など無意味である!』
あまりにも現実離れした光景に開いた口が塞がらない俺だったが、隣のルラトは平静だった。
「ナイア嬢とホテプのコンビは、闇の存在にとっては天敵じゃからの」
「そうなのか?」
首を傾げる俺に、コリコリと顎を引っ掻きながらルラトはうなずいた。
「どちらも聖属性の存在じゃ。ナイア嬢の腕力脚力は、聖布によって生前のホテプと同等に強化されておるし、ホテプ自身も永くジンとして在った為に、聖剣並みの霊力を有しておる」
「どう見ても悪鬼羅刹が腐乱死体を蹂躙してるようにしか見えねーんだが……」
聖霊だの聖女だのというのは、もっと神々しいものではなかろうか。
聖女が、笑いながら血が飛び散り肉が舞う墓場を駆け抜ける……言葉にすると凄まじくシュールだな。
俺がルラトと話す間に戦闘を終えたナイアは、すっきりした笑顔で俺達のところへ戻ってきた。
その後ろでダブルバイセプス―――いわゆる両手力瘤のポーズ―――を取るホテプも、仮面で表情は見えないが生き生きとしているようだ。
「ふふん。やはり相手になりませんわね」
「得意気なのは良いが、とりあえずその血染めの両手足をなんとかしろ」
腐臭漂う肉片をこびりつかせたまま得意気にするナイアに、俺は布を差し出すが、彼女はひらひらと手を振った。
「必要ありませんわ。―――浄化!」
ナイアの一声で、しゅわ、と肉片や血が気化し、元の清潔な布に戻る。
「へー。便利だな、聖女の力」
「聖女の力ではございません。身だしなみを整える魔術は淑女のたしなみですわ」
「ちなみに、普通の貴族の娘は使えんぞ」
俺の言葉に反論したナイアに、注釈を加えるルラト。
「もう。ルラトはそうやって、すぐにわたくしにイジワルな事ばっかり言うのですから!」
「事実を認めんのはナイア嬢の方だろう」
『朕の自慢の筋肉美を見せつける相手がいなくなってしもうたのである』
「いや、元々いねーし」
居たのはゾンビの群れだ。
断じて観客じゃねぇ。
てゆーか、こいつら自由過ぎる!
「あー、まぁ何だ。助けてくれてありがとうそれじゃな」
こいつらと関わっていたらなんか危険な目に遭いそうな気がヒシヒシする!
早口に言ってその場を去ろうとした俺に、ナイアが声を掛けた。
「あら、どこに行かれるのですか? 止まってくださいませ」
言われた瞬間、俺の足が棒のように硬直してピクリとも動かなくなった。
「何だこりゃ!? 動けねぇ!」
「そりゃ当然じゃ、小僧。おぬしはナイア嬢に作られたフレッシュゴーレムだからの。創造主の命令に逆らえる訳がなかろう」
「のほほんとふざけた事言うんじゃねぇよ骨野郎! 冗談じゃねぇ!」
体も魂も俺のモンだっつーのに、死んで生き帰らされて変な文字刻まれただけで命令に絶対服従とかありえねー!
「んぎぎぎぎぎ……」
歯を食いしばって足を動かそうとするが、やっぱり動かねぇ!
「無駄な事をするのう」
『朕の肉体美を前にして背を向けるなど、ナイア以外に許されないのである』
「何故ホープ様は逃げようとなさるのでしょう?」
「逃げるに決まってんだろ!」
一人おかしな事を言ってる奴が混じっているが、俺は即座にツッコんだ。
「お前らに関わったら絶対にロクな事にならねー!」
「ほう、鼻は利くようじゃの」
『高貴なる朕と貴族であるナイアを前に、平民が何を言うのであるか。感謝して平伏しても良いくらいである』
「せっかく初めて作れたゾンビなのですから、仲良くしたいですわ」
「ゾンビではないがの」
ダメだ、こいつら会話にならねー!
そう思った俺は必死で考えて、名案を思い付いた。
「そうだ!」
俺は手に握ったナイフを、自分の胸元に向ける。
「どうする気じゃ?」
「この印で縛られてんだろ!? だったら!」
俺は痛みを堪えるために、ぐ、と奥歯を噛み締めて、胸元の印を刃で引っ掻いた。
「へへ、これで呪縛が解けーーー」
勝ち誇って言いかけた口が突然動かなくなり、同時に意識が暗転しーーー気が付いたら、俺は地面に寝転んでナイアに覗き込まれていた。
「大丈夫ですの?」
ニコニコと優しく微笑まれ、俺は混乱する。
「い、一体何が……」
「馬鹿者。胸元の刻印を自分で『生』から『死』に変えてどうする。それはおぬしの魂と肉体を繋ぐ刻印じゃぞ」
呆れ返った口調のルラトが、さらに言葉を重ねた。
「おぬし、よく軽率と言われるじゃろう」
「何故それを!?」
図星だ。
昔から先代の頭領に言われていた。
「おぬしはもう既に死んでおるのじゃ。ナイア嬢がいなければそのまま昇天しておるところじゃぞ」
「認めたくねぇ!」
こんなに元気なのに!
俺はがばっと起き上がって頭を抱えた。
「せっかく頭領を引き継いでこれから荒稼ぎしようと思ってたってのに……!」
「あら。でもお仲間の皆様も死んでしまっているのでは?」
「こんなチンケな依頼に仲間全員引き連れて来るわけねーだろうが!」
まだアジトには半分くらいの仲間がいる。
数は減っちまったが、どうにでもなるんだ……生きてさえいれば。
だが現実は……。
「盗賊団なのに、どなたかの依頼を受けましたの?」
不思議ですわね、と首をかしげるナイアに、俺はふてくされながら説明した。
「盗賊団っつったって、ウチは弱小だからな。下手に街の商人とかに手を出したらすぐに懸賞金掛けられて冒険者に喰われるだろ。旅の商人とか襲うだけじゃ食っていけねーし。だからこの辺りで冒険者の真似事してるんだよ」
墓場に来たのは、死体が欲しいという裏の依頼を受けたからだ。
墓暴きにしては払いが良かったから、ほいほい依頼を受けて来てみればゾンビさん達がこんにちわ、という顛末をナイア達に話すと、ルラトがふぅむ、と顎に手を当てた。
「おぬし、それはハメられたんではなかろうかの?」
「は?」
俺は、ルラトの言葉の意味が理解出来なかった。
「ハメられたって、誰にだよ? 街の連中ならこんな回りくどい事しねーだろ」
「うむ。我らは、この地に魔王に無許可で活動する死霊術士がいると聞いて、魔王軍から派遣されて来たのだがの」
あっさり言われた言葉に、俺は息を呑んだ。
さっきは聞こえないフリをしたが、今、このクヨムー帝国には、国土を脅かす魔族が侵攻している。
魔王シャルダーク……ダークエルフが変じたとされる魔王が率いる魔王軍だ。
反対側にあるバタフラム聖王国で勇者が誕生したと言われており、最近は侵攻が緩んでいると聞いていたが。
「その無許可の死霊術士は、ずっとここをねぐらにしておるそうだ。聞いたことはないかの?」
「知らねー」
「街でも結構有名な話じゃぞ。おぬしに伝えるのを誰かが口止めしておったんじゃろう。つまりハメたのはおぬしの仲間の誰かじゃ。心当たりはないのかの?」
言われて、俺は考えた。
まぁ考えるまでもなく、一人しかいないんだが。
「リブの野郎だな」
「誰じゃ?」
「俺と同じくらいの歳で、なんか張り合って来てたんだよな。盗賊団の頭領候補で、俺と競ってるとか言われてたけど」
正直、腕っ節がさほどじゃないんだよな。
こすっからく頭は回るんだが、ちまい事ばっかするせいで先代によく怒られてたし。
「つまり、小僧よりは賢いと」
「二人で盛り立てろって、先代に言われてたのになー……」
目の敵にされていた自覚はあるが、そこまでして頭領になりたかったとは思っていなかった。
「言ってくれりゃ譲ったのにな」
「なんじゃ、立場に拘っておらんのか」
「別に楽しく生きれりゃそれで良いからな」
先代に言われたから頭領になっただけだ。
命あっての物種ってのは、その通りだと俺は思っている。
「あー、でも、死んだ奴らの為には殺さなきゃな」
どうももう、盗賊団には戻れないっぽいが、ケジメくらいはつけとかなきゃ奴らも浮かばれないだろ。
「つーわけで、ちょっと俺に時間くれよ。そしたらあんたらに付いてくから」
うじうじと、過ぎた事を悩むのは俺の性に合わない。
俺の提案に対して、ナイアはルラトの顔を見た。
「わたくしは構いませんけれど。どうですか? ルラト」
「ま、構わんじゃろ。別に死霊術士の始末に期限を切られておる訳でもないしの。……それに、最初の印象よりは骨のありそうな小僧じゃし」
ルラトは、俺をちょっと認めたらしい。
が。
「骨野郎に認められてもちっとも嬉しくねーな」
「一言多いぞ、小僧」
「おごぉおおお!」
ずびし! と額を突かれて、俺は転げ回った。
「それやめろや!」
「おぬしが礼儀を覚えたらやめてやろう」
「何で俺が骨野郎に礼儀正しくしなきゃなんねーんだよ!」
と、吼えたところで、不意に辺りの空気が冷たくなったような感じを覚えた。
「何だ?」
キョロキョロと周囲を見回す俺に、明後日の方を向いて腕組みしたホテプが言った。
『ふふん。どうやら、朕の筋肉美を拝みたい者が現れたようであるな』
墓場の横にある森の木陰から、がさりと音を立てて、何者かが現れる。
「……そこの若造を、置いていって貰おう」
姿を見せたのは、ナイアと違ってまともな黒ローブに身を包んだ男だった。