23 東日本支部
一方、翔太と柊は東日本支部に到着していた。
栃木県白峰町。その中央に位置する特部の建物は、中央支部に負けず劣らず立派だった。
玄関をくぐると、オペレーターの制服を着た、黒いショートヘアで丸眼鏡が似合う青年が、笑顔で迎えてくれた。
「2人とも、よく来てくれたね。東日本支部支部長の草谷陸です。よろしくね」
「宵月柊です。よろしくお願いします」
「風見翔太です。お久しぶりです」
翔太の言葉に草谷はにこりと頷く。それを見て、柊は不思議そうな顔をして翔太に尋ねる。
「久しぶりってことは、翔太君、東日本支部に来たことがあるの?」
「ああ、何度か任務でな。……あと、一応地元なんだ」
「え、そうなの!?」
翔太の返答に、柊は目を見開いた。
白峰町も、天ヶ原町と同様に大して都会では無い。それどころか、天ヶ原町より田舎のように感じられる。
東日本支部周辺にワープしてから、建物に着く道中で、柊は天ヶ原町にある商店街のような大きなアーケードも見つけられていなかった。それに、平日の昼間とはいえ、人通りも殆ど無い。
閑静な田舎町。それが柊が感じた白峰町の印象だ。
翔太は、柊が何故そんなに驚いているのか分からず、不思議そうに彼女を見る。
「別に驚くことじゃないだろう?なんで、そんなに驚いてるんだ」
「何だか意外だなって思ったの。翔太君は都会の人って感じだったから」
柊の言葉を聞いて、翔太は少し不愉快そうに顔をしかめる。
「……ここが田舎だって言いたいのか?」
「うん……だって、田舎だよね?天ヶ原町よりも静かじゃん」
柊は翔太の様子を気に留めず、素直な感想を口にした。正直で裏表がないのは柊の長所だが、ハッキリとしすぎた物言いをしてしまう点は、短所とも捉えられるかもしれない。
翔太は柊に対して反論しようと口を開く。しかし、翔太が何か言う前に、草谷がそれを制止した。
「はいはい、そこまで。2人には援助に来てもらったんだから」
困ったように笑う草谷を見て、2人は慌てて頭を下げた。
「すっ、すみません……」
「……気をつけます」
「よろしい。……とりあえず、2人についてきてほしい所があるんだ。いいね?」
2人は頷き、草谷の後に続いて廊下を歩いていった。
「……ここだよ」
草谷に連れられてやって来たのは医務室だった。
「失礼します」
草谷についていき部屋に入ると、苦しむ人々でいっぱいのベッドが目に入った。どの人も顔色が悪く、苦しそうに呻いている。
その様子を見て、柊は思わず顔を顰めた。
「何これ、酷い……」
「この様子……毒か何かですか?」
翔太の問いかけに、草谷が苦い顔で頷く。
「その通り。ここ数日で沢山の町の人が運ばれてきた……でも、出所が分からないんだ。事故なのか、事件なのか……人によるものなのか、高次元生物によるものなのか」
「それで今、特部が調査してるんですね」
「そう。2人には調査を手伝ってもらいたいんだ。毒の原因を突き止めて、犯人を止めてほしい」
「分かりました」
2人がしっかりと頷いたのを見て、草谷は口を開いた。
「それじゃあ、まずうちの隊員に挨拶してもらおうか。それから作戦を説明するよ。ついてきて」
2人は草谷に促されて、医務室を出た。
* * *
談話室に入ると、東日本支部の緑色のマントを身に纏った4人の少年少女がいた。
「あ、翔太君!」
キャスケットを被ったショートヘアの少女が、翔太の姿を見つけるなり、目を輝かせる。翔太は真面目な顔のまま、彼女に会釈した。
「お久しぶりです。鈴さん」
「久しぶり!……と、新しい子もいるから、自己紹介をしようかな」
少女は咳払いをして、柊の方を見て微笑んだ。
「東日本支部リーダー早乙女鈴です。アビリティは『音塊』で、音を塊にして相手を攻撃するんだ。これはそのためのフルートね」
そう言うと、鈴はフルートを取り出し演奏を始めた。すると、辺りに緑色の球体が漂い始める。
「綺麗……!フルート、上手なんですね」
柊が拍手すると、鈴は満足げに笑った。
「気に入ってもらえてなによりだよ」
「わしらも自己紹介した方がいいようじゃのう」
鈴の隣に座っていた、おかっぱ頭の少年が立ち上がって柊の方を見た。
「橘忍じゃ。アビリティは『針』。よろしく頼むぞ」
「よろしくお願いします。……変わった喋り方ですね?」
柊に変なものを見る目で見られているのを意に介さず、忍は得意げに話し始めた。
「よくぞ気づいてくれた!わしは由緒正しき忍びの末裔で……」
すると、忍の隣にいた小柄なポニーテールの少女がその口を塞いだ。
「むぐぐ……」
「よく分からないこと話さないでいいですから!」
少女は柊に向き直るとにこりと笑った。
「藍原結です!アビリティは『糸』で、細くて頑丈な糸が出せます!よろしくお願いします!」
「よろしくね、結ちゃん」
結は柊に笑顔を見せると、まだ自己紹介していない、薄紫色の長い髪をした少年の肩を叩いた。
「次、城田先輩の番ですよ!」
「あ、ごめん。ぼんやりしてた」
その少年の整った顔が柊に向けられる。
「城田大地。アビは『壁』。よろしく」
「よろしくお願いします」
「全員自己紹介したね?」
草谷がそう確認すると、全員が彼に注目した。
「作戦を確認するよ。まず、僕達の目的は毒の原因を突き止めること。そのために、君達には2つの班に分かれて町を探索してもらう。何か異常があった場合は、すぐに連絡すること。いいね?」
全員が頷いたのを確認して草谷は続けた。
「翔太君と柊さんは鈴と行動してくれ。他のメンバーは大地の指示を聞いて」
「了解!」
* * *
連日の毒の騒動が原因か、住宅街は閑散としていた。今のところ、特に異常は見られない。
「何か原因があるとすれば人が集まる場所だと思ったのだが……」
翔太は眉間に皺を寄せながら呟く。それを見た鈴は翔太の肩をぽんと叩いた。
「目の付け所は間違ってないと思うよ。毒にやられている人の共通点は、この町の人間だということだからね。もう少し、注意して探そう」
柊もそれに頷き、辺りを注意深く見渡した。しかし、相変わらず不自然な所は見当たらない。
(こんなに探しても何もないってことは、やっぱり高次元生物?それとも……誰かが?)
考え込む柊と、しかめっ面の翔太を見かねた鈴は、2人をリラックスさせようと、努めて明るく声をかけた。
「少し休憩にしようか。肩の力を抜こう」
鈴はそう言いながら近くの自販機でオレンジジュースを買うと、2人に投げ渡した。
「私の奢りね」
「あ、ありがとうございます……」
柊はお礼を言ってオレンジジュースを飲んだ。柑橘系の爽やかな味が、柊の口いっぱいに広がる。
思いの外喉が渇いていたのか、小さな缶の中身はあっという間に空になってしまった。傍らの翔太も同じようだった。
「2人とも緊張しすぎだよ。特に翔太君。ずっと顔をしかめて……久しぶりの故郷なのに」
鈴の言葉に対して、翔太は自販機の脇にあるゴミ箱に缶を捨てながら、ため息混じりに答える。
「一応任務で来てるんですから、浮かれてられませんよ」
その堅苦しい様子を見て、鈴はヤレヤレと苦笑いした。
「相変わらず真面目だな~。何か良い思い出を思い出したりしないの?初恋の人とかさ」
「初恋の人!?」
大好きな恋バナを期待し、目を輝かせる柊を見て、翔太は思わずため息をつく。
「そんな思い出ありませんよ」
「つれないな~……楽しかったこととかでもいいからさ、聞かせてよ。気になるよね、柊ちゃん?」
「はい!聞きたいです!」
「はぁ……2人が期待してるような話じゃないかもしれないが……」
翔太は空を見上げて口を開いた。
「昔の家の近くに高台公園があってな。父さんと燕と、よく天体観測をしてた。あの頃は楽しかったな……」
「天体観測か……いいな」
父と妹と天体観測。父との思い出が殆どない柊には羨ましい話だった。
少し寂しそうに下を向く柊を見て、翔太はすぐに声を掛ける。
「柊。天体観測、興味あるか?」
翔太に尋ねられ、柊は顔を上げて答える。
「うん、ちょっとね」
「任務が終わったら案内する」
「いいの?」
「ああ。約束だ」
翔太はそう言うと、少しだけ目を細める。その優しげな表情は、大切な妹に向けるものと同じだった。
その表情を見た、鈴はにやりと口角を上げる。
「あの翔太君が女の子をお出かけに誘うなんて……大人になったね」
「なっ……!」
鈴に揶揄われ、翔太は慌てて柊から目を逸らした。その頬は、赤く火照っているように見える。
柊に対して、特別な気持ちを抱いている訳ではない。寧ろ、彼女は翔太にとって妹のような存在だった。素直で行動的な彼女は、記憶を失くす前の燕によく似ていたのだ。
だからか、翔太は柊を放っておけなかった。今だってそうだ。寂しそうな顔をする柊を元気づけてやろうと思って、つい、らしくないことを口走った。
柊は仲間だ。男女のあれこれなんて関係なく……大事な仲間だ。翔太はそう自分に言い聞かせ、大きく息をを吐いた後に、鈴に反論する。
「……子供扱いしないでください。あと、誤解の無いように言っておきますが柊は仲間です。……そんなんじゃありませんから」
「分かってるよ~」
翔太の気持ちを見抜いているのか、それとも単に面白がっているのか、鈴は楽しそうな笑顔を見せた。
柊はというと、翔太が照れていることが面白くて、クスクスと笑っている。柊は、鈴の言葉が冗談であることも知っているし、真面目な翔太が、大したこともない揶揄いに照れてしまうことも、この数ヶ月で理解していた。
柊が翔太に抱いている好意もまた、恋愛のものではなく、仲間に対する信頼にあたるものだったのだ。
2人の表情から、緊張の色が消える。鈴のお陰で、張り詰めていた気持ちが多少ほぐれたようだ。
鈴はそれに満足して、調査を再開しようと2人に声をかけようとした。
その時。
「助けて下さい!」
長い薔薇色の髪をした少女が、3人の元へ駆け寄ってきた。
「向こうで高次元生物が!」
少女の言葉に、鈴は顔色を変える。
「ほんとに!?案内してくれる?」
「はい!こっちです!」
走る少女の後を追いかけて、3人は走り出した。
* * *
少女に案内されて辿り着いたのは路地裏だった。しかし、高次元生物の姿はない。
「高次元生物は?」
怪訝そうに尋ねる翔太を見て、少女はにやりと口の端を上げる。
「こんなに簡単に騙せるなんて、特部も大したことないわね」
少女は、妖しい笑みを浮かべながら指を鳴らした。その音と同時に、少女の背後に無数の針が生まれる。針は紫色に輝き、先端にいくにつれて黒くなっていた。
「『毒針』!」
少女が腕を振り下ろすと針が3人に降り注いだ。針が肌に刺さると、溶けて体内に毒が流れ込む。
次の瞬間、3人の胸に鋭い痛みが走った。間もなくして呼吸が苦しくなり、3人はその場に崩れ落ちる。
「お前……何者だ……」
翔太が苦痛に顔を歪めながら尋ねると、少女はにやけながら答えた。
「私はアリーシャ。よろしくね。まぁ、あなた達はここで死ぬんだけど」
「町の人達を毒で苦しめたのもお前だな……」
「その通りよ。こうすれば特部が現れると思ってね」
「狙いは俺達か……お前、エリスとかいう奴の仲間だな……」
「そうよ?だから何?」
「俺達は……お前達を倒す……」
翔太は身体に力を入れ、何とか立ち上がろうとするが、苦しさのあまり身体を起こすことすらままならない。
「あは!その体で?無理よ無理!」
アリーシャは楽しそうに笑いながら、翔太の前へしゃがみこみ、その前髪を引っ張った。
「くっ……」
「あなた達はここで死ぬの!苦しんで、苦しんで、そして死ぬの!」
アリーシャは狂気に満ちた笑顔で、3人にそう言い放つ。
翔太は悔しそうに彼女を睨んだ。抵抗しなければならないのに、体内に回った毒のせいで、思うように身体が動かない。
髪を引っ張られ、乱暴に頭を上げられている翔太を見て、鈴は震える手で腰にしまったフルートを取り出した。
翔太を助けなければ。そう思ったのだ。
「やめろ……!」
鈴はフルートを口元へ運び、力を振り絞って息を吹いた。弱々しい音塊が、アリーシャの手を弾く。
「翔太君を離せ……!」
悦びに水を差されたアリーシャは、氷のように冷たい眼差しで鈴を睨んだ。
「……早く死にたいようね。いいわ。その願い叶えてあげる」
アリーシャは鈴に歩み寄ると巨大な毒針を生み出した。
「死になさい!」
アリーシャが毒針を鈴に突き立てようとした、その時。
「『停止』……!」
柊の声が辺りに響き、アリーシャの動きが止まった。
「柊……どこにそんな力が……」
翔太な目だけを動かして、なんとか彼女を視界に入れる。
すると、柊はふらふらと起き上がり、翔太に笑顔を作った。しかし、その顔色は真っ青で、脂汗も浮いている。無理をしているのは明らかだった。
「できるできないの問題じゃないよ。みんなを守りたいから、私は何だってやってみせる」
その力強い言葉が、その大切な仲間を守ろうとする思いの強さが……翔太の胸に突き刺さり、熱を帯びた。
「柊……」
翔太の、柊に対する認識が変わっていく。
柊は、自分が守らなければならないようなか弱い妹ではない。
柊は、対等な仲間だ。強く、優しい、仲間だ。
でも……彼女が傷つくのは、無理をするのを見るのは…………嫌だ。
俺も、柊を……守りたい。
1人で傷つけさせるなんて、絶対に嫌だっ……!!
翔太がそんな思いを巡らせている中、柊は目を閉じて、霞む意識を集中させていた。
柊は細く息を吐き、毒に侵されているとは思えないほど、力強く声を出す。
「『巻き戻し』……!」
すると、3人の体から毒が消え去った。鈴と翔太は身体が楽になったのに気が付いて直ぐに身体を起こす。それを見た柊は安心した笑顔を見せ……ふらりと倒れた。
「柊!!」
2人は慌てて柊の元へ駆け寄る。
「柊ちゃん……体の状態を毒が回る前に巻き戻したのか……!?」
「柊っ……!」
翔太は柊の体を抱き起こした。
「なんで……こんな無茶を……!」
「言ったでしょ。私、みんなを守りたかった……。そのためなら、なんだってするって……」
翔太の、柊を抱く腕に力がこもる。
自分を守る形で、柊が倒れたのが悔しかったのだ。
そして、倒れてしまった柊が、心配でたまらなかったのだ。
彼女が、大切であるが故に。
だが、立ち止まっていてはいけない。今、翔太にできることは、敵を退け、一刻も早く柊を安全な場所で休ませることだ。
翔太は不安を押し殺し、柊を抱えたまま立ち上がる。
「……ありがとう。後は俺達に任せて、休んでてくれ」
翔太は柊に真剣な面差しでそう伝え、彼女を壁際に横たえた。
柊のアビリティが切れると、アリーシャは毒針を振り下ろした……が、そこにいるはずの鈴がいないことに気がつき、動揺した。
「どういうことなの……!?」
翔太はその一瞬の隙を見逃さなかった。
「『突風』!」
アリーシャは激しい風に吹き飛ばされ、壁に打ち付けられた。
「く……『毒針』!」
アリーシャは負けじと、先程と同様に毒針を放つ。
「させないよ!」
それに対抗すべく、鈴はフルートを吹き始めた。緑色の音塊が、毒針を全て相殺する。不測の事態の連続に、アリーシャは思わず頭を掻きむしった。
「毒が消えて、攻撃も通らない……いいわ」
アリーシャは、小さな白いキューブを取り出した。
「あなた達の大好きなあれを出してあげる!」
アリーシャはそう叫んで、キューブを手放した。キューブは地面に落ちると、激しく光り輝く。
「何だ……!?」
光が収まり、翔太が目を開けると、そこにアリーシャの姿は無かった。
その代わりに、転送されたのであろう薔薇の頭をした高次元生物が現れた。
「お前……は……!」
それの体は緑色で腕の代わりにとげのある枝が伸びている。
その全身の隅々までを視界に入れ……翔太は目を見開いた。
この高次元生物を、翔太はよく知っていたのだ。
「父さんと母さんを殺した、高次元生物ッ!!」
翔太の脳裏に、あの日の出来事が蘇る。
* * *
あの日は、今日と同じ、燕の誕生日だった。
燕が10歳になったことを、両親はとても喜んでいたのだ。
誕生日ケーキが置かれた食卓を家族で囲み、両親は、幸せそうな顔で、1つ大人になった燕を見ていた。
「ハッピーバースデー、燕」
「10歳、おめでとう」
「お父さん、お母さん、ありがとう!」
燕は明るい笑顔で両親に応える。
一方の翔太は少し落ち着かない様子だった。
翔太はテーブルの下に両手を入れ、何かを握っている。
兄がソワソワしていることに気が付き、燕は兄へ声を掛けた。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
すると、翔太は、テーブルの下から赤い袋でラッピングされた小さなプレゼントを取り出したのだ。
「燕、これ……兄ちゃんから、誕生日プレゼント」
妹に喜んでもらえるかドキドキしながら、翔太はそのプレゼントを彼女に手渡す。
「わぁ……!お兄ちゃん、ありがとう!開けてもいい?」
「うん。開けてみて」
翔太に促され、燕は目を輝かせながら、丁寧にラッピングを開けていく。
すると、中から出てきたのは、赤くて丸い飾りがついた、2つセットのヘアゴムだった。
「わぁ……!ふふっ、可愛い」
燕はヘアゴムを眺め、嬉しそうに目を細める。
そんな妹の喜んでいる様子を見て、翔太は照れくさくなり頬をかいた。
このヘアゴムは、決して高価なものではない。本当は、もっといい物を買ってやりたかった翔太だったが、小学生のお小遣いでは高いものには手が出せず、店にある高価で綺麗なアクセサリーを前にして唇を噛むことしかできなかったのだ。本当に、悔しい思いをした。
だが、その悔しさも、燕の笑顔を前にして、優しくほどけていく。
このヘアゴムにして良かったと、翔太は心からそう思った。
「お兄ちゃん、ありがとう!大事にするね」
燕は、翔太に対して明るい笑顔を見せた。大きなツリ目が、優しげに細くなる。翔太と似ている、美人な笑顔だった。
妹の笑顔が見られて、翔太も思わず顔を綻ばせる。
両親は2人のやり取りを微笑ましく見守った後に、ロウソクを手に取りケーキに刺し始めた。
「そろそろ、ロウソクに火をつけようか」
父がそう言って、手元にあるマッチで火をつけ、ロウソクに柔らかい灯りを灯していく。
「翔太、部屋の電気を消してきて」
母に頼まれ、翔太は短く返事をしながら、部屋の灯りのスイッチを落としに、広いリビングの端に向かった。
スイッチを切り替えると、カチッと音を立てて、部屋の電気が消える。
ロウソクの灯りだけが柔らかく部屋を照らしている中、翔太は家族の元に戻ろうと歩いていった。
その時だった。
バリィィン!!
庭に繋がっている大きな窓が、音を立てて割れたのだ。
「何だ!?」
翔太が驚きのあまり立ち止まっていると、窓の外から長い枝が勢いよく伸びてきた。それは母に向かって真っ直ぐと伸びていき、その胸を貫く。
母の口から、断末魔のような叫び声が発される。
その枝は母を床に叩きつけ、身体から素早く抜けていった。
ロウソクの灯りしか無かったから、翔太の目にハッキリと見えた訳ではない。しかし、床には彼女の血だまりが満潮の海のように広がっていた。
「お母さん!!」
燕の悲鳴が聞こえて、翔太は我に返る。
「燕!」
翔太は妹を守るために、すぐ彼女の元へ駆け寄った。
「翔太!燕と一緒に奥の部屋に隠れてなさい!」
「分かった!」
父にしっかりと頷き、翔太は燕の肩を抱きながら、リビングの奥にある寝室へ走った。
寝室の扉を閉め、翔太は震える燕を必死に抱きしめる。
「燕、大丈夫だ。兄ちゃんが守ってやるから」
燕を安心させようとそう言った、次の瞬間。
寝室のドアが壁ごと破壊され……薔薇の頭をした高次元生物が、2人を見下ろしていた。
「ひっ……!」
恐怖のあまり、燕が固まってしまう。翔太は妹を庇いながら、高次元生物を睨みつけた。
「燕に手を出すな!『かまいたち』!」
翔太は薔薇の枝を断とうと風の刃を繰り出した。しかし、枝にはかすりもしない。
やがて、高次元生物の枝がこちらに伸びてきて、燕に巻きついた。
「燕ッ!!」
「きゃー!!」
高次元生物はその枝を振るい、燕を床に叩きつける。
鈍い音が、部屋に響いた。
翔太は、枝に巻き付かれたまま動かなくなった妹を視界に入れる。
そして、リビングの方から漂ってくる、濃すぎる血の匂いを認識する。
彼の中で、何かが切れた。
「ふ……ふざけんな……!ふざけんな…………!!」
翔太を中心に、激しい風が巻き起こる。
「消してやる……お前、なんか……ッ!消してやるッ!!!!」
翔太の激しい風は、竜巻となって周囲のものを破壊する。
天井がメリメリと音を立てて吹き飛んだ。窓が音を立てて割れた。家具が壁に打ち付けられて壊れた。
その中で、ただ1つ。燕だけは、竜巻の目の中にいたため無事だった。
この竜巻は、翔太の意思そのものだったのだろう。
高次元生物は、小さな少年から繰り出される激しい竜巻に怯み、慌ててその場から立ち去った。
「はぁっ、はぁ……」
力を使いすぎたせいで、全身が脱力している。
「燕……!」
翔太は、フラフラと妹の元へ歩み寄り、その首筋に触れた。
「……いき、てる」
彼女の脈を感じて、気が抜けた翔太は……妹の傍に倒れ込んでしまった。
彼はそのまま意識を失い……遅れて到着した当時の特部隊員に助けられるまで、妹の傍で眠っていた。
* * *
「あの時は追い払うだけで精いっぱいだったが……もうあの頃の俺じゃない!息の根を止めてやる!『かまいたち』!!」
風の刃が高次元生物の枝を切り落とした。しかし、切り落とされた端から再生していく。
「翔太君、落ち着いて!」
「落ち着いてられるか!枝がだめなら頭を叩く!!」
翔太はなりふり構わず高次元生物に突っ込んでいった。
「全く……!」
鈴はフルートを吹いて翔太を援護しようと試みたが、音塊では枝を断てなかった。
「『かまいたち』!」
風の刃で頭を切り落とそうとするが、頭に血が上り精度が落ちているせいか全く当たらない。
そうしているうちに、枝が翔太の背後に回り込んでいた。とげのついた枝が、背中から翔太を貫こうと迫る。
「翔太君!後ろだ!」
翔太がその声を聞いて振り返ると、鋭い枝が目の前にあった。
(しまった……!)
その時。
「『糸』!」
細い糸が枝に巻き付き切り落とした。
「結ちゃん!みんな!」
「鈴さん、遅くなってすみません!」
「何やら大変なことになっているようじゃのう」
「……どうして連絡してくれなかったんだ」
「色々あって忘れてて……」
じっとりとした視線を向ける大地に対して、鈴は苦笑いした。
『みんな、合流できたね?』
草谷の言葉に鈴は頷き尋ねる。
「草谷さん、あの高次元生物の弱点は……」
『末端部分は攻撃しても再生されてしまう。だから急所である頭を切り落として倒して』
「分かりました」
高次元生物は結の糸に反応し、彼女を貫こうととその枝を伸ばした。
「『壁』……!」
大地が地面を殴ると大きな灰色の壁が現れ、その攻撃を防いだ。
「わしも行くぞ!『針』じゃ!」
忍は数本の針を生み出し、高次元生物に放った。
針が枝に突き刺さり、高次元生物が痛そうに悶える。その様子を見て、忍は目を見開き高笑いした。
「痛かろう!わしの針は鋭いからな!」
「翔太君!枝は私達に任せて!」
鈴の声に、翔太はしっかりと頷き前へ駆け出した。
高次元生物との距離が縮まる。翔太は右腕をその薔薇の頭に伸ばした。スラリと伸びた指の1本1本が、憎き赤い薔薇を捉える。
「決める……!『かまいたち』!」
右手から放たれた風の刃が命中し、高次元生物の頭がバサリと切り落とされた。
真っ赤な薔薇の花びらが辺りに舞い散る。切り離された体も力無く崩れ落ちた。
「やった……のか」
『高次元生物の反応消滅。……みんな、よくやったね』
「……父さん、母さん、やったよ」
翔太は小さく呟き、遂に仇を打ち倒したことを実感し、拳を握りしめた。
「翔太君、やったね!」
鈴が翔太に駆け寄り、笑顔を見せる。その嬉しそうな顔を見て、翔太も表情を緩ませる。
「鈴さん……ありがとうございます」
「君が勢いに任せて突っ込んだ時はどうしようかと思ったよ……」
「すみません。東日本支部のみんなが居なかったらどうなっていたことか……」
翔太はそう言いながら緑のマントの仲間達を見つめる。
「本当に、助かりました。ありがとうございます」
頭を下げる翔太に対し、東日本支部の面々はそれぞれ嬉しそうに笑った。
「そういえば、毒の原因はなんじゃったのかのう?」
ふと、忍が首を傾げた。
「それは……帰り道に話します」
翔太はそう答えると、柊の元へ歩み寄り、ぐったりとしていた彼女をおぶった。
以前、海奈と深也と出た任務で運ばれた時とは異なり、柊は何も抵抗せずに彼に身を委ねる。
「翔太君、ごめんね……」
「気にしなくていい。このぐらい、させてくれ」
翔太は優しく答えて、柊を背中に歩き出した。
その言葉の優しさと、背中から感じる温もりが、柊の心にじんわりと広がっていく。
彼の不器用ながらも真っ直ぐな優しさが、たまらなく嬉しかった。
「翔太君って、意外と背中大きいよね」
柊は小さく微笑みながら、彼に声をかける。
「なんだそれ、褒めてるのか?」
「なんだか安心するってこと」
柊の言葉を聞き、翔太の頬がほんのりと染まる。
「聖夜の方が大きいぞ」
咄嗟に出た照れ隠しだった。しかし、柊はそれをすぐに見破り、楽しそうに笑う。
「ふふっ、照れてる?」
「…………照れてない」
「仲良いね。2人とも」
2人のやり取りを見て、鈴はにやりと笑った。今度は、翔太の気持ちと2人の仲の良さを完璧に理解して。
翔太は鈴の考えていることを察して、落ち着きを装い、早口で彼女に釘を刺す。
「そんなんじゃありませんから。邪推しないで下さい」
「分かってる分かってる!さぁ、早く帰ろう」
鈴は明るく笑いながら、仲間達の先頭に飛び出して、軽やかな足取りで歩いて行った。
* * *
東日本支部に戻る頃には、柊は眠ってしまっていた。
調査と戦闘の報告は東日本支部の隊員に任せ、翔太は柊を負ぶったまま医務室に向かった。
「失礼します……って、清野さん!」
医務室の中には本来中央支部にいるはずの清野がいた。
「おや、翔太君に柊さんではないか。任務は終わったのかな?」
「はい……清野さんはどうしてここに?」
「応援要請があってね。毒に侵された人達の回復を行ってたんだよ」
翔太がベッドの方を見ると、毒で苦しんでいた人々がすやすやと眠っていた。
「それで、君達はどうしてここに?」
「柊を診てもらえませんか?アビリティの使いすぎで任務中に倒れてしまって……」
「アビリティ使いすぎで……分かった。そこの空いているベッドで診よう」
翔太は一番端のベッドに柊を横たえると、後ろを向いた。
「おや、紳士だね」
「女子ですから。変な所を見たなんて疑いをかけられても困りますし」
「ふむ……では始めようか」
清野は柊を診察し始めた。
清野は手早く首に下げた聴診器を耳につけ、心音を確認する。しかし異常は見られなかった。
(内蔵に異常は無さそうだ。今は顔色も悪くない。それに、柊さんは貧血持ちでも無かったはずだ。なら、一体何が原因で……)
清野は頭の中で柊のカルテを詳細に思い出しながら、翔太に質問を投げかける。
「アビリティの使いすぎと言っていたけど、柊さんはそんなに敵を『遅延』させていたのか?」
「いや……『遅延』は使っていませんでした。それより数段レベルの高い……『停止』や『巻き戻し』を使って、倒れたんです」
「なるほど……倒れるのは今日が初めてかな?」
「いや……特部として初めての任務の時も倒れてましたし、海奈と深也と出た任務でも立てなくなってました」
「そうか……うむ……」
清野は柊の服を戻しながら、関連しそうな病名を脳内で探る。
(……過労か。それとも、急性の疾患か……。現段階では判別ができない。そもそも、柊さんがアビリティを使って倒れるのは慢性的なものなのか?それとも疲れによる偶然か?)
清野は右手を顎につけ、長考する。しかし、彼女は内科の専門医ではない。特殊施設医務員を務めるための幅広い知識はあれども、診断を下すだけの力は無かった。
だが、彼女の脳裏に、嫌な予感が過ぎる。
(翔太君の話から思い当たるものがあるとすれば、アビリティ細胞の、急性疾患…………)
「清野さん?」
黙り込んでしまった清野を不審に思い、翔太が声を掛ける。それに気が付き、清野はハッとして返事をした。
「ああ……もうこっちを見ても大丈夫だぞ」
清野にそう言われて、翔太は振り返った。
「今は疲れて眠っているだけだが、話を聞く限り、何らかの病気である可能性もある」
「病気……ですか」
「ああ。ただ、私は専門医では無いのでね。断言はできない。……私の杞憂だと良いのだが、気にかけてあげてくれないか」
「……分かりました」
翔太が頷くのを確認し、清野は軽く息を吐き、肩の力を抜いた。
(私の杞憂であって欲しいものだ。本当に……)
清野は一抹の不安を誤魔化すように、普段通りの平然とした表情を心掛けて翔太に尋ねた。
「さて、私は中央支部に帰るが、君はどうする?」
「柊の目が覚めるのを待ちます」
翔太の言葉に、清野は目を丸くした。
「それでも良いが、もう日が暮れるぞ?」
「別に平気です。ワープパネルですぐ帰れますから」
翔太はそう言うと、不安げな眼差しで眠っている柊を見つめる。その、大切なものが壊れないか心配しているような眼差しに、清野は思わず優しく目を細めた。
「そうか。では私から琴森に伝えておこう」
「よろしくお願いします」
「それじゃあ、気をつけるんだぞ」
そう言うと、清野は医務室を出て行った。
「……俺も座るか」
翔太は近くの椅子に腰掛けながら、柊が目覚めるのを待つことにした。
* * *
「……うーん」
柊が目を覚ますと、時計の針は午後8時を指していた。
「8時……8時!?」
「あ、起きたか」
「翔太君!ごめんね、私寝ちゃってたみたいで……」
「気にするな。それより、他にも患者がいる。静かにした方がいい」
「あ、ごめん……」
翔太に静かに諭され、柊は慌てて手で口を塞ぐ。
「……体の調子はどうだ?」
「うん……もう大丈夫みたい」
「そうか……よかった」
翔太はそう言うと、優しく微笑んだ。
少しつり目がちな目が、優しく細められている。長い睫毛も相まって、その表情は男子とは思えないほど綺麗だった。
(あ……翔太君って、こんな風に笑うんだ……)
柊が見とれていると、翔太は怪訝そうな顔をする。
「どうかしたか?」
「あ、ううん……何でもない」
柊は、自分が感じた気持ちにそっと蓋をし、首を横に振った。
それを見た翔太は、柊の気持ちの変化に気づかずに、彼女に質問を重ねる。
「ならいいんだが。……あ、そうだ。柊、約束覚えてるか?」
「約束……?」
「天体観測」
「ああ、うん。覚えてるよ」
柊が頷くと、翔太は少し目を逸らしながら、彼女に尋ねる。
「ち、丁度夜だし……今から見に行かないか?」
翔太の顔が、ほんのりと赤くなる。逸らされた目は、少し伏せ目がちで、睫毛の長さが際立って美しい。翔太の照れた表情も、柊にはとても綺麗なものに見えた。
(翔太君、やっぱり美人だな……)
柊が再び翔太に見とれて黙っていると、翔太は不安げに柊を見つめた。
「やっぱり、難しいか?体調が悪いなら、今日は無理しないで帰った方が……」
翔太に尋ねられ、柊は慌てて首を横に振った。
「あ、ううん!平気だよ。元気いっぱい!」
柊はベッドから降りて、翔太に明るく笑いかけた。
「天体観測、一緒に行こ!」
* * *
2人は街灯に照らされた道路を歩いた。住宅街はどの家も明かりがついており、窓の開いた家からは時折談笑する声が漏れ聞こえてきた。
「こっちだ」
翔太は迷わずに柊の前を進んだ。柊もその後に続く。
しばらくすると、「白峰高台公園」という看板と、白い階段が見えてきた。
「この上だ」
翔太に連れられ、柊は彼と並んで階段を上っていく。少し長い階段を上りきると、町全体を見下ろすことができた。
家の明かりと街灯、そして、少し遠くの方に見える道行く車のライトが、散りばめられた宝石のようにキラキラと光っている。美しい夜景だった。
「綺麗……」
「柊、こっちで座って見よう」
翔太は公園の奥にあるベンチに座って柊を呼んだ。
「うん、分かった」
柊は翔太の隣に腰を下ろすと星空を見上げた。雲一つ無い晴れた夜空には、数え切れないほどの星空が浮かんでいた。
「こっちも綺麗だな……素敵な場所、知ってたんだね」
柊は微笑みながら翔太を見た。翔太の横顔は穏やかで、ただ静かに、夜空を見上げている。
「ああ」
柊の言葉に、翔太は空を見上げたまま返事をした。それを聞いて、柊も再び星空を見上げる。
「どの星がどの星座か分かる?」
「少しな……あれが天秤座、その少し上が乙女座だ」
翔太は星座を指でなぞった。
「……どれがどれだか分かんないや」
柊が苦笑いしてそう言うと、翔太は優しく告げる。
「俺も始めはそうだったよ。何度も見てるうちに、分かってくるさ」
「そっか……うん、そうだよね」
2人は静かに星を見上げた。心地良い沈黙が2人の間に流れる。
その沈黙を破ったのは翔太だった。
「柊、もう無理するなよ」
「え?」
きょとんとした様子の柊に対して、翔太は真面目な顔で続けた。
「倒れたの、今日が初めてじゃないだろ。聖夜にも言ったことがあるが、お前達双子は自分を犠牲にしすぎだ。自己犠牲が過ぎると、救える命も救えなくなるんだぞ」
翔太の真剣な眼差しが、柊に向けられる。
「あ、ごめん……」
申し訳なさそうに俯く柊に対して、翔太は優しい声色で続ける。
「……柊が倒れたら、聖夜も俺も、みんなが心配するんだ。だから、これ以上無茶しないって約束してくれ」
翔太の、まるで家族に向けるような穏やかな声。その声で諭された柊には、彼が自分の身を案じてくれているのが、すぐに分かった。
(……心配、してくれてるんだよね)
翔太の思いやりに胸を暖かくしながら、柊は彼に向かって微笑んだ。
「……うん。分かった」
柊が頷いたのを確認して、翔太は優しく目を細めて立ち上がった。
「あまり遅い時間になっても危ないし、そろそろ戻るか」
「そうだね」
階段を降りようとしたその時、翔太のスマホが鳴った。
「……聖夜からだ」
画面をタップしてメッセージを開くと、その内容に翔太は言葉を失った。
「嘘だろ……」
「どうかしたの?」
「燕の記憶が、戻ったらしい」
「え!?」
「早く戻って、燕に会いに行かないと……!」
翔太は慌てて階段を駆け下りた。
「あ、ちょっと!翔太君!もう病院閉まってるよ!」
柊も慌ててその後を追いかけた。