表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/52

26 総隊長の過去(後編)

 特部に入隊して以降、千秋達は着実に戦績を重ねていった。


 春花が『桜』の防御壁で味方を守り、眞冬が『読心』で敵の弱点を見破って体術で崩す。そして夏実の『刀』と千秋の『炎』でトドメを刺す。


 4人のチームワークと実力は、他のどんな隊員達にも負けなかった。


──特部最強部隊。


 いつの間にか、4人はそう呼ばれていた。


* * *


 月が綺麗な、任務終わりの夜。寝る支度を済ませたものの、何となく胸騒ぎがして寝付けなかった千秋は、気分転換に中央支部の建物の3階にある、大きな窓のある廊下へ足を運んだ。窓のそばに歩み寄って、外の景色を見てみる。


(……思った通りだ。ここからなら、西公園の桜の大木もよく見える)


 月明かりと地面からのライトアップによって白銀に照らされる桜は、幻想的で綺麗だった。


 すっかり桜に見とれていた千秋だったが、突然、誰かに目隠しをされて視界が塞がる。


「だーれだ?」


 明るく澄んだ、女子の声。この声の主が誰か、千秋はすぐに分かった。


「春花でしょ」


「おー、正解!ふふっ、よく分かったね」


 春花は嬉しそうに笑いながら、千秋の目を覆っていた手を離して、彼の隣に立った。彼女は千秋にニコリと笑って、窓の外の桜を見つめる。


「桜、綺麗だね」


「うん……そうだね」


 千秋はしばらく桜を見ていたが、どうしても春花の様子が気になってしまって、ちらりと彼女の方を見た。すると、穏やかな表情で桜を見つめる春花の、優しい微笑みが目に入る。昔から、春花の笑顔は大好きだったが、最近は明るい笑顔だけではなくて、こうして大人っぽく笑うことも増えた。その、少し大人びた笑顔を見る度に、千秋の心臓が音を立てる。


──桜も綺麗だけど、春花も綺麗だ。桜よりも、春花の方がずっと愛おしい。


「千秋、どうかした?」


 千秋の視線に気づいて、春花がこちらを不思議そうに彼を見る。


(しまった、変なヤツだって思われたかな…………)


「え、えっと…………」


 何とか誤魔化そうとして焦る千秋の視界に、銀色に光る月が目に入る。


「つ、月!月、綺麗だね…………」


 千秋は慌てて月を褒めて、話を逸らそうとした。しかし、流石に少し苦しいか。春花も変に思っただろう。そう思い、千秋は1人で落ち込んでしまう。しかし、そんな千秋に対して春花は柔らかく微笑んで告げた。


「このまま時が止まればいいのに、ね」


──え?


(月が綺麗で、時が止まればいい?そんなに、月を見てたいってこと?そ、それとも……僕と一緒にいたいって、思っててくれてる?もしかして、春花も僕のこと…………って、流石に思い上がりすぎだろ、僕。落ち着け。落ち着くんだ……)


 千秋が悶々としていると、突然、春花が吹き出した。


「……ぷっ、あはは!千秋、難しい顔してる!もしかして、知らなかった?」


「知らなかったって、何が?」


「月が綺麗ですねって、夏目漱石の言葉だよ?」


「え?」


 千秋には、春花が何を言いたいのか全く分からなかった。その夏目漱石の有名な話を、千秋は知らなかったのだ。


「……ごめん、どういう意味か分かんないよ。教えてくれる?」


 千秋が尋ねると、春花は頬を染めながら微笑んで、口を開いた。


「愛してるって意味」


「………………え?」


「じゃあ、私そろそろ寝るね」


「え、え……?えぇっ!?」


「おやすみ、千秋!」


 春花はそう言うと、明るい笑顔を残して早足で立ち去ってしまった。


 千秋はというと、春花の発言にすっかり混乱してしまい目を回していた。


「あ、ああ、愛してる!?」


(これ、まさか春花からの告白!?は、春花が、ぼ、ぼ、僕のこと……!?い、いやいや、落ち着け。愛してるって、恋愛的な意味じゃないかもしれないし!ほら、僕達、小さい頃からずっと一緒だったし!家族みたいな感じかも、しれないし…………ていうか、ちゃんと僕から、僕の言葉で告白するつもりだったのにー!!)


 悔しさと恥ずかしさのあまり、千秋はその場にしゃがんで頭を抱えてしまった。


(なんだか、夏目漱石に先を越されたようで、悔しい。すごく悔しい…………。うぅ、でも、過ぎたことは仕方ないよな……。よし、決めた!夏目漱石よりも、かっこいい言葉で、春花に想いを伝えるんだ。絶対、絶対……告白、するんだ)


 千秋は自分の頬をパチンと叩いて、覚悟を決めた。


 しかし、この夜が、春花に想いを伝える最後のチャンスだったのだ。そのことを、千秋はまだ知らなかった。


* * *


 翌日、任務が入り、千秋は任務地へ向かって走っていた。


 廊下を曲がり、ワープルームに入ろうとしたその時。


「痛っ!?」


 小さな少年とぶつかってしまった。


「ごめん!……って、白雪?」


 少年の顔を見ると、千秋の従兄弟で、春花の弟の白雪だった。まだ小学生だが端正な顔立ちをしており、頭脳明晰。成績優秀。千秋は密かに将来を楽しみにしている。


「あ、千秋兄さん!姉さんは?」


「春花ならもう任務場所かな。何か用事?」


「うん!姉さんに会いに来たんだ!」


 白雪はそう言って無邪気に笑う。


「そっか……じゃあ、任務が終わるまで待っててくれる?」


「うん!分かった!」


 白雪はそう言って元気よく頷く。千秋はそれを確認して微笑み、ワープルームのドアを開けた。


「あ、千秋兄さん!」


 白雪に呼ばれ、千秋は振り向く。すると、白雪は一生懸命な様子でこう言ったのだ。


「姉さんを守ってあげてね。絶対だよ!」


「……うん。分かった」


 千秋は頷いて、ワープパネルへ急いだ。


 この会話が、白雪とした最後の親しい会話だった。


* * *


 任務地の西公園には、桜が舞い散っていた。


「千秋!危ない!!」


 青いマントを翻して、春花が千秋の前に躍り出る。


「『桜壁』!」


 春花の声に呼応して、薄桃色に光り輝く無数の桜の花びらが、鋼鉄の体を持った高次元生物との間に大きな壁を作る。


 その壁に高次元生物が生み出した数多の鉄の矢が吸収された。


「千秋、夏実、眞冬、立て直そう!」


 春花の声に3人は頷き、構え直した。


「眞冬、敵の弱点は?」


 夏実が眞冬に問う。すると、眞冬の藤色の瞳が強く光った。


「今調べる。『読心』!」


 眞冬は高次元生物の無意識を探る。意思の疎通はできないものの、ほんの僅かな心の動きを理解することで、眞冬には高次元生物の弱点を探知する力があった。


「左胸だ!」


「了解。いくよ、千秋!」


「うん!」


 夏実と千秋が高次元生物に迫る。


「『抜刀』!」


 夏実の手の中に黒い刀が現れた。それを握りしめ、夏実が高次元生物に斬りかかる。


 しかし、鋼鉄の右腕で刀を受け止め、左腕で夏実を殴り飛ばした。


「うっ……!」


「夏実!」


 眞冬は飛ばされた夏実を受け止め、その勢いのまま尻餅をついた。


「強い……!」


「なんて硬い体なの……」


「キィ……!」


 高次元生物は夏実達に狙いを定めて掌からエネルギー砲を放つ。


「させない!」


 春花が立ち塞がり、再び桜の壁を展開する。するとエネルギーは吸収され跡形もなく消え去った。


「千秋!今!」


「分かってる!『火炎弾』!」


 千秋が高次元生物の左胸目がけて炎を放った。炎が弱点に命中し、高次元生物は苦しそうに悶える。


「千秋!これでとどめを!」


 眞冬が投げた銃を受け取り、高次元生物に発砲する。乾いた音が辺りに響き渡り、高次元生物が力無く崩れ落ちた。


「やったのか……」


 高次元生物を見下ろす千秋の元へ3人が駆け寄ってきた。


「やったじゃん、千秋!」


 眞冬がわしゃわしゃと千秋の頭をなで回す。それを嫌な顔で止めようとする千秋を見て、他の2人がくすりと笑った。


「とにかく……後は撤収するだけだね」


 千秋の言葉に3人は頷きその場を立ち去ろうとしたその時だった。


「キィ……!」


 か細い声と共に、高次元生物が起き上がり勢いに任せて鋼鉄の腕を千秋に振り下ろしたのだ。


 鋼鉄の軋む音が聞こえ、千秋は振り向き……目を丸くする。


「え……?」


「千秋!!」


 次の瞬間、春花に突き飛ばされ千秋は地面に倒れ込んだ。


「痛……」


 起き上がった千秋は、信じがたい光景を前に目を見開いた。


「は……?」


 鋼鉄の腕が春花の体を貫いていたのだ。


「うわあああ!!」


 千秋は悲鳴を上げながら、手に持っていた銃で高次元生物を撃ちまくる。


 高次元生物は動かなくなり再びその場に倒れた。彼女の身体から、赤く染まった鋼鉄の腕が抜ける。


 千秋はよろよろと春花に歩み寄り、その体を抱きかかえた。彼女の腹部から、血が止まらない。


「春花!春花……!」


「ちあ……き……」


「特部の医務室じゃ手に負えねぇ……。千秋!止血してろ!すぐに救急車を呼ぶ!!」


 眞冬の声にハッとした千秋は、自分のマントを破り、必死に傷口を圧迫した。しかし、血が止まる気配はない。震える彼の手に、マントから染み込んだ血がべったりと付着する。


「春花……」


 傍らで夏実が泣きそうな声を出す。それを見て春花は無理矢理微笑んで見せた。


「夏実……泣かないで……」


「春花、もう喋っちゃ駄目だ!」


「いや……喋らせて……」


 千秋の制止を無視して、春花は口を開いた。


「眞冬……。いつも明るくて……頭も良くて……頼りにしてた」


「春花……くそっ……!」


 眞冬が苦しそうに春花から目を背ける。


「夏実……。しっかり者で、お姉ちゃんみたいだった。私の1番の親友だよ……」


「春花……私も春花のこと、親友だって思ってるよ……!」


 夏実が震える声でそう言うと、春花は目を細めた。そして視線を千秋に移してその頬に触れた。


「千秋……不器用だけど、優しくて、格好よくて……大好きだった……ずっと……ずっと前から」


 千秋はその手を握り、涙を堪えながら口を開いた。


「……僕もだよ。僕も、春花のこと……ずっと……」


──好きだ。


 10年間、ずっと言えなかった3文字。


 本当は伝えたかった。しかし、言葉が詰まり最後の最後まで出てこなかった。


「……うん」


 しかし、春花は嬉しそうに頷いて、胸元からチェーンのネックレスを取り出した。ネックレスの先端には、桜を象った指輪が通されていた。


「これ……千秋が持ってて。大事な指輪……私には、ちょっと大きかったんだ」


 千秋はそれを震える手で受け取る。涙で視界がぼやけて、いつか春花が見せてくれた指輪の形すら覚束ない。


 しかし、それを受け取った瞬間、春花との思い出が頭の中に次々と流れ込んできた。


 昨日、一緒に月をみたこと。特部で一緒に戦ったこと。何でも屋で一緒に過ごしたときに見せてくれた笑顔。毎日一緒に通った小学校でのこと。そして……初めて会ったときに、この公園の桜の木の下で、自分のことを嫌いにならないと言って笑顔を見せてくれたこと。


 あの笑顔が、大好きだった。この10年間、ずっと──。


「……分かった。大事にするから……だから……」


──だから。だから何だろう。僕は何が言いたいんだろう。ずっと一緒にいて欲しい。これからも、君と生きていたい。それから……。


 言葉にし尽くせない思いが溢れる。


 全て伝えるには、あまりにも時間が足りなかった。


「千秋、私……守ってるから……だから、千秋は前に進んで」


 春花は優しく微笑み、震える手をネックレスを握る千秋の手に重ねる。


「……うん」


 千秋が頷いたのを見届けて、春花は目を閉じた。


 ただ、桜吹雪が4人の元に降り注いでいた。


* * *


 春花を乗せた救急車を見送って、千秋達は報告のために中央支部に戻り、総隊長室に集まっていた。


 しかし、千秋と夏実の頭の中は正直なところぐちゃぐちゃで、とてもじゃないが報告などできる状態ではなかった。夏実は涙を堪えながら、そして千秋は暗い表情で黙り込んでいる。何も言えない2人の傍らで、眞冬だけが任務で起きたことを冷静に報告していた。


「失礼します!総隊長、大変です!!」


 オペレーターの琴森が、大慌てで部屋に入ってくる。


「春花さんが……北原春花さんが……」


 琴森の言葉が詰まる。彼女は瞳を潤ませながら、震える声で告げた。


「北原春花さんが……亡くなりました」


 その言葉を聞いた瞬間。


 夏実の中で張り詰めていた糸が、プツリと切れた。


「嫌…………嫌-っ!!」


 夏実はその場に崩れ落ち、顔を覆った。涙が溢れる。呼吸がどんどん浅くなる。


「はぁっ……はぁっ……」


「夏実……!大丈夫か!?」


 すぐ隣に居た眞冬が、夏実に駆け寄って背中を擦る。


 しかし、この時の夏実には、その優しさに気付く余裕なんて無かった。


「大丈夫?そんな訳ないじゃない!!」


 夏実の怒鳴り声に、眞冬は言葉を失った。


「親友が……春花が死んで、大丈夫な訳ないでしょ!?」


 涙をボロボロと零しながら、夏実は眞冬に当たり散らした。


 眞冬は悲しそうな顔で、ただその言葉を受け止める。やがて、夏実がか細い声で呟いた。


「もう嫌だよ……私、もう戦えない……」


「なら……辞めるかね?」


 総隊長の低い声が部屋に響く。重苦しい雰囲気の中、夏実はフラフラと立ち上がって、総隊長に頷いた。


「……ごめんなさい」


 居たたまれなくなった夏実は総隊長室を飛び出した。


「おい……夏実!」


 眞冬は夏実を追いかけようとしたが、総隊長の大きな咳払いで足を止めた。


「総隊長……なんで」


「追うな。瀬野はもう隊員ではない。これ以上ここに居させても、辛い思いをさせるだけだ」


 総隊長の言ってることは正しい。今や夏実にとって、特部は恐怖と悲しみの対象でしかないだろう。


 眞冬は唇を噛み、俯く。


(……4人なら大丈夫だって思ってたのにな。こんなに簡単にバラバラになっちゃうなんて……思ってなかった。あーあ……駄目だ。泣きそう)


 視界が涙でぼやけていった。


「総隊長、今日はもう休ませた方がいいと思います。報告は後日でも……」


 何も言えないでいる千秋と眞冬を見かねて、琴森が総隊長に進言した。総隊長も、それに頷く。


「そうだな……お前達、下がりなさい」


「……分かりました。千秋、行くぞ」


「……」


 眞冬は黙り込んでいる千秋の腕を無理矢理引っ張って、総隊長室を出た。


 静かな廊下を、眞冬は千秋を引っ張りながら歩く。千秋は、何も喋らない。その様子に、眞冬は辛そうに俯く。


(春花が居なくなったってだけで、俺達がこんなに駄目になるなんて。……4人で楽しく過ごしてた時に……何でも屋をしてた頃に戻りてぇ)


 そんなことを考えていたら、眞冬の脳裏に明日人の言葉が蘇った。


『何かあったら、いつでも戻ってきなさい。待っているから』


──そうだ。明日人さんに会おう。そうしたら、この沈んだ気持ちを晴らす方法も、落ち込む夏実や千秋を励ます方法も、見つかるかもしれねぇ。


 眞冬はその希望に縋って、千秋に尋ねた。


「……なぁ、千秋。久しぶりにさ、あそこに行かねぇ?」


「あそこ……?」


「うん。明日人さんの所!」


「……なんで」


「なんでも!いつでも戻ってこいって言ってたし……今、会いたい気分なんだよ」


 眞冬は千秋を引っ張って明日人の家に向かった。


* * *


 宵月家の前に着いた眞冬は、目を疑った。


 なんと、家が燃えていたのだ。


 消防が必死に消火活動を行っている。その中にはアビリティによる放火を疑ったのか、警察アビリティ課の隊員の姿もあった。


「……おいおい、嘘だろ?」


 眞冬が呆然とその様子を眺めていると、しばらくして子どもが2人救出された。


「君達、大丈夫かい?」


「うわーん!ひいらぎがぁ!」


「ちがうもん!私、ごはんを作ろうとしただけだもん!」


「……それだけ泣ければ大丈夫だな」


 2人は明日人の子どもだ。しかし、明日人の姿がない。……一体、明日人はどこに行ってしまったのか。


 言いようもない不安に襲われる。


──春花だけじゃなく、明日人さんまでいなくなってしまったら?


 眞冬は居ても立ってもいられず、アビリティ課の隊員に詰め寄った。


「この家に住んでる男の人は!?明日人さんは!?」


「な、なんだ君は……」


「教えてくれ!頼む!!」


「……この家には、もう誰も居ないようだ。『防御』のアビリティを持ってる俺が隅々まで探したが、誰も居なかった」


 アビリティ課隊員の言葉が受け入れられず、眞冬は声を荒げた。


「居ない?んな訳ねぇだろ!明日人さんは子ども残してどっかに行くような人じゃねぇよ!!」


「そんなこと知るか!居ないものは居ない!!」


「本当に隅々まで見たのか?地下の研究室も?……俺に嘘なんてつけないんだからな!」


「ほう……そこまで言うなら確認してみろ!俺は嘘なんてついていない!」


「チッ……『読心』!」


 眞冬はアビ課隊員の心の中を見た。……しかし彼は何一つ嘘をついていない。眞冬は悔しそうに目を伏せる。


「……悪かった。あんたは嘘をついてない」


「フン!だから言っただろう?」


(……なら、明日人さんは本当にどこ行ったんだ?子どもが帰ってきたら研究を中断して出迎えに行くような人だぞ?子どもを置いてどっかに行く訳ねぇ)


 眞冬の表情が曇る。


「明日人さん……どこ行ったんだよ」


 その様子を見て、アビリティ課隊員は鼻で笑った。


「……どうせ育児放棄だ。この家の男は妻を亡くして、双子を1人で育ててたそうだしな」


「なっ……テメェ!」


 眞冬がアビ課隊員に掴みかかろうとするのを、千秋が腕で制止した。


「千秋……なんで止めんだよ!」


「……明日人さんはそんなこと望まない。それに、子ども達の前だ」


 千秋の言葉に眞冬はハッとして明日人の子どもを見た。2人とも怯えた表情でこちらを見ている。それを見て眞冬は決まり悪そうに下がる。


 それを確認して、千秋はアビリティ課隊員に向き直った。


「……貴方も、今の言葉を取り消して下さい。明日人さんは優しい人だ。子どもを棄てるような真似、絶対にしない」


 千秋が落ち着いた声色でそう言うと、アビ課隊員は顔を赤くした。


「う……わ、悪かったな!」


 アビ課の隊員はそう吐き捨てると、離れた仲間の所に向かって逃げるように走っていった。


「……わり。びっくりさせちまったな」


 眞冬はしゃがんで、明日人の子どもに目線を合わせる。


「お、お兄さん……だれ?」


 男の子の方が眞冬に怯えながらも尋ねた。


「俺は神崎眞冬。お前達は?」


「……おれ、せいや。こっちは妹のひいらぎ」


「……ひいらぎです」


「そっか……よろしくな。2人とも」


 眞冬は精一杯笑顔を作るが、2人は相変わらず不安そうな表情でこちらを見ている。


(何が不安なんだ?やっぱり俺、怖いのか?)


 眞冬は『読心』を使って、2人の心を読んだ。


『……おれたち、棄てられたの?』


『お父さん、もう戻ってこないの?』


「っ……!」


 そう思いながら悲しそうな顔をしている2人を見て、眞冬の胸が締め付けられる。


(さっきの話、聞いてたのか……そりゃ不安だよな。…………おい。今、俺が2人に言ってやらなきゃいけないことは何だ?明日人さんは2人を棄てたりなんてしない。そうだろ?)


 眞冬は深呼吸して、もう一度笑顔を作った。


「大丈夫だって!明日人さんはお前達を棄てたりなんかしねぇよ!」


「……ほんと?」


「ほんとほんと!だって、明日人さんだぞ!家族思いで、すっげー優しいあの人がさ、子ども棄てるなんて考えられねぇよ。お前達だって、父さんが優しい人なの分かるだろ?」


 眞冬の言葉に、2人はしっかりと頷いた。


「父さん、すっごくやさしいんだ。この前、おれに勉強おしえてくれた!」


「お父さん、私がこわい夢を見てねむれないとき、ねむれるまでそばに居てくれるの」


「そうだろ?じゃあ、信じて待とうぜ。明日人さんは帰ってくる!」


「うん!」


「分かった!」


 2人は笑顔で頷いた。それに眞冬もつられて、心からの笑顔になる。


「あの……すみません」


 先程とは違うアビ課の隊員が、眞冬達のもとにやってきた。


「この子達……一度警察で保護します。保護者が見つかればいいのですが……連絡がつかなかった場合、施設に預けることになるでしょう」


「……分かりました」


 眞冬は頷きつつも、苦しそうに眉間に皺を寄せる。


(明日人さんは戻ってくる……そう信じてる。でも、もし2人が施設に送られることになったら、2人は明日人さんを恨んじまうのかな。……そんなの、嫌だな)


 そんなことを考えていた時、眞冬は背後から肩をトントンと叩かれた。


「眞冬君?」


 隣家に住む、夏実の母、明子だった。


「あ……おばさん」


「やっぱり、眞冬君だったのね!どうしたの?そんな暗い顔して……」


「実は……」


 眞冬が2人の事情を説明すると、明子は優しく微笑む。


「なら、うちで面倒見るわよ。警察さん、それでどうですか?」


「え……どうって言われても……」


「うち、隣だし……お父さんも帰ってきた時に子ども達が遠くにいたらびっくりするでしょう?丁度いいと思わない?」


 明子の提案に、アビリティ課隊員は少し考え込み、頷いた。


「……確かに、そうですね。分かりました」


「手続きは?何かいる?」


「……いえ。アビ課隊長の権限で、保護を委託します。定期的にアビ課で様子を見に訪問しますが……」


「いいわよ。待ってるわね」


 明子は穏やかに微笑むと、聖夜と柊の手を握った。


「瀬野明子です。お父さんが帰ってくるまで、私が面倒見るからね。一緒にお父さんのことを待ちましょう」


「一緒に暮らすの?」


 柊が首を傾げる。それを見て明子は優しく頷いた。


「ええ、そうよ。私のこと、家族だと思っていいからね」


「……うん。分かった!」


「いい返事!それじゃあ、行きましょうか」


 明子はそう言って、2人を連れて隣の家に帰っていった。その背中が見えなくなるまで、眞冬は3人を見つめていた。


(おばさんなら、大丈夫だろう。あの2人も、曲がらず真っ直ぐに育つはずだ。……それより心配なのは、明日人さんのこと。子どものことを放っておく人じゃ絶対にねぇけど、このまま見つからなかったら、行方不明だってことになる)


「……なんだよ。俺達、いよいよバラバラじゃねぇか」


 眞冬は苦笑いしながら呟く。


(春花が死んで、夏実が特部を辞めて、明日人さんが行方不明?何だこの最悪な状況は。俺達、もう昔みたいには戻れないんだな)


「眞冬」


 千秋に声をかけられ、眞冬は我に返った。


「わり、どうした?」


「もう日が暮れる……寮に戻ろう」


「あ……そうだな」


 眞冬は千秋と共に中央支部に向かって歩き出した。


「……眞冬」


「ん?」


「眞冬は、いなくならないよね……?」


「……んだよ。そんなこと聞くなよ」


「……ごめん。僕、変だね……」


 千秋はそう言って、誤魔化すように笑う。それを元気づけてくれる春花も、励ましてくれる夏実も、優しく見守ってくれる明日人も、ここには居ない。


「帰る場所、無くなっちゃったな……」


 千秋は寂しそうに呟く。


 ……帰る場所。何でも屋の拠点。みんなの思い出の場所。それがあれば、千秋はもう一度笑ってくれるのだろうか。


 眞冬の中で、ある思いが芽生え始める。


 ──明日人さんを探そう。明日人さんを見つけて、昔みたいにみんなで集まれる場所を、もう一度作り直そう。千秋や夏実の帰る場所を、そう簡単に無くさせはしない。


 眞冬は密かに、そう決意した。


* * *


「……ただいま」


 特部の荷物をまとめて、夏実は実家に帰ってきた。玄関を開けると、カレーライスのいい匂いが漂ってくる。


 誰かが家に来たことに気付いて、母の明子が玄関に出てきた。


「はーい、こんばんは……あら?」


 明子は夏実を見るなり目を丸くする。


「夏実!?おかえり。特部はどうしたの?」


「……辞めてきた」


「辞めてきたって……何かあったの?」


 不安げに自分の顔を覗き込んでくる母。その様子を見て、夏実の胸にこみ上げてきたのは……罪悪感。


──眞冬や千秋は逃げなかった。でも、私は特部から逃げたんだ。戦うことから……春花の死から、逃げたんだ。


「……ごめんなさい」


「え……?」


「逃げて……ごめんなさい……」


 ぽろぽろと、涙が零れ落ちる。


(春花、ごめんね。私、春花が居ないと駄目みたい。眞冬、千秋……弱虫でごめんね。みんなだって辛かったはずなのに……私だけ逃げて、本当にごめんね)


「……ごめんね……ほんとに……ごめんっ……」


「……夏実」


 泣きじゃくる夏実を、母は優しく抱き締めてくれた。


「何があったか分からないけど、あなたは今日までよく頑張ったわ。私の自慢の娘よ」


「お母さんっ……」


「気が済むまで泣きなさい。そして、泣いた分だけ笑って生きなさい。お母さん、いつも言ってるわよね?」


「……うん」


──そうだ。今は泣こう。たくさん悲しんで、悼んで、それから前を向けばいいんだ。


 夏実が溢れるままに涙を流している時だった。


「お姉さん、泣いてるの?」


「どこか痛いのか?」


 聞き慣れない子どもの声がして、夏実は涙を拭って声の主を見た。


 すると、黒髪に空色の瞳をした男の子と女の子が、大きな瞳で、こちらを心配そうに見ていたのだ。


 見慣れない子だ。小学生ぐらいだろうか。しかし、小学生がどうしてこんな時間にうちにいるのか。夏実は不思議に思って母に尋ねた。


「……お母さん、この子達は?」


「隣の宵月さんちの子よ」


 母の言葉を聞き、夏実は驚いて声を出す。


「えっ……!明日人さんの?なんで?」


「お父さん、行方不明なんですって。だからうちで保護することにしたのよ」


「え……」


(明日人さんが、行方不明?大事な家族を残して、どこかに行ってしまうような人じゃないのに……)


 黙り込んでしまっている夏実の肩を、母はポンポン叩いた。


「……夏実、とりあえず中に入りなさい。カレーが冷めちゃう!」


「あ、うん……」


 夏実が靴を脱いで家の中に入ると、子ども達が手を繋いでくれた。


「え……何?」


「お姉さん、さびしくないよ!」


「悲しくなくなるまで、おれたちが一緒にいてあげる!」


 そう言って、2人はにっこりと笑う。


 ……温かい。繋いだ手も、心も。


「あ……」


 気が付いたら、夏実は泣いていた。それを見て、2人は慌てて彼女の体を撫でてくれる。


「お姉さん、大丈夫!?」


「やっぱり、どこかケガしてるのか!?」


「ううん……平気だよ」


 夏実は無理やり笑顔を作って2人を見た。


「心配してくれてありがとう。私は夏実。2人は?」


「おれ、せいや!よいづきせいや!」


「わたし、よいづきひいらぎ!」


「そっか……聖夜、柊、よろしくね」


 夏実が微笑むと、2人はニッと笑って頷いてくれた。


──この温もりを、もう二度と手放さない。2人のことは、私が守る。絶対に……守るんだ。


 夏実は、心の中でそう強く決心した。


* * *


 春花が亡くなってから、もうすぐ1年という頃。


「千秋。俺、特部辞めるわ」


 任務帰りの廊下で、眞冬が突然、頭を掻きながら千秋にそう告げた。


「え……?」


 千秋には状況が飲み込めなかった。


(どうして?そんな素振り、全然見せなかったのに。眞冬まで僕の前から居なくなるの?)


 そんな千秋の不安を読み取ったかのように、眞冬は慌てて口を開いた。


「あ、勘違いすんなよ!別にお前が嫌になったとか、お前を1人にしたいとか、そんなんじゃねぇから!」


「じゃあ……なんで」


 千秋に尋ねられ、眞冬は真剣な顔で答える。


「俺、探偵になるんだ」


「探偵……?なんで急に?それ、なろうと思ってなれるものなの?」


 千秋が頭の上にはてなマークを沢山浮かべていると、眞冬は笑った。


「あはは!お前、俺が訳分かんねぇこと言ってるって思ってるだろ?」


「……うん」


「ま、当然だよな。お前には何も話してなかったから……」


 自分に話してくれなかったこと。眞冬が何を隠していたのか見当もつかなくて、千秋の表情が曇る。


「……何、隠してたの?」


 千秋が尋ねると、眞冬は真剣な顔で彼を見つめた。


「俺……ずっと明日人さんを探してたんだ。総隊長に頼んで、休みの日にアビ課の捜査に同行させて貰ってた。それで、この前あることに気が付いた」


「あること……?」


「ああ……明日人さんのタイムマシンが消えていた」


「え……!?」


 あのタイムマシンは、時の能力者しか動かせない物だ。明日人を含め、時の能力者は希少なのだ。だから、そう簡単に盗める物じゃない。


(一体誰が……?それとも、明日人さん自ら……?)


 混乱している千秋に、眞冬の言葉が更に追い打ちをかけることになる。


「俺達は、明日人さんが事件に巻き込まれたと踏んでいる」


「事件……に?」


 体の力が抜けていくのを感じた。


(……嘘だ。明日人さんが、事件に巻き込まれた?このままだと、明日人さんも……春花のようになってしまう?)


「そんなの……、そんなの嫌だ!」


 千秋は堪らず叫ぶ。それを見て、眞冬は千秋の背中を擦る。


「落ち着け。俺だって嫌だよ」


「っ……ごめん……でも、明日人さんまで死んじゃったら……僕は……」


「……馬鹿だな。そうならないように、俺は探偵になるんだよ」


「え……?」


「探偵になって、色んな所を調査して……明日人さんを見つける。そんで……あの頃みたいに、またみんなで集まろう」


 眞冬なりに、千秋達のことを考えての言葉だ。それは千秋も分かっていた。しかし、千秋の胸にあったのは、喪失感。その優しさを受け取るだけの余裕なんて無かった。


「でも、春花はもういない……」


 千秋がそう呟くと、眞冬は悲しそうに顔を歪めた。


「……分かってるよ。でも、諦めきれねぇんだ!あの頃みたいに戻るのを!!」


「眞冬……」


「……俺はやるぜ」


 眞冬はそう言って、千秋の前を立ち去っていく。千秋はただ、それを呆然と見ていることしかできなかった。


* * *


 千秋達がバラバラになってから、もう1年が経とうとしている。千秋は廊下で外の景色を見ながらぼんやりとしていた。


 今まで4人で戦っていた任務も、千秋1人で熟すようになった。


 ただ高次元生物の相手をして、戦って、戦い続けて……気を抜くと駄目になってしまいそうで、千秋は休まずに戦い続けていた。


 そうしていれば、いつか春花に会える気がしたのだ。だから戦って、命を危険に晒して……格上の相手にも1人で立ち向かって、満身創痍になりながらも倒していた。


 今の千秋を見たら、夏実や眞冬はきっと止めるだろう。彼のことを心配して、休むように言ってくれるはずだ。


 しかし、その2人はここにいない。


「……志野」


 低い声に呼ばれて振り返ると、総隊長がいた。


「総隊長……?」


「話がある。総隊長室まで来なさい」


 何の話だろうか。遂に無茶がバレて叱られるのだろうか。しかし、千秋は不思議と何も感じなかった。不安も、何も感じられないほど、心が麻痺してしまっていたのだ。


「……了解」


 千秋は短く返事をして、総隊長室に向かった。


* * *


 総隊長室で告げられたのは、衝撃の一言だった。


「総隊長を継いでくれ」


「え……?僕が、総隊長に……?」


 千秋は目を丸くし、尋ねる。


「どうして……ですか?」


 すると、総隊長は千秋を真っ直ぐ見つめて、口を開いた。


「儂も、もう年だ。いつまでも老いぼれが先頭に立つ訳にはいかない。今の特部に必要なのは、新しい風だ」


「新しい……風」


「そうだ。力ある一握りの者に任せるのではなく、全員が一致団結して高次元生物に立ち向かう……その姿勢が必要だと思わないか?」


 確かに、千秋達が入隊してから、高い難易度の任務は千秋達ばかりに回ってきていた。今も、望んでいることとはいえ、千秋が1人で奮闘する場面が多い。


「……もっと早く、このことに気付いていたら……北原は死なずに済んだのかもしれない。その判断がつかなくなった時点で、儂は総隊長失格だ……」


「総隊長……そんなこと……春花は僕のせいで……」


「志野……」


(……あれは絶対に総隊長のせいじゃない。春花は僕を庇って死んだんだ……僕が、もっとしっかりしていたら……)


 千秋の脳裏に、あの日のことがフラッシュバックする。春花が冷たくなっていくあの瞬間も、彼女を抱いたときの感覚も、まだ鮮明に思い出せた。


 胸が締め付けられ、目に涙が浮かぶ。


「……志野。もう自分を責めるな」


 千秋の心の内を察してか、総隊長は優しい声色で言った。


「お前は、仲間を失うことの恐怖を……仲間の大切さを、特部の誰よりも分かっている。その思いを、今度は総隊長として生かしてほしい……頼む」


 仲間の大切さ。仲間を失うことの恐怖。どちらも、春花を失って仲間とバラバラになってしまった千秋には、痛いほど分かることだった。他の誰にも、こんな思いをして欲しくなかった。


──総隊長になって、仲間を守ること。特部の仲間が大切な人を失って泣くようなことがないように導くこと。それが、今の僕にできることなんじゃないか?

 もし僕が総隊長になったら……春花も笑ってくれるかな?春花に胸を張れる僕に、なれるかな?


 そう問いかけると、目の前で、春花が笑ってくれたような気がした。


──千秋、頑張れ。


 千秋は、微かに見えたその笑顔を信じ……意を決して頷く。


「分かりました。僕……総隊長になります」


「……ありがとう」


 総隊長はそう言って千秋に微笑む。


──僕は……いや、私は、誰1人として死なせはしない。あの日、失ってしまった命の分まで……総隊長として、仲間を守ってみせる。だから、春花……見ていてくれ。


 右手に嵌めた桜型の指輪を見つめて、千秋は決意を固めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ