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ダメ男、アメリカに行く(前編)  作者: 江川崎たろ
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第十八話 「ダメ男、アメリカに行く」

5月12日 渡米当日 午前7時。平良はもう既に目を覚ましていた。

殆ど眠ることが出来ず、ずっと起きていたと言った方が、より事実に近いかもしれない。何度も何度も、目を閉じて寝ようとしたが、どうしても身体の力みが取れず、一晩中苦しんでいたのだ。


たまに時計を確認すると、一時間近くが経過していた時もあるので、完全に寝ていないかというと、嘘になるかもしれない。ただ、23時くらいから“それ”をずっと繰り返して今に至るのだ。


平良は、どんな状況だって眠れる事を、よく笑い話にして話していた。例えば、夜行バスに一人で乗った時の話し。きっと爆睡している時の平良には、バスの座席は狭すぎたのだろう。目が覚めると、バスの真ん中に位置する通路で、堂々と寝ていたのだ。


そんな“どこでも寝られる人間”が今回は眠れなかったのだから、きっと本人も気づかぬ内に、相当なプレッシャーを抱え込んでいたはずだ。午前五時の時計を確認したあたりから、もう眠る事は諦めていた。飛行機は12時間飛び続けると聞いていたので、その時に眠ればいいと。


シャワーでも浴びようと、シャワールームに入った時、鏡に映る自分の顔に驚いた。そこに映ったのは眠そうな男ではなく、まるで、これから復讐でもしに行くのではないかという程に、怖い顔をした男がいたからだ。それも、寝不足でよくある“それ”ではなく、間違いなく、すっきり起きている人の顔でだ。


きっと、これからどんな事が起こるかわからない恐怖から、防衛本能が働いた結果だろうと、自分を納得させて、いつもより3度高いお湯で解凍を始めた。そして、少し歌声を出してみた。申し分の無い、絶好調な声だった。せっかくリチャード・キングのレッスンを受けるのに、喉が不調ではあまりにも勿体ない。ひとまず平良は、胸を撫で下ろした。


考えてみれば、平良は昔から、アメリカに歌を習いに行きたいと夢見ていたのだ。日本人とアメリカ人の、圧倒的な歌唱力の差を、この目で、この身体で、確かめに行きたいと。


身支度を済ませ、珍しく忘れ物がないかどうかを、しっかりと確認し、そして、壁に貼られている汚い文字を力強く睨み、わざとらしく「行ってきます」と言って見せた。


外へ出ると、天気は良いが少し肌寒い。しかしこれもナチュラルハイというのだろうか、駅へ向かう道中で、やたらと自分の神経が研ぎ澄まされている気がしていた。


予定よりも約一時間早い、7時44分発の電車に乗り、平良はいざ、成田空港第一ターミナルへ向かった。成田駅で乗り換える事を考えると、約一時間は乗りっぱなしだ。少し安心したのか、眠たくなってきたので目を閉じる事にした。念の為、無音のバイブレーションでアラームを掛けて。


そして、やはり寝てしまったのだろう。アラームに起こされ目を開けると、成田の1つ手前の駅、下総松崎駅を通過した所だった。そして成田駅に到着。今、この地に、最高な12人の仲間がいるのかと思うと、非常に感慨深いものがある。心からの感謝を想い、そして成田を後にした。もうすぐ、成田空港に到着する。


成田空港第一ターミナルにあるカフェには、大木の彼女、彩ちゃんが働いている。平良が渡米する日は、丁度よくバイトが入ってるから、日本を発つ前に寄りなよと、大木を通じて聞かされていた。奇遇というかなんというか、きっと大木は、今回のミッションには欠かす事の出来ない人物なのであろう。偶然にも程がある。


8時49分。予定通りに成田空港第一ターミナル駅に到着した。何処か現実を忘れてしまう、空港独特の未来的な雰囲気が平良は好きだった。それにしても成田空港は迷いやすい。しっかり把握出来ていれば違うのだろうが、馴れない平良にとっては迷路の様に感じられた。少し迷ったが、なんとか彩ちゃんのいるカフェに辿り着く事が出来た。


「あー!平良だー!ねー店長!これが話してた平良だよー!」アホっぽい。実にアホっぽい。これをアホと呼ばずして、一体何をアホと呼ぶべきか。そんな緊張感の欠片も感じさせない彩ちゃんの対応に、平良は救われた。久し振りに、身体の力が抜けた気がしたのだ。


「あー!どうもー!店長の荻野ですー!あ、どうぞ座ってください」カフェとは聞いていたが、バーと言われた方がしっくりくるお店だ。お洒落で、好みの感じだった。そして、平良は久々に口を開いた。「いやぁー!着いたー!あ、声うるさい?」なんだろう、何故だか凄く安心して、本心から笑っている。


何かしらのタガが外れたかのように、平良のテンションは一気に高まった。「店長~!この空港の作り何とかしてくださいよー!迷っちゃったじゃないですかー!」彩ちゃんが「テンションたかっ!」と突っ込む声に被せながら店長が言った。「迷っちゃいますよねー!私も未だに迷いますよ!ところで、平良さんはお酒が好きって聞きましたけど、ドイツビールとかお好きですか?」


ドイツビール。そんなお洒落なものは飲んだ事がない。地方の地ビールでさえ、飲んだ事がないのだ。それなのに、いきなりドイツのビールに手を出せというのか。おもしろい。


なんですかそれはと訊ねると、六種類の瓶ビールを店長は出してきてくれた。一本一本特徴を教えてくれたのだが、平良にはあまり理解が出来なかったので、取り敢えず一番人気の飲み易いビールを注文した。


そして、一時間後、彩ちゃんの連絡を受けて大木武志が到着した。大木は到着するや否や、驚くような事を言い放った。「うわっ!くさっ!平良めっちゃ酒くせーよ!」平良は店にあるドイツビールを全種類、つまり6本の瓶ビールを空けてしまったのだ。酒の味などろくに解らない平良にも、ドイツビールの美味しさは解った。飲み易くて、ついつい飲み過ぎた。実に、美味かった。


「ははは、武志おせーよ!もうこっちはテンションやばいんですけどー!」完全な酔っ払いだ。「お前なー!ちゃんともう搭乗手続きやったのか??日本円もドルに替えとかなきゃ後で大変な思いするぞ!」


時刻はまだ10時過ぎだ。これでももう間に合わないか?と、平良は思ったが、大木が言うのなら間違いないのだろうと、自分を納得させた。「おい、店長!なにこんなに飲ましてんだよー!」上機嫌な平良はそう言いながら手を振った。もう一方の腕は大木に引っ張られながら。


「いやぁ、武志!お疲れ!」平良は調子よく挨拶をし直した。「お前は本当に馬鹿だね!乗り遅れたらどうすんだよ!」笑ってはいるが、大木はたぶん、本気で怒っている。どうやらこれから、平良は機内に預ける荷物のチェックやら搭乗券の受け取り、自身のセキュリティーチェック、出国審査など、やらなきゃいけない事が山積みらしい。


「えー!何それ!間に合うの?」


「間に合わせろよ馬鹿野郎!」


大木は平良から財布を奪い、現金を取り出した。そこから4200円はカフェの会計代だと言い、ポケットにしまい、残りの金はドルに替えて来てやるとの事。札が空になった財布を平良に返すと、「関係者に場所を聞いて速攻で用事を済ませろ」と指示を出した。そして、奥に見える喫煙スペースを指差し、「あそこで待ち合わせな!」と言って走り去って行った。


平良は「なんだか酔いが冷めてしまった」と少し心で嘆いたが、間に合わなかったら最後なので急いで手続きを済ませに走った。

そして50分後、平良は約束の喫煙スペースに到着した。あれだけ焦らされたからもっと時間が掛かるのかと思っていたが、案外すんなりと終わらせる事が出来た。


少しすると大木が到着した。「ほら」と言いながらドル紙幣に両替されたお札を平良には差し出した。「ありがとう」と言って受け取り、平良は続けた言った。「ところで、これは日本円で幾ら分なの?」大木は答えた。「7万7千円だ。良かったなー、縁起のいい数字で」思っていたよりも少ないなと焦ったが、頭の中でざっくり計算すると、やはりそんなものかという結論に達した。


「武志、本当にありがとな!それにしても、まだ一時間は余裕あるじゃねーかよ」平良は笑いながら文句を言った。「わかってねーなー!親友がアメリカに行くからってこうやって来てやってんだぞ!出発前にゆっくり話したいじゃねーかよ!」


それもそうかと平良は思った。それにしても、今回このアメリカ行きを決めたのは大木武志だと言っても過言ではない。そして、今こうやって無事に出発する事が出来るのも大木のお陰だ。成田の皆が協力してくれた事だって、大木がパンフレットを見つけていなければそもそもあり得なかった事なのだ。


改めて、平良は大木に礼を言った。「武志、本当にありがとう。お前がいなかったら今日はないんだよな」「本当だよねー」大木は笑い、そして続けた。「それにしてもさー、平良お前本当にすごいぞ!少しだけ日数がはみ出ちゃったにしても、ちゃんと1ヶ月で目標達成しちゃったな!正直ね、平良がいつ音を上げるか楽しみにしてたんだよ。


あ、もちろんね、成功して欲しいとは思ってたよ。でもね、無理じゃねーかなって思ってたの。でも途中から平良の本気がびしびしと伝わってきてさ、ほら、キャンペーンをブログで告知してたじゃん?あの頃だよ。あ、これはもう完全に目標達成のレールに乗っかったなって思ったんだ。


そしたらユリちゃんが倒れちゃったっしょー?あれはね、もう駄目だと思ったよ。あ!駄目ってユリちゃんの事じゃねーよ?ほら、俺がお見舞に行った時、あの時の平良の顔まじでやばかったもん。なんつーのかな、完全に覇気が感じられなかった。あんな状況じゃ無理もないけど……。それにしても、本当によく頑張ったな!!」


平良には解った。大木の応援は本気だ。もちろん、最初から疑ってなんかいないが、今、大木の目が本気だという事を訴えかけてきている。今にも涙がこぼれ落ちてしまいそうじゃないか。


平良も、大木から「頑張ったな」と言われた事で、今回で一番の達成を感じている。思い返せば、14歳の頃に大木と出会って、それからずっと一緒にいるんだ。同じ1つの夢を追いかけてきたんだ。これまでだって何度も一緒に泣いてきた。楽しい事もあれば殴り合いの喧嘩もした。


バンドが解散してから、俺は自分の事に夢中で武志には何もしてやれていないじゃないか。それなのに武志は俺の為に、俺の為に……。「武志……本当にありがとう」平良の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。


二人は何も言わずに肩を抱き合い、そして、体を叩き合う。長く連れ添った二人には、言葉はそれ程必要じゃない。今更、お互い泣いている事を指摘したり笑ったりもしない。平良は心から頑張って良かったと、そう強く思った。


そして、もうすぐ12時になろうとしている頃、平良は搭乗口に向かった。そして、そろそろ姿が見えなくだろう瞬間を狙って、平良は勢いよく振り返り、そして敬礼をしてみせた。さすが、大木は乗りが良い。すぐに敬礼で返してきた。そのまま、平良は何も言わぬまま後ろを向き、そして歩き出した。


そんな後ろ姿を見ながら、大木は心の中で平良に話しかけていた。「クソったれな男だけど、俺はお前を尊敬している。クソったれなのは大前提だ。何故、英語も喋れないお前が一人でアメリカに行くと踏み切ったんだ?どうせ強がっちゃったせいで今更やめらないとか思ったんだろ?でも、それでも実行する行動力が俺はすげーと思うよ。悔しいけど俺には真似できねー。でも忘れんじゃねーぞ!こんなにも輝かしい今日は俺がいなきゃ訪れなかったんだからな!頼む……頼むから、無事に帰ってきてくれ!」


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