グンジョウ
「誰も……いない……?」
音楽室はもぬけの殻。部屋の明かりすらついておらず、今にも沈みそうな太陽で、辛うじてその室内の様子を見ることができた。
「だから大丈夫だって言ったでしょ?」
トルビーは、多分こう言った。
誰もいないのに、今まさにここで練習が行われているのではないか、という音量で楽器の音が響いている。
決して曲などではなく、バラバラな音。トルビーに言わせれば、基礎練習だそう。
その音に、ところどころかき消され、声が聞き取りにくいのだ。
と、トルビーは黒板の前に立ち、手を叩き始めた。
みるみるうちに音量は下がっていき、ついに……
「音が止んだ……」
トルビーは得意げな笑みを浮かべた。
「吹奏楽部だったんだ」
「……なんか意外」
「そ〜お?」
トルビーはそう言いながら棚の方へ歩いていった。
そして何やら筆箱よりふた周りほど大きなケースを取り出すと、それのロックをカチャリと開けた。
中に入っていたのは二本の銀色の筒。
「フルート?」
「そう」
トルビーは慣れた手つきで組み立てると、それに口をつけた。
トゥー、と、柔らかくて暖かい音が響く。
と、トルビーは楽器から唇を離して、にいっと笑った。
「吹部の誰かと間接キッス♡」
「はぁ?バカお前っ!」
もう一度音を出そうとしたトルビーを止めようとすると、トルビーはあっはは、と笑った。
「ジョーダンだよ、これ俺の楽器」
「あ、そうな……」
俺がそう言いかけると、トルビーはなんだか急に慌てた顔をした。
「ぼ、僕の!これ!僕のだから僕のっ!」
「いや、わかったって」
「……楽しかったなぁ、久しぶりの部活」
「来てたの?」
トルビーは頷いた。
「テケンの言う通り、レベルが高かった」
「そうなんだ」
「前は、毎日毎日練習漬けで、楽しいなんて思ってなかったのにさ。毎日、最後まで居ちゃった」
そう言ってどこか悲しげに笑うトルビー。
「……ん?毎日来てたの?」
「え?うん」
イオラさんから聞いた話では、毎日終業後すぐに魔対に、行っていたらしいが……
それをトルビーに話すと、トルビーは眉をひそめた。
「嘘ついてるじゃん、イオラさん。確かに毎日寄ってはいたけどさ」
「寄るってどのくらい?」
「ん〜、5分とか?グルセルから魔道具を借りて、寮で見てたんだよね」
そう言いながらトルビーはポケットから指輪を取りだした。
「これは昨日の借り物。水魔法の威力を増強するやつだってさ」
トルビーはため息をつくと続けた。
「でも、一体なんでこんな嘘ついたんだろう」
「分からない……」
と、トルビーは咳払いした。
「ともかく、マリンさんを呼ぶよ」
「呼ぶってどうやって?」
トルビーはにいっと笑った。
「これだよ」
そう言って、トルビーはまた、フルートを構えた。
先程までとは打って変わって、話しかけること、いや、物音すらひとつでも立ててはいけないような、そんな緊張感を漂わせている。
トルビーは音もなく大きく息を吸った。
「♪〜」
目をつぶり、そして体を旋律に合わせて揺らしながら、音楽を奏でるトルビー。
楽器のことは俺にはよく分からないが、優しくて儚げなその音色は、トルビーがどれだけフルートと本気で向き合ってきたのかが伝わってくるような、そんな深みを帯びていた。
と、トルビーは急に吹きやめた。
「今の、顧問に怒られる切り方だな……」
そう言ったトルビーがフルートを浮かせると、それはパッと消えた。
「来たよ、あの子」
「えっ?」
トルビーは俺から離れると魔法を出し始めた。
「トルビー?」
「視えないか……」
視えないか?
もしかして、と思い、トルビーが魔法を打っている先に目を凝らすと、セーラー服の少女がいた。
「いた」と言っても数秒に1回、何となく輪郭が見えるだけだ。完全には姿を捉えられない。
とにかく、先生から渡されたナイフを構えた。
と、トルビーがパンと手を叩いた。
「どう?」
「……はっきり視えない」
が、何となく、彼女がナイフを振り回しているように視える。
トルビーは額に汗を浮かべながら、結界や魔力弾を出しながら、まずいな、と言った。
「……うっ!」
突然、右肩に強い痛みが走った。
反射的に左手で押さえると、その手に生暖かい液体が触った。
攻撃された?
「お前の相手は僕だっ!」
トルビーはそう言って攻撃を強めた。
俺はナイフを構え直し、目を凝らした。
しかし彼女を捉えることは叶わない。
「ライム、音楽室を出て!」
「でも……」
イニーさんから借りている"魔力視"を発動させてみるも不発。
やはり彼女は視えない。
「視えないんじゃ無理だよ!」
「でも……」
俺は目を擦った。しかしダメだ。視えない!
「早く……っ!」
「押されてるんでしょ?!」
俺の言葉に、トルビーは苦悶の表情を浮かべた。
「そうだよ……押されてる。だから、テケン先生を呼んできて」
冷静な口調で言ったトルビー。
俺はナイフをおろし、踵を返した。
「うっ……!」
振り返ると、トルビーは血を吐きながら吹っ飛ばされていた。
勢いのままに窓ガラスを打ち破り、音楽室の外へ落ちていった。
「トルビー?!」
かなり心配したが、数秒後には窓の外で"浮遊"していた。口元には血を拭ったような跡があった。
トルビーは中に入ろうとしているも、割れた窓ガラスの所でも入ってこられないようで、何も無いところをガンガンと叩いていた。
と、トルビーから"念話"がかかってきた。
ブツブツと雑音の混じった音声が耳に届く。
「魔法がすり抜けるんだ。大した相手じゃないけど……とにかく音楽室を出て!」
「うん!」
しかし、音楽室の扉のノブはビクともしなかった。
諦めてナイフを構えるも、手が震える。
視えない敵とやるのなんて怖すぎる。
トルビーからの"念話"はいつの間に切れてしまった。
数秒に1回、何となく目に映る彼女は、こちらにフラフラと近付いてきている。
扉を背に、目を凝らした。
「あっ……!」
次に彼女を捉えた時、彼女は目の前にいて、手に持ったナイフの切っ先をこちらに向けていた。
グッと、目をつぶってしまった。
手から力が抜け、ナイフを、落としてしまった。
次の瞬間、胸ではなく、耳に、衝撃が来た。
カキンという金属同士が勢いよく当たる音。
恐る恐る目を開けると、目の前にいたのは、俺が落としたナイフを持った……
「ヨースケ?」
「オレは視えるんだね、ライム」
彼女が……マリンが振り下ろしたナイフを、俺が落としたナイフで受けながらこちらを向くと、イタズラな笑みを浮かべた。




