第17話 忘却の淵
話の筋が見え、ハラルド陛下が初めて頷いた。
気づくことなくラムダは続ける。
「出来るわけがない」
「なぜだ」
ラインの騎士が問う。
「あなたは今日何を見ていたのです?」
「今日はともかく、言葉を交わさねば納得も出来まい」
騎士の言葉にラムダは嘲りを浮かべた。
ラインの騎士は怒りもなく浮かぬ顔だ。
「今日集まった皆々様が怯えていたのは、騎士団にですか。それとも状況にですか」
「どちらもだろう」
「違う。奴らはたった二人に怯えていた。騎士団なら弱みを握っている。交渉の余地はある」
これには二人の騎士も、沈黙を以て応ずるしかない。
「ライン王国で三本の指に入る僕の婚約者。そしてハラルド陛下、いや冒険者ハラルド。あなたの功績は未だ色褪せていない。ライン王国最強のその人が、守ってくれる。或いは切り捨てればどうなるか。だが陛下は身動ぎもしなかった」
名指しされた陛下ハラルドは、天井を見上げていた。
「まさしく天上人。なるほど、討伐数は未だ塗り替えられず、最強の名を欲しいままにしたお方だ」
「古い話だ」
陛下の発言に、ラムダは満足げに笑みを浮かべる。一国の王にして最強の男が、直々に声をかけてくれた。若者にとってそれがどれほどのことか。
「そのぶら提げているそいつが言うんです。僕にいいアイデアがある。聴衆の前でざまあしろ。そうすれば全てうまくまとまる」
「何がだ?」
神殿騎士の遠慮ない問いかけに、
「テンプレを実行しろ。そうすれば互いに自由になれる。君は解放され、彼女は艱難辛苦の末ざまあしに来る。受け止めれば、大団円」
ラムダは怪しい笑みを浮かべたが、すぐに非礼を詫びた。
「失礼。こうすると、全てうまくいくシナリオ。そいつがそう言うんです。僕がサポートする。僕は特別、僕は転生者。僕の転生ボーナスはテンプレがあれば機能する。ってね」
騎士二人が納得したかはともかく、私にはすんなり受け止められる話だった。
「驚くことに機能しなかった」
確かに。
「意味も分からず……違う、意味を知りただただ遂行しようと必死にもがく様は、可笑しかったでしょう」
自嘲も過ぎると心の毒だ。そろそろ止めないと。
「僕は裏切り者です。婚約者を裏切り、転生者に唆された。いや、甘い言葉に乗る振りをした売国奴。どうか裁きを。何もない、相手にもしないでは僕の立つ瀬がない」
ハラルド陛下は口を開かず、ゲッツア殿下は深く考え込んでいる。
ラインの騎士が代わるよう口を開いた。
「実害は出なかった。言っては悪いが、君のお陰だ」
「それは侮辱ですか」
「そうだ」
「では剣を手に。決闘と洒落込みましょう」
「断る」
「では裁きを」
「ならん。お主は貴重な経験者」
「童貞卒業を祝ってくれと聞こえましたか?」
「違う! 転生者がいかに人を誑かすか、貴重な情報を持っている」
一瞬の戸惑い。けれど彼は、大きな声で清々しくも吐き捨てた。
「これだから大人は!」
ラムダの顔に生気が戻ったーー
笑い声すら上げて遠慮も何もありはしない。だがそれを責める者はどこにもいなかった。
清涼感溢れる姿はやはり侯爵令息。
憑き物が落ちたような彼は、
「では我々はこれにて」
「我々?」
その言葉は騎士二人に向けられたものだった。神殿騎士が疑問符を浮かべている。ラムダは道理の分からぬ大人に言って聞かせる。
「あなた空気も読めないんですか?」
「なぜだ。騎士団の者がなぜ退場せねばならない」
「格が違うからだ」
「そうだな。では陛下、殿下、外で待機しております。ご用があればなんなりと」
ラインの騎士に羽交い締めにされ、神殿騎士は去っていく。
深々と頭を下げたラムダは、
「君は……殺戮の勇者に恋をしたのか?」
最後になる問いかけを私に向けた。
「まさか。あいつは敵になりかねない。戦う覚悟は出来ています」
哀愁と憧憬が込められた彼の眼差しが、私達の別れの合図となる。
「では。僕は、いえ私は何も聞いていませんっ!」
若々しく立ち去るラムダを、殿下も陛下も小さく首肯し見送った。
さようなら、私の婚約者。
あなたが見ていてくれたから、私は戦えた。
伝えたいことは、いつか手紙に記します。
その背中は私の記憶を鮮やかに彩り、忘却の淵にある幼い私も、小さな手を振っていた。




