アスランド星系
わたしたちのあこがれが
世の闇に消え去っても、
愛の光は、星のように、
いつまでも燃え続ける。
―――ミハイ・エミネスク『星』訳:田中春美
赤色巨星に照らされる巨大なガス惑星の輪郭を眺めながら、ひまわりの種をぽりぽりと摘まむ。
壮大で雄大で幻想的で詩的なこの光景を目にしながら、僕は艦長席に腰をずっと据えて楽な態勢を取り、いつも通りにひまわりの種を口に放り込んでそれを味わい、傍らにある熱い珈琲を飲む。
とても素敵で、一方でどこかの誰かさんが見たら風情がないだとかリスペクトが足りないだとか怒られそうなものだけれども、これが僕のいつものルーティーン。
そう、これは戦闘前の僕のルーティーンだ。手頃で簡単で時間を取らない、ジンクスでもある。
「星系に展開していた早期偵察衛星との通信、途絶しました。僚艦の重巡洋艦『トーデン・スキョル』は臨戦態勢に移行しています」
「こちらも戦闘準備だ、ルクサンドラ。敷設した機雷源の情報を他艦と共有、泊地防衛を主任務として僕らは迎撃に出よう」
「やっています。即応可能な艦とのTURMSを繋ぎます」
「さて、やれるだけやってみようか」
ぐいっと背伸びをして首を左右に傾け、ストレッチをする。
隣には体にぴっちりと張り付くようなデザインの、アニメでよくあるパイロットスーツのようなものを着込んだ、金髪碧眼の美少女がいる。僕と同じリムレスデザインの眼鏡を掛けた、理知的そうな女の子だ。麦穂色の髪はボブカット、碧眼は透き通った空のような色合いで、それがくりりとして可愛らしい。桜色の唇に柔らかそうな頬っぺたと、メリハリのある身体つきがぴっちりとしたパイロットスーツが余すことなく魅力的に包みつつ、芸術的な身体のラインを浮かび上がらせている。戦闘前でなければ、僕の手は彼女の臀部をに伸びていたかもしれない。
彼女はルクサンドラと言う。僕の公私に渡る相棒の、個人用抗加齢遺伝子処理済アンドロイドだ。その高性能ぶりは人間のそれを遥かに上回るが、生憎と彼女はどこかの暴走AIのように反乱を企てたことは一度もない。僕への好意、つまりはマスターへの好意はPAIの根本に組み込まれているが、僕はそれ以外の人間に対してそう設定した覚えはない。単に彼女が人類を好ましく思っているだけだ。
そんな運命的美少女と二人きりの艦橋だが、艦の外の状況は芳しくない。
上下左右あらゆる方向に広がる宇宙空間。正確にいえば、この艦橋を全球形に包み込む巨大な壁面ディスプレイに映し出された、外部映像。習慣的に、そして伝統的に「艦橋」と呼称されている宇宙艦艇の指揮中枢室は、船体の中にある。防禦磁場、外郭装甲といったものの更に奥深いところに位置していて、本来ならば外部を直接視認などできない。しかしそれでは全世界の艦長は機嫌を悪くしてもっと危険で開けた空間に自殺的にも出ていこうとするので、この全天周囲式の巨大なプラネタリウムがある。
そんな満天の星々と超巨大ガス惑星と赤色巨星という光景の中に、いくつもの艦が光芒を放ちながら陣形を取りつつあった。このアスランド星系には〈連邦〉の新しい泊地が建設され、やっと稼働を開始したばかりだ。僕らは巨大ガス惑星のアスランド3号星の軌道にある、アスランド泊地に船団護衛と泊地防衛という仕事で来ている。そして、僕らの敵である〈同盟〉は果敢にも泊地襲撃を敢行している、ということだ。
はっきりと言ってアスランド星系はパルティア星系などという地獄とは違って、戦略的重要性は乏しい。おまけにアスランド3号星はいわゆるホット・ジュピター、恒星にとても近い軌道を高速でぐるぐる回るガス惑星だ。自転が潮汐固定されており、同じ面を常に恒星に向け続けているため片面が非常に熱く、片面は非常に冷えている。そのため高熱面に向かって凄まじい強風が吹き荒れている上、恒星からの宇宙線を受け続けているのでオーロラと電磁放射も観測されている。そんなところに泊地を作るに至った理由は、この周辺に泊地建設が可能な星系で、チョークポイントである星系がこのアスランド星系しかなかったからだ。つまりここに泊地があれば何かあった時に便利、ということ。そんな重要性が皆無とも言い切れない微妙な立地。故に、僕らの艦隊のメンバーもパッとしない。
デンマーク人艦長のエーリクが駆る重巡洋艦〈トーデン・スキョル〉を戦隊旗艦に、我らが駆逐艦〈マラシュティ〉と、駆逐艦〈ロック・ハンプトン〉〈サーレマー〉〈オーバーストランダー〉の総計5隻。泊地には主機故障で整備中の戦艦〈ティルピッツ・ツヴォー〉がいるが、泊地に重力係留索で繋がれている戦艦に出来ることは少ない。おまけに主機整備のために泊地に入ってから数日経っているから、すぐにエンジンに火を入れることすらできないだろう。
駆逐艦は軽巡洋艦クラスのレールガンを備える〈オーバーストランダー〉と、標準的な駆逐艦らしい駆逐艦の僕らの〈マラシュティ〉、他2隻は船団護衛向きとバラバラだ。
さてさて、この状況で〝あの〟エーリクはどうするかと考えていると、オールバックの白髪に赤い釣り目のPAIから通信が入った。
『機雷源のデータを感謝する。だがTURMSはやめだ。統一射撃の利点がない。各艦存分に楽しめと我が団長は仰せだ』
「ヘルヴォル!! 噓でしょう!?」
『嘘なわけがあるか、〈マラシュティ〉のルクサンドラ。各艦、我が艦を先頭に単縦陣を取れ。良い狩りを』
思わずといった風に叫び声を上げるルクサンドラに、エーリクのPAIは胴に入った敬礼をして通信を切った。
目をぱちくりさせながらこちらを見るルクサンドラに、僕は肩をすくめながらコーヒーを一口。なるほど、噂に聞くエーリクのやり方ってのはこれらしい。
重巡洋艦『トーデン・スキョル』を駆るエーリクとその相棒のPAI、ヘルヴォルの噂は〈連邦〉ではそれなりに知られている。船団護衛や小規模艦隊での戦闘や防衛戦を好み、豪放磊落でヴァイキング気質な重巡洋艦―――というより、生粋の装甲巡洋艦乗りで、奇抜で根っからの戦闘厨。彼と共に戦闘を経験したプレイヤーたちは誰もがこう言うのだ。
―――あいつはなんというか、敵にも味方にもしたくないな。
と。
「なるほどね、ちょっと気持ちが分かったよ」
艦対艦戦闘において艦隊内の通信及び戦術連繋システムであるTURMSに頼らないというのは、つまるところ統合的な戦術を捨てるに等しい。駆逐艦による統制された雷撃など、ありとあらゆる行動が統制の下から外れるのだ。
それが何をもたらすのかというのは、僕らの歴史が証明している。指揮と砲弾が飛び交うカオス、時系列にするだけで頭が混乱するほどのカオスだ。重巡洋艦〈トーデン・スキョル〉を先頭艦に単縦陣を取れ、というのは、水上戦闘においてはまあ分かるのだが、宇宙空間においてこの陣形はつまるところ、先頭艦を盾―――まあはっきりと言えば生贄だとか捨て駒くらいに酷いナニカにする以外の何物でもない。
さらに言えば僚艦と合わせて防禦力場の出力を底上げする「攻城槌」が攻防ともに使える標準的な戦闘陣形であるにもかかわらず、だ。それをわざわざ自ら選び、そのポジションに着くというのだから控えめに言って救いようがない。
『……どう思うよ、トッド』
「どうって、敵襲撃艦隊を考えればこれもアリかなとは思うよ。駆逐艦冥利に尽きる」
『言うと思ったよ。お前は生粋の駆逐艦乗りだ。頭のネジがトんでる』
「あんたもそうだろ、テディ」
通信でぼやきに来たのは駆逐艦〈ロック・ハンプトン〉の艦長、デイヴィット・ネーピアだ。この気のいい駆逐艦乗りは僕の友人で、彼のPAIのジュリーとも顔見知りだ。良いペアで、良い奴だ。
彼の駆逐艦〈ロック・ハンプトン〉は純粋に戦闘を目的としたモジュール構成になってはいたものの、直接戦闘ではなく、長距離船団護衛を重視した設計だ。今回みたいな戦闘なら、僕の〈マラシュティ〉や〈オーバーストランダー〉の方が適任だ。
それでもテディは逃げる男ではないというのを僕は知っている。いつだって愛嬌があり、粘り強く、運とジンクスを信じている。僕だってそうありたいと思うほどに、テディは良い奴なのだ。
『どうも、トッド……戦闘序列が送られてきたな。俺たちは前から4番目らしい』
「僕らは2番目か。駆逐艦は〈オーバーストランダー〉が先頭、最後尾は〈サーレマー〉だね」
『奇抜な割に常識的でびっくりするね』
「僕もそう思ってた」
『俺が撃沈されたらなにがなんでも助けに来てくれるだろ、トッド?』
「もちろん。同じ駆逐艦乗りだ、いつでもどこでも助けに行くさ」
僕がラフに敬礼して見せると、テディはにやりと笑って通信を切った。
珈琲をぐいっと煽ってカップを空にして、僕は星空の中で煌めくスラスターの光と終結する艦たちのシルエットをぼうっと眺める。
重巡洋艦〈トーデン・スキョル〉だけではなく、停泊中の戦艦〈ティルピッツ・ツヴォー〉が艦載機を発艦させ、早期偵察衛星が送った敵の編成がさらに詳細になるまで僕は頭脳と身体、そして精神をしっかりと休めるつもりだった。今分かっている敵の編成は、重巡洋艦1隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦4隻。武装の詳細に関してはデータが一部欠損していて、駆逐艦が〈同盟〉のマッカレル級駆逐艦で揃っていることくらいしか分からない。
さてさて、と僕は残ったひまわりの種を袋に包んで艦長帽の中に入れ、足を組んで背もたれにぐっと体重を預ける。
「ルクサンドラ、TURMSがなくても御決まりはあるよ。もっと楽しもう」
「……トッドったら、いつも大事な時は意地悪な顔しますよね」
「これは意地悪な顔じゃないよ」
にっこりと笑いながら、ぷくっと可愛らしく頬を膨らませるルクサンドラの頭を撫でつつ、僕は言った。
戦闘前特有のピリピリとした緊張感と高揚感で体温が上がり、呼吸も心なしか浅くなる。こういうのはみんなアドレナリンのせいにすればいい。
僕はゲーマーだ。そして勇気ある駆逐艦乗りだ。その二つの矜持が僕を今、この宇宙に繋ぎとめてやまない。
「俺は楽しんでるんだ」
その言葉を受けて、ルクサンドラはさらに頬をぷくっとさせて眉間に皺をよせ、ぷいっとそっぽを向いてしまった。