私がここから発つ日まで(1)
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父と母は同い年、生まれた頃からご近所同士、幼稚園から高校までずっと一緒だった。所謂幼馴染というやつだ。
とはいえ私達が住むこの島は、本土からフェリーで四十分ほどかかる田舎中の田舎。学校は小中学校がそれぞれ二校ずつ、高校は一校しかない。だから年の近い子供達は、大半が幼馴染みたいなものなのだけれど。
二人を昔から知る大人達から聞くところによると、父は昔から奔放だったそうだ。
暴力沙汰を起こすとか金色だのピンク色だの校則違反の髪色に変えるとか深夜にバイクで暴走するとか、所謂ヤンキー的行動はなかったものの、学校を無断欠席して海釣りに出掛けて遭難しかけたり体育館裏でこっそり猪の子供を育てたり廃工場の廃材で巨大なオブジェを作ったり、放埒な行動が目立った。成績は甘く見ても下の中だった。けれどいつも楽しそうに溌剌としていて、人生を謳歌しているように見えた。
対して母は、中学高校時代の六年間、学年トップの座を守り続けた才媛。その上見目麗しく、性格も穏やかで人当たりが良くおおらか。中学では風紀委員長、高校では生徒会長を勤め上げ、地元を離れて本土の大学に進学し、中学教諭免許を取った後に人口一万人ちょっとのこの離島に戻ってきた、生粋の優等生だ。
そんなあべこべの二人だったけれど、何故か昔からべらぼうに仲がよかった。双子のようにいつも一緒にいて、喧嘩しているところなんて誰も見たことがなかった。母が進学で地元を離れた時は物理的な距離があったけれど、自由人の父はちょくちょくふらりと母に会いに行っていたらしい。
そして母が中学校教諭となってこの島に戻ってきて、ほどなくして、二人は結婚して私が生まれた。いや、私が生まれて結婚した?その辺りの正確な順番は、誰に聞いても、当の両親に聞いてもあやふやだ。とにかく気付いたら二人は夫婦になっていたし、気付いたら私が生まれていた。仲がいいのは知っていたものの、父と母が男女の関係だとは島中の誰も思っていなかったみたいで、母が私を妊娠したこと、相手が父だということ、その両方に人々は驚いた。母はこの島の高嶺の花、それも最高峰に咲く花だったから、月と鼈(もちろん父が鼈)、豚に真珠(もちろん父が豚)など様々な罵り言葉を浴びながら、父は結婚してからも子供が生まれてからも、相も変わらず楽しげに、いや、よりいっそう楽しげに、自由気ままに、暮らしていた。
聡史は父のような問題児ではなかったけれど、私たちの関係は、父と母のそれとよく似ていたのかもしれない。幼馴染で、いつも一緒にいて、いつのまにか恋人同士になっていて。
そして私も母と同じように、この島を離れることを選ぶ。
母と違って、四年後には帰って来れるという展望は、私には全くなかったけれど。