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17 花琳の想い

 花見を終えてしばらくしたある日、聖夜は自室のキッチンで目玉焼きを作っていた。そして、その様子を柊が傍らで熱心に見つめている。


「……はい、これでできあがり。簡単だろ?」


 聖夜は予め野菜を盛り付けておいた皿に目玉焼きをのせて、柊に差し出した。


「すごい……」


 柊は綺麗に焼けた目玉焼きを見て目を輝かせる。


「柊にもできるよ」


 そう言うと聖夜は味噌汁を盛り付け、小さなテーブルに置いた。テーブルに2人分の朝食が並ぶ。


「いただきます」


 2人は行儀良く手を合わせてから、食事に箸をつけた。


「急に呼ぶから何かと思ったら、まさか朝ご飯を作ってくれるなんて……」


 柊がそう言うと、聖夜は笑いながら口を開いた。


「ちゃんと食べてるか心配だったんだ。それに、料理覚えたら柊も何かと便利だろ?」


「……頑張る」


 聖夜の言葉に、柊は苦笑いする。やはりまだ料理に苦手意識があるようだ。


 これから、料理が出来るように頑張らなくては。柊は少し重たい気持ちを誤魔化そうと、聖夜が作ってくれた目玉焼きを口に運ぶ。


 半熟の、少しとろっとした卵の黄身。この焼き加減は、聖夜と柊の好みだった。


(……おいしい)


 柊は顔を綻ばせながら、箸を進める。その向かい側で、聖夜も、もぐもぐと口を動かしていた。


 こうして、2人が向き合いながら食事をするのは、いつぶりだろうか。


 部屋が別れて食事も各自になって以降、2人で食事をするのは初めてだった。


(なんだか、特部に入る前みたい)


 今では、聖夜も柊も、すっかり特部に慣れ、それぞれに任務が与えられることも増えてきたため、これまで当たり前だった2人の時間が大きく減っていたのだ。


「こうやって2人で食べるの久しぶりだな」


 にこにこと笑う聖夜を見て、柊はふと先日の夢を思い出した。


 影に見せられた、病室で横たわる自分と……自分に対して、1人にしないでと涙を流す聖夜の夢。あの悪夢のことを。


(……あの夢の聖夜と、目の前の聖夜、全然似てない)


「ん?柊、どうかした?」


「あ、ううん。なんでもないよ」


 柊は首を横に振り、少し俯いて考え込む。


 柊自身、聖夜があの夢のように泣いたところを見たことが無かった。それどころか、怒るのも稀だ。


「ただちょっと……無理してないかなって」


 柊が遠慮がちに尋ねると、聖夜はいつもの笑顔で答えた。


「してないよ。心配してくれてありがとな」


 その様子に、柊は曖昧に頷いた。


(……気にしすぎかな)


 気持ちを切り替えて、柊が箸を進めようとしたその時。彼女のスマホが鳴った。


「あ、ごめん」


 柊がスマホを確認すると、海奈から電話がかかってきていた。


「もしもし……」


『柊……助けてくれ』


「え!?……今どこ?」


『姉さんの……部屋……』


 それだけ聞こえると、海奈からの電話は切れてしまった。


「どうしたんだ、柊?」


 聖夜の問いに柊は首を傾げながら答えた。


「海奈が危ないかも……」


「え!?今どこに居るんだ?」


「花琳さんの部屋だって」


「早く行かないと!」


 聖夜は慌てて味噌汁を飲み干した。


「先行く!鍵かけといて!」


 聖夜は柊に鍵を投げ渡した。


「あ、ちょっと……」


 柊も急いで朝食を片付けた。


(相変わらず、ばかみたいにいい人なんだから)


 柊はやれやれと苦笑いして、聖夜の後を追いかけた。


* * *


 2人が花琳の部屋に着くと、聖夜はノックしようとして手を止めた。


「あれ、入らないの?」


 柊が首を傾げると、聖夜は慌てて言った。


「男子に部屋入られたら嫌がるかな……」


 たしかに、その可能性はあるかもしれない。柊は遠慮する兄の言葉に頷いてドアノブに手をかけた。


「じゃあ、聖夜はここに居て」


 柊はドアをノックしながら、部屋の中に向かって呼びかける。


「花琳さん、海奈?」


 柊が声をかけていると、ドアがガチャリと開いて、中から涙目の花琳が現れた。


「柊ちゃん……!」


「花琳さん!何かあったんですか?」


「海奈が倒れて……」


「と、とりあえず中入りますね」


 柊が急いで部屋に入ると、海奈が仰向けで倒れていた。


「海奈!?」


「ひ、柊……来てくれたんだな……」


「何があったの!?」


「な……鍋の中を……」


「鍋?」


 柊はキッチンに置かれていた鍋の蓋を開ける。すると、刺激臭が辺りに広がった。


「な、何これ……」


 鍋の中にはどす黒い色をした液体が入っていた。全体的にドロドロとしており、お玉で掬うと、中に黒い固形物が入っていることが分かった。


 この黒いのは何の具材なのか、そもそも食材なのか……柊には検討もつかない。ただ、何とも言えない表情で、柊は鍋を見つめることしかできなかった。


「スープを作ろうとして失敗しちゃって……それを食べた海奈が急に倒れて……」


 花琳は声を潤ませながら、顔を両手で覆う。


「私どうしても料理だけはできないの……」


 柊はその言葉を聞いてすぐ、花琳の両手を勢いよく握った。


 料理が苦手な仲間を見つけて嬉しかったのだろうか。非常事態だというのに、柊の目はキラリと光っていた。


「私もです!!」


「柊ちゃん……!」


 2人で手を握り合っていると、やはり心配になったのか、聖夜が部屋を覗き込んできた。


「な、なぁ大丈夫か……って、すごい匂いだな!?」


「あ、聖夜!良いところに!スープの作り方、教えて!」


 柊は、聖夜に走りよって、拳を握りしめながら元気に頼み込んだ。


* * *


 15分後、花琳の部屋にはコンソメスープの良い香りが広がった。鍋の中には色とりどりの野菜と鶏肉が入っている。見た目も美味しそうだ。


「よし。完成!」


「おお~!」


 柊と花琳は目を輝かせる。


「聖夜君、料理が得意なのね!」


「家で作ってたんです。おばさんがよく料理を教えてくれて」


 聖夜は照れ笑いを浮かべる。


「何か、美味そうな匂いがする……」


 海奈がムクリと起き上がり聖夜の元へ近寄ってきた。


「味見してみるか?」


 聖夜はそう言うと小皿にスープを盛り付けて渡した。海奈はそれを受け取り、こくりと飲む。


 すると、先程までの元気の無さが嘘のように、海奈の瞳に光が宿った。


「何これ、めっちゃ美味い!」


「そっか、良かった!」


 聖夜はそう言って笑って、ふと首を傾げる。


「にしても、何であんなことに……?」


 すると、海奈が口を開いた。


「姉さん、料理が下手だからいつも俺が作ってたんだけどさ……」


 海奈は、そこまで言ってテーブルの上に置かれた黒い重箱に目を移す。それにつられて、聖夜と柊も重箱を見た。


「さっき白雪さんがその弁当をお裾分けに持ってきたんだ。それがすごく美味しくて……それで姉さんも料理頑張るって張り切っちゃって」


「な、なるほど……」


 柊が苦笑いしながら花琳を見ると、海奈の傍らで申し訳なさそうに俯いていた。


「あ~……確かに美味しいもの貰うと頑張りたくなるよな」


(……そういうことじゃないだろうけどね)


 うんうんと頷く聖夜を見て柊は乾いた笑い声を出した。


 聖夜はそれを気にもとめず、両手をパンッと合わせて、明るい笑顔を花琳に見せる。


「まぁ、とりあえず、スープ食べましょう!……って言っても俺と柊は朝ご飯食べちゃったし、他の人を呼んでこようかな」


 それだけ言って、聖夜は部屋を出た。


 聖夜が出ていったのを確認して、海奈は苦笑いしながら花琳を見る。


「ほんとに姉さんは、思い立ったら即行動なんだから……」


 それを聞いた柊は、こてんと首を傾げる。


「そうなの?」


「そうそう。中学生の頃の夏休みに、特部に入るんだって言って俺を連れて本部に直接売り込んだんだよ」


「え、ほんとですか!?」


 花琳は頬を赤らめながら頷いた。


「そんなに白雪さんに会いたかったんですね!」


 柊は目を輝かせた。


 その様子を見て、花琳は慌てて付け加える。


「そ、それもあるけど!もともと海奈を連れて家を出るつもりだったの」


 そう言うと、花琳は少し目を伏せる。その瞳は、憂いを帯びて僅かに揺れていた。


「うち、少し変わっていたから」


「変わっていた?」


「うん。……お母さんが完璧主義でね。気も強かったから、誰もお母さんには逆らえなかった。……私はお母さんを嫌いにはなれなかったけど、あの場所には居たくなかったの」


 花琳は、そこまで言って苦笑いを浮かべる。


「そうだったんですか……」


「……まあ、姉さんは白雪さんに会いたかった気持ちが強かったんだけどな」


 海奈が重苦しくなった空気を和ませようと、明るく笑った。


「み、海奈!」


「今回の料理だって、白雪さんのこと意識して始めたんだろ」


 再び顔を赤くする花琳に、柊は生き生きした目で尋ねる。


「そういえば、2人ってどうやって出会ったんですか!?」


 花琳は少し溜息をついて、答えた。


「……私が小学1年生の時に、海奈が高次元生物に襲われて怪我をしたの。そこを当時の特部に助けられて、私と海奈は医務室に運ばれて……そこで白雪君に会ったのよ」


 花琳はその頃のことを思い出し微笑みを浮かべる。


「海奈が怪我をして泣いてた私を励ましてくれたの。きっと治るよ、大丈夫って。ずっと手を握ってくれた。白雪君のお陰で、気がついたら笑顔になってたの。家では辛いこともあったけど、また会いたい、お話ししたいって思ってたら、何だか頑張れたんだ」


 花琳は、幸せそうに微笑みながら、胸に手を当てて目を閉じた。その様子はまるで、大切な思い出を噛み締めているようだった。


「すごく素敵です!」


 花琳の話を聞き終えて、柊は目を輝かせる。


「俺は全然覚えてないんだけどな」


 海奈は少し頬を掻いて、やがて頭の後ろで腕を組みながら明るく笑った。


「……でも、姉さんがそんなに言うなら、俺は姉さんを応援してるよ」


「私も!……ていうか、今言ったのって白雪さん知ってるんですか?」


 柊の問いに、花琳は苦笑いして首を傾げた。


「さぁ……聞いたこと無いから分からないわ」


「なら、それ言いましょうよ!」


「え!そ、そんな……」


「告白より簡単だろ」


 海奈の言葉に花琳は少し悩んで頷く。


「……確かにそうね。それに、あの時のお礼はずっと言いたかったかも……」


 すると海奈は花琳の肩をぽんと叩いた。


「よし、思い立ったら即行動だ」


「え?」


「ほら、白雪さん探しに行きましょう!」


 戸惑う花琳の腕を2人は引っ張った。


「ちょ、ちょっと~!」


 海奈と柊に引き摺られる形で、花琳は部屋を後にした。



 しばらくして、聖夜が翔太と深也を連れて戻ってきた。


「ただいまー!」


聖夜は元気にドアを開けたが、誰もいない室内を見て首を傾げる。


「あれ?誰も居ない……何で?」


「鍵もかけずにどこ言ったんだ?」


 聖夜は戸惑い、翔太は不審そうに言った。


 そんな中、深也はテーブルの上に置かれた重箱を見て何かを察する。


「……さ、3人で食べてよう!そのうち戻ってくるかもしれないし……」


「うーん……それもそっか!翔太、どのぐらい食べる?」


「……多めがいい」


「了解!俺もちょっと食べようかな」


 2人がワイワイと盛りつけを始めるのを横目で見ながら、深也は苦笑いを浮かべた。


(花琳さん、ご愁傷様……)



* * *


 3人が廊下を歩いていると、向こう側から白雪が歩いて来るのを見つけた。


「あ、白雪さんだ!」


「え!?」


「姉さん頑張れ」


 柊と海奈は花琳の背中を押して、曲がり角の陰に隠れた。


「え!?ち、ちょっと2人共、待って……!」


 陰に隠れてしまった2人に助けを求める花琳だったが、2人は親指を立てて、にっこりと笑うのみだった。


「な、何が大丈夫なのよ~……!」


 花琳がアワアワしていると、白雪がそれを見つけて不思議そうに声を掛ける。


「おや、花琳じゃないか」


「ふぇ!?」


「1人なんて珍しいね」


「そ、そそそうかしら?」


 花琳は顔を真っ赤にして俯いた。隊服の上着の裾をギュッと握り、目を固く瞑る。


(ど、どど、どうしよう……なんて話せばいいの……?)


 何も言わずに固まってしまう花琳に対して、白雪は心配そうに尋ねた。


「具合でも悪いのかい?」


「あ!ちち、違う!大丈夫よ!!」


 花琳は慌てて首をぶんぶんと振る。それを見た白雪は、安堵の表情を浮かべた。


「そっか。良かった」


 白雪はそう言って微笑むと、その場を立ち去ろうとする。


「あ!まっ、待って!」


 花琳は咄嗟に、その腕を掴んだ。急に腕を掴まれて、白雪は驚いた顔で振り返る。


「花琳……?」


「い、言いたいことがあるの……!聞いて!」


 花琳は、緊張で浅くなる呼吸を必死に整えながら、長年伝えたかった気持ちを打ち明けようと口を開いた。


「小学1年生の時に私達が会った日のこと、覚えてる?海奈が怪我して、落ち込んでた私のことを白雪君が励ましてくれたの……ずっとお礼を言いたかった」  


 少し早口になりつつも、無事に気持ちを伝え終えた花琳は、上目遣いで白雪を見つめた。しかし、白雪は目を逸らして冷たく告げる。


「知らないな」


「え……?」


「ごめん。人違いじゃないかな」


 花琳はふらふらと後ずさった。


「あ、ご、ごめんなさい……」


 居たたまれなくなった花琳は、慌ててその場を立ち去った。


「……あの頃の僕は、もう居ないんだ」


 その後ろ姿を追うこともなく、白雪は1人呟いた。


* * *


(どうしよう、どうしよう……!)


 花琳は泣きながら町の中を走った。


(ずっと前のことだもの、覚えてなくても仕方ないじゃない)


 花琳は必死に自分に言い聞かせたが、それでも涙は止まらなかった。


(はぁ……私ってほんとにしょうがないわね……)


 走り疲れ、花琳は中学校前の道路で立ち止まって溜息をつく。


「もしも~し、お姉さん?」


 不意に、鼻にかかった明るい声に呼びかけられ、花琳は涙を拭いながら振り返った。


 すると、そこには、大きなオレンジ色のツインテールの少女が不思議そうに首を傾げて立っていた。


「お姉さん、泣いてるの?」

 

 少女は大きな瞳で真っ直ぐこちらを見つめながら尋ねる。その無邪気な瞳に見つめられ、花琳は慌てて首を横に振った。


「そ、そんなことないわよ」


 努めて明るい笑顔を作る花琳に、少女は吹き出す。


「嘘が下手!お姉さんすっごく泣いた顔してるよ!」


 少女はそう言うと、花琳の手をとり微笑んだ。


「エリスがお話聞いてあげる!」


* * *


 中学校前のバス停にあるベンチに座りながら、花琳はエリスと名乗る少女に白雪のことを話した。


 膝の上で手をギュッと握りながら話す花琳に対して、エリスは足をぶらぶらさせながら、ゆったりと話を聞いている。


「へぇ、そっかぁ……」


 エリスは、花琳に向かって、うんうんと頷く。


「でも、まだ好きって言ってないんでしょ?」


「そうだけど……」


「そんなに好きなら言っちゃいなよ。誰かに盗られちゃうよ?」


「で、でも……」


「じゃあ、エリスが盗っちゃお!」


 エリスは人差し指を自分の口元に当てながら、悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「そ、それは駄目!」


 花琳は慌ててエリスに身を乗り出した。


 するとエリスは大きな声でケラケラと笑った。


「冗談~!エリス、恋してる人好きだから、応援してあげる!」


「あ、ありがとう……」


 花琳が顔を赤くして笑いかけたときだった。


「助けて!」


 住宅街の方から、悲鳴が聞こえた。


「化け物だ……!」


 花琳が声のした方を見ると、人々が慌てて逃げてくるのが目に入った。花琳はすぐさま、逃げてきた背の高い男性に駆け寄り、尋ねる。


「あの、どうかしたんですか?」


 花琳が尋ねると、逃げてきた男性は怯えた顔で答えた。


「巨大な高次元生物が現れて……!」


「場所は?」


「む、向こうです!臨海公園の中に……!」


「……分かりました」


 花琳は頷いて、指し示された方に向かって走り出す。


「待って!」


 しかし、その彼女のマントの裾を、エリスが掴んで止めた。


「そっち、危ないよ?」


 エリスは、不安げな眼差しを花琳に向ける。しかし花琳は、エリスに向かって微笑みを見せた。


「大丈夫。私が倒してくるから」


「何で?何でお姉さんが戦うの?」


 エリスの問いかけに、花琳ははっきりと答える。


「特部だから!」


「……そっか」


 それを聞いたエリスは、静かにマントを手放す。花琳はそれを確認し、脇目も振らずに高次元生物の元へと駆け出した。


 エリスはその背中を見て、にやりと歪んだ笑みを浮かべる。


「特部かぁ……ふふ」


* * *


 天ヶ原町の海岸近くにある、高台の上の臨海公園。白いタイルの地面に、公園中心にある、髪の長い姫君の青いオブジェクトが映える。この公園は人々の憩いの場であり、いつも多くの人が集っていた。


 しかし、高次元生物が発生した今となっては、普段の平和な様子の面影はない。誰もいなくなり閑散としている公園に、花琳は1人駆けつけた。


「居た……!」


 花琳の目の前にいたのは、蜘蛛の形をした巨大高次元生物。それの頭には、無数の目に加えて、大きな牙がついていた。


 臨海公園の先は、人々が暮らす郊外の住宅街。ここで高次元生物を食い止めなければ、そこに暮らす人々に危険が及ぶ。


 退く訳にはいかない。花琳は覚悟を決め、高次元生物を睨みつけた。


「まずは動きを止める!『蔦』!」


 花琳が右足を踏みしめると、地面から何本もの蔦が生まれた。


「絡んで……!」


 蔦は高次元生物の手足に何重にも絡みつき、その動きを食い止める。高次元生物は蔦から逃れようと藻掻くが、藻掻けば、藻掻くほど蔦がきつく絡みつき、動きが取れなくなる。


(……よし。あとはどう始末するかだけ……)


 花琳は腰から拳銃取り出して構える。


 銃の扱いに慣れていない訳では無い。しかし、この一発で、こんなにも巨大な高次元生物を倒せるかという不安が緊張を呼び起こし、花琳のこめかみに嫌な汗が伝った。


 町の人々の安全のためにも、今ここで、相手を倒さなければならない。そのためには、引き金を引くしかない……!


「これで……!」


 花琳が覚悟を決め、高次元生物の頭に照準を合わせ、引き金を引こうとしたその瞬間。


 何者かが花琳の肩を叩いた。


「銃を下ろして、お姉さん」


「……!」


 鼻にかかった、今、場違いなほど、可愛らしく明るい声。


 エリスだった。


 エリスはにこにこしながら、高次元生物と花琳の間に、ゆったりと立ちはだかる。


 彼女の登場に驚きを隠すことができず、花琳は思わず銃を下ろした。


「っ……!どういうつもり?」


 花琳が問うと、エリスは楽しそうにくるりと1回ターンし、腕を腰の後ろで組みながら、花琳にいたずらっ子の笑顔を見せた。


「この蜘蛛、エリスのなんだ」


「え……?」


「お姉さんごめんね。お姉さんのこと気に入ってるけど……エリス、お姉さんのこと倒さなきゃ」


 エリスはそう言うと、高次元生物に歩み寄り、優しく囁く。


「『あの子を殺しなさい』」


 その声を聞いた途端、高次元生物が更なる巨大化を始めた。


 手足に絡みついていた蔦が千切れ、高次元生物が一歩一歩近づいてくる。


「そんな……」


 花琳は思わず後ずさる。その様子を見て、エリスは高笑いした。


「お姉さん1人じゃ倒せないよね!」


 高次元生物は花琳に向かって勢いよく太い糸を吐いた。


「来ないで!」


 花琳が腕を振ると無数の葉が糸に向かい飛んでいった。葉は糸を切り刻み続けたが、糸は勢いを止めなかった。


 その太い糸に何重にも巻き付かれ、花琳は動きを封じ込められてしまった。


「く……」


 身動きのとれない花琳に、蜘蛛の牙が迫る。


(だめだ……私ここで死ぬの……?)


 花琳が恐ろしさのあまり目を閉じた、その時。


「『氷結』」


 よく通る澄んだ声が辺りに響いた。


 ……刹那、巨大な蜘蛛が一瞬で凍りつき、エリスのすぐ脇に透き通った氷像が出来上がった。


 花琳が恐る恐る目を開けると、見えたのは……白雪の背中。


「砕けろ」


 白雪が指を鳴らすと、氷は蜘蛛ごと砕け散る。


「白雪君……」


 白雪は花琳に微笑み、膝をついて彼女と目線を合わせた。


「遅くなってごめんね」


 白雪は腰のポーチからナイフを取り出し、糸を切った。


「怪我はしてない?」


 花琳は必死に首を横に振る。


「……そう。良かった」


 白雪は柔らかい笑みを見せると、立ち上がってエリスに向き直った。


「君は誰かな?」


「私エリス。特部を潰せって頼まれてるの!」


 明るい笑顔で答えるエリスに対して、白雪もまた微笑みを崩さずに告げる。


「その言葉が本当なら、君を本部に連行しなければならないね」


「あはは!そんなことさせないけど!」


 エリスは笑いながら短刀を構えた。

 

「ひと思いに殺してあげる」


 エリスがものすごい速さで突っ込んでくる。しかし、白雪は動じなかった。


「『氷柱』」


 白雪が指を鳴らすと、鋭い氷柱が天から降り注ぎ、次々とエリスに襲いかかった。しかし、エリスはそれを難なく躱していく。


「全っ然当たらないね!人間相手だから躊躇ってるの?それとも、限界が近いのかな」


「っ……、げほっ、げほっ……」


 白雪の顔色は真っ青だった。手はかじかんで震え、意識がどんどんと朦朧としていく。


 白雪が膝をついたとき、エリスが短刀を振り下ろした。


「白雪君!!」


 花琳はエリスと白雪の間に割って入った。


「……っ!」


 花琳の腕に短刀が突き刺さる。


 エリスが短刀を抜くと、血がぼたぼたとこぼれ落ちた。


 花琳が腕を押さえて座り込むを見てエリスは高笑いする。


「お姉さん、大して強くないのに無理しちゃって、ばかみたい!」


「花琳……」


 白雪が苦しそうに呻いた。


 その様子を見てエリスは目をキラリと光らせる。


「……あ、いいこと思いついちゃった」


 エリスはそう言うと、花琳の首筋に短刀を当てて言った。


「ねぇ、お兄さん。エリス達の仲間になってよ。そうしたらお姉さんのこと助けてあげる」


「なんだって……」


「だめ!白雪君、私は大丈夫だから……」


「お姉さんは黙ってて」


 白雪を止めようとする花琳の髪を、エリスは上から強く引っ張る。


「いっ……」


「ほら、早く決めてよ」


 エリスは無邪気な笑顔で、しかし声色を低くして白雪に圧力をかける。


 白雪は苦しそうに顔を歪めた。今まで、決して崩れることがなかった、あの柔和な微笑みが……崩壊したのだ。


 その表情を見て、エリスは嬉しそうに笑みを零す。


「やっと心が乱れたね、お兄さん」


 エリスは花琳から手を離し、白雪に近寄った。


「お兄さん変なの。ずっとにこにこしてたけど、心はとっても怒ってた」


 エリスは甘い微笑みを浮かべながら、白雪の頭を撫でる。


「もう我慢しなくていいよ。エリスが楽にしてあげる」


 エリスはそう言うと、白雪に囁いた。


「『誰も貴方に期待なんてしてないよ』」


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