儚き春の訪れに
相野仁大先生により再び召喚されました。
巌も欠け落ちる様な厳しい冬に晒されて、生ける者全てが自然の猛威の前で跪き、こうべを垂れるかの様な場所にそこは在った。厳しい冬に隷属する季節も終わりを迎え、春を感じる陽気に誘われるかの様に一人の男が所々雪の残る険しい山道を、歩調を乱す事なく目的地に向かって歩いている。
男は環境にそぐわぬリクルートスーツに身を包み、使い込まれているが良く磨かれた革のビジネスシューズで登山道を歩き、深い森を抜けいくつかの川を渡ると、人では入り込めない聖域を見つけその前で立ち止まる。男はぽっかりとひらけたその場所を見渡して、六割程の割合で残る残雪を見つけると聖域の中に歩み出した。
残雪は春の陽気に当てられて湿気を帯びて、かき氷の様に固く変質しているがその傍には雪を割るように小さな花がはにかむ様に咲いている。
白い雪の間からあちこち顔を覗かせる赤や紫の小さな花々は、この場では単一種しか花を咲かせていないにも関わらず。白い雪のキャンバスに描かれた絵画の様だった。
男は小さな花の前でしゃがみ込むと囁く様に話しかける。
「こんにちはわたくし天界から来ました春の精霊選定委員会の者ですが、雪割草の精霊さんはこちらにいらっしゃるでしょうか?」
にこやかな営業スマイルで花に話しかける男は季節柄危険人物にも見えるが、ここは人も通わぬ山の聖域であるが故おそらくは真実なのだろう。
何度か男が呼びかけると雪原に散らした様な小さな雪割草が、ざわざわと騒めき聖域自体が細かく振動を始めた。
しゃがみ込んだ男が「よいしょ」と立ち上がり三歩程後ろに下がると、地響きと共に残雪の一部が盛り上がり雪の中から一振りの野太刀がせり出して来た。
「ちぇすとおおおおおおおおおおお!」
野太刀と共に雪から飛び出して来た黒い影は、青い空に猿叫を響かせて天界よりの使者の前に降り立った。
「天界よりの使い御苦労でござる。雪を割り天を穿つ! 花言葉は乾坤一擲! 拙者が雪割草の精霊で御座る」
残雪の上に降り立った雪割草の精霊は身の丈六尺五寸、その身には六尺褌と野太刀以外は何も身に付けていない為、鍛え上げられて不自然な程に隆起した筋肉と浅黒い肌が白い雪の上で異彩を放っていた。
「初めましてワタクシ春の精霊選定委員会から参りました者ですが、少しお話を伺いたくこの度はお邪魔した次第です。後天界の使いとしては天を穿つのは御勘弁願えないかと、それに花言葉は嘘ですよね? サラッと嘘を言わないで下さい子供が真似をします」
雪割草の精霊は無精髭に覆われた顏でニヤリと不敵に微笑むと天の使いに深々と一礼をする。
「それはそれは、この雪割草。春の精霊道に不惜身命 を貫く所存で御座る」
「あ、いえ雪割草さんに決定した訳ではなくて、数ある候補の花達の中でこれから選定する前段階とお考え下さい。それに何故貴乃花の横綱昇進口上を丸パクリしているのですか?」
気まずそうに視線を逸らす雪割草をさらりと流した天の使いは、今回の訪問の趣旨を話し出した。
「今回はですね、数ある春の花の中でも春の花と言えば? と言う問いかけの中、桜の精霊さん、梅の精霊さんを筆頭に上位三十を数える花達を春の精霊に相応しいかを確かめる為に事前面接と言う形で来た訳です」
「ほほう。某は不器用故、春の精霊の兼任等出来ぬな。彼奴等とは生活環境が異なるのでな」
「あ、それは助かります。さすがに選定も困難を極めてますので辞退して頂くのならそれで届けを出しておきますね」
天の使いがあっさりと踵を返すと雪割草の表情に焦りが浮き出る。
「あいや待たれい! しばし待たれい!」
怪訝そうな顔つきで振り返る天の使いが振り返り。まだ何か? と言う表情を作る。
「あ~なんと言うかな、折角世論が後押ししてくれている手前、無碍に断るのも憚られる故、表向き表面上仕方無い的なあれで話だけでも聞いておいた方が、有権者の顔を潰さないのではないかと某考え直す」
「まあ、そうですかね? 世論とか有権者とか良く解りませんが、じゃあお話だけでもしておきますか」
「う、うむ。まあこちらに座られよ。今茶を淹れる故」
雪割草の精霊がどこからか座布団を引っ張り出して雪の上に直に敷く。
「立ち話で結構ですので……」
雪割草の精霊が六尺褌に手を突っ込んで中から湯呑みを取り出すと、辺りに残る雪を手掴みで放り込み足下に生えている雑草を放り込むと、湯呑みを両手で優しく包み込み魔法を使って沸騰させる。
「ちぇすとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
血走った目で雪割草が湯呑みを睨み付けると、手の中に収まる湯呑みからもうもうと湯気が上がり出し、頃合いを見て天の使いの前にそっと置いた。
「粗茶ですが」
「ワタクシ、アレルギーがありますので体毛の浮かんだ雑草の煮付けはちょっと」
「うむそれでは何なりと質問するが良い」
さあ来いと腕を組み目を瞑る雪割草を見て天の使いは諦めた様に溜息を吐く。
「えーそれでは……何故裸なのですか?」
「ふむ。某は暑がり故、雪の中で常に雪を割っていると冷え性では仕事にならん。後花の精霊は薄着の方が熱狂的な信者が増えると……某知ってる」
少し顔を赤らめる雪割草の精霊に軽い苛立ちを抑えながら質問を続ける天の使い。
「雪割草さんは春を待たずして無理矢理雪を割って咲いている様に見えますが、何か理由があるのでしょうか?」
「某、気高く咲き美しく散るを信条としている故」
「薔薇の精霊さんに怒られますよ?」
「あ、いや。某達は春を待って花を咲かせるのでは無く、春を力づくで引き寄せて花を咲かせることを良しとしているのでな、それ故某達は初雪が降った瞬間より戦いが始まっておるのだよ」
「初雪からですか? それはまた……鬱陶しい事この上ないですね」
「某、よく言われる」
少し肩を落とす雪割草の精霊にこれ以上ショックを与えない様に、天の使いは現状を伝える事にした。
「実はですね、春の精霊候補として挙げられている花の中でダントツで支持されているのが桜の精霊さんなのですよ。ですから彼女が辞退しない限りはほぼ内定している様なものでして……」
「桜とな!?」
事実を耳に入れた雪割草の精霊はこめかみや二の腕に太い血管を浮き上がらせて、怒りに震え出す。
「桜など! ちょっと風が吹けばピラピラピラピラと花弁をだらし無く散らしおって、儚げアピールも甚だしい! マンホールに彼奴等の花弁が張り付く事によって何人の新聞配達員がヒヤリハットした事か! 酔っ払いを寄せ付けて人に媚びを売る癖に、枝を折れば馬鹿呼ばわり! 某達が雪を割り呼び寄せた春の尻馬に乗って調子に乗りおってええ! 次の立木打ちの標的は桜に決まりである!」
野太刀を顔の横に構えて蜻蛉の構えを取りつつ、桜の木を探し始める雪割草の精霊を必死で止める天の使いのポケットから、間の抜けた様な携帯電話の着信音が鳴り響く。
「あ、失礼」
突然止める力を失った野太刀の切っ先が不可抗力により振り下ろされて、雪割草の足の親指に突き刺さる。
「きぃええええええええええ!」
本日一番の猿叫をあげる雪割草の精霊を放置して、天の使いが携帯電話に応答を始めた。
「もしもし僕です。はい、はい。ああ受けて頂けますか! それは良かったです。選定作業もこれで捗りますので助かりました。いえ……はい、じゃあ今夜は残業になると思うから先に寝ててください。はいはい。愛してるよ」
天の使いは電話を切り雪割草の精霊に向き直ると申し訳なさそうに一礼する。
「すいません。たった今厳正な抽選により春の精霊が決定しました。桜の精霊さんに決定したみたいです」
「あいや! あいや待たれい! 厳正? 抽選? 某今真っ黒な身内コネクションの全貌を目撃したで御座るよ! その決定は受け入れ難いで御座るよ!」
「これは決定事項ですので、また百年後の選定の際に頑張って下さいね。それではこれで失礼いたします。春の引き寄せ作業頑張って下さいね桜前線にも影響しますんで」
天の使いは来た時とはうって変わってするりと霞のようにその場から消え失せた。
「ちぇ……ちぇ……」
巌も欠け落ちる様な厳しい冬に晒されて、生ける者全てが自然の猛威の前で跪き、こうべを垂れるかの様な場所にそこは在った。厳しい冬に隷属する季節も終わりを迎える頃に春を力づくで引き寄せる声が今年も響き渡る。
「ちぇすとおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
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