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ダメ男、アメリカに行く(前編)  作者: 江川崎たろ
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第三話 「ダメ男、作戦を練る」

平良のレッスン料金は、比較的高額に設定されている。1レッスン三時間で26000円だ。つまり、10人の生徒さんがレッスンを受けに来てくれれば、それだけで26万円になる。これが、毎月の平均的な売り上げなのだ。


いつもは約30日間で10人前後のレッスンを行うのだが、今回はその約半分、2週間で行わなければならない。だがしかし、26万円では足りないという事は、先程明らかになっている。


単純計算で、20人の生徒さんをレッスンすれば、52万円の売り上げだ。そこから生活費やらを引いてもお釣りが出る。しかし、そんな簡単に上手くいくとは思えない。期間はいつもの半分。受け持つ生徒の数は4倍だ。


あまりにも無謀に思えるこの状況だが、実のところ、平良の心はそれ程乱れてはいなかった。というのも、昨年の9月、大阪に出張するという企画を自身のブログで企画した際、なんと3日間の滞在にも関わらず、14名がレッスンに応募をしてきたのだ。


平良は、潜在的にブログの力を信じている。明日の夕方までに告知の記事を書き上げ、そして投稿しようと決めた。


これでまず、ロサンゼルスという大海原に一本の竿を垂らす事が決まった。しかし、海はあまりにも大きい。当然ながら、一名も応募をしてこない可能性だって十分にあるのだ。出来る事なら数十本の竿を垂らしたい。


寝ずにアルバイトをする考えも無い訳では無い。しかし、例えば日雇い派遣で14日間働いたところで、そこまで多額の給料は手に入らないだろう。やはり、ここは特殊な方法を練るしかないのだ。


自室のデスクは壁に面して配置してあり、平良は今その壁を焦点を合わさずに見つめていた。きっと、今の平良の姿を誰かが覗き見でもしたら、椅子に座ったまま寝てしまったか、または気絶しているようにでも見えるはずである。


だが違う。断じて違う。脳みそをフル回転させているのだ。集中しているのだから、何も見ずに、何かを見る。目を閉じているのと同じ事、当然のことだ。


10分程その状態を続けていた時に、まずは1つの案が思い付いた。思い付いたと言うよりは、思い出したのだ。


実は、これまで動画編集を趣味で行っていた経験があり、そんな趣味が高じて、ちょくちょくDVD製作の撮影と編集を依頼される事があったのだ。そしてつい一週間程前に、武田さんという知り合いのスイミングコーチから、レッスンDVDの制作をやってくれないかと、依頼を受けていた事を思い出した。


ただ、今すぐには出来ないかもしれないと、武田コーチは言っていた。それが妙に気になる。その先延ばしの理由が金銭的な理由なのか、はたまた別の理由なのか、それは解らない。


ちなみに、こういった映像製作の相場価格は大体30万円くらいだ。丁度良くお金の話しはまだ出ていなかったので、もしこれが金銭的な理由での先延ばしならば、10万円という破格の金額を提示する事で受注が取れるかもしれないと、平良は思ったのだ。


こういった仕事で掛かる日数は、少なく見積もっても撮影日から一週間は掛かる。しかも撮影を1日で終えるという条件つきでの一週間だ。


動画編集はかなりの集中力を使う作業なので、平良が今までに受けた依頼は、編集作業だけで一週間の猶予をもらっていた。


だが、死ぬ気になればこの編集作業は1日で終えられる。かなりの過酷な作業になるだろう。想像するだけで背筋がゾッとする。


まだ決定した訳でもないのに、平良は、不敵な笑みを浮かべながら手帳を開き、そして、3月21日の欄に、武田コーチに電話と記入した。


今はもう深夜2時を過ぎている。正確に言えば今日がその21日だ。しかし、平良の3月20日は眠りに落ちたその時に幕を閉じるのだ。今夜はもう寝よう。そしてまた明日頑張ろう。明日はもっと内容を詰めていかなくては。どちらもまだ机上の空論といった状態ではあるが、これでなんとか二本の竿を大海原に垂らす事が出来そうだ。



そして翌朝 午前10時過ぎ、平良のスマートホンが暴れだした。半分以上はまだ眠っている状態で画面を覗き込む。大木武志からの着信だ。


平良は迷った。寝起きの状態というのは声で伝わってしまう。こんな時間まで寝ているのかと思われるのも、小さなプライドが許さない。


何よりも、こんな状況にも関わらず、酒を飲みに行った事をがバレてはいけない。クズ人間だと思われる。実際にクズだし、クズだと思われているかもしれない。けど、それでも、改めてクズだと思われたくない。


それらを悟られぬ様、平良はすぐさま身体をおこし、背筋を伸ばした。そして、起き抜けの電話応対としては考えられない程に、テンション高めに応答した。


「あー!ごめんごめん!シャワーから出たばかりで遅くなっちゃったよ!」咄嗟に浮かんだ、なんとも自然な言い訳をしたのだが、なんと最悪なことに、声がガラガラとしていて、少々裏返りもしてしまった。


作戦失敗だ。大失敗だ。私は寝起きですよと、自ら公言したようなものだ。しかし、怯んでいる場合ではない。何か可笑しなことでもありましたか?とでも、今にも言い出しそうなすかした表情で「で、どうした?」と、一言。平良は頑張った。


「おー!平良、昨日はありがとう!実は見せたいものがあってさ、今日また柏に行くから、夕方17時に昨日のカフェに来れないか?」


今日の予定はレッスンが入っていない為、武田コーチへの連絡と告知ブログの更新だ。今が10時15分。間に合わない訳がない。だがしかし、急な誘いをいつだって承諾出来るほど、暇な男になっちゃいけない。そんな隙は見せたくない。見せてたまるか。


「17時か。うーん……もしかしたら5分10分待たせてしまうかもしれないけどそれでも大丈夫かな?」「OK~!全然大丈夫だよん!それじゃー17時な!」作戦は成功だ。


電話を切ろうとしたその時、大木が慌てた口調で大声を出した。「あ!待って待って、パスポートの準備は大丈夫か?さすがに大丈夫だろうと思うけど、あれって確か受け取るまで2週間くらい掛かるんじゃなかったっけ?」


「あー、はいはい。それなら予定してるから大丈夫だよ!いつもいつもありがとな!うん、それじゃー17時にね。はーい。」


終話ボタンを押した途端、ニコヤカだった平良の表情が一転、怒りとも思える恐ろしい表情に変わった。「…パスポートだと……」平良は完全にパスポートの存在を忘れていた。


こんな時は、焦ってすぐにでも行動に移すのが普通だと思うが、平良は再びベッドに寝転び、そして考えた。


どうせあれだろ、パスポートを作るのだって金が掛かるんだろ。あー、面倒くさい。やる事が多すぎる。それにしても海外に行くのってこんなにも大変な事なんだな。“海外行きました自慢”をSNSに投稿している奴等をクソの様に思っていたが、奴等はこんな難関を突破した経験があるんだな。


面倒に思わなかったのだろうか。いや、そもそも金に困ってなければすんなりいくものかもしれない。こんな時は金がない事を本当に悔やむ。いや、違う。天は二物を与えなかったって事か。そうかそうか。俺に不自由しない金があったら、それこそ大変だ。世界を揺るがす偉業を、意図も容易く為し遂げちまう。為し遂げちまうんだ……。


「あー!面倒くせー!!!」そう言って平良は立ち上がり椅子に移動した。デスクに向かうと、すぐさまパスポートについて調べ始めたのだ。


その結果、隣町の松戸市に旅券事務所があるのが解った。掛かる費用は1万6千円。やはり一週間以上は掛かりそうだ。


1万6千円か。明日の夕方にレッスンが入っている。そうすればその資金はクリアできるな。ただ夕方では窓口が閉まっているかもしれない。それなら明後日だ。


明後日も夕方からレッスンが入っているから、昼間の内に松戸へいこう。平良は手帳を開き、23日の欄に「松戸」と記入した。


そして「あー!ちくしょう!」と叫びながら、スマートホンを操作して武田コーチの番号を表示させた。すぐに発信ボタンを押し、呼び出し音を聞きながら平良は心の中で叫んでいた。


「ちくしょう……なんで俺はこんなに馬鹿なんだ……ちくしょう……ちくしょう……」


平良は、自分の面倒臭がりな所や金銭感覚が狂っている事、計画性がまるでない事、そんな欠陥だらけの自分が嫌いだった。本当は、大木武志の様に爽やかな生き方の出来る人間に憧れているのだ。


「はい、もしもし武田ですが」武田コーチに繋がった。

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