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第5話

電車に揺られながら、外を見た。見覚えのある山々と見覚えのない住宅街が交互に視界に映る。

「変わったね」

私の呟きに、返答してくれる人は居ない。

香苗は隣で寝息を立てている。


___帰りたい


私の独りよがりなわがままに、香苗は頷いてくれた。


___私も、千冬に帰ってきてほしかった。


どうしてそんなことが言えるのだろうか。

もしも私が香苗の立場だったら絶対にそんなこと思えない。


ガチャ

手慣れた様子で香苗は鍵を開ける。

「売り払う決心が結局つかなくて、そのままにしてきたんだ。その分の負担は厳しかったけど、結果オーライだね」

そういいながらドアを開けて奥に進んでいく。

「懐かしいな」

私が住んでいた家はもうないけれど、香苗の家は当時のままだった。

初めはそう感じたが、床にランドセルが転がっていたり、卒業証書が壁に貼ってあったりとあの日からの時の流れはしっかりと感じ取れる。

ふと、花瓶の横に置いてある写真が目に入った。

『入学式』の看板を前に不安そうな顔を浮かべる少女が1人。赤色のランドセルは身長に対してかなり大きい。


___入学式のときも一緒に写真撮ろうね!!


菜月さんにアルバムを見せてもらった時だ。

私と香苗のツーショット写真が出てくるたびに2人でそう約束した。

「千冬?大丈夫?」

奥から香苗の声がする。

「ごめん。ちょっと外出るね。」

香苗の返事が聞こえる前に、私は踵を返した。

九州とは違う、少しひんやりした空気が体内に入って出ていく。

ゆっくりと瞼を開けた。

自分の罪を目の当たりにして、こうして逃げ出してしまう自分に嫌気がさす。

心は想像以上に脆い。それでいて治りにくい。

まるで陶器だ。

どれだけ綺麗な心を持っていてもヒビが入ってしまえば、人とは違う対応をされ、向けられた感情を受け止めることもできない。

ガンガンに照りつける太陽が肌を焼く。

いくら涼しくても、日差しが強ければ肌が黒くなる。

黒い肌に抵抗はないが、真っ赤に腫れるのは勘弁だった。

肩にかけっぱなしの肩掛けポーチから、日焼け止めを取り出した。

このポーチの中身は、外出するときいつも持っていくので火事に巻き込まれなかった数少ない日用品だ。

キャップを開けて、右腕にそのままつけ左手で伸ばす。

「いたっっ!?」

日焼け止めを塗った部位がヒリヒリと痛む。

よく見ると、液に赤い粉状の何かが大量に含まれている。

「何、これ……。」

日に焼けることで加速する痛みに顔を歪めつつ、香苗の家まで足を走らせた。


「唐辛子じゃないかな……」

香苗が真剣な声色で言う。

唐辛子……。

お互い顔を見合わせて、口を噤む。

家が燃え、日焼け止めが唐辛子入りに……。

「香苗……」

「違うよ。私は、知らない。」

昨日とは打って変わって、弱々しい否定だった。

目を伏せた彼女を見ていられなくて、そっと部屋の隅に視線を向ける。

「あ」

声を上げた私に香苗が、反応する。

「どうしたの?」

何も言わず指をさすと、「なるほどね」と香苗が口元を緩ませた。

「捨てるの、なんだか気が引けて……」



___この子を私だと思って大事にしてね。


記憶の中で香苗はもう一個のぬいぐるみの首をギュッと抱く。


___私もこのタヌキを千冬だと思って大事にするか

   ら。


香苗の目が笑っていないことは明らかだった。


___いつか絶対会いに行くから


そう言って病室を去っていく香苗の後ろ姿に、私はかける言葉を見つけられないでいた。



「香苗が、ウサギだったんでしょ?」

顔を見ていないから、彼女がどんな表情をしているかは分からない。

でも、香苗は今、頷いた気がする。

「それで、私がタヌキ……」

そういう殺人予告をしたからこそ、私は香苗が犯人ではないかと疑ってしまう。

「最終的には溺死だったよね。」

香苗は、反応しない。

「私にとって、千冬はもうタヌキじゃない。」

やっとのことで開いた香苗の口が発した言葉を、私は完全には信じられない。

だって、それが本当なら、私のことを性悪狸なんて罵り方しないはずだから。


「ちょっと頭冷やしてくる」

香苗は立ち上がって小さく言った。

ドアの開閉の音が聞こえたのはそのすぐ後のこと。

「はぁ」

1人残された家の中で、誰にも気を使わぬ大きなため息を吐く。

腕の痛みはだいぶ引いた。

頭を冷やしたいのは私も同意見だが、先ほどの件もあって、なんとなく外へできることに抵抗感じる。

香苗が、外へ行ったのは私への配慮だろうか。

そう思うと、申し訳なく思う。

ピーンポーン

私がもう一度ため息をついたのと同時に、インターフォンの音が無音の家に響き渡る。

勝手に出るのもどうかと思ったので、居留守をしていると足音が1つ、家から遠ざかって行く。

ちらっと見えた後ろ姿はどこか見覚えのある女の人だった。

「……」

玄関に、行かないと。

そう思った途端、体が動いた。

ただの勘だ。根拠はない。

でも、行かないと後悔する。

そんな気がした。

ゆっくりとドアを開ける。

外開きのドアが何かにぶつかって小さく戻ってくる。

わずかに空いた隙間から、体を外に出し、その正体を確認した。

「ウサギ……」

天野さんの家で燃えたはずのクッションのごとく柔らかいあのウサギだった。その大きなお腹には、手紙が張り付いている。

そっと引っ張ると、呆気なく白い身体からそれは剥がれた。


________________________

千冬へ


帰ってきてくれて嬉しく思っています。


________________________


母らしい短い手紙だった。

小さい頃に見た母の後ろ姿と、先ほどの女性の後ろ姿が頭の中で一致する。

手から滑り落ちるA5サイズの紙を拾う心の余裕は、もう残っていなかった。

気がついた時には走り出していて、知らない場所にいた。

大きな木の下に女性が1人佇んでいる。先ほどは見えなかった横顔はまさに母だった。

「お母さん?!」

疲れて震える足は嘘みたいに早く動いた。

足が前に進むたびに、大きくなる母の姿。

思わず手を伸ばしたその時だった。

バシャン

突如として視界が大きく下がる。

真っ暗になったと認識する前に息ができないこと気がつく。手足も膜がかかったように動かしづらいのに、体が一定方向に進んでいる感覚はわずかながら感じ取れる。

川に落ちたんだと自覚するのには少し時間がかかった。

どちらが水面か分からない。分かったところで、泳げない。

酸素が不足して、ますます考えが及ばなくなったその時だった。

「友梨。やっぱり私たちは友達じゃなかったみたいだね。」

鳥の声さえ聞こえないのにはっきり聞こえる声。


___お前らって顔はにてるよな。


___紫にそっくりだな。


同級生の言葉と、父に言われた言葉が交互に浮かぶ。

ゆか

声にはでないが口がそう動いた。

声がした方へパッと左手を振り上げる。指先が水面から出た気がした。しかし、それ以上動くことはできなかった。

ブワッ

口から大量の泡が出た。意識を失う寸前に誰かが私の左手首をつかんだ……ような感覚があった。

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