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Play ball again!  作者: 飛鳥 梨真
第1章 八月一日 水曜日
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 ホームに発車を知らせるメロディーが鳴り響く。

 それを車内で聞きながら、彼女――布柄ぬのえ 水奈みなは背中を座席の背もたれに預けた。

 パフスリーブのブラウスにクロップドパンツ、ウェッジサンダルを履き、膝の上にはショルダーバッグ。若干幼さの残る顔立ちも手伝って一見学生のように見えるが、彼女はれっきとした社会人だ。


(夕方やのに、なんでこんな暑いんやろ)

 腕時計に視線を落として、水奈は心中でぼやく。


 この時期の大阪は、店舗内以外どこを歩いていても暑い。

「地下道なら陽射しが遮られるから、屋外よりは涼しいだろう」

 なんて考えは大間違いだ。冷房の効かない場所など、風が通らない分逆に蒸し暑かったりする。

 現に、地下道を歩いてきた彼女は、冷房の効いた車内で五分程座っているにも関わらず、いまだに汗を拭うハンカチを手放せずにいた。


(これやから、夏はキライやねん)

 背中にベッタリと貼りついた服の感覚に顔をしかめつつ、しかし座っている時ぐらい脱力したいと思いながら、彼女は動きだした電車の窓から外を眺めた。



  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 水奈は今、大手家電量販店のカスタマーセンターで、修理受付の電話受信スタッフとして働いている。雇用形態は派遣社員。今の職場で働く前は、大型小売店舗で婦人服の販売員をしていた。しかしそれとて、新卒で入社した企業ではない。


 彼女は新卒で入社した企業を、一年そこそこで辞めていた。理由は簡単、「自分には合わなかったから」だ。

「四年生大学出身でも内定をもぎ取ることが難しいご時世、内定が取れただけでも万々歳」

 などと言えば、そんな企業に勤めたそれなりの理由に聞こえるが、それだって体のいい言い訳に過ぎない。要はいつまで続くかわからない就職活動に嫌気がさし、最初に内定をもらった企業で妥協しただけのことである。

 興味のある事業や職種がなければ、そもそもその企業にエントリーシートを出すことすらしない――そう自分のなかで割り切って、彼女は就職を決めた。それでもやっていけると思っていたのだ。

 しかしその程度の動機づけでやっていけるほど、企業で働くのは甘いことではない。やりたい仕事とやりたくない仕事のバランス、そして職場の人間関係に悩み疲れた彼女は、結局就職して一年ほどで上司に退職願を出していた。


 それ以来現在まで、水奈はずっと非正規雇用という形で働いている。この働き方には基本的に文句はない。ただ、正社員同士の会話になった時、一人置き去りにされるような感覚に陥ることだけは寂しく思っている。もっとも、それも自業自得なのだが。


 ともあれそんな経緯で、彼女は高卒大卒問わず正社員として働いている友人に対して、いつ頃からかコンプレックスを抱くようになっていた。その大きさたるや、最近では友人同士の集まりに顔を出さないほどである。



  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 電車が一つ目の停車駅を出発した頃、水奈はショルダーバッグの中で携帯電話の着信を示すランプが点滅していることに気がついた。バッグの中から透けて見えるランプの色がグリーンなので、音声通話ではなくメールの着信である。


(そういや最後の休み時間以来、メールチェックしてへんかったっけ)

 そう思いながら、彼女は膝に乗せたバッグから、愛用のスマートフォンを取り出した。

 画面ロックを解除して、メールアプリのアイコンをタップすると、表示されたメールの中から未読の物を開く。


 メールは、これから会う予定の高校時代の友人、葉室はむろ 綾音あやねからのものだった。今日地元で行われる花火大会に、一緒に行く約束をしているのだ。

“ごめん!”というタイトルの元、以下の本文が書かれている。

『今日七時に改札前集合やったけど、もしかしたら遅れるかもしれん。仕事が立て込んでて……』


 綾音は、水奈が今も連絡を取り合う数少ない友人の一人だ。仕事は大手旅行会社の営業担当。以前聞いた時には、大学の部活やサークルを相手に、格安旅行プランの売り込みをしていると言っていた。おそらく今日もその手の仕事だろう。


 水奈はメールの着信時間を確認する。十五時三十五分。そして次に、スマートフォン上部に表示されている現在の時刻に視線を移す。時刻を表す数字は「18:05」となっていた。

(ちょうど二時間半前かぁ。こりゃ待ちぼうけ覚悟かもしれんな)


 ひとまず了解した旨を返信すると、彼女はメールアプリを閉じようとする。が、その指はアプリの終了ボタンに触れる前に止まった。画面上部にメールの着信を通知するメッセージが現れたのだ。


 彼女は止まった指を再び動かすと、今届いた新着メールを表示させる。そして送信者の名前を見て、小さく溜息を吐いた。

(なんや、ナオヤか……)


 ナオヤとは、彼女が現在付き合っている彼氏の名だ。昨年の今頃から付き合いだし、その三ヶ月後には彼が水奈の家に転がり込む半同棲状態になったのだが(ちなみにナオヤも本来は一人暮らしだ)、最近どうやら彼女に対して飽きが来ているのか、何かと理由をつけて彼女の家に帰ってこないようになっていた。確証はないが、おそらく浮気でもしているのだろう。


(今日の理由はなんやろな……)

 近頃届くナオヤからのメールは、半分の確率で帰れない可能性を伝える内容だ。開いてみると、やはりその旨の内容が書かれていた。今日の理由は同期の飲み会となっている。


 返信する気にもなれず、水奈は今度こそメールアプリを終了させた。そして俯き目も閉じて、視界から入る全ての情報をシャットアウトする。

(何してんのやろ、あたし……)

 電車独特の揺れに身体を預けて自問するうち、いつしか彼女は眠りに落ちていった。

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