37 ノエルと明日人
ノエルが病室に入ると、明日人が床に座り込んで窓を見ているのが目に入った。
明日人はノエルが入ってきたのに気がつくと、彼をきつく睨む。
「……何の用だ」
「ああ、そんなに睨まないでくれ。君に良い知らせを持ってきたんだ」
「良い知らせだと……?」
ノエルは明日人の警戒した様子を見てくすりと笑い、口を開く。
「君と一緒に、この病室にいた少女が、特部の連中と一緒にいた。彼女は無事だよ」
「ほ、本当か!?」
ノエルはゆっくりと明日人に頷き、微笑む。それを見て、明日人は安堵の表情を浮かべた。
「良かった……」
「ああ。……しかし、君が僕達に逆らうなんてね。あの約束、忘れたとは言わせないけど」
ノエルが笑みを浮かべながら冷たく尋ねると、明日人は再び厳しい顔を見せる。
「たとえ、お前達が妻を生き返らせてくれるとしても……私は、もうお前達には従わない」
「ふふっ、そっか」
ノエルは小さく笑うと、明日人の傍のベッドに腰掛けた。
「君は、大切な人1人の命より、この時代のその他大勢の命を優先するんだね」
「っ……」
ノエルの鋭い言葉に、明日人は口を閉ざしてしまう。それを見てくすりと笑いながら、ノエルは更に言葉を重ねた。
「君は、愛する妻がいない世界でも生きていける……そんな冷たい人間だったようだ」
「ち、違う……!私だって、しおりがいない世界で生きていくなんて……!」
「なら、僕達に協力することだ」
「っ……!」
ノエルは微笑みを浮かべたまま、明日人を見つめる。
「妻が生きている、そんな未来にしたいんだろう?」
「……だ、駄目だ」
「何故だい?」
明日人は顔を俯かせながら、しかしはっきりと答える。
「自分が生きている未来が訪れたとしても……自分を生き返らせるために、私がお前達の計画に加担したことを知ったら、しおりは悲しむからだ」
明日人の答えを聞き、ノエルは少し目を丸くした。
「何を言っているんだ。命よりも大事なものなんてないだろう?生きていられることは奇跡だ。その奇跡が叶ったとしても、他の理由が原因で悲しむ人間なんているのか?」
ノエルに問われ、明日人は鋭い眼差しを彼に向ける。
「命よりも大事なものはある。それは……生きる理由だ。たとえ生きていたとしても、生きる理由が歪んでいる人生なんて……悲しすぎる。しおりは真っ直ぐな人だ。もし、私が歪んだ生き方をしていたら……絶対に私を許さないだろう」
明日人の答えを、ノエルは鼻で笑う。
「生きる理由、ね……。命があるのが当たり前な連中の発想だ」
ノエルは立ち上がり、病室のドアへ歩いていく。
「宵月明日人。僕は君とは分かり合えていると思っていたが……僕達は考え方の根本が違うようだ。残念だよ」
ノエルはドアの前で振り返り、明日人に微笑む。
「悪いけど、君に拒否権はない。この施設が破壊されようと、僕は君を利用するし、君は僕に従うしかない」
「……破壊だと?」
「ああ。きっともうすぐ、特部がここに来る。……君の大切な子ども達もね」
──君の大切な子ども達。
その言葉が、明日人の胸を締め付ける。
「……千秋達が、ここに」
明日人の呟きを聞き、ノエルは思わず声を上げて笑った。
「千秋?違うよ。……宵月聖夜と、その妹さ」
「っ……!?」
明日人の目が、見開かれる。
「聖夜と、柊が……!?」
「ああ。僕達を突破できれば、だけどね」
ノエルはそう言うと、明日人に背を向けて微笑んだ。
「聖夜達と会えるよう、願うことだね」
ノエルはそう言うと、病室から出て行ってしまった。
病室に取り残された明日人は1人、床を見つめて唇を震わせる。
(聖夜と柊が……あの日、私が置いていってしまった、子ども達が……ここに来るだと……)
明日人の脳裏に、あの日の出来事が鮮明に蘇った。
* * *
しおりが亡くなって、もう2か月が経つ。明日人は、時空科学の研究をしながら、1人で聖夜と柊を育てていた。
2人の食事を作り、2人を学校に見送り、2人が眠るのを傍で見守る。そんな毎日を繰り返していた。
端から見れば、平穏な親子の日々。しかし、聖夜も柊も、母親を恋しがって泣いているのか、寝顔にはいつも涙の跡が残っていた。
明日人には悟らせないように、2人だけで泣いているのだと思うと……明日人は耐えられなかった。
「……ごめんな。聖夜、柊」
明日人は眠る2人の頭を撫でながら、自身も涙を流してそう呟く。
「母さんが居なくなって寂しいよな。父さんも、寂しい。寂しいよ……」
明日人がそう泣いている時だった。
もう夜だというのに、家のインターフォンが鳴ったのだ。
「え……?」
不審に思いながらも、明日人は外の様子が見られるモニターを見る。
すると、そこにいたのは、美しい金髪の少年だった。
こんな夜更けに、子どもが何の用だろうか。何か訳ありなのだろうか。助けてやった方がいいだろうか。そんなことを思い、明日人は家のドアを開けた。
「……こんばんは。君は誰だ?」
明日人が問うと、少年は野葡萄色の瞳を優しく細めて答える。
「僕はノエル。君は……時空科学者の宵月明日人、だね?」
「あ、ああ……。私を知っているのか?」
「もちろん。君のことは全て知っている。君が何をしているのかも、どんな人生を送っていたのかも……そして、愛する妻を失ったことも」
ノエルの言葉に、明日人は目を丸くした。
「なんで、しおりのことを……」
「何故?簡単さ。僕が200年後の未来から来たからだよ」
ノエルはそう言うと、明日人に微笑んだ。
「200年後には、アビリティ細胞に関わる病気の特効薬がゴロゴロ存在している。だから……君の妻も、助かるよ」
ノエルの言葉を聞き、明日人は戸惑いを見せる。
「悪いが、君がさっき言ったとおり、しおりはもう死んでいるんだ。だから、今更薬を貰っても……」
明日人の答えに、ノエルはくすりと笑った。
「何を言っているんだ?君には、タイムマシンがあるだろう?それで過去に渡ればいい」
ノエルの言葉に、明日人は目を見開く。その驚いた様子を見て、ノエルは笑顔で手を差し伸べた。
「僕が、君の妻の未来を変えてあげる。その代わり、君も僕の未来を変えるために協力してくれないか?」
明日人はノエルの笑顔を見て、自然と手を伸ばしていた。
──もし、しおりが生き返ったら……聖夜も柊も、寂しい思いをしないだろう。それだけじゃない。私も……。
弱りきっていた明日人は、ノエルを疑うこともせず、彼に向かって頷いていた。
「……君に、協力する」
その後、明日人はノエルの言いなりになり……彼の仲間とタイムマシンと共に、50年前の朝丘病院に姿を消したのだった。
聖夜と柊を、家に残して。
* * *
過去のことを思い出し、明日人は顔を歪めながら呟く。
「会う資格なんてない。合わせる顔もない。だが……」
明日人の瞳から、涙が零れ落ちた。
「会いたい。……会いたいよ。聖夜、柊……」