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露草  作者: くろぬこ
4/7

―心―

遠方の海。

新三郎は災難に海へと沈む。

その手に握られていたのは、一本のかんざし

 


「これを、俺が」

 

「おめぇさまが、波に洗われて倒れているのを見つけたのは確かに真砂まさごだ。直ぐにわしらを呼びにきて村まで運んだ。そん時に左手にしっかりと握っていたのがそいつでさぁ」

 

 西の果て、小さな港の貧しい村で一人の男が波打ち際に倒れていた。

 通りがかった村の娘、真砂がそれを見つけ村の男達で運んでみると、姿のいいその若侍は静かに目を開けた。


かんざし。どうしてこんなものを、しかもこれは……銀、か」

 

 目覚めた男は、何故其処に居るのか己が誰であるか、普通に話し、其処に在るのに肝心要かんじんかなめな事はすっかりと頭から消えていた。

 何もわからぬまま気のいい村人達の厚意に甘え、日々を過ごしていたがある日、村長でもある真砂の父松蔵に此の簪を渡されたのである。


 簡素なつくりだが趣味のいい、先の方には小さな花をあしらった飾りが付いている。

 

「どうです、何か思い出しやしたか」

 

 覚えがある、ようであって全く無い。新三郎は手にとってしげしげと眺めていたが、すっきりとは何も思い出せなかった。

 だが、何故だかその先にある小さい花の飾りを見ていると、胸が揺らぐのを感じていた。

 

 

「どう見たってそいつは女物、しまいこんだはいいがどうにも真砂がそいつを隠しているように思えてなんねぇんです」

 

「真砂が、なぜ」

 

「親の目から見てもわかるほど、真砂のやつは……。旦那、あんたに惚れてやす」

 

「俺に」

 

「こんな田舎の寂れた村に、あんたさんみたいな姿のいい男が現れたんだ。

 無理もねぇ話でさぁ」

 

「村の衆みなの親切、本当に感謝しております」

 

「いやいや、わしらは当たり前のことをしただけ。だが、わしはどうにも娘が不憫で」

 

 浅黒い顔を少しだけ歪め眉をひそめて寂しげに笑う松蔵。


 自分の倍の人生を歩んできた此の初老の男が、苦しそうに一つ一つ言葉をこぼしてゆく。

 

 新三郎は胸の詰まる思いに眉根を寄せ俯く。膝に置かれた己の拳を、硬く、強く、握りながら。

 

「だって、そうでやしょう。そんな簪をしっかり握ってなさるのは、好いた女子おなごがいるにちげぇねぇ。へたすりゃ、女房子供だっているかもしれやせん」


 その言葉に思わず顔を上げ問い返す。

 

女子おなご……。俺に、女房子供が」

 

「わかりやせん。わかりやせんけどもさぁ。このまんま真砂があんたとどうこうなっちまったりしたらって思うと。すいやせん、かかぁを亡くしてわしにはもう、あいつしかいねぇんです」

 

 潮に焼けた逞しい大きな身体を小さく丸めて、膝をぐっと握り締める松蔵を新三郎は、まっすぐに見つめる。


 逆巻く波のまにまに打って出ては、驚くほどの大きな魚をもり一本で討ち取ってくる此の勇敢な漁師。


 だが今、目の前の男は娘の行く末を案ずるひとりの父。

 命を救ってもらった此の大恩人達が、かような事に悩み苦しんでいたのかと考えるうちに、新三郎は堪えきれずに涙を流す。


 そんな新三郎の様子に、松臓も声を掛ける。

 

「旦那ぁ」

 

「す、すまん。どうも俺は、生来せいらいの泣き虫らしい。案じてくれるな。大丈夫だ」

 

「旦那、すまねぇ」

 

「その様に云ってくれるな。命を救われ、世話をかけた。明日には、いいや、今すぐ旅立とう」

 

「そいじゃぁ、何か思い出されたんでっ」


 松臓が、ぐっとのり出す。

 

「いや、そうではない。だが、望みが胸にわいてきた。此の簪、いまだ何も思い出せぬが、大切なものだった。そのように思えるのだ」

 

「そ、そうですかい」

 

「うむ。こうして話を聞いたからでは無く、俺には待たせているものが居るような気がしてならぬ」

 

「そ、そうですかい。そうですかい。

 そいつぁよかった」

 

 申し訳の無い思いで心がつぶれるように松蔵は感じた。


 自分の名すら思い出せぬこの若者を、娘のために村から出そうとする。

 娘可愛さとはいいながら、男として人として、本当にこれで良いのか。

 

 だがしかし、松蔵にはもう一つの思いがあった。


 もし、もし此の男も娘の真砂を好いてくれ、身分を捨てて村に残るといってくれたなら――

 

 そうして賽のさいのめきちとはでなかった。

 

「旦那のお召し物、真砂がつくろっておりやした。流石にあっしらには、御腰の物までは御用意できやせんでしたが」

 

「いいや、何から何まで甘えてしまった。此のご恩、決して忘れるものか」

 

 新三郎が手を付いて深々と頭を下げる。松蔵も目頭をぐっと押さえるように手を顔に当てて頭を下げる。

 

 支度を整え、銀の簪を懐深くしまいこむと、何処へ良くとも当てのない旅に立つ。

 


 まずは、江戸へ――


 何故だかそう心に思い立ち、江戸へと向かうと決心をする。

 

 人知れずそっと街道に向かい浜を歩いて行くと遠くから呼びかけられる。

 手を振りながら、若鮎のような肢体を弾ませ海女姿の娘が駆けてくる。

 

 すらりとのびた美しい足が白い砂を走る。

 

 近づき、勢いあまってか、そのまま新三郎の胸へと飛び込む。

 思わず両腕でそれを受け止めた新三郎であったが、直ぐに体を両の腕でそっと離す。

 

「っはぁっはぁ。――ん、はぁぁ、旦那ぁ~っ」

 

「真砂……」

 

「旦那っ、酷いっ。

 何にも言わずに行こうとするなんて――」

 

「す、すまん」

 

 冬だというのに海に潜る。

 濡れた髪ではつらつとした笑顔を見せる此の乙女は真砂。

 くりくりとした大きな瞳が真っ直ぐと新三郎を見つめる。

 はちきれんばかりの瑞々しい肢体は、冷たい海の水まで熱く滾らせるように魅惑的である。

 

「まったく、腰に刀も下げないで、お侍が何処へ行こうって言うんです。おとっつぁんたらっ。全く心配性なんだから――」

 

「――すまん」

 

「なぁにあやまってるんですよぉっ。おとっつぁんは考えすぎ。簪、隠したりなんてしてませんよ。溺れてるっていうのにあんなもの握り締めてる人なんて、こっちから願い下げですよ」

 

 はしゃぐように新三郎の胸を一つ叩く。

 

 だが、触れた拳が小さく震えている。しばらく俯く肩が細かく揺れる。

 

「真砂」

 

 勢いつけてまた真っ直ぐに新三郎を見つめるその瞳は、大きな黒い真珠のように濡れている。

 

「なんですか、それとも、真砂が惜しくなって、やっぱり村に留まりますか。旦那の一人や二人、浜一番の海女あまのあたしがいくらだって食べさせてあげますよっ」

 

 見上げる瞳に泪が滲んで見えた。新三郎は言葉に詰まる。


 そんな男の胸の内を知ってか知らずか、娘は軽く噴出しおどけてみせた。

 

「なぁに、困った顔してるんですかっ。冗談に決まってるでしょう。そうだ―これこれ。これを渡しにきたんだっけ」

 

「渡す……? まだなにかあったのか」

 

「そうじゃなくって、こ、れ」

 

 差し出し開かれた掌には、大きな白い真珠の粒が三つ乗っていた。

 

「これは」

 

「この先の宿場にね、竹屋っていう小間物屋があるから、そこで真砂から預かったっていえばお金に換えてくれます」

 

「金に……し、しかしっ」

 

 戸惑う新三郎に真珠の粒をぐっと握らせると、その拳をそっと大切そうに両の手で包む。

 

「いいからっ。餞別せんべつです。これでちゃんと刀を差して、街道は物騒ですからね」

 

「真砂」

 

 

 自分を見つめる此の乙女に、己を捧げる事ができたなら。


 命を救い、これほどまでに思ってくれる女子おなごを置いて、自分は何処へ行こうというのだ。


 だが一度旅立ってしまった心はもう後には戻れなかった。


 何かが胸を、背中を押し立てる。


 

 ――江戸へ、一刻も早く江戸へ――と

 


「真砂。すまん。お前の心、決して忘れぬ。俺の不義理を許してくれっ。俺は、俺は」

 

 言葉を続けようにも涙が流れてとまらなかった。

 真砂は静かにふっと微笑むと、そして幼子をなだめる母のように新三郎の腕をさする。

 新三郎が思わず抱きしめようとするとするりと後ろへ下がって避けた。

 

「濡れちまいますよ。まったく。泣き虫なんだから。しっかりしてくださいな」

 

「う、うん」

 

 そんな風に此の若い娘にたしなめられながら、新三郎は何か懐かしいものを感じた。

 

 そうであった、確かに自分には、このように優しくたしなめてくれる愛しいものがおったのだ。

 

――きっと、全てを思い出せる――


 新三郎は、真砂に優しくさすられながら、うん、うんと何度も首を振ってうなずいていた。

 

 

台本を小説に直しております。

台本としてのご使用はご遠慮ください。

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