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Play ball again!  作者: 飛鳥 梨真
第4章 八月七日 火曜日, 八月八日 水曜日
16/18

4

 意を決して、水奈は床に散らばった物を拾い始める。

 手近な所に落ちている数本のペンを拾い、後ろのカラーボックスを振り返り――

「あれ……?」

 思わず声をあげた。カラーボックスの上にあるはずの、アルミのペン立てがない。

(どこ行ったんや……?)

 そう思いながら視線を床へと下げていくと、ちょうどカラーボックスの左側十センチ程のところに、ペン立てが転がっていた。

(そうか。さっきカラーボックスにぶつかった時に、転がって落ちたんか……)

 よくよく考えてみれば、不自然な話ではない。何せ、床にはその中に入っていたペンやら文房具やらが散乱しているのだから。


 カラーボックスの横からペン立てを拾うと、彼女は手元のペンを中に入れて元の場所に戻す。

 その時、置いたペン立ての横にあった物が、彼女の視線を捉えた。

 こげ茶色の枠のフォトフレーム。ただし、本来立てて使うべきであるそれは、写真を収めた面を下にして、寝かせた状態で置いてある。まるで中の写真を隠すように。

 それをやったのは水奈だった。ナオヤの浮気を疑い出した頃から、そのフォトフレームを伏せて置くようになったのだ。


(見たくなかったんよね、この写真……)

 そんなことを考えながら、なぜか彼女はフォトフレームを数か月ぶりに立ててみる。

 中の写真は、真っ青な空と海を背景に、ビタミンカラーのトロピカル柄サーフパンツを履いたナオヤと、白と紺色の細かいドット柄の、ホルターネックビキニを着た自分のツーショット。昨年の夏、初めて二人だけで海水浴に行った時に撮った写真だ。満面の笑みで自分の肩を抱いている彼は、いかにも女性慣れした軽い男性に見える。かたや、そんな彼に肩を抱かれている自分は、恥ずかしそうにしながらもどこか嬉しそうだ。


(何このチャラい感じ……。何であたし、こんなのに引っかかったんやろな……)

 いつだったか綾音に言われたのと同じようなことを思いながら、水奈は部屋の入口へと視線を移す。彼がそこからひょっこり現れるのでは――そんなことを無意識に期待していることに気づき、彼女は自分自身にあきれ果てた。


「んなわけないやん。自分で追い出しといて、なんて都合のいい……」

 そう口にして、不意に彼女はこの部屋の中に一人であることを自覚する。それと同時に、言いようのない孤独感が彼女を襲った。

 一方的に決別宣言を告げられたナオヤは、きっともう戻ってこないだろう。そうなれば、自分はまた一人でこの部屋に住むことになる。元々一人で住んでいたのだ、最初の状態に戻っただけと思えば何一つ問題はない。

 それなのに――

(なんやろうな、この恐怖感……。あたしは何を恐れてんの……?)

 自問して、すぐさま水奈はその答えに思い至る。

 二十四年生きてきて、初めてできた彼氏。求めるばかりだった自分を、初めて求めてくれた人。彼がいなくなったら、二度と自分には彼氏はできないかもしれない。そうすれば、自分はまた独りぼっちだ。それが怖くて、今まで何があっても自分から切り捨てるようなことをしてこなかったのに、一時の感情の爆発で自らその事態を招いてしまった。


(なんてことしたんや、あたし……)

 自分の行いの意味を改めて悟った水奈は、その場に崩れ落ちると、今度こそ声をたてて泣き始める。自業自得なのだから泣く権利などないのだろうが、それでも涙を止めることが出来ない。頬を伝う涙は、彼女の膝の上に乗せられた笑顔のナオヤと自分の写真の上に落ち、いつしかそこに水たまりを作っていた。


 小一時間ほどそこで泣き崩れていた彼女は、やがて涙を拭うと膝の上の写真立てを裏返す。コルクのような風合いの台紙を取り外し、中の写真を取り出すとゴミ箱へ向かってその前に座り込んだ。

(さよなら……)

 そう心の内で呟き、水奈は持っていた写真を勢いよく破る。最初は自分自身とナオヤの間で真っ二つに、それから二枚になった写真を重ねて半分、それも重ねて更に半分に。

 そうして同じようことを何度か繰り返していくうちに、彼女の手の中から写真は消え、代わりにゴミ箱の中に数分前まで写真だった紙屑の山ができた。


 しばしその紙屑を無感動に眺めた彼女は、立ち上がるとフラフラした足取りでベッドへ向かう。そのままベッドへ倒れ込むと、枕に顔をうずめた。部屋の片づけや夕食など、しなければならないことが一瞬頭をかすめたが、全部後回しだ。一度脱力した体を起きあがらせる気力など、今の彼女には残っていない。

(なんかもう、なーんもかんもどうでもいいわ……)

 そんなことを考え、彼女はゆっくりと目を閉じた。



  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 遠くから小さく聞こえる女性ヴォーカル。その音で水奈は目を開く。

「……ん……あれ……?」

 のそりと体を起こして見回せば、窓から差し込むのは明るい朝の陽射し。

(あー、あたしあのまま朝まで寝てしもたんか……)


 時間を確認しようとして、手元にスマートフォンがないことに気づく。そういえば、先程聞こえていた女性ヴォーカルの楽曲は、彼女がいつも目覚まし代わりのアラームに使っている物。そしてそれを鳴らしていたのは、彼女のスマートフォンだ。


(そういやあたし、スマホテーブルの上に置きっぱにしてたんやっけ……)

 そんなことを考えながら、散らかった部屋を横目に洗面所へ向かう。思えば、昨日は散らかった部屋も片付けなければ夕食も食べず、シャワーを浴びるどころか化粧すら落とさず寝てしまっていた。


 洗面所の鏡に自分の顔を映して、水奈は思わず顔をしかめる。

「うわー、ひっどい顔……」

 涙で落ちたマスカラがまるでくまのように目の下を縁取り、散々泣いたせいか目は若干腫れぼったい。よくよく見れば、瞳も赤く充血している。


(なんつーか……人前に出られる感じやないな……)

 小さく頭を振って再びベッドに戻ると、彼女はへりに腰かけ体だけを横に倒した。

 マスカラは顔を洗えば落ちるし、腫れぼったい目も充血した瞳も時間がたてば元に戻るのだろう。しかし何よりも、今の彼女の精神面は人前に出られる状態ではない。それが影響しているのか体も重い気がするし、おまけに心なしか腹部に痛みも感じる。


(休むか、今日の仕事……)

 精神的な理由で仕事を休むのはズル休みに近い。良心の呵責には苛まれるが、それでもどうしても職場へ行く気にはなれなかった。


「神様、明日から性根を入れ替えて頑張るので、今日だけは許して下さい」

 いるかどうかもわからない神にそんな言い訳めいた祈りを捧げると、彼女はスマートフォンを取りにテーブルへ向かった。電話帳アプリの中から職場の番号を選び、その数字をタップして電話をかける。

 数回の呼び出し音と、その後に聞こえる女性社員の声。その社員に向かって水奈は言う。

「おはようございます。十時からのシフトの布柄ですが――あ、はい、そうです。ちょっと体調がよくないので、今日お休みさせていただきたいのですが……」

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