伯爵、婚約者さんに感謝しましょう
勢いで書いたのです。
「婚約者に振られたー」
「それはそれは、私には到底測れない心の傷を負われたようで、うまくお慰めできないので家に帰って枯れるまで泣くといいですよ」
テーブルにべたっともたれかかって愚痴愚痴しているのは、黒髪と碧眼が大変見目麗しい、我らが領主、ウィスターナ伯爵。
涙こそ流していないが、よほどショックだったのかやさぐれ続けてかれこれ1時間。そろそろ邪魔に思えてきました。
伯爵領でも指折りの名店と名高い、私の叔母夫婦が経営する食堂に、伯爵はよくいらっしゃってくれていましたが、いかに常連といえども酔っ払い(違う)の相手は仕事内容に含まれていません。
近くをせかせか通る度に慰めを要求するものだから、いい加減鬱陶しくってイライラしてきます。
どこの構ってちゃんだてめぇ。
「伯爵、ショックだったのはわかりますからそろそろ帰ってくださいませんか」
「直球できたね…」
あなたに迂遠な言葉を言っても伝わらないと学んだので。
「だから、帰って欲しかったら慰めてよ」
「おばさーん、伯爵に豚鍋セット〜」
「そうか、食べながら慰めてくれるんだ!」
なわけあるか。
豚鍋セットは量が多く1人で食べ切れるものじゃない。しかもお高い。
まあ、料理を食べもしないくせに1時間も居座った対価だとおもってもらいましょう。
お釣りが帰ってくるような迷惑料だけれど、さすが伯爵。もろともしない。
「なんで慰めてくれないんだ!」
「私には何のことだかさっぱりわからないからです」
「ああ、事情を説明してなかった。よく聞いてくれ」
「嫌です。聞きたくありません。私に色恋沙汰の慰めなんてされた方が可哀想ですよ」
「いいじゃないか。聞いておやりよ。はい、豚鍋セット」
ここで伯爵に思わぬ援護射撃。
豚鍋セットを運んできてくれたおばさんに、それは本来私の仕事なのにと謝るのも忘れて絶句した。
伯爵は喜んでいます。
それが豚鍋セットなのか、主人の言質をゲットしたことによるものなのかはとりあえず保留にして、おばさんに詰め寄った。
「なんてこと言うんですか! 私全力で逃げたかったのに!」
「いいじゃないか。聞いておやりよ」
「何時間かかると思ってるんですか!」
「ざっと5時間かね。いいじゃないか。聞いておやりよ」
くそう、話にならない。
「今は店もすいてるし、大丈夫だよ。それより伯爵の陰気オーラがよほど邪魔さね」
それには一理あります。
しぶしぶ頷いて、豚鍋をつつきながらこちらの話に聞き耳を立てていたらしい伯爵を見る。
そのうっすら赤くなった目元に、呆れ混じりのため息をこぼし、話を聞くために椅子に腰掛けました。
***
傷心の伯爵は、豚鍋の具を取り皿に盛り付けながら話し始めました。
「私に婚約者がいたことは知っているよね」
知っているも何も、店に来た途端振られたーとか捨てられたーとか叫んでいたじゃないですか。
これでいなかったら妄想彼女ですよ。おいたわしい。
「もう5年、ずっとそういう関係だったわけだけど」
「長いですね」
普通、婚約期間は1年程と定着している。恋人同士だったのならわかるけど、婚約者だったのに5年は長い。
伯爵は苦笑しながら、器によそった豚鍋を手渡してくれました。遠慮するも押し切られ、結局熱い器を受取ります。
熱々の豚肉を頬張っていたとき、伯爵はとんでもないことをおっしゃられた。
「その相手がね、駆け落ちしたらしいんだ…」
「ぶほっ」
「え、大丈夫か!?」
「…っ、大丈夫です、大丈夫です! それよりも、駆け落ち!?」
駆け落ちなんて、勘当されても文句言えないやつですよ!! 今では犯罪と同等くらい駄目扱いされているやつですよ!!
なんてことしてるんですか婚約者さん!
衝撃は半端なく、器を持ったまま腰を浮かせていて間抜けな格好になっていました。
伯爵に座るよう促され、呆然としたまま椅子に座ります。
話が豚鍋どころじゃなくなってきました…。
「愛し合っていた訳じゃなかったから、心は別に痛くも痒くもないんだけど、家の立場がねえ」
「愛し合っていなかったんですか」
「いなかったんだよね」
まあ、そこは深入りしないでおこう。
貴族様には政略結婚が普通なのです。恋愛結婚の方が珍しいのです。
つまり、伯爵がやさぐれている理由はこっち方面ではないということですね。
了解しました。それならまだ更生の余地があります。頑張ってみましょう。
「まあ、辛いのは男爵家の方だろうね。うちより身分が下のくせに一方的に解消してきたんだからね」
あれ? 伯爵、一瞬腹黒くなりました?
「そして外聞! これが広まれば私は婚約者に捨てられた間抜け男じゃないか!」
「元から間抜けじゃないですか」
「何か言った?」
「あ、この玉ねぎ甘いですよ!」
そりゃあ伯爵は大変な努力をなされたと聞く。
幼少期から神童と持て囃され、17歳で伯爵の称号を授与。現在では王宮に一室を与えられるほどだそうだ。
だがしかし、世間一般に広まる秀才イメージとは打って変わって、素の伯爵はとてもうざい。
客商売なので多少のことには目をつぶる私から見ても、うざい。
見た目が良くてもまとわりつかれたらきもいのです。
この人は絶対変態だ、というエピソードだってある。長くなるので割愛しますが、匂いを嗅がれたこともあります。
ああ、今日はウスターソースの香りだね、とか満面の笑みで。怖気が走りました。
もしかしたら婚約者さんもその被害に…? だとしたら被害者の会が作れる。仲良くなりたい。
ここで私は婚約者さんの名前を知らないことに気づきました。
「伯爵、婚約者さんのお名前はなんて?」
「ユリアーナ男爵令嬢だよ」
ユリアーナですか。可愛らしいお名前です。
もしちゃんと伯爵と結婚できていたら、ユリアーナ・ウィスターナという韻を踏んだ素晴らしいお名前になれたというのに。
思わずため息が漏れます。
「とまあ、彼女は昨夜領地を出たらしいんだけどね」
手遅れだったようです。ああ、もう会うことはないでしょうね。残念でなりません。
どうぞ駆け落ちまでして求め合った恋人と永らくお幸せに…。
「それでさっき聞いた話なんだけど、男爵家が多額の借金を抱えていたらしいんだ」
もぐもぐと咀嚼しながら事もなげに言っていますが、それ結構重大事件では?
婚約者の家の事情をさっき聞いた話なんだけど、と呑気に言える伯爵にも驚きますが、なんだって? 多額の借金?
「い、いかほどの?」
「そうだなぁ、ざっと500万フィルらしいよ」
「……!!」
小さなお城が建てられる金額です。私がその額の借金を抱えていたら、間違いなく自害するでしょう。
となると、ユリアーナ男爵令嬢が駆け落ちしたのは、この借金にも一因があると思えてきました。
そうですよね、親の抱えた借金のおこぼれに預かりたくはないですよね。破滅の道ですもんね。
「私にも援助を願い出てきたんだけど、断ったんだ」
「そりゃそうですよね」
あんな馬鹿高い金額の援助なんて、焼け石に水の効果しかなさそうですし。
伯爵、グッジョブです。ナイス判断でございます。
「結婚していたら立て替えてやっても良かったんだけど、何せ断られたからね。赤の他人に貸す金なんかないんだから」
「その通りですよ、伯爵。さすがです……………ん?」
なんか、今の発言ちょっと違和感がありました。
待て待て待て待て。
『結婚していたら立て替えてやっても良かった』?
援助じゃなくて立て替え? 500万フィル全額お支払いになると…?
ふらついてきました。
確かに伯爵は無駄遣いはしない人ですし、個人資産も私には想像出来ない額をお持ちになっているのでしょう。
それでもです、今のはちょっと常識知らずな発言でした。
この人、本当にお間抜けです。強盗とかに押し入られたらどうするんでしょう。
いくら平和ボケしている伯爵領でも、悪人はいるところにはいるのですから、不用心にお金の話はするものではありません。
そこんところ注意しましょう。
「でも、それならユリアーナ男爵令嬢が駆け落ちをしなければ、万事解決だったのでは?」
「そういうことになるね」
「早まりましたね」
「お金より愛を選んだとも考えられるのでは?」
いやに優しく微笑みかけてくる伯爵に苦笑を返す。美麗な笑みですがそれどころではありません。
「そうだったら、美しいですね」
「駆け落ちはロマンスだなんて言うけど、実際は夜逃げも同然だ。家出とも言うかな。けど、愛に生きるなんて素晴らしいと思わない?」
「ユリアーナ男爵令嬢が、幸せになるといいですね」
私だって人並みにロマンチックなおはなしは好きだ。だから駆け落ちを頭っから否定したりなんてしない。
けど、捨てられた伯爵がかわいそうだと思う心くらいはあるので、ここまで話を聞いてきましたが。
これ、慰めいりました?
伯爵ももういじけていませんし、というか最初からいじけてなかったのでは…?
こういう結論にあっさり落ち着いたということは、伯爵、図りましたね……!!
伯爵がにこにこと穏やかなまま、この話題が終わるかに思えた、そのとき。
「旦那様! 旦那様はいらっしゃいますかあ!?」
突然店の中に突っ込んで来たのは、伯爵家執事頭である初老の男性でした。
鬼気迫る顔で辺りを見回し伯爵を見つけたと思ったら、足音を踏み鳴らして詰め寄っていきます。
「旦那様あ!!」
「なんだなんだ、何の用だ」
「男爵令嬢が見つかりました!」
なんとまあ、こんなにあっさり見つかってしまったらしい。
志半ばで散ったユリアーナ男爵令嬢の恋に涙を呑む。
伯爵は冷静に、喜びも怒りも見せずに執事頭さんに話の続きを促されました。
「先程、街道で見つけ、保護したのですが、相手の男がいないのです」
「隠れてるだけじゃ?」
「いえ、男の影もないのですよ。宿場でも男爵令嬢1人の名前しかなく…」
つまりどういうことでしょう。
駆け落ちしたかと思われていたユリアーナ男爵令嬢には、駆け落ちするような恋人がいなかったということ?
周囲に駆け落ちだと思われていたらまさかのただの家出だったとか?
伯爵は険しい顔で小さく舌打ち。間抜けの皮が剥がれたようです。もしくは別の皮をかぶったのか。
小さく「見つかったか…」と聞こえてきましたが、ここはスルーしましょう。見ざる聞かざる言わざる。
「伯爵、確認なんですが、ユリアーナ男爵令嬢はなんと言って婚約を解消なされたんでしょう?」
「それを聞くのか?―――『わたくしはあなたを好いております。けれどあなたはそうではないのでしょう。これまで精一杯、できるかぎり優しくしていただけて幸せでした。わたくしたち男爵家との関係は、あなたにとって邪魔でしかないのでしょう。わたくしはあなたの預かり知らぬところで行きずりの男と結ばれるので、あなたはあなたで早く結ばれてください』」
………えっと、待て。つまりどういうことです?
混乱状態の脳内を整理して欲しいのですが、誰か手助けしてくださいません?
「だからつまり、男爵令嬢は私の為を思って身を引いたということだろう」
口調がたくましくなった伯爵は見慣れなくて、不覚にも狼狽えてしまったのですが、だんだんピースが当てはまっていくように、頭の中がスッキリしてきて…。
順番立てて整理してみましょう。
1、伯爵とユリアーナ男爵令嬢、婚約
〜中略〜
2、男爵家に多額の借金。
3、5年間の婚約期間。
ユリアーナ男爵令嬢、我慢の限界(?)
4、ユリアーナ男爵令嬢、伯爵の為を思い婚約解消。
このとき駆け落ち宣言。
5、男爵家没落
ユリアーナ男爵令嬢は、恋人と一緒にいる為ではなく、伯爵に借金その他もろもろの迷惑をかけまいと家を出た。
それは伯爵を思うが故の愛。
私は涙ながらの感動です。感涙。
ユリアーナ男爵令嬢、なんて素晴らしいお嬢様でしょう…!
「伯爵はユリアーナ男爵令嬢に感謝しましょう! 彼女のおかげで今の伯爵があるのです!」
「そうかもねえ」
「伯爵、今からでも遅くはありません。ユリアーナ男爵令嬢を迎えに行くべきです!!」
「どうして?」
「どうしても何も、彼女以上に献身的で行動力のある女性はいらっしゃらないからですよ!! お似合いです、私、たくさんお祝いします」
握り拳で伯爵を応援します。行け! 彼女を逃したらおしまいですよッ!
しかし伯爵はいまいち気乗りしなさそうに、えーなんて言ってます。
もっと頑張ってくださいよ!! こんなに背中押してるのに!!
「そうですよね、執事頭さんも、そう思いますよね!」
「いえ、私は…。さすがにあの額の借金の肩代わりは頂けません」
「これだからお金持ちは…!」
愛にお金は関係ないと言うのに、けちけちしちゃって。
伯爵は動こうとしないし、執事頭は反対しているし、叶わないのでしょうか。
「私、伯爵にはいいお嬢様と結婚して幸せになって欲しかったです…」
「私もそのつもりかな」
「ならばユリアーナ男爵令嬢です! レッツゴーです!」
「いやいや違うくて」
苦笑混じりにため息をついた伯爵は、私の前に騎士のように片膝を立てて座り、ポケットの中から小さな箱を取り出した。
待って待って待って待て待て待て待て!!!!
猛烈に嫌な予感がするのですがッ!
逃げを打とうとしたけど、手首をがっしり掴まれて敵いません。当然です。相手を誰だと心得るんですか。
「ね、アンナ。僕と結婚してよ」
「無理です!!」
「どうして?」
「み、身分が違いますし…」
「気にしない」
「わた、私美人じゃないです」
「うん、可愛いよね」
「おおおおおおお金がありません!!」
「言うと思った」
からからと笑う。なんて呑気でほだらかな。
あなた絶賛求婚断られ中ですよ?
掴んでいた手首を引き寄せて、その水仕事などで荒れた手に、大きさの割に重みのある箱を載せてきました。
伯爵は微笑んだまま。
くっそなんだその余裕腹立つ。
「言ったじゃないか。お金より愛って。アンナも認めたよね」
「み、認めましたっけ?」
目を泳がせる。
「うん。認めた。僕、君のためなら1000万フィルだって惜しげもなく払える気がするよ」
「なっ…」
首から上が全部真っ赤になって、熱を発して熱い。
この人には真面目な求婚なんて似合わないと思っていたのに、いざ目の前にそれがあると、その本気さにおろおろさせられる。
断ってもいいけれど、逃がす気はないと言外に告げられ、もう抗えないと判断した私は、ただ手のひらに載せられていた箱を、震えながら握り締めました。
「アンナアァァァァ!!」
「ひぃっ」
ガバッと力任せに締めあげられる。なんて力だ。死ぬ…ッ。
ギブアップの意思を伝えるために背中をバンバン叩くが、一向に相手にされない。
少しだけ腕の力が緩まったと思ったら、髪の匂いを嗅がれてる!?
やがて恍惚とした声と顔で…。
「…はあ、はちみつの香りだね」
「へ、変態ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
すっかり冷めた豚鍋は、また温めてもらって伯爵の手ずから食べさせられたのです。
お疲れ様でした!
いかがでしたでしょうか、ラブコメしてましたでしょうか!?
そこんところ1番気になってます。
してたよーと言って下さるお優しい方がいましたら、何かしらの方法で教えてください!←丸投げ
今回、書きたくても話の都合上書けない設定があったので涙を飲んだのですが、面白いと言って下さる方がいたら、できたらば続編とかも書いてみたいですねー。
ネタは有り余ってますので! ( *˙︶˙*)و
まあ、夢のまた夢でしょう(遠い目)
それでは、なんだか訳の分からないおはなしを読んでくださりましてありがとうございました!
ではでは、さらばですヾノ≧∀≦)o