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Play ball again!  作者: 飛鳥 梨真
第3章 八月四日 土曜日
7/18

3

 開会式は定刻通りに始まり、滞りなく進行される。

 入場行進の間、同行者の大半が母校の出番以外の時間を他愛もないお喋りに費やす中で、水奈は四十九代表校全ての行進を見続けた。

 彼女は開会式の中でも、この入場行進を見るのが一番好きだった。腕を大きく振り足を高く上げる、ぎこちなくも統率のとれた行進。その整然とした動きに、これから始まる大舞台に緊張しつつも期待に胸を膨らませている選手たちの純粋な熱気が表れているようで、日々溜まっていく自分の心のくすみが洗い流されるような気がするのだ。


 ちなみに隣の文彰からは、その間ひと言も声をかけられなかった。水奈と同様に、彼も不要な言葉を発さないまま入場行進に見入っていたようだ。決して彼女自身が声をかけるなと言ったわけでも、ましてそういった空気を発していたわけでもない。それでも彼が話しかけてこないのは、今の彼女には非常にありがたかった。


 やがて代表校全てがグラウンドに出揃い、全体でホームベース付近に設置された演台の前まで進むと、大会歌奉唱、開会宣言とお偉方のスピーチ、優勝旗返還、選手宣誓――とお決まりの内容が続いて行く。スタンドにいる水奈たちも、式の進行に従って起立したり拍手したりと何かと忙しい。


 そうしてあっという間に開会式の全ての内容が終了し、選手の退場を告げるアナウンスが場内に響き渡ったところで、留美が綾音に声をかけているのが水奈のところにも聞こえてた。

「これで開会式終わったけど、この後どうすんの? 同期会は夕方からやし、まだまだ時間あるやん」

 つられて水奈も腕時計に目を落とす。時刻は午前十時を回るか回らないか程度。同期会が何時スタートだったかは覚えていないが、留美の話を聞く限り、確かに時間は有り余っているように思える。


 綾音はしばし唸っていたが、やがて「よし」と言うと、再び引率の先生よろしく声を張り上げた。

「んじゃあ、このまま三宮にでも行くかー」

「え、三宮……?」

 綾音の宣言した行き先を聞いて、水奈は改めて自分の装いを見下ろした。


 三宮と言えば神戸市の中心であり(少なくとも水奈はそう思っている)、関西有数のお洒落な街であることは言うまでもない。駅ビルにもその周辺にもこれでもかと言わんばかりにショッピングモールが点在し、道行く人々――特に女性――の服装は、どれをとってもファッショナブルな物ばかりだ。

 そこに、麦わら帽子にクーラーバッグを提げたこの格好のまま出かけていく自分を想像して、彼女は今さらながら服装を間違えたと後悔した。良く考えてみれば、開会式の後にそのままどこかへ出かけることなど、容易に想定できたはずだ。それを視野に入れず、熱中症対策のみに気合をいれた自分の読みの甘さを、つくづく水奈は呪いたくなった。


 隣にいる文彰に「ちょっとごめん」と言い残して、彼女は綾音に近寄って行った。

「綾音ごめん」

「ん? 何?」

「三宮行くんやったら、あたし家戻って着替えてきたいんやけど……」

 水奈の言葉に、綾音は彼女の服装をじっくり見る。それから考えるような調子で言葉を発した。

「まぁ、確かにあんたの気持ちもわからんではないか……。うん、ええよ。せめてその麦わら帽子とクーラーバッグは置いてきいな。どうせここから三宮まで電車で行っても二十分そこそこや。同期会までカラオケで暇つぶししよと思てるけど、店自体が開いてへんかもしれんから、多分街中ブラブラしてると思うわ」

「わかった、勝手言うてごめんな」

 そう言って水奈はその場を後にしようとする。


 が、動き出す前に綾音に腕を掴まれた。

「ちょい待ち」

「え?」

 止められた理由がわからないまま、水奈は彼女を見返す。その水奈の目をじっと見つめて、綾音は口を開いた。

「あんたさ、今日の同期会結局どうしたん?」

「あー、そういや連絡入れてへんなぁ。もう欠席でいいかなーって気はしてるけどな」

「やっぱしそうか。まぁその服装見れば、あんまし行く気ないんかなぁとは思ってたけど……」

 何を言われるのだろう。連絡をしなかった無責任な態度を責められるのだろうか。


 しかし綾音は彼女を責めることはせず、代わりに何か企んでいるような笑いを浮かべて言った。

「どうせ着替えてくるんなら、浴衣とかにしたらどや? そんで、夜道島と神戸の花火大会見に行くとか」

「はぁっ? 真っ昼間から夜まで浴衣着て過ごせ言うん?! って、ツッコミどころはそこやないか。何よ、道島と花火って……」

 困りきった表情で呟く水奈に、笑いながら綾音は畳みかける。

「まぁ浴衣はいいとしても、花火大会は行ってもいいんちゃうかなと思うんやけど」

「だから何でやの……。て言うか、綾音良からぬこと企んでるやろ……」

「さぁ。何のことやら」

 彼女は水奈から視線を外して、あらぬ方向を眺めた。素知らぬふりを決め込むつもりらしい。

 そんな友人を前にして、水奈は嘆息混じりに呻いた。

「ったく……。とにかく一旦家帰るわ。その件はひとまず保留にさして」

「保留、なぁ……。まぁええわ。はよ行ってき」

 意味深な笑いを浮かべる綾音には構わず、水奈はその場を後にする。

 その背後から、綾音の呼びかけが聞こえてきた。

「三宮着いたら、連絡ちょうだいなー」



  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 甲子園を後にした水奈は、最短で帰宅するとクローゼットに直行した。

 一瞬先程の綾音の話がよぎり何を着ようか迷ったものの、すぐさまそれを払いのける。衣装ケースからキャミソールと七分丈のレギンス、そしてハンガーラックから胸下切り替えのチュニックワンピースを取り出すと、彼女は即座にそれらに着替えた。


 ちなみに今家にナオヤはいない。行き先は判らないが出かけたのだろう。朝方出かける前にどこに行くか訊いておくべきだったと思ったが、今さらそんなことを言ってもしょうがない。


 荷物をトートバッグから仕事以外の外出に使っているかごバッグに入れ替えると、水奈はそそくさと家を飛び出した。最寄駅までの道を早足で歩きながら、乗換案内のサイトで三宮までの最短の行程を調べる。

 その結果を綾音にメールで連絡し終えた頃には最寄り駅に到着。ちょうどホームに入ってきた電車に乗り込み、ようやく彼女はひと息ついた。


 落ち着いてみると、再び先程の綾音の話が思い出される。あの時は混乱していたのと急いでいたので気にもしなかったが、冷静になってみるとなぜ自分があの話を保留にしたのかがわからなかった。

(無意識にあの話に魅力を感じてたとか……? まさかな……)

 そう否定してみるものの、全力であの話に抗うことができるかと問われれば、イエスと断言できる自信はない。


 思えば、二日前に文彰からメールが届いて以来、水奈は時間があれば彼のことばかり考えていた。仕事の休憩時間にメールのチェックをするのも、全て彼からのメールが届いているかを確かめる為。そして何より、今日の開会式に参加を決めたのも、文彰が参加すると言ったことが最後の一押しになっている。

 これではまるで――

(まるで道島に片想いしてるみたいやんか……)

 その結論にたどり着いた彼女は、大きく溜息を吐いた。

 知るべきでなかったことを知ってしまったような後ろめたさが、彼女の心を支配している。誰に対しての後ろめたさかは言うまでもない。最近彼女の家に寄りつかなくなったナオヤに対してだ。


 そこまで考えた時、彼女を乗せた電車は終点の駅に到着した。三宮へ行くには、ここから別の電車に乗り換えなければならない。

 何やら三宮に行くべきではない気すらして、水奈は重い足取りで電車を降りた。ホームを歩いて上りのエスカレーターに乗り、そこから更に歩いて『①②神戸線(神戸方面)』と書かれた看板の下の階段を下りていく。


(タイミング良く電車が来なかったら、行くのやめよかな……)

 そんなことを考えてみたが、生憎一番線には既に三宮行きの各駅停車が停まっていた。さらに、彼女がホームに降り立つのを見計らったかのように、二番線にも三宮方面行きの特急電車が滑り込んで来る。

(何が何でも行けいうことかいな……)

 朝の晴れ晴れとしたテンションはどこへやら、鬱々とした気持ちを引きずって、水奈は特急電車に乗り込んだ。

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