甘いのが欲しいです
放課後、俺が昼休みに食べ損ねたチョコドーナツを貪っていると、隣の席の黒髪の乙女がこう言ってきた。
「私も、甘いのが欲しいです」
彼女が言い終わったのは、チョコドーナツの最後の一欠けらが俺の食道を通過した後のことだった。放課後まで放置していたせいかチョコが少し溶けていて、ちょっと唇がベタベタしているし舌に甘さがくっついたままだ。舌に残った甘ったるさを水筒の水で洗い流してから、俺はこう言い放つ。
「なんだって?」
「ですから、甘いのが欲しいんです。才木さん」
「いや、色々と省きすぎだろ。何? 小千田さんもドーナツ欲しかったのか?」
小千田さんは真っすぐに揃った長髪を小刻みに横に振り、面白おかしそうに「ふふふ」と小さく笑ってから口を開いた。
「ドーナツではなくでですね、その上に乗っていたチョコレートが美味しそうだなと思ったんです。私もその甘さを味わいたいのです」
そして、少し頬を染めて一言付け加えた。
「少々いやらしいとは、思うですが……」
それを言うなら「卑しい」なのでは? どちらにしてもとんでもない。かわいい恋人のためならそれくらいはお安い御用だ。俺が食べていたチョコドーナツは学校近くのコンビニで買ったものだから、調達は容易い。
「分かった、じゃあ帰りに同じの買ってやるよ」
これで小千田さんが喜んで笑顔を見せてくれるはずだ。「才木さん、ありがとうございます。才木さんは優しい方ですね。大好きです」てな感じで。だが、小千田だんは思ったのとは違う反応をする。また面白おかしそうに「ふふふ」と小さく笑うのだ。
「ダメです。甘いものは学校内から出してください」
おやおや~? なるほど、これは小千田さんが時々やるやつだ。なぞなぞというかクイズというか、小千田さんはそういったものが好きでこうやって突拍子もなく吹っ掛けてくる。俺と小千田さんが付き合い始めたきっかけも「なぞなぞラブレター」なるもので、俺の頭の柔軟性を試す高度なラブレターだった。要するに、俺は彼氏としてなんとしても正解を手繰り寄せなければ恰好がつかないというわけだ。
まずは手持ちのお菓子をチェックしてみる。この中に良さそうなのがあれば手っ取り早い。
A.チョコドーナツ。当然ながら既に食べてなくなっているものだが、包装袋の中にはドーナツの屑がほんの少し存在する。まあ、これはあり得ないだろう。
B.キャラメル。一昨日言った床屋の主人に貰った。小千田と一緒に行った。
C.プレーンクッキー。母の友達からの貰い物で、今朝家から一個だけ鞄に入れて持ってきた。未開封。
……どうやらこの中にはなさそうだな。となれば調達して来なければなるまい。席を立って駆け足で教室を出る。学校内で甘いものがある場所といえば一つ。売店だ。
売店は学生が昼飯を買うために設置されているものであるため、放課後となった今では陳列棚にぽつぽつと隙間が空いている。さて、この中から小千田さんのお眼鏡にかなうものを選ばなくてはならない。
チョコドーナツのチョコ、どんな味だったか。ペロリと下唇の内側を舐めるとほんのりとチョコの味が残っていた。
しかし、味を確認したところで思った。小千田さんのことだ、単純にチョコドーナツのチョコと近い甘さを持つものを持ってこい、というわけではなさそうだ。
小千田さんの言っていたことを思い出す。確かこうだったな。
『ドーナツではなくでですね、その上に乗っていたチョコレートが美味しそうだなと思ったんです。私もその甘さを味わいたいのです』
そこで俺はすぐにピンときた。何故わざわざ「その上の」というのか。位置を言わなくても、「チョコレートの方」あるいは「チョコレート」と言うだけでも伝わる。
理由は簡単、今回のクイズに必要だったからだ。ならばここでの「その上の」とは。小千田さんが言っていた通り「ドーナツの上」だ。
陳列棚を見渡すと、予想通りそれはあった。「ミルクドーナツ」という商品名のドーナツ。チョコは乗っていない。だが問題ない。ドーナツはあくまで目印であって、それ自体に用はない。
要するに、こういうことだ。小千田さんが求めている甘味は「ドーナツの上」の陳列棚にある甘いものだ。そして、そこには確かに「どら焼き」がある。
どら焼きを買った後教室に戻り、小千田さんに手渡す。すると、「わあ、ありがとうございます」と言ってどら焼きにかぶりついた。最初の一口分を飲み込んだ後、口を開く。
「甘いものが欲しかったんです」
「ああ、よかったな」
「でも、これじゃないです」
その一言に、不意に喉の奥から声が出た。
「え」
「ですから、私が欲しかったですものはこれではありません」
「え、いや、だって……」
俺はさっき売店で組み立てた推論を語り聞かせた。それを聞いた小千田さんは不満そうに口をつぐむ。そして、俺の推論の穴を指摘した。
「放課後までにドーナツが残っている保証はどこにもないじゃないですか」
うーん、おっしゃる通りです。
ドーナツが売店に残っている確信がなければ今回のクイズは出せない。解けない問題になりかねないからだ。
いやしかし、これは中々に恥ずかしい。自信満々に思っていた推論が海外アニメに出てくるチーズみたいにどデカい穴が空いていたのだ。今すぐ机の下に潜り込んでしまいたい気分に襲われる。小千田さんと目を合わせられないでいると、彼女の綺麗な手が俺の肩を優しく叩いた。
「すみません、学校内だと範囲が広すぎたかもしれませんね。もっと限定します。私が欲しいものは、才木さんが既に持っているものです」
俺を憐れに思ったのか、大ヒントを出してくれた。少しばかりプライドが傷ついたが、傷心を次で当てて見せるという闘志に変換して、再び脳みそを回転させる。
俺が既に持っているもの。小千田さんがそう言うからには、小千田さんは俺がその「甘いもの」を取得している事実を知っていなければならない。
小千田さんの前でお菓子を買ったことは何度もあるが、持ち帰って何日も保持していた記憶はない。だとすると、買ったのではなく貰ったものか? 貰ったものの場合、「今は別に甘いもの食べたい気分じゃないし」と食べずに放っておくというのはあり得る。そこで、心当たりを確認するために質問を始めた。
「一昨日俺が床屋に行った時、小千田さんも付いてきたよな」
「そうですね。才木さんの散髪される姿を見物したかったんです」
「その時、俺が床屋の主人から貰ったものを覚えているか?」
俺がいつも通っている床屋は散髪後にお菓子をくれる。大人の客には配っていなかったが、俺は幼児の時から通っているお得意さんだからか、高校生になった今でもお菓子をくれる。
「覚えてますよ。キャラメルですよね」
「それは今どこにあるか分かるか?」
「才木さんの制服の胸ポケットです。才木さんは貰ったものは取り敢えずそこにしまう癖がありますから」
「よくわかってらっしゃる。つまり……」
「でも違いますよ」
小千田さんが欲しいのはこのキャラメル……あれ?
「違いますよ」
念を押された。
「さっきは言わなかったんですが、そもそもの前提を忘れていませんか? 私はドーナツの上のチョコレートの甘さを味わいたいのです。私が欲しい甘さというのは、チョコレートの甘さなんですよ?」
なんと、甘さの種類は大して関係ないのかと思っていた。
というか、思い込んでしまっていたのか。自分の推論を正当化するために都合良く解釈して無視をしてしまっていた。
「才木さん……」
「いや、えーと、さっきのはただの世間話だ! 頭の中をリフレッシュしたくてな! あはは……」
うーん、まずい。このままでは失望されてしまう。次は絶対に間違えられないぞ。ここは目一杯慎重にいこう。小千田さんの欲しい甘いものの特徴は……。
①それは既に俺が持っているものである。
②それを俺が手に入れたことを小千田さんが知っている。
③それを俺が消費していないことを小千田さんが知っている。
④それはチョコレートの甘さを持つものである。
それに対して俺の手持ちは、残りっているのはプレーンクッキーだけ。ただ、これは今朝家から持ち出したもので学校でも一度も鞄から出していない。小千田さんが存在を知り得ないお菓子なのだから当然答えにはなり得ない。そもそもチョコレートの甘さとは違う。
こうなると俺の持っているお菓子は全滅だ。とすると、俺が見落としてしまっている第四のお菓子が存在するのではないだろうか。見落としているということは、俺の視野が狭かったということかもしれない。視野を広げる。小千田さんの言葉をもっと広義に解釈してみたほうがいいだろう。
……そうだ。小千田さんが欲しいものは「甘いもの」だ。別にお菓子じゃなくてもいい。例えばチョコレートドリンクみたいな飲料でもいいわけだ。やはり視野が狭かった。チョコドーナツと関連付けて無意識に「甘いもの」=「お菓子」と考えてしまったらしい。
しかし、これだけじゃ足りない。お菓子じゃないからといって、俺の鞄の中には他に甘いものなんて存在しない。いや、鞄の中とは限らない。事実、さっきのキャラメルだって胸ポケットにあったんだ。何か俺も思いもよらないところにあったりするかも。しかし残念ながら、制服のあらゆるポケット・机の中・体操着を入れる巾着袋の中も見たが、甘いものなんてどこにもない。
もっと視野を広げよう。思えば俺は小千田さんの出題文にばかり拘って考えている。出題文なのだから当然よく考えるべきではあるのだが、何か他のセリフに違和感を覚えなかったか?
すると、確かに違和感があった。俺は日本語に精通しているわけじゃないから、絶対におかしい言葉の使い方とは言えない。しかし、何故そんな言い回しをしたのかと引っかかるくらいには違和感がある。
そうすると、小千田さんが欲しがっているものに特徴が一つ追加される。それを元に考えると、自ずと答えは出てきた。
しかし、これは……。想像しただけでもゾクゾクしてしまうような代物じゃないか。「甘いもの」の正体を知った俺は、さっそくその受け渡しに向けて動き出す。
「俺がすでに持っているということは、学校外で渡してもいいよな?」
俺がそういうと、小千田さんの表情が明るい笑顔に変わる。
「はい。でもあまり時間をかけて欲しくはありません。鮮度が落ちますから」
「それもそうだな。じゃあ帰ろうか」
そうして、二人で教室を出た。わざわざ外に出てから渡すのは、それが他の生徒もいる教室では渡しにくいものだからだ。
校門を出て、学校最寄りのコンビニを過ぎて、そしてエレベーターにたどり着く。駅の改札口の階層と歩道をつないでいるエレベーターだ。二人でそのエレベータに乗り込む。中には他に人はいない。
自動ドアが閉まり、エレベーターが下降する。やがて外の景色が全く見えなくなる。
そこで、俺は小千田さんの唇を奪った。
心臓が宙に浮いたように愉快に踊るような感覚。安心感のある人肌の温もり。そして、非常に名残惜しいのだが唇を離す。やがて駅構内の景色が目に飛び込んできた。
「ふふ、ふふふふふ」
小千田さんは満足そうに手を押さえながら笑った。そしてこう言う。
「甘いキス、頂いちゃいました」
要するにこういうことだ。小千田さんは「チョコの味がついた唇」が欲しかった。文字通りの甘いキスだ。
唇は身体の一部なのだから「すでに持っているもの」だ。そして、小千田さんは俺がチョコドーナツを食べる現場を目撃しているし、唇を拭いたり洗ったりもしていないのも見ていれば分かるだろう。俺自身特に意識していなかったが、売店でチョコの味を確認するために俺は下唇の内側を舐めた。ということは、小千田さんがクイズを出した時には確実に唇にチョコの味が残っていることになる。この件に関してはちょっと危なかった。途中でうっかり唇を拭いたり、チョコを全て舐めとってしまったらそこでゲームオーバーだったからだ。
「どこで確信を得たんですか」
小千田さんは若干、頬を朱色に染めながら小首を傾げる。
「小千田さんがクイズを出したすぐ後のセリフだ。確かこうだ。『少々いやらしいとは、思うですが……』 このセリフを俺はそのまま受け取るべきだったんだ。そこで、小千田さんが欲しいものに特徴がもう一個追加される。『それはいやらしいものである』ってな。そうなると、もはや食べ物じゃない何かなんじゃないかと思った。選択肢を絞ったのはそこまでで、後はただの閃きだけどな」
それを聞いて小千田さんはうんうんと満足気に頷く。
「やっぱり、才木さんは私のことをよく見ていてくれていますね」
余程うれしかったのか、語尾を上げながらそう言った。
そうやって喋りながら歩いていると、もう改札が目の前だ。
「あ、次の電車すぐに来ますよ」
そう言って急いで改札を渡ろうとする小千田さんの腕を掴む。彼女はびくりと身体を跳ねらせて、不思議そうに俺に瞳を向けた。
「あ、あのさ……」
一つ唾を飲み込んでから、俺は続ける。
「もう一回エレベーター乗らないか?」
それを聞いた小千田さんは優しく微笑み、色白な人差し指を俺の唇の押し当ててこう言った。
「お預けです」
そして、彼女はいともあっさりと改札をくぐる。
まだほんのりとチョコの味が残る甘い唇を噛みしめて、彼女の背中を追いかけた。
こんにちは。お読みくださり誠に感謝の至りでございます。
今回の話を書くに至った理由は、裏で恋愛と日常ミステリーを併せた小説を書いていたことにあります。
プロットも出来て一章を書いていたのですが、途中で気付きました。「これ全然恋愛じゃないやん!」確かに恋愛という要素は絡むものの、登場人物の恋愛模様を描くものでは決してない作品となっていました。
まあそれはそれで良いのですが、久しぶりの投稿ということで、もうちょっと平和な作品で練習したかったので、非常に短い内容ですが今回の物語を綴りました。
というわけで、後書きはこの辺にしておきます。よろしければ感想をくださるとありがたいです。