言葉
我々人間の特殊性は何かって言われたら、確実に言葉が上げられる
言葉は事象を抽象化して我々に認識を与える
事象に当てはまる言葉を知らないって事は、それを認識出来ないと言っても過言ではない
例えばエミル母さんの目の前にパソコンを置いたする
でもエミル母さんはそれを四角い置物や変なものが描いてある板としか認識しないだろう。
この世界には画面もキーボードも無いのだから
壁紙やスクリーンショットが画面に出ていれば、精巧な絵画と思うかもしれない。
だけど、それが人間よりも遥かに演算速度や記憶力に優れた機械とは認識しないだろう
例えばシータ父さんの前にアラビア数字の書いてある千円札紙幣を置いたとする
父さんはそれがカネとは認識せず、高価な紙と認識するだろ
数え年で分かる通り、0の概念はこの世界に無い。如何にアラビア数字が優れているかも分からないだろう。そもそも『1000円』はただの模様として解釈されるかもしれない
例えば妹のエリスの前にガキ大将のアイン君と地球いたころの元嫁を並べてみる
きっとエリスはどちらも人として認識するだろう
片一方はムカつく糞ガキで、もう片一方は鬼畜生だとすら認識出来ないのだ
これは若干趣旨が違うか?
何にしろ、事象を抽象化した言葉とは様々な意味を持つ
もし俺がエミル母さんにコンピューターの説明をするとしたら非常に困難だ
俺が知り得る代表的なコンピューターとは、パソコンでありスマホでありゲーム機だ
パソコンと聞いただけで地球人は様々な情報を認識している。画面、キーボード、ネット、アプリケーション、メール、アドレス、SNS
そしてそれらにまつわる事も一緒に認識している。それは曖昧模糊としたものかもしれないが、一定の認識は確かにある
「パソコン」という単語一つでこれだけ広がりを見せるのだ。それらを更に掘り下げて説明させられたら、その裾野がどれだけ広がるかは推して知るべしだ
話がだいぶ広がってしまったが、何が言いたかったと言うと、俺はこの世界の知識であり言葉に飢えていた
日本語での認識は確かに出来るが、それを表現するこちらの言葉は全然だった
外国に行って日本語で欲しい物を説明するようなもどかしさを常に感じていた
そのもどかしさからの解放は、同時にアレとの別れでもあった




