雨降って・・・・・・ワンちゃん家!?
「……」
「……」
頭上からの雨が辛うじて入って来ない傘の下は、山型の傘に打ち付ける雨音ばかりが耳に付く。気まずい。無理もないよぉ、ワンちゃんと二人きりで並んで歩いて、しかも今にも肩が触れそうなくらい近い……。何を話していいかもわかんないし……。
「きゃん! きゃん!」
子犬だけが元気に声を上げて私とワンちゃんの腕から身を乗り出している。
「こら、落ちるだろ……」
ワンちゃんが優しそうな声で子犬に言いながら、傘を持っていない方の腕で子犬を抱え直す。
彼の声音は、そう、私の記憶に一番こびり付いている、さっきの公園での思い出の中と同じだった。
子犬のワンちゃんの腕の中で元気を持て余している様子を見た後にそのまま抱えているワンちゃんの顔も見てしまう。表情もなんだか、記憶のシーンとぴったり重なって、懐かしい……。
「……ん?」
じっと見ていると、ワンちゃんも私の視線に気づいたのか、私の顔を見返して、目が合った。
「あ……」
「なんだ?」
私に対しての口調は、ぶっきらぼうなまんまだった。
「あ、いやその……あ……くしゅん!!!」
ううぅ、寒い。
「もうすぐで着くから。着いたら姉貴の服かしてやる。乾くまで待ってろ」
「う、うん」
私たち、二人並んでこれからどこに行くかと言うと……。
着いた先の一軒家は、私が小さいころに訪れた風貌とほとんど変わっていない、少し大きめなシックな白い壁の少し色あせた二階建て。そして表札には「大神」とある。つまり、ワンちゃんの家だ。
「家近いから、乾かすか?」
さっき公園で出会ってから、びしょ濡れになった私に言ったワンちゃんの一言がこれだった。それに私は「え、あ……はい」となぜかあっさりと承諾してしまった。
いや、してしまったなんて言うけど、実際はちょっとだけ気になっていて……昔会ったワンちゃんのお姉ちゃんとか、お母さんとか、優しそうなお父さんにも久しぶりに会えたらいいなぁ、って思ったから「はい」って言ったくらいで……別にそんな、誘い方がちょっとワイルドな感じで「あ、なんかいいかも」とか思ったからとかじゃなくって……。
「きゃん!」
「わっ!?」
子犬の声に、私はもんもんとした言い訳地獄から我に返った。
「何ぼーっとしてんだ」
ワンちゃんが一歩先に歩いていて、私の後ろ髪に雨がかかった。
「あ、待って!」
慌てて追いかける。何はともあれ、久しぶりの友達の家なんだから、きちんと礼儀正しくしなくちゃ……。
玄関の庇にはいると、雨音は少し遠くなった。替わりにどきどきと私の心臓の波打つ音が雨音をかき消すくらいに高鳴る。
がらっ、とワンちゃんが戸を開ける。明かりのついていない薄暗い家の中から、きゃん! と可愛らしい子犬の鳴き声がした。ブーと、豚の鳴き声もする。ニャーと猫の鳴き声、ワン! と勇ましい大型犬の鳴き声、キュルキュルキュルっと……あれ、これ何の鳴き声? っていうか、なんかめちゃくちゃたくさんの動物の鳴き声が聞こえてくる!?
「姉貴!」
玄関の中に入るワンちゃんに続いて、私も家におじゃまする。
「おじゃましまーす」
肩をすぼめて玄関に入ると、廊下の向こうからどたばたと足音が聞こえてきた。
「ブーっ」
ミニブタが、てとてとと走ってきた。
「ぶ、豚っ!?」
私の足もとに近づいてきて、すんすんすんすんと鼻で息を吸いながら、ときどきぶひっと音を洩らすミニブタ。なんだろう、小っちゃいから可愛いけど、もしかして私警戒されている?
「おかえりー一和ー……あれぇ、もしかしてって思ったけど……お前、ついに女を連れて帰って来たか!?」
次に廊下の左側部屋から顔を出したのは、黒縁眼鏡を掛けたお姉さん。にやにやと笑う顔は明らかにワンちゃんを茶化していた。
「ちげぇ……バカ」
「なにがー? 違わないじゃないか。こうやって濡れ濡れのかぁわいー女の子を連れて帰るだなんて……って、あれ?」
私と目が合うと、お姉さんはくてん、と首をかしげた。
「あれ、あれれ? 君って、もしかしてさー、会ったことある?」
お姉さんが私の方に近づいて来た。
「はい……お久しぶりです。千和さん」
彼女の名を呼ぶとぱぁっと花開くように笑顔になった。
「うっひゃー!! ひっさしぶりだねーカナちゃん!!」
私がおじぎをした後に、ワンちゃんのお姉さん、千和さんが私に飛びつくように抱き着いて来た。
「うわっ! ぬ、濡れちゃいますよ、千和さん」
びしょびしょな服のせいで千和さんの部屋着を濡らすなんて申し訳ないと、慌てながら口にしたけど、それでも千和さんはお構いなしに抱き着きっぱなしで、むしろ回した腕の力を強めたくらいだった。
「構わないよ、それぐらい。だって、十年ぶりにカナちゃんに会えたんだからー、うーん、ハグッ!!!」
思いっきり千和さんに抱き着かれる。ちょっと、痛いよ千和さん。
「着替え貸してやってくれ」
私が千和さんに抱き着かれている間に、ワンちゃんは靴を脱いで上り框を上がっていた。ワンちゃんの足もとにさっきのミニブタが体を摺り寄せいている。
「ははー、そう言う魂胆で連れて来たのねー。下で着替えてもらうから、覗きに来ちゃだめだぞ!」
ぴん、と人差し指を伸ばしてワンちゃんに向ける千和さん。
「誰が覗くかよ」
ふんと、鼻を鳴らし、ワンちゃんは肩をすくめながら答えてる。そのまま、彼は廊下の先へと歩き出した。
「姉貴、今日の晩飯は?」
ワンちゃんが廊下の先にある二階への階段を登る際、思い出したように千和さんに聞いた。
「今日はカルボナーラ!」
「分かった。じゃ、よろしくな、カルボナーラ」
と、ワンちゃんは階段を登りながら、腕に抱いた子犬に話しかけた。……もしかしてそれ、犬の名前?
「わん!」
子犬の方も納得したように嬉しそうに鳴いた。ここに、子犬のカルボナーラちゃんが誕生したみたい……ワンちゃん、そのネーミングはどうなの?
「はは、一和は昔からあんな感じじゃないの」
千和さんも笑いながら、階段を登って行くワンちゃんを見送っていた。
私は千和さんに居間へ通されて、千和さんの用意してくれた服に着替える。
「じゃ、制服は乾燥機に掛けといたよー」
ピンクのジャージに着替えている最中に居間の扉を開かれて千和さんに見られていた。ジュッと見られると流石に同性と言えども恥ずかしいな、それに……。
「ぶーぶー」
「わんわん!」
「にゃー」
「きゅるきゅる」
居間に、多種多様な鳴き声がこだまする。大型犬、ミニブタ、猫、そしてカピバラ。みんないつも見慣れていない他人が来たためか、興味津々に着替え中の私を見ていた。そんなに見ないでよぉ……人じゃなくても恥ずかしいんだから……。
着替え終えると、私の足もとにさっきのミニブタが寄り添ってきた。
「ぶーぶー」
なんだか撫でて欲しそうに、私を見上げている気がする。
「よしよし」
恐る恐る頭を撫でてあげると、ミニブタも嬉しそうに目を細めた。
「おーおー、良かったねーブタタマ君。うら若い乙女に撫でてもらえるなんて……」
「う、うら若いって千和さん。千和さんともそんなに年齢変わらないですよ……っていうか、この子の名前も……」
「そう! もちろん、名付け親は一和だよ。ちなみにねー、あそこの猫がオムライスで、ゴールデンレトリーバーがギョーザで、カピバラがチャーハンね。みんな一和が名づけたの」
「み、みんなことごとく食べ物の名前……」
そのネーミングセンスはどーなのよ、ワンちゃん。
「ま、みんなみんな拾ってきた日の夕食をそのまま名付けてるからなんだけどね」
あ、安易な名付け方……そう思いつつも、
「みんな拾ってきたんですか?」
そっちの方が私は気になって聞いた。
「そう。みんな一和が見つけてね。あーゆーの見ると放っておけないみたいなのあいつ。あーんな見た目に変わっても、昔から動物好きなのは変わんないのよ」
あ、確かに言われてみると、昔からワンちゃんは動物好きだった。良くリードの外れた犬に顔舐められてたなぁ。でも、確かうちじゃお母さんのアレルギーが酷いから飼えないっていつも言ってたような……。
「あ!」
「んー? どしたのカナちゃん」
「そう言えば、私まだおじさんやおばさんに挨拶、してませんでした。こんなに上り込んでいるのに……ちゃ、ちゃんとあいさつしないと駄目ですよね」
すっかり忘れていたけど、乾燥機も借りたりと随分ご厄介になっているし、それに久しぶりに顔を見せていたいとも思う。昔からお世話になっていたし……。
「あー、それね……」
でも、私の申し出に千和さんは渋い顔をしながら、さっきまでとは打って変わって重々しい言葉で続けた。
「もういなんだ。父さんも、母さんも」
「……えっ……あ、その、ごめんなさい、変な事言っちゃって……」
「あーいや、別に気にしなくっていいんだよ。もう随分前のことだし。一和は、そう言うこと言ってなかったんだね」
私は深く頷いた。
「まぁ、そっか。アイツが一番ダメージ受けたんだもん」
「そう……なんですか」
記憶の中にかすかに残っている、私に優しく接してくれたおじさんとおばさん。あの二人が、もういないだなんて……。
「いないって言ってもね、親父はまだどこかで生きてるよ。母さんは死んじゃったけど……。一和がグレ始めたのも、母さんが死んでも帰ってこなかった親父に対する怒りや鬱憤を晴らすためなんだよね……」
「……ワンちゃん……」
しんみりとした空気が流れて、それを察したのか動物たちもしゅん、と静かになった。
「ま! そんな単純な理由でグレる一和も一和で単純な馬鹿なんだけどね!」
暗い空気を吹き飛ばすように千和さんが明るく振舞って、ゴールデンレトリーバーのギョーザくんを撫でていた。
「た、単純って……」
「そうよ、一和は単純なの。こんなに動物を連れて帰ってくるのも、動物に対する同情もあるかもしんないけど、ホントは自分が一番寂しいから、それを紛らわせるためよ。ね、単純でしょ?」
「……かもですね」
ワンちゃんはワンちゃんなりに、今はその悲しみを乗り越えようとしているのかな。こんなに動物に囲まれて……もしかしたら、動物を利用しているっていう見方もできるかもしれない。はは、このみちゃんに感化されちゃったかな?
「でもね、変わってない所も実はまだあるのよ。あいつ、今何やってるか教えてあげよっか?」
「え?」
「毎日毎日、学校からすぐに家に帰って、アイツは夜遅くまでこそこそと……」
「ち、千和さん、も、もしかして……」
千和さんの言い方だと、なんだかとっても悪いことを……。
「……勉強してるのよ」
「……へ? 勉強?」
「そう、勉強」
物々しい言い方とは裏腹なひと言に私はついつい素っ頓狂な声を上げてしまった。
「ね、昔と変わんないでしょ?」
「昔も、ワンちゃん勉強頑張ってましたね、そう言えば」
「親父が教師だったし、勉強を頑張れっていつも言われてたから。でも、そんな親父がいなくなった今でもああやって勉強してんのよ」
「勉強しろとか言われないでも自分でやるってすごいですね」
私には無理だ。自分で言ってて空しいなぁ……。
「それでさ、その理由がね。アイツの部屋を漁っていたら見つけちゃったのよ」
「何をですか?」
「……大学の獣医学部のパンフレット。一和、獣医目指して勉強してんの!」
「それ、すごいじゃないですか」
「さぁ、獣医になりたい理由、一和の立場になって考えて御覧?」
千和さんに言われて、少し考えてみる。
「寂しさを和らげてくれた動物達に恩返しするため?」
千和さんが私の答えに拍手をする。
「そう! 絶対にそれ! それ以外に考えられないじゃない? ほんとに、単純よねーうひゃひゃひゃ」
「あ、ふふ。確かにそうですね」
千和さんが笑うとつられて顔がゆるんだ。単純だけど、すごいなワンちゃん。「身勝手な人間」このみちゃんはそう言っていたけど、ワンちゃんみたいに動物のために生きよう、少しでも助けられる命を助けようと思っている人はいるんだ。
「おい」
私が感心していて、千和さんが笑っていると不機嫌そうに眉間にしわおよせたワンちゃんが居間の戸を開けて顔を覗かせた。
「何人のこと笑ってやがんだクソ姉貴」
「あ、単純一和」
「るっせー!」
……ワンちゃん、ホントに単純だ。
「乾燥終わったぞ」
「ホント? ありがとう、伝えに来てくれて」
「……ちっ、ほらさっさと着替えろ。送ってってやるから」
私がお礼を言うと、ワンちゃんは顔をそむけてそう言ってくれた。
「うん」
私は笑顔で返事を返した。
「うわー。一和が送って行くだなんて……やっぱりぃ、一和ってば……変わってないところ、他にもあったんだねー」
千和さんがにやにやしながら立ち上がる。
「どこがだよ」
「いーのいーの。そんなことより、カナちゃん着替えさせるから、男はさっさと外で待機しておく!」
千和さんがワンちゃんを回れ右させて、背中を押して居間の外に追い出した。
「おい! 馬鹿姉貴! 押すな! つーか、俺が先に外に出て待ってる必要ないだろっ!!」
「いーのいーの! 私の言うとおりに待ってなっさーい!!」
ワンちゃんと千和さん。例えワンちゃんがあんなふうになっていても、その理由もしっかりと分かっていて、ワンちゃんも残った唯一の家族として千和さんを信頼しているみたい。二人とも、昔から変わらない仲のいい姉弟で、兄弟のいない私からすると、とても羨ましい。
ところで、千和さんがさっき気付いた、ワンちゃんの変わっていないところって、どこだろう?
ども、作者です。予約掲載がとっても便利。続けることの難しさと大切さを切実に感じております。




