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ダメ男、アメリカに行く(前編)  作者: 江川崎たろ
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第二話 「ダメ男、お金がない」

大木と別れた平良は、真っ直ぐに自室のアパートへ向かった。これから幾らの費用が掛かるのか、計算しなければならない。行き先はアメリカ、ロサンゼルスだ。


何故ロサンゼルスかというと、実は、以前から会ってみたい、レッスンを受けてみたいと思うボイストレーナーを、インターネット上で目星を付けていたからだ。


そのボイストレーナーの名前はリチャード・キング。ソバージュがかったロングヘアーが特徴的な、いかにも海外ロックボーカリストといった出で立ちだ。そのキングが住んでいる場所がロサンゼルスなのだ。


平良は、動画サイトに投稿されている彼のレッスン動画に、半年ほど前に釘付けにされていた。


パワフルながら心地よい響きを持つキングの歌声は、平良の理想とする歌声に限りなく近い声だったのだ。


せっかくアメリカに勉強をしに行くのなら、彼のレッスンを受けたいと、平良はそう思い、早速リチャード・キングのレッスン料金を調べる事にした。


リチャード・キングの日本人向けに作られたホームページに掲載された料金一覧には、この様な記載がされている。


「■1時間 300$」300ドル?1$100円と考えても、一時間三万円も掛かるのだ。「オーマイガッ 」と、早くもアメリカにかぶれた平良は呟いた。


つまり、1日1時間でも2日で6万、3日で9万円掛かる。一先ずレッスンは3日間に妥協するとして、9万円を予定した。



次に調べたのはロサンゼルス行き航空券だ。しかし、インターネット上で調べても平良にはあまりよく理解が出来なかった。そこで、航空会社に直接電話をしてみる事にしたのだ。


「お電話ありがとうございます、田村がお受け致します」男が電話に出た。


「あ、もしもし、あのー……ロサンゼルスに行きたいんですけど、往復で幾ら掛かりますか?」


「はい、畏まりました。ちなみにご出発の予定日などをお伺いして宜しいでしょうか」


煩わしい。平良はそう思った。「いや、大体幾ら位掛かるのかがまずは知りたいんですよ。大丈夫、もうロサンゼルスに行く事は決まってます。必ず……田村さんでしたっけ?あなたから航空券を買いますから。で?大体幾らかかるんです?」


平良は、自分の知りたい情報がすんなり手に入らないと、すぐに機嫌が悪くなり、威圧的な対応をしてしまう傾向がある。


「は、はぁ……ですが出発する日によって金額がどうしても前後してしまいますもので……」そんな田村の言葉を受けて、自分勝手にも平良は呆れだした。細かい金額の差など、今はどうだっていい。


「田村さん、私の言っている意味解ります?おおよその金額でいいと言ってるんだよ。日によって10万とか変わっちゃうのかい?そんな事はないだろう。おおよそ平均して幾らになるのか早く教えて欲しい」平良はいつだってワガママな奴だ。


すると田村は少し焦りながら答えた。「あ、なるほど……それでしたら……そうですね、大体12万円前後だとご認識ください」


「12万か、どうもありがとう。それでは必ず近い内に田村さんを訪ねます。私は平良です。どうぞよろしく」そう言って平良は終話ボタンを一方的に押した。


12万も掛かるのか……ん?ではレッスン費用も合わせると既に21万も掛かるではないか。 待てよ、柏から成田空港までの交通費、それにアメリカでの宿泊費が掛かるな。向こうで飯を食わないわけにもいかない。


仮に1泊6000円のホテルに6日間泊まったら36000円。この時点で24万6千円。食費を1日2000円として14000円。柏から成田空港までが往復で約2000円か。


ここまでで総額…26万2千円……。


平良は一ヶ月後にはアメリカに行くと言ってしまった事を早くも後悔していた。何故ならば、現時点での総額費、26万2千円という額は、平良の一ヶ月の総売り上げとほぼ同じ額だからだ。


今あるお金は4万円。貯金はない。恐らく、遅くても一週間前までには、航空券やらなんやらの支払いが必要だろうと平良は思った。


という事はだ、家賃や光熱費なども考えると毎月の倍近い売り上げを立てなければならない。考えれば考える程に、今回のミッションは不可能なのではないかと、平良は思った。


しかし、口だけ野郎のレッテルを張られるのは避けたい。事実なだけに、どうしても避けなければならない。誰だって、そんなの嫌に決まっている。となれば、やはりなんとしてでも資金繰りの問題をクリアしなければならない。


平良は、頭を抱える動作に移ろうとしている事に気付き、そして手を止めた。危ないところだった。そんな風に重苦しく考えたって、決していい答えは出て来やしない。そんなものだ。


脱いでいたジャケットを再び羽織り、平良は繁華街へと飛び出した。向かうは行き付けのバー、66(シックスティーシックス)。所持金は財布の中の全財産、四万円だけだ。



「いっしゃいま……あ! 平良さんこんばんはー!」出迎えてくれたのは店長の誠司セイジだ。


誠司は平良よりも3歳上の31歳。他のお客さんには平良の事を仲の良い友達だと紹介をしてくれるが、所詮は客としか思っていないのだろうと平良は思っていた。


そうは言っても、毎晩のように、ここへ飲みに来ていた平良にとって、所詮は客と店員の間柄かもしれない誠司の存在が、とても大切なものになっていたのも、また事実だ。



「平良さん今日はもう仕事終わったんですか?」大抵、この台詞から誠司は話を切り込んでくる。


「いやぁ、終わったというか仕事中というか……。一ヶ月後にはロサンゼルスに行かなきゃいけなくなって、その事であれやこれやと考えなきゃならないもので……。仕事が終わったという気分ではないですね」


―――俺はいつだって忙しい。他の奴とは違うぜ。でもな、仕事中でも酒を飲んじまう。会社員には真似できない自由な男なのさ。そう……才能ある男にのみ許される生き方だ。ふふ……羨ましいか?―――


勘違いも甚だしいとはまさにこの事。平良はいつだって自分の事を棚に上げていた。そうする事でしか優越感を感じる事の出来ない、悲しい男なのだ。


そして何より、結局のところ、平良にとってロサンゼルスに行く事はとても格好良い事なのである。だからこそ、それを自慢したいという気持ちがある。誠司はあくまでも店員なので、そんな自慢話を、平良の気分が良くなるように、上手に聞いてくれるのだ。


「ロサンゼルスにですか?仕事で?なんだそれ!めっちゃカッコイイじゃないですか!」これだよこれ、ありがとう誠司君、と、平良は心の中で感謝した。


「そりゃーその話だけ聞いたらカッコイイかもしれないよ?でも実際は金だって全額自己負担だし、段取りも自分でしなきゃならない。カッコイイのとは掛け離れていると思うけどなー」出来る限り自慢をしているのだと悟られないよう、気を配りながらギリギリの自慢を平良は楽しんだ。


「それにしても、ロサンゼルスからボイストレーニングの依頼でもあったんですか?」誠司は、平良がいつも自分語りをするもので、平良の仕事については割りと詳しいのだ。ただそれはあくまでも、平良の口から出た情報だけなので、実際の内容とは異なるはずである。美化された内容を事実として受け入れているのだろう。


「いやいや、仕事とは言いましたけどね、とある世界的に有名なボイストレーナーの元に数日間修行に行く事になったんですよ」すると誠司は「へぇー!それはまたすごいじゃないですかー!!」と、応えてくれた。


平良は決して嘘はついていない。しかし、これではあたかも何かしらの組織が平良にロサンゼルスで修行をする様に働きかけた様にも受け取れる。実際はただお金を支払ってレッスンを受けにいくだけだ。


平良は嘘をつくのが好きではない。だがしかし、今回の会話のように、少し話を大きくしてしまう“見栄っ張り”な所があるのだ。


見栄を張るというのは、やはり全く良い事ではない。見栄っ張りの性分が原因で、人生をダメにしてしまう人は多いだろう。周りの人が抱く印象と、本来の姿は、悪い意味で大きく違うのだから。何かしらの無理が生じるものだ。


だかしかし、見栄を張るのは癖になる。仮にその場だけでも、強い自分になれるからだ。どうせまた、酔いが覚めれば、そんな幻と現実のギャップに打ちのめされる。それでも、見栄を張るのはやめられない。見栄を張るのは癖になるのだ。


そうこうしている内に、平良は気分が良くなり、いつものことながら、大好きなジントニックを何杯飲んだのか、最早解らなくなっていた。


少しずつ増えてきた常連客に、「平良さん今度仕事でロサンゼルスに行くんですって!」なんて誠司が言うものだから、平良は気を良くして、その場にいる全員に一杯ずつドリンクをご馳走した。


そして、こんな楽しい夜はあっという間に過ぎていく。23時を過ぎた頃、そろそろ帰ろうと、平良は誠司にチェックを頼んだ。


「平良さん、いつもありがとうございます!お会計は2万2千円です」えっ、そんなに?と、平良は思った。しかし、動揺が伝わってしまっては格好悪い。平然を装いながら、平良は三万円を差し出した。そして8千円のお釣りを受け取り財布にしまい、また来る事を告げて店を後にした。


店のドアを出る直前に「また来てロサンゼルス行きの話がどうなったか聞かせてくださいね」と誠司が言った。「この営業上手め」と心の中で唸りながら、66から徒歩15分程の自室へ歩いた。


残金が1万8千円になってしまった現実は、酒に酔った頭でもよくよく理解している。今は散財している場合ではない、なんて馬鹿な男だと自分を叱りつけながら、さて、どの様にして資金繰りをしていこうかと考えたいた。


誰もいない自室に戻ると、出掛ける前の悩んでいた自分が、デスクに突っ伏して嘆いているような気がした。出掛ける前よりも状態は悪化したのだぞと、過去の自分に語り掛けながら、手で妄想を掻き分け、そして、椅子に腰をおろした。


さぁ、作戦会議をはじめよう。

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