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最弱の人間の国に現れた隠れ勇者の英雄譚

作者: ユニ

 俺たちが暮らすこの世界は、残酷なほど単純なヒエラルキーで構成されている。


 北の『魔法の国』。

 東の『機械の国』。

 南の『獣の国』。


 そして、中央に位置する『人間の国』。


 四つの大陸からなるこの世界において、人間は最底辺の存在だ。魔法適性は低く、強靭な肉体も持たず、科学技術も未発達。他種族からすれば、人間はただの労働力か、あるいは――ただの餌でしかない。


「……また、焼かれたのか」


 俺、アルスは灰色のフードを深く被り直し、荒野を歩いていた。

 かつて村だった場所は黒い焦土と化している。魔法の国の連中による「実験」の跡だ。


 俺は旅をしている。

 この理不尽な世界で、迫害される同胞を救うために。


 俺の腰には、ボロボロの布でぐるぐる巻きにされた一本の剣が差してある。一見すればただの棒切れにしか見えないだろう。だが、これこそが俺の旅の目的であり、俺自身が背負った宿命の重さでもあった。


「次は南か……。獣の国の連中が幅を利かせているエリアだな」


 乾いた風が吹き抜ける。俺は水筒の残りを一口だけ含み、南へと足を向けた。

 誰もが絶望するこの世界で、俺だけはまだ、希望を捨てていなかった。


 南の地方へ入ると、空気の色が変わった気がした。

 獣の国に隣接するこの地域は、常に獣の咆哮と、むせ返るような獣臭さが漂っている。


 たどり着いたのは、枯れた大地にしがみつくように存在する小さな村だった。

 畑は荒れ、家々は傾いている。村人の姿はまばらで、すれ違う誰もが死人のように虚ろな目をしていた。


「旅の方……、こんな何もない村へよく来なすった」


 声をかけてきたのは、腰の曲がった老人だった。村長のジャポと名乗った彼は、杖にすがりつきながら俺を見る。


「水をもらいたいんだが」

「水、ですか……。井戸も枯れかけておりますが、それでもよければ」


 ジャポの案内で村の中央へ向かう。そこには異様な光景が広がっていた。

 広場の中央に、祭壇のようなものが組まれているのだ。


「あれは?」

「……今夜は、満月ですので」


 ジャポの声が震えた。


「このあたりは、強大な力を持つ獣人族の支配下にあります。我々は毎月、彼らに食料を納めねばなりません。ですが、先月の不作で納める麦も野菜も尽きました」


「まさか」


 俺の予想を肯定するように、ジャポは涙を浮かべてうなだれた。


「食料がないなら、肉を寄越せと。……今夜、生贄として村の者をひとり捧げねばならんのです」


「おいおい、なんだか辛気臭い顔してんじゃねえか!」


 不意に、下卑た声が響いた。

 村の入り口から、二足歩行の豚の化け物――オークの兵士たちが数体、我が物顔で入ってくる。獣の国から派遣された徴税官の手下たちだ。


「ヒッ、オーク様……!」

「おうジジイ、今夜の『ご馳走』の準備はできてるんだろうなァ?」


 オークの一匹が、ジャポ村長の胸ぐらを掴み上げた。老人の体など、彼らにとっては小枝のようなものだ。


「や、やめてください!」


 俺はとっさに動いていた。だが、ここで俺の「力」を見せるわけにはいかない。俺の正体がバレれば、もっと強大な敵が動き出し、結果としてこの村が消滅することになるからだ。


 俺はわざと足を滑らせたフリをして、オークの方へ突っ込んだ。


「うわあああ! 止まらねえええ!」

「あぁん? なんだ貴様――ぐべっ!?」


 俺の頭突きが、偶然を装ってオークのみぞおちにクリーンヒットする。

 巨体がくの字に折れ、オークは白目を剥いて倒れ込んだ。


「あ、兄貴!?」

「す、すいません! 石につまずいて!」


 俺は平謝りしながら、倒れたオークの足首をこっそりと踏みつけ、起き上がれないように関節を極める。


「チッ、ドジな人間が。行くぞ、夜にはライオネル様がいらっしゃるんだ。興ざめさせるな」


 他のオークたちは、気絶した仲間を引きずりながら去っていった。

 村人たちはポカンとしている。


「あ、危ないところでしたな……。旅の方、怪我は?」

「ああ、運が良かったよ」


 俺は苦笑いで誤魔化しながら、フードの下で鋭い視線を去りゆく背中に投げていた。


「あの、旅の方。お礼と言ってはなんですが……」


 オーク騒ぎの後、一人の少女が俺の手を引いた。

 イブという名の、十代半ばくらいの少女だ。粗末な服を着ているが、その瞳は驚くほど澄んでいた。


 案内されたのは彼女の家だった。

 屋根には穴が空き、家具らしい家具もない。けれど、彼女は精一杯の笑顔で、欠けた器に入ったスープを差し出してくれた。


「何もありませんけど、温まってください」

「……いいのか? 食料は貴重なんだろ」

「いいんです。旅人さん、お腹が鳴ってましたから」


 イブは悪戯っぽく笑う。

 出されたスープは、野草とわずかな豆を煮込んだだけの薄い味だった。だが、不思議と体中に染み渡るような温かさがあった。


 俺が飲み干すのを、彼女は嬉しそうに見つめている。彼女自身は何も食べていないのに。


「君は食べないのか?」

「私は……お腹いっぱいなんです。胸がいっぱいで」


 その言葉の響きに、違和感を覚えた。

 ふと、窓の外を見る。日は沈みかけ、広場の祭壇が夕闇に浮かび上がっていた。


 村人たちが、涙をこらえながらこちらを見ている気配がする。

 そして、イブが着ている服が、村の中で唯一、真っ白に洗濯されたものであることに気づいた。


「まさか、君が」


 俺の問いかけに、イブは寂しげに、けれど聖女のように微笑んだ。


「はい。今夜の生贄は、私なんです」


「どうしてだ」


 俺の声は、自分でも驚くほど低くなった。


「君が犠牲になる必要なんてない。逃げようと思えば逃げられるはずだ」


「逃げたら、村のみんなが殺されてしまいます」


 イブはきっぱりと言った。


「私には両親がいません。村のみんなが育ててくれました。ジャポお爺ちゃんも、みんな優しいんです。だから、私が役に立てるなら、それでいいんです」


 彼女は震える手で、俺の空になった器を抱きしめた。


「それに最後に、誰かに『美味しかった』って言ってもらえて、嬉しかった。旅人さん、来てくれてありがとう」


 彼女は自分の命が尽きる直前だというのに、他人である俺の空腹を心配し、感謝さえしているのだ。


 胸の奥で、何かが弾ける音がした。

 友情、なんて言葉じゃ生ぬるい。これは、魂の叫びだ。


 俺はずっと、世界を救うなんて大それたことを考えていた。だが、目の前のたった一人の少女の献身さえ守れなくて、何が世界だ。何が救済だ。


「……イブ」

「はい?」

「スープ、美味かったよ。礼は必ずする」


 俺は立ち上がった。

 フードの下で、俺の瞳に決して消えない炎が宿る。


「最高の形での恩返しをな」


 夜が来た。

 満月が不気味に赤く輝いている。


 村の広場には、松明の炎が揺らめいていた。

 祭壇の上には、白い衣装をまとったイブが座らされている。彼女は気丈に振る舞っているが、その小さな肩が恐怖で震えているのを俺は見逃さなかった。


 ズシン、ズシン、と地響きが鳴る。


「ガアアアアアアアアッ!!」


 鼓膜をつんざくような咆哮と共に、闇の中から巨大な影が現れた。

 体長は5メートルを超すだろうか。黄金のたてがみを揺らし、鋼鉄のような筋肉を鎧のようにまとったライオンの獣人。


 この地方を支配する獣の長、ライオネルだ。


「素晴らしい月夜だ! 人間どもよ、約束の品は用意できたか!」


 ライオネルの声圧だけで、村人たちが数人吹き飛ぶ。

 ジャポ村長が地面に額をこすりつけた。


「は、はい……。こちらに」

「ほう、若くて美味そうな女だ。骨までしゃぶり尽くしてやるわ!」


 ライオネルが舌なめずりをして、巨大な鉤爪を振り上げる。

 その爪は鋭利な刃物そのもので、一振りで岩をも切り裂く凶器だ。


 イブがぎゅっと目を閉じる。

 死の恐怖に、彼女の目から一筋の涙がこぼれた。


「さあ、食らってやる! 我の血肉となれ!」


 振り下ろされる死の爪。

 村人たちの絶叫が重なる。


 だが。


 ガキィィィィィィィン!!


 硬質な金属音が響き渡り、ライオネルの爪が空中で止まった。


「な、なんだ貴様はぁぁぁ!?」


 ライオネルが驚愕の声を上げる。

 彼の巨大な爪を受け止めたのは、ボロボロの布を脱ぎ捨てた俺だった。


 俺の手にあるのは、ただの棒切れではない。

 月光を浴びて青白く輝く、一振りの剣。


「……旅人、さん?」


 イブが目を開け、呆然と俺を見上げる。


「悪いな、ライオネル。その子は俺の恩人なんだ。指一本触れさせるわけにはいかない」


「人間ごときが、我の爪を受け止めるだと!? ありえん! 人間は最弱の種族のはず!」


「ああ、人間は弱いさ。魔法も使えないし、爪も牙もない」


 俺は剣に力を込める。

 その瞬間、俺の右手の甲に刻まれた紋章が、カッと眩い光を放ち始めた。

 それは、かつて神が人間にだけ与えたと言われる、失われた希望の光。


「だがな、守るべきもののために立ち上がる時だけ、人間は最強になれるんだよ」


「その紋章……まさか、伝説の『勇者』か!?」


 ライオネルが後ずさる。

 俺の体から溢れ出る闘気が、物理的な圧力となって獣の王を圧倒していく。これが俺の、勇者である証。


「食後の運動にはちょうどいい。消えろ、化け物」


「おのれえええええ!」


 ライオネルが全身全霊の力で襲いかかってくる。

 だが、今の俺にはスローモーションに見えた。


「――閃光のひとたち。」


 俺が一歩踏み込むと同時に、世界が白く染まった。

 ただの一撃。

 すれ違いざまに放った一閃が、ライオネルの鋼鉄の筋肉をバターのように切り裂いた。


「バ、バカな……この我が……人間にぃぃぃ……」


 獣の長は轟音と共に崩れ落ち、二度と動かなくなった。


 静寂が戻った広場に、俺は剣を納めた。

 勇者の紋章の光がスッと消え、俺は再びただの旅人に戻る。


 村人たちは何が起きたのか理解できていない。

 あまりにも圧倒的な、神の御業のような一撃だったからだ。


「……神様?」

「神様が、助けてくださったのか?」


 誰かがそう呟き、次々と村人が地面にひれ伏して祈り始めた。

 俺がやったとは、誰も思っていないようだ。それでいい。


「旅人さん……?」


 イブだけが、祭壇の上から俺を探している。

 俺は彼女と目が合う前に、フードを深く被り直した。


 もし俺が勇者だとバレれば、彼女まで俺の戦いに巻き込んでしまう。

 彼女には、この村で平和に、腹一杯スープを飲んで生きていてほしい。


 俺は風のように音もなく、村の出口へと歩き出した。


(美味かったよ、イブ。お前のおかげで、また少し強くなれた気がする)


 背後では、村人たちの歓喜の声と、神への感謝の祈りが響き渡っている。

 少女と村を救った真実は、闇の中へ。


 俺はニヤリと笑うと、次の「理不尽」をぶっ壊すために、再び荒野へと歩き出した。


「さて、次はどこのどいつを助けに行くかな」


 暗黒騎士のように影を纏い、聖騎士のように光を秘めた男の旅は、まだ始まったばかりだ。

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