第4話 おっぱいの波状攻撃
『依頼したいことがある』
オズワルドの口ぶりは丁寧だったが、拒否することを許さないプレッシャーが存分に含まれていた。
(本気でマリアンナ様を……いや、国全体を騙す気なんだ⁉︎)
想像したくないが、失敗した時のリスクは絶大だろう。
ミハエルが国外追放されるくらいのダメージで済めばよい。
最悪、オズワルドやユースティアまで処罰の対象となる。
が、手に入れたい。
正規の魔道士であることを示す黄金のバッヂを身につけたい。
まず給金がまったく違う。
額にして三倍くらい。
倹約家として知られるミハエルにも、買いたいけれども我慢している書物や、一度くらい旅してみたい土地の一つや二つはある。
あと異性からモテる。
いったん魔道士になってしまえば、よっぽどの不祥事を起こさない限り解雇されることはなく、結婚市場でかなり評価される。
十七歳の男なのだ。
幸せな家庭というやつを夢見てもいいだろう。
お付き合いするなら同い年か一つ下の女性がいい。
ユースティアみたいな金髪の持ち主なら特にいい。
「どうしました、ミハエル。国家に貢献する最大のチャンスですよ」
オズワルドが不気味なくらいのニコニコ顔で迫ってくる。
たじろぎ後ずさりしたミハエルは、この日最大のミスを犯してしまった。
むにゅん、と。
王女様のふくよかな胸に背中からぶつかってしまったのである。
恥ずかしさと情けなさで耳の付け根まで熱くなる。
「ねぇ、ミハエル。私からもお願い。あなたにしか頼めないの」
甘い声で囁かれてしまい、頭の芯が溶けそうになった。
いつもは気丈なユースティアの猫なで声は、理性を吹っ飛ばすくらいの破壊力を秘めている。
「ですが……しかし……俺のミスで二人に迷惑をかけるかもしれません。簡単には決めかねます」
「ミハエルなら大丈夫よ。きっと上手くいくわ」
どの辺が大丈夫なのかまったく理解できなかったが、ユースティアが言うなら大丈夫だろうという気がした。
とにかく距離が近い。
ほんのり甘い香りに酔いかける。
ユースティアの全身からは常に優しい匂いがして、昔から側にいる時間が好きだった。
「ほらほら、チャンスの神様には前髪しかないっていうでしょう。迷っている場合じゃないわよ」
「そうは言ってもですね、俺の将来が賭けられているわけでして」
「命ある限り何とかなるわよ」
ぽよん、ぽよん、ぽよん。
おっぱいの波状攻撃で攻められる。
(なんて破廉恥な⁉︎)
最初は事故かと思ったが、ミハエルの考えが甘かったらしい。
とことん本気だ。
この王女様はどんな手段を使ってもミハエルを味方に引き込むつもりらしい。
「引き受けてくれなかったら、ミハエルが私の胸を揉んだって、王宮中に言いふらしちゃうから」
「ちょっと! ユースティア様! それは国民に対する脅迫じゃありませんか⁉︎」
そんなことされたら同僚から嫉妬されて、塔の一番高いところから突き落とされる。
前科がついてしまったらミハエルの幸せな結婚プランも露と消えてしまう。
「それとも私を敵に回す気かしら」
ぎゅ〜と印鑑を押すように胸の圧が強くなる。
色々なものが限界に達したミハエルは「はい! 分かりましたよ!」と吠えるように返事した。
「ありがとう。ミハエルって昔から優しいよね」
「もし俺が国外追放になったら一生恨みますからね」
「その時は私が助けてあげるわよ。この次期フォルトナ国女王が」
それまで黙っていたオズワルドが横から咳払いする。
「そうです。ティア姫はいずれ王座に就くお方。今から恩を売っておくのは悪くないアイディアですよ」
さっそく三人で作戦会議する。
でも、その前に……。
「この部屋に入ってきた時、私はうわ言を口走っていませんでしたか?」
「ッ……⁉︎」
オズワルドに睨まれてしまい、ミハエルの背を冷や汗が伝った。
腐りかけのリンゴみたいな顔で『役立たずのオズなんて、本当のオズじゃない』と絶望していたやつだ。
「何も聞いていないわよね、ミハエル」
ユースティアが水を向けてきたので、
「はい、魔道士長は健やかに寝ておられました」
と嘘をついておいた。
「よろしい。では作戦会議に入りましょう」
……。
…………。
与えられた期間は七日だった。
これが終わったらニセモノの勇者となり、元のミハエルに戻れなくなる。
初日にまとまった額のお小遣いをもらった。
好きな物を飲み食いしたり、美術館や博物館でも行ってこい、というオズワルドなりの優しさだった。
勇者になったら自由に城下街を歩けない。
朝から晩まで常に監視の目がつきまとう。
安い定食屋に入って一番安いランチを頼むのも今日が最後なのだと、ミハエルはしみじみ思った。
『本当に俺なんかでいいのですかね?』
これと似た質問は十回くらいオズワルドにしている。
魔道士見習いとして優秀だという自負はある。
天才のオズワルドを見て育ったからである。
とはいえ、人一倍魅力があるわけでも、ルックスが冴えているわけでも、トークが上手いわけでもない。
つまり適材は他にもいる。
『むしろ好都合ですよ』
オズワルドはそういって笑った。
着目したのはミハエルが黒髪である点。
どういうわけか過去に召喚された勇者たちも黒髪の持ち主が多かったらしい。
人々のイメージする勇者像に近いのである。
『ミハエルは影が薄い男の子ですからね。交友関係も狭いようですし、いなくなっても影響は少ないでしょう』
『あはは……』
ミハエルは隣国までお使いに行っている、という設定で通すらしい。
孤児ゆえ身内がいないのもミハエルを選んだメリットだ。
とにもかくにも計画の歯車は回り出した。
七日後の今日、ニセモノの勇者としてお披露目される。
「ほら、できたわよ」
ユースティアの声で我に返る。
「今日からあなたは異世界召喚された勇者よ」
ここは王族用の化粧室である。
鏡の中にはイメチェンを施したミハエルが映っている。
いつも無造作にしている黒髪は、きっちり撫でつけて後ろに流している。
何かに似ていると思ったら、神話に出てくる英雄とそっくりだった。
野暮ったい眼鏡を外したせいで、顔つきは普段より五割増で凛々しい。
お前は本当にミハエルなのか、と鏡の自分に問いたくなる。
全身にまとっているのは白銀の鎧だ。
一見すると大人一人分くらいの重量がありそうだが、いい素材を使っているのと、魔法の加護が施されているので、見た目ほど重くはない。
ミハエルは椅子から立ち上がった。
自分が勇者。
救国の英雄と呼ばれる。
たった一日で強くなった気がして、自尊心がみるみる満たされていく。
ユースティアにスタイリングしてもらった髪型も好きだ。
お願いしたら別の日も整えてくれるだろうか。
「ほら、これを持って」
差し出された剣を見て、ミハエルはひっくり返りそうになった。
国庫に納められているはずの国宝だったのである。
「インパクトが大事でしょう。使えるものは使いましょう。どうせ減るものじゃないのだから」
ユースティアの正論に背中を押されて国宝の剣を腰に差してみる。
「どうでしょうか?」
「うん、とっても格好いいわよ」
それは装備に対する褒め言葉だけれども、十七歳のピュアな心臓はバクバクと脈打った。
この日、ミハエルは勇者になった。