第17節:ナイアたんは素直じゃないです。
「おま……このハゲェ!」
「ジャンヌ!」
処刑剣でナイアを狙い、ジャンヌの胸元を貫いたのはハゲ宰相……ブラム・ノーライフだった。
「ヒヒ、残念だったなぁ、小娘ども」
白目を剥き、口調の変わったブラムは、肌を急速に土気色に変えながら飛びすさる。
直前までブラムの居た場所を、ルラトの拳が突き抜けた。
ルラトの拳をかわすレベルの体技を持っている文官とか、どう考えてもおかしい。
「ふむ、これを避けるか。おぬし、宰相本人ではないの」
やっぱりか。
冷静なルラトの横でゴストンが長剣を引き抜いて構え、俺も同時に投剣を引き抜いた。
「ニセモンか? アイツ」
「いや、傀儡じゃの。どうやったかは知らんが」
俺の問いにルラトが答え、ブラムに呼び掛ける。
「宰相を乗っ取ったならば国を内部崩壊させるも容易かろうに。わざわざ目立つ形でデュラハン作りなどする必要もあるまい? 何故こんな真似をしたのかの?」
「ほう、そこまで疑問を抱いたか」
グググ、と奇妙に喉を鳴らし、ブラムが瘴気を放ち始めた。
処刑台の丘は聖結界からは外れた場所にある。
「この宰相は内通者での。南領を落とすのに尽力して貰った礼に、我が傀儡としてやったのよ」
ブラムの姿をした誰かは、自分の胸に手を当てる。
「所詮は帝国など、我ら魔王軍の相手にもならぬ惰弱な人間どもの集まり―――そんな連中を、ただ潰すだけでは面白味に欠けるであろう? そこにアウターの小娘が帰ってきているのを知って、少々楽しもうと思ってなぁ」
「ただ嫌がらせかよ」
俺は眉をしかめながら、ジャンヌを抱くナイアを見た。
俯いて肩を震わせているナイアの手の中で、ジャンヌは虚ろに宙を見上げている。
どう見ても即死だった。
……いや、殺すのがどーとか言わねーけどさ。俺もリブの野郎を即殺したし。
たださ、ジャンヌの場合、自業自得とかじゃなくてどう考えてもとばっちりで利用された挙句に殺されたんだよな。
しかも、とばっちりを食らわせたナイアを庇って、だ。
流石に何も悪い事してないのに、殺されなきゃいけねー理由なんか、ねーと思うんだよな。
そんな俺の内心なんか知りもせずに、ブラムは言い募る。
「元より、小娘は気に食わなかったのだ。聖女でありながら死霊団に属し、あまつさえ死霊団長ドラク・ノスフェラトゥ様は好き勝手に振る舞わせ咎めもせぬ……グググ、友人を殺され、これに懲りたら身の程を知ることだ」
愉しそうにナイアにねっとりと絡むブラムに、ナイアはゆらりと顔を上げた。
表情が削げ落ちて、紅い瞳がまるでゴミでも見るようにブラムへと向けられている。
「……万死に値しますわ、呪術師隊長ソロモン」
「グググ、こちらの正体にも気付いたか」
「その下劣な笑い方ですぐに分かりますわ」
ジャンヌを横たえて立ち上がったナイアは、ホテプを自分の背後に喚び戻すと、何故かゴストンに目を向けた。
「ゴストン。その外套と剣をいただけますか?」
「喜んで、ナイア様」
理由も聞かずにルラトの側を離れて、恭しく差し出すゴストンからそれを受け取り、ナイアはジャンヌの遺体に被せた。
「グググ、手向けのつもりか? 無駄な事よ」
宰相ブラムの肉体を操るソロモンというらしい魔王軍の奴が、側にいる馬の首を刎ねた。
「その聖騎士もすぐにこうして首を刎ね、我が尖兵としてやろうぞ」
「ふん。そちらこそ、思惑通りに行くと思ったら大間違いですわ」
ナイアは両手を天に掲げると、呪文を唱えた。
「回帰せよ、魂よ。そして己が身を、死を祝福する者と成し給え」
「貴様が其奴をデュラハン化するか。グググ、愚か者めが」
ソロモンは、闇の具現化したようなボロをブラムの体に纏わせると、フードを被り、処刑剣を杖へと変化させた。
死神のような様相になり、腐臭と瘴気を強くしながら存在感を増した様は、確かに魔王軍の幹部と呼ぶのに相応しい貫禄はある。
「聖騎士の首も刎ねず、乙女の血も溜めずにデュラハン化が成功する訳が……」
「ーーー誰がジャンヌをデュラハン化すると言いましたの?」
ソロモンの言葉を遮ったナイアは、侮蔑に目を細めながら嫌そうに吐き捨てた。
「わたくしは、ジャンヌのような不愉快な従者はいりませんわ。……ジャンヌのように清廉な者は、敵対するくらいで丁度良いのです」
ナイアの言葉と共に、ポウ、とジャンヌの死体が聖気を纏う。
同時に、ゴストンの被せた狼の外套と、ソロモンが首を断ち落とした馬の死体と馬車も同様に反応する。
「わたくしの行使した術式は、同じ魂魄化身の術式の一つであっても、ジャンヌが他人に害を為す者とするものではありません……不完全な死霊術によって死んだ乙女を『戦士を導く者』と成す術式ですわ!」
ジャンヌの遺体に掛かった狼の皮と首のない馬、そして馬車が光と化して宙に弾けると、ジャンヌの横で融合して一つになる。
現れたのは、巨大な狼二頭立ての馬車。
そして、残ったジャンヌの遺体に与えられた剣が、一見するだけでも凄まじい切れ味を持っていそうな代物に、罪人服が純白の白鳥を思わせる衣装の羽衣へと姿を変える。
「……なぁ、ルラト」
「何じゃ」
俺がこっそりルラトに話し掛けると、律儀に返事が戻ってきた。
「例のごとく、あれ聖女の術だよな?」
「うむ。魂の化身化じゃな。それも光の乙女の最上位術式の一つである『戦乙女招来』じゃ」
「……前から疑問に思ってたんだけど、S級っつっても聖女クラスじゃ普通使えなくね?」
上位職であっても、ナイアはそれに職替えしている訳じゃないのに、使えるのはおかしいだろ。
しかしルラトは、事も無げに肩を竦めた。
「ジョブなんぞ本来、どんなジョブでも極めれば特に違いはないもんじゃ。正当上位職の術式は、別に固有のもんではなく、本来ならその位にならんと使えんという意味でしかないしの」
「そうなのか?」
「我も暗黒騎士の上級職である修羅戦鬼の技は、全て修めておるしの」
「……あー、うん」
「何じゃその反応は」
「いや、お前らを常識で計ろうとした俺がバカだったと思っただけ」
「今頃か?」
「うるせーよ骨野郎」
そこはツッコめよ、と俺が思っている間に、ナイアがジャンヌの脇腹をつま先で軽く突いた。
「いつまで寝てるんですの? ジャンヌ」
「ん……」
なんか色っぽい呻きと共にうっすらと目を開けたジャンヌが、ナイアの顔を見て首を傾げた。
「ナイア……私は、一体……?」
「貴女の為に手間を掛けるのも嫌でしたけれど、庇われた借りは返しましたわ」
ジャンヌに目も向けないままに、ナイアが言い返す。
既にホテプは魂の尾をナイアに突き刺して腕組みをしており、完全に臨戦態勢だ。
「デュラハン化に及ばない不完全な死霊術によって、貴女を戦乙女化して差し上げましたの。ふふん、死霊になれなくて残念でしたわね!」
「私が……ワルキューレに?」
呆然と呟いたジャンヌは、頑なに視線を逸らしたままのナイアの横顔に向かって微笑んだ。
「ありがとう、ナイア」
「貴女に礼を言われるなんて、虫酸が走りますわ」
「そうだな、二度は言わん。命を救われた訳ではないようだしな」
ジャンヌは立ち上がり、ナイアと肩を並べた。
俺の目には、聖気を纏うジャンヌの魂が『剣』に宿っているのが目に見えていた。
「てかさ、フィルギャって何?」
「本来は、人の魂が獣などの姿を取ったモノの事を指す言葉じゃ。今のジャンヌ嬢はおぬしと変わらぬフレッシュゴーレムのようなもんじゃが、今の彼女は自身の魂をフィルギャ化した剣が本体ともいえるの。ジャンヌ嬢は出自が少々特殊じゃ。白鳥の家紋を持つオーロラ家の血が混じっておる」
「オーロラ家?」
「北に住む勇猛なる一族の一つじゃ。バルハラ国のオーロラ家は神の末裔らしくての。才能があれば戦乙女という特殊な存在となる。育てば導きの聖女に劣らぬ存在じゃ」
「へぇ、すげぇ」
俺が一つ賢くなりながらジャンヌを見ると、彼女は強く剣を握り締めた。
ジャンヌの体が神々しい印象の白い鎧に覆われ、頭部が同様の意匠の半鉄仮面に覆われる。
「やっぱ美人だな」
「小僧」
「何だよただの感想だろ!」
指を立てるルラトに慌てて言うと、ジャンヌが首を傾げた。
「あのローブの男が宰相か? 殺してくれた礼をせねばな。邪魔をするなよ、ナイア!」
「お好きになさいませ。こちらもこちらで好きにやらせていただきますわ」
ナイアが拳同時を撃ち合わせて、怒りに燃えた目をソロモンに向ける。
「ジャンヌを殺した事はどうでも良いですけれど、一つだけ、わたくしもあの者に許しがたい侮辱を受けましたの。譲るつもりはありませんわ」
「侮辱?」
「そう……」
ナイアは深く息を吸い込み、スリットを割りながら深く腰を落として構えると、牙を剥いた。
「わたくしは、聖女ではありません……地獄級の、肉弾系死霊術士ですわ!」