レンジョウ
俺たちは今、トイレを出て、荷物を取りに教室へ向かっている。
「やっぱライムは鋭いなぁ〜」
トルビーはそう言って悔しそうに笑った。
トルビーがトイレのハナコさんに"擬態"……いや、なりきっていた訳だが、俺は早々にそれに気付いていた。
いつ気付いたのか?
テケン先生と話した時だ。
だって、トイレのハナコさんは女の子の幽霊。それが男子トイレに出るなんておかしい。
そういえば、図書室に置いてあった「おばけ図鑑」的な本に書いてあった。
男子トイレに出るのはハナコさんではなくて……えっと、誰だっけ?
とにかくハナコさんでは無かった気がする。
では何故こんなにガバガバ設定になったのか。
トルビーによると……
「男子トイレにヨースケくんが出るって言っても分かんないだろうし、第一、女子トイレに出たってライムが来れないでしょ?」
らしい。確かに俺は女子トイレには入れないなぁ。
……って、そうだ、ヨースケくんだ。
どこかで聞いたような名前……まぁいいか。
「でもなんで『ハナコさん』に頼ったの?」
俺が聞くと、トルビーは、あっ、と声を上げた。
「忘れてた!ライム、テケン先生んとこ行くよ!」
慌てて俺の手を取ると、教室とは逆の方向へ駆け出したトルビー。
「ちょっと、荷物だけ取りに行かせてよ!」
そう言って引っ張り返すも、トルビーの力に負けてついに階段の前まで来てしまった。
と、その時だった。
シャララン、シャラランと一定間隔で音がした。
「鈴の音……?」
そう、ポツリと言った時には、トルビーは俺の手を離していた。
「……うん、スレイベルの音だね」
トルビーは階段に背を向けて、起伏なくそう言った。
スレイベルってなんだろう、と思っていると、トルビーは廊下の方へ歩いて行き、立ち止まった。
俺もその隣へ移動した。
シャララン、シャララン、となおも聞こえる鈴の音。
そういえば先程まで聞こえていた部活の掛け声などが聞こえなくなっている。
と、トルビーが何かを目で追いかけていることに気がついた。
「どうし……」
俺が聞きかけると、トルビーがぱぁんと手を叩いた。
「……えっ?」
長い廊下の先、そこにはフラフラとおぼつかない足取りでこちらへ向かってくる、人の形をした「ナニカ」がいた。
「ナニカ」は中魔校の高等部女子の制服のセーラー服を着ている。
と、トルビーがこっちを向いた。
緊迫した表情を浮かべるその頬には汗が伝っていた。
「視えるようになった?」
「た、たぶん……?」
トルビーはため息をつくと続けた。
「ライム、さっきテケン先生に、幽霊なんか居ないって言ったでしょ」
「う、うん……」
「残念ながら、いるんだよね〜」
「はぁ?んなわけ……」
そう言いながら、俺はこちらに向かってきている「ナニカ」を見て、希望的観測に諦めをつけた。
「んなわけ、あるんだね」
トルビーはコクリと頷いた。
シャララン、シャララン、という音は、言わずもがな近づいてきている。
と、「ナニカ」は顔を上げた。
美しい長い黒髪から覗いたその顔は……
((かわいいっ……!))
俺たちは知らぬ間に、心の中でシンクロしていた。
潤んだ瞳、スっと通った鼻筋にほのかに赤い唇。そして物憂げな表情。
一体どのくらい見とれていたのだろうか。
彼女の手に、きらりと輝くそれが、今にも俺の腹部に刺さらんとするその時まで、彼女の瞳に吸い込まれそうな気分だった。
……いやそう、刺されるっ!
幸い彼女の動きは遅く、包丁を握っているその手を掴むには十分な時間があった。
俺はパシッと彼女の手首を掴んだ。
……ように思われた俺の手は空を切った。
「透けてっ……!」
次の瞬間、全身から血の気が引いた。
彼女が手に持ったその包丁が、そして彼女自身が俺をすり抜けて、何事も無いように歩いて行ったのだ。
なんとも言えないゾワゾワ感に襲われていると、隣でトルビーがへたりこんでいる事に気がついた。
「……大丈夫?」
そう聞くも、返事がない。
トルビーは肩で息を……いや、しゃくり上げるように呼吸している。
「ねぇ、トルビー?」
問いかけながら肩に手を置くと、トルビーはバッと抱きついてきた。
「そんなに怖かっ……」
「死なないでよ、ライムっ!嫌だっ!置いてかないでよっ!」
俺の顔を見ながら、涙で顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくるトルビー。
「うおっ」
トルビーに押され、体勢を崩し、尻もちをついてしまった。
と、トルビーは上に乗ってきて、俺の腹部を力いっぱい押し始めた。
「ちょ、トルビー!?」
「やだよ……っ、行かないでっ……!」
「行くってどこに!お昼出ちゃうよ……」
「いやだぁ……っ!」
トルビーは大粒の涙をボロボロこぼしながらなおも俺の腹を押している。
……自分で気付いてないだけで、もしかして俺、出血してるのかな。
流石にそんなはずはなく、そして冗談じゃなく本当に吐きそうになっていると、急にトルビーの力が抜け、ふらりと倒れ込んできた。
「トルビー?ねぇ!」
肩を叩きながら呼びかけても返事がない。今度は気を失っているようである。
とりあえず、トルビーをあまり揺らさないようにして寝かせた。
養護の先生を連れてこようと立ち上がると、階段の方から足音が聞こえることに気がついた。そういえば鈴の音が聞こえなくなっている。
駆け上がってくるその足音の主に、先生を呼んできてもらう事にした。
「人が倒れました!養護の先生を……」
「平気か?!」
階段を登りきるとそう言ったのは、真っ白で大きな耳を生やした、テケン先生だった。
「俺は平気ですけどトルビーが……!」
そう答えると、先生は肩で息をしながらこちらに寄ってきた。
「そいつは俺が寝かせた。会ったんだな?アイツに」
そう言いながらトルビーをおぶると、先生はゆっくり歩き出した。
「アイツって……」
「聞く前に会ったのか」
怖かったろ、と言ってはにかんだ先生と、保健室へと向かった。
俺たち以外に誰もいない保健室に、西日が差し込んでいる。
トルビーはベットに寝かされている。意識は戻っていないが、先生によると平気らしい。
背もたれのない丸いイスに座り、クルクルと回っていると、テケン先生が口を開いた。
「トルビーがあんなに取り乱したってことは、アイツに腹でも刺されたか?」
「刺されたけど、刺されてないです」
俺の返答に先生は、そうか、と言って笑った。
「というか、トルビーがなんか変だったんですけど……」
「あれだ、トラウマってやつ。アイツにもいろいろあったんだよ」
先生は窓の外を見ながら言った。その横顔は少し悲しげだった。
「あんまり聞いてやるなよ」
そう言われ、俺はこくんと頷いた。
「あと……」
先生はそう言いながらこちらに向かってきた。
そして俺の前にしゃがむと、俺の腹部に手を当ててきた。
「腹に怪我するな。特に刺されるな」
「は?」
困惑していると、先生は困ったような顔をして言った。
「トルビーがああなるから。まぁお前も痛いだろうから刺されないようにな」
「は、はい……」
俺はテケン先生と話しながら、トルビーが目を覚ますのを待った。




