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20 ノエルと彼女の想い出話

 廃病院の5階。角にある大きな一人部屋の病室は、ノエルが休む場所だった。


 古びたベッドの上に寝そべりながら、ノエルは窓の外を見る。


(星……こんなに綺麗なんだな。この時代は)


 ノエルは体を起こし、窓辺に寄った。


 ガラス1枚を隔てて、満天の星空が広がっている。星々のきらめきを直接見たくなったノエルが窓を開けると、冷たい夜風が部屋に吹き込んできた。


 しかし、ノエルはそれを気にも止めず、ただ星空を見上げている。


「僕達の、時代も……こんな風に、ゆっくり空が見あげられる世界だったら、良かったのにね」


 ノエルはそう呟き、上着の胸ポケットに手を入れ……目を丸くした。


「……無い」


 ノエルは慌ててズボンのポケットも確認する。


「無い……!ここにも、無い!」


 ノエルのこめかみを、嫌な汗が伝った。


「あの、髪飾りは……あの髪飾りだけは、無くしちゃいけないのに!!」


 ノエルは震える手で頭を押さえながら、か細い声で呟く。


「あれは……彼女の、形見なのに…………」


 ノエルの頬に、流れた涙が跡を作る。


「ツムギ……。ごめんね、ツムギ…………」


 ノエルの口から、1人の少女の名前がこぼれた。


* * *


 北の大国フリーデンは、その名の通り平和を愛する国だった。


 夏には、国中の畑で向日葵が咲く。その光景は世界一美しいと言われ、「希望の花園」と謳われるほどだ。


 そんな国で、まだ12歳のノエルは1人、さまよい歩いていた。


 向日葵畑に囲まれた、整備されていない道を、前が見えているのか分からないほどふらつきながら、ノエルは歩き続けている。


 しかし、黄色いペンキが塗られた木製の看板を越えたあたりで、空腹と喉の乾きが限界を迎えたノエルは、道端に倒れてしまった。


(死ぬのかな、僕……)


 ノエルの脳裏に、ぼんやりと、自分が死ぬイメージが思い浮かぶ。しかし、不思議と怖くはなかった。


(もう、いいや。こんな世界に、僕の居場所なんてないし……)


 生きることを諦めたノエルが、静かに目を閉じたその時。


「ねぇ、大丈夫?」


 明るい少女の声が、ノエルの鼓膜を揺らした。


(え……?)


 ノエルがゆっくりと目を開けると、自分よりも少し歳上に見える茶髪の少女が、ノエルのことを心配そうに覗き込んでいたのだ。


 少女のサラサラした髪には、金色の向日葵の髪飾りが留めてあり、夕日に当てられてキラリと輝いている。その反射光が眩しくて、ノエルは思わず瞬きした。


「具合、悪い?それとも、どこか痛いの?」


「あ……」


 ノエルは、乾いた唇を必死に動かして、彼女の質問に答えようとした。


「お、おなか…………」


「ん?」


「おなか……すいた……」


 ノエルが掠れた声でそう言うと、少女はノエルの体を起こして、自分の背中に背負った。


「うぎぎ、重い…………」


 少女はそう呻きながらも、よたよたと歩き始めた。


「……どこ、行くの?」


 ノエルが尋ねると、前を向いた少女から明るい声が返ってくる。


「私の家!ママの料理、とっても美味しいんだよ!」


「ママの、料理……?」


「うん!だから、一緒に食べよう」


 少女はそう優しく言うと、向日葵畑に囲まれた夕方の道を、ゆっくりと歩いていった。


* * *


 ノエルが少女に背負われて連れてこられたのは、小さな花屋だった。


「着いたよ!」


 少女が入り口の木製のドアを開けると、チリンチリンと鈴がなって、中から茶色いショートヘアの女性が現れた。


「ツムギ!遅かったじゃない……って、その子、どうしたの?」


「道で倒れてたの。お腹空いてるんだって。だから、一緒にご飯食べようと思って」


 少女が何でもないように答えると、女性は溜息をつきながら


「本当に、あなたは不思議な縁ばかり引き寄せるわね。誰に似たのかしら」


 と、笑った。


 すると少女は明るい声で


「私のアビリティのお陰!」


 と、女性に笑顔を見せた。


「はいはい。そうね。……とりあえず、その子のために何か作ってくるわ。ツムギ、その子をパパのベッドに寝かせてあげて」


「はーい!」


 女性の言葉に少女は元気よく返事をして、ノエルのことを父の寝室へ連れていった。


(この人達、変だ)


 ノエルは背負われながら、2人のやり取りを思い返す。


(こんな僕を、拒絶しないなんて変だ……)


 ノエルはぼんやりとした意識で、そんなことを考えていた。


 やがて、少女は寝室のベッドにノエルを寝かせると、優しい顔で彼を見つめる。


「どう?地面よりふかふかでしょ」


「……うん。ふかふかしてる」


「当たり前よ!だって、パパがいなくなってからも、私が毎日手入れをしてるんだから」


 少女はそう言うと、ベッドの脇にある写真立てに目を移した。


 横たわっているノエルから、その写真に写っているものを確認することはできなかったが、少女の寂しそうな顔を見て、何となく「ここにいないパパ」だろうと察する。


「……大丈夫?」


 少女の寂しげな顔が気になるあまり、思わずノエルはそう尋ねていた。


「え?あー、大丈夫!」


 少女は慌てて笑顔を作り、ノエルの方に視線を戻した。


「パパは、国のために頑張ったんだもの!だから、悲しくないよ」


「国の、ために……?」


「うん。パパね、フリーデンの外交官だったんだ」


 少女はそう言うと、記憶を手繰り寄せるようとしているふうに、上を見上げた。


「東の大国……白夜って国とね、友好関係を築こうとして、頑張ってたんだよ。実際に白夜に行って、首相ともお話したりしてたみたいなの。……でも、ダメだったんだ」


「ダメだった……?」


「うん。白夜はね、すごく強い国で……分かりやすく言うと、負けず嫌いだったんだ。だから、他国と仲良くするなんて以ての外だって。他国は、全部潰すんだって、過激な人もいて……」


 少女の顔が俯く。表情は必死に笑顔を作っているのに、瞳は潤んでいた。


 その悲しそうな顔を見て、ノエルは彼女のパパに何があったのかを察し……口を開いた。


「もう、話さなくていいよ」


「え?」


「ごめん。悲しいこと、聞いちゃって」


 ノエルが掠れた声で謝ると、少女は目を擦って笑顔を見せた。


「大丈夫だよ。さっき言ったでしょ?悲しくなんてないの」


 そう言って気丈に振る舞う少女を見て、ノエルの胸に、棘が刺さるような痛みが走る。


(悲しいのに、悲しいと言えないなんて……あんまりじゃないか)


 ノエルは痛みに顔を顰めながら、彼女の笑顔から目を逸らした。


 フリーデンは、平和主義国だ。しかしながら、現在の世界情勢は、平和を願うことすら許されないような緊迫状態が続いている。


 先ほど話に出た白夜の首相が、他国への侵攻を仄めかす話をしていたニュースや、西の国ソフィアーがアビリティを応用した兵器を開発したニュース。南の国バーンでは、アビリティを用いた軍事演習をしたというようなニュースが、毎日、ラジオやテレビで放送されているのだ。


 フリーデンでは自然に寄り添った生活をしているために実感できないが、他国はアビリティによる技術で、生活面が高度に発展していた。


 背の高い建物や、空飛ぶ車。人間が作業をしなくても成長する野菜や果物。化石燃料に頼らないエネルギーだって、アビリティの応用で生み出せていたのだ。


 ……しかし、アビリティには仄暗い面もある。


 それは……人を傷つける力であるということだ。


 金銭的に貧しいバーンは、アビリティの力を使い戦争に打ち勝ち、他国の資源や製品を無理やり自国のものにしようと目論んでいる。技術大国のソフィアーは、アビリティの力を使って兵器を生み出し、自国の科学力をアピールしようとしている。そして、白夜は、アビリティの強い兵士達によって、他国を自国の支配下に置こうとしている。


(……こんな、争いの火種になるような力、初めからなければ良かったのに)


 ノエルは思わず乾いた唇を噛み締める。すると、唇が切れて、口の中に血の味が広がった。


「……ねぇ、君」


 少女に声を掛けられ、ノエルは我に返った。


「何……?」


「もし良かったら、君のことも教えてくれる?」


「え……?」


「ほら、私ばっかり話しちゃったし……気になるんだ。君のこと」


 少女はそう言うと、優しい笑顔をノエルに向けた。


「僕の、こと……」


 ノエルは少し黙り込んだ後、ゆっくりと口を開いた。


「僕はノエル。フリーデンの、軍の訓練生だった」


「フリーデン軍?」


 少女に尋ねられ、ノエルはゆっくりと頷く。


「うん。僕、アビリティが人より強いみたいで……両親に、無理矢理入れられたんだ。でも……逃げてきた」


「え……?どうして?」


「嫌だったから」


 ノエルは少し苦笑いしながら、呟く。


「自国防衛のためとはいえ、誰かを傷つけるために、力をつけるなんて……嫌だったから」


 ノエルの言葉に、少女は目を丸くした。


「軍の人でも、そんな風に考えたりするんだね」


「するさ。だって……人間だし」


 ノエルはそう言うと、少女の手に自分の手を重ねた。


「国のために死ぬことは、必ずしも正義じゃないって僕は思う。国を守ったり、良くするために死ぬよりも……自分のために生きた方がずっといいと思うんだ。そう、思わない……?」


 ノエルが尋ねると、少女は驚いた顔をしていたが、やがて切なげに笑った。


「そんな世界だったら、いいのにね」


 少女の悲しそうな顔を見て、ノエルの胸が再度痛む。


「こんな、自分のために生きることもできないような世界で……生きていても仕方ないよね」


 思わず、ノエルの口から、そんな本音がこぼれ落ちた。


 すると、少女の顔色が変わったのだ。彼女は眉を釣り上げ、ノエルの方を真っ直ぐに見つめる。


「そんなこと言わないで!!生きていても、仕方ないだなんて……!」


 少女に大きな声で怒鳴られ、ノエルは目を丸くした。


「生きたくても、生きられなかった人も沢山いるんだよ!?命を粗末にするのだけは……私、絶対に許さない!!」


 少女に叱られ、ノエルは何も言えなかった。


 彼女の言うことは間違っていない。ただ、彼女のようなことを言う人は、国のために命を懸けることを良しとする今の時代では珍しかったのだ。ノエルは軍の訓練施設にいたのだから、尚のことそうだった。


 だから、そんな風に自分の「生」を認めてくれる人がいることが……ノエルには純粋に驚きだった。


「……ごめん」


 ノエルが小さい声で謝ると、少女は慌てて口を押さえた。


「ご、ごめん!私、初対面の人に怒鳴るなんて……」


 そう言って、少女が申し訳なさそうに俯くのを見て、ノエルは静かに口を開く。


「君の言ってることは、間違いじゃない。ただ、僕の周りにそんなことを言う人はいなかったから……」


 ノエルの言葉を聞きながら、少女は恐る恐る彼の方を見る。そんな彼女を安心させたくて、ノエルは努めて穏やかな声色を心掛けながら、続けた。


「だから、驚いたんだ。こんな風に、僕が生きてることを認めてくれるような……生きろって言ってくれるような人がいることが、新鮮で……少し嬉しかった」


「そうなの……?」


「うん。本当に」


 ノエルの言葉に、少女の顔が明るさを取り戻していく。その様子を見ながら、ノエルは少しだけ目を細めて微笑んだ。


(表情がコロコロ変わる……本当に、素直で、変な子だな。でも……温かい人だ)


 ノエルがそう思っていると、少女が彼の手を優しく握って、笑顔を見せていた。


「君、優しいんだね」


「え……?」


「だって、私、あんなに怒っちゃったのに……君は、私の気持ちを受け止めてくれた」


 少女はノエルの手を擦りながら、彼に向かって明るく笑った。


「だから、ありがとう」


 その笑顔が、ノエルの胸に暖かい灯りを灯した。


(もっと、見てたい。この、真っ直ぐで優しい彼女のこと……。できるなら、彼女の傍で)


 ノエルにそんな思いが芽生えたその時、部屋のドアが開いて、パン粥を乗せたお盆を持った、少女の母親が入ってきた。


「体調はどう?」


 彼女はノエルに優しく問いながら、ベッドの脇の棚の写真立てを寄せて、お盆を置いた。


「パン粥、作ってきたんだけど……食べられるかな?」


「あ……ありがとう、ございます」


 ノエルは起き上がり、お盆を膝の上に乗せた。


「いただきます」


 ノエルはスプーンでパン粥を掬い、口に運ぶ。


 パンを牛乳で煮込み、柔らかくしただけの簡単な食事だ。軍にいた頃は、肉や魚など、もっと栄養価の高い食べ物を食べていた。しかし……。


「……あ」


 気がついたらノエルは泣いていた。


「温かい……」


 ノエルはもう一口、パン粥を口に運ぶ。


「お粥って、こんなに美味しかったっけ……」


 ノエルは泣きながら、パン粥を食べ続けた。


 美味しかったのだ。軍で食べた、体を作るためだけの食事に比べて……このパン粥は、温かかったから。


 自分を思って作って貰えた分、温かかったから……。


 涙を流しながらパン粥を食べ続けるノエルを見て、少女の母親は嬉しそうに微笑む。


「……ねぇ、君。これからどうするの?」


 少女の母親に問われ、ノエルは憂鬱そうに目を伏せた。


「どうしたらいいのか……分からないんです」


「分からない?」


「はい。……本当は、軍の訓練施設に戻らないといけない。でも……戻りたく、なくて」


 そう言って俯くノエルを見て、少女は力強く声を出した。


「なら、うちにいなよ!」


 少女の言葉に、ノエルと母親は目を丸くする。


「ノエル、言ってたでしょ?国のために生きるより、自分のために生きたいって。だったら……軍に戻らないで、私達と一緒に暮らそう?」


「え……でも、軍にバレたら……」


「その時は、私からもお話してあげる。……誰かを傷つけるためにアビリティを鍛えるのは、間違ってるって話してあげる」


「そ、そんなこと言ったら、軍の人達はきっと怒るよ……!」


 ノエルが慌てていると、少女は胸を張って言った。


「私のアビリティがあれば、大丈夫!」


「君のアビリティって……一体、何?」


 ノエルに問われ、少女は自分の胸に手を当てて微笑んだ。


「私のアビリティは『絆』。色んな人の縁を結びつける……みんなを笑顔にする力」


 少女はノエルを見つめて、明るく笑う。


「きっと……この力のお陰で、私達も出会えたんだよ!」


「それが、『絆』の力……」


 ノエルは、彼女のアビリティを頭の中で反芻する。すると……自然と笑顔になっていた。


 今の世界は、自国のために他者を傷つけなければならない。そんな風に歪み始めた世界だ。しかし、そんな世界にも、彼女のようなアビリティがあったら……また、世界は一つになれるかもしれない。そう思ったから。


「……そっか。ありがとう。僕を見つけてくれて」


「うん!……それで、これからどうするか決めた?ここに、いてくれる?」


 少女に問われ、ノエルは静かに頷いた。


「うん。僕、君と一緒にいたい」


「ふふっ、じゃあ決まり!ママ、いいよね?」


 少女に尋ねられ、母親はやれやれと笑った。


「仕方ないわね。でも、うちで暮らすからには、お店の手伝いはしてもらうからね?」


「はい。もちろんです」


 ノエルは少女の母親に頷き、少女に向かって尋ねる。


「ねぇ、君のこと……なんて呼べばいい?」


 すると、少女は朗らかに笑いながら、ノエルの手を握り直した。


「私、ツムギって言うの。「糸を紡ぐ」のツムギ!」


「ツムギ……。君のアビリティみたいな名前だ」


 ノエルは、野葡萄色の瞳を細めて、少女に穏やかな微笑みを向けた。


「よろしく。ツムギ」


「うん!ノエルも、よろしくね!」


 これが、ノエルと、彼の大切な少女の……運命的な出会いだった。


* * *


 それから、ノエルがツムギ達と暮らすこと5年。ノエルは、毎日花屋の手伝いをしながら、穏やかに暮らしていた。


 しかし、世界情勢は悪くなる一方だ。


 3日前、白夜軍がフリーデンの南部の町を侵攻した。フリーデン政府はこれに対し緊急事態宣言を発令。これ以上の侵攻を阻止するために、国内各地の戦闘可能な若者達に招集命令を出した。


 そして、その令状は、ノエル達の暮らす家にも届いたのだ。


 令状が届いた日の夜、ノエルはツムギと2人きりで、2階の彼女の部屋にいた。


 ノエルは、ベッドの上に座り込むツムギに寄り添いながら、彼女の手を握っていた。


「……ついに、私の所にも来ちゃったな。令状」


 ツムギは目を伏せながら、小さく呟く。


「でも、ノエルには来なかったね!まだ軍も、ノエルの居場所は知らないんだよ。それだけで安心した」


 彼女が、無理をして明るく振舞おうとしているのが、ノエルにはお見通しだった。


 しかし、こんな時に、何と言えばいいのか分からなかったのだ。


「あのね、ノエル。私の代わりに、ママのこと……よろしくね」


 ツムギはそう言って、ノエルに精いっぱいの笑顔を見せる。


 その苦しそうな笑顔が見るに耐えず、ノエルは思わず本音を漏らしてしまった。


「行かないで」


 掠れた、力のない声だった。


「え……?」


 ツムギは一瞬、呆然としていたが、すぐに首を横に振った。


「無理だよ……!国の一大事なんだよ?私だけ逃げるなんて、そんなの駄目だよ!」


「それでも、僕は君に行かないで欲しい……!」


 一生懸命に拒否するツムギに対して、ノエルもまた必死に訴えた。


「なんで?なんでそんなに我儘を言うの……!?」


 ツムギの目に、次第に涙が溜まっていく。


「駄目なんだよ!行かなきゃ……戦わなきゃ駄目なの……!だって、そうしなきゃフリーデンの人達が沢山死ぬかもしれないんだもん!!ノエルはそれでもいいの……!?」


 ツムギにそう問われて、ノエルは直ぐに反論した。


「じゃあ逆に聞くけど、大切な人に生きてて欲しいって思うのはいけないこと!?」


「え……?」


「僕は……君が大切なんだよ。君が戦争で死ぬのだけは……嫌だ」


 ノエルの言葉に、ツムギは何も言えずに黙り込んでしまった。彼女の瞳は涙で濡れており、ノエルを真っ直ぐに見つめている。


「……ツムギ」


 ノエルはそう名前を呼んで、ツムギの頬に優しく触れた。


「君が僕を拾ってくれた時、生きるのを諦めようとしていた僕のことを、叱ってくれたよね」


「……うん。そうだったね」


 ツムギの相槌に、ノエルは柔らかく微笑む。


「僕の気持ち、あれから少し変わったんだ」


「どんな風に……?」


 ツムギに尋ねられたノエルは、穏やかな顔で、彼女の唇に自分の唇を重ねた。


「え……?」


 呆然としているツムギに対して、ノエルは優しく言葉を続ける。


「僕は……君と生きたい。死ぬ時は、君と一緒がいい」


「ノエル……」


 ノエルの言葉を聞いたツムギの瞳から、涙が堰を切って溢れ出す。


「……ごめんね、強がって。私、本当は戦争に行きたくない」


「うん」


「これからも、ずっと……ノエルとママと一緒に、幸せに暮らしていきたい」


「うん」


「でもね、幸せに暮らすためには……国を守らなきゃいけないの」


 ツムギはそこまで言うと、涙を流しながらノエルの顔を見つめた。


「だから……私、逃げたくないんだ。大切な人達の幸せのために」


「……うん」


「ごめんね。だから、私、行かなきゃ……」


 涙を拭いながらそう言うツムギのことを、ノエルは優しく抱きしめた。


「だったら、僕も行く」


「え……?」


「僕も、君と一緒に戦争に行くよ。白夜を追い払って、戦争が終わって、世界が平和になったら……また、一緒に花を売って暮らそう」


「ノエル……」


 ツムギは、ノエルのことを抱き締め返して小さな声でそれに答えた。


「……うん。約束だよ」


 窓の外の、柔らかい月明かりに照らされながら、2人は、遠い未来の幸せを誓い合った。


 その未来が訪れることを、心の底から願いながら。


* * *


 廃病院の病室の中、ノエルは彼女のことを思い出して、唇を噛んだ。


(ツムギは、大切な人達の幸せのために戦っただけ。それなのに、それなのに……!)


 ノエルは痛む胸を押さえながら、絞り出すような声で呟いた。


「……変えるんだ。彼女が、幸せに生きていられる……戦争のない未来に…………!」

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