04
ルベルメルはエインズを奥へ招く。
「ここまでの間、埃っぽかったでしょう?」
エインズの横に並び歩くルベルメル。
「そうですね、僕の好奇心が強くなければ引き返していたかもしれません」
「あの陰鬱さや埃っぽさは意図的なものなのですよ。普通の人ならば、その居心地の悪さに踵を返してしまうものなのですが……」
エインズは苦笑いをしながら、「すみません」と口にする。
「エインズさんは変わったお方なのですね」
「よく言われます」
そうでしょうそうでしょう、と笑うルベルメルに、エインズも倣って笑う。
「ここは何なのですか? 他の本棚とは変わった本の並べ方をしていますが」
エインズはガラスに覆われた一冊の本を指さしながらルベルメルに尋ねる。
「ここに並ぶ書物は、外の書物とは異なり、とても貴重なものたちなのです。この多くは原本ですね」
通路の奥に見えたテーブルとイス。
ルベルメルはエインズにここに座るよう促し、エインズはありがたく感じながら椅子に腰を下ろす。
「貴重な本って、ルベルメルさんは本が好きなんですか?」
椅子に座ったエインズから離れたところで何やら作業をするルベルメルの背中に尋ねるエインズ。
「ここは私の書庫ではないのですが、この書庫の持ち主からすれば貴重な本なのでしょう」
ルベルメルはティーカップとソーサー、ティーポットを乗せたトレーを両手に持ちながらエインズの待つテーブルにやってくる。
ソーサーをエインズの目の前に置き、その上に前もって温めておいたカップを乗せる。湯気に合わせて香気を飛ばす紅茶がポットから注がれる。
カップの端にレモンが添えられ、ルベルメルは「お口に合うか分かりませんが」とエインズに差し出す。
「これはどうも」
ルベルメルもエインズに向かい合うように椅子に座り、もう一方のカップにレモンティーを淹れる。
「美味しいです」
「うふふ、それはよかったです」
と笑ってみせるルベルメルだが、エインズが何も警戒することなく紅茶に手を付ける姿を見て、完全に警戒を解いた。無警戒なエインズを見て、ルベルメルは、もし問題が起きたとしても、彼ならば簡単に殺せると判断したのだ。
「ルベルメルさんはどうしてここに?」
ダリアスに安物の茶葉だと馬鹿にされた紅茶の風味を楽しむルベルメル。
「私はここに保管されています、ある本を盗りにきたのです」
「わざわざこんな図書館の奥にまで取りにくるなんて、大変ですね」
のほほんと聞き流すエインズに、ルベルメルは本当にこの男は人畜無害だなと思った。
エインズは、そんなわざわざ取りにまでくるような本ってなんだろうかと思った。
「それって、なんていう本なんですか?」
エインズのさり気ない質問は、警戒を解いているルベルメルに軽く刺さる。
ここまで互いに自然体で通してきている、とルベルメルは考えている。ここで変に隠したり嘘をつくことは、そのまま墓穴を掘ってしまうような気がした。
正々堂々といこう。
仮に目の前の人畜無害なエインズが邪魔になった時は、さくっと殺してしまえばいい。
「ええ、エインズさんも聞いたことがもちろんあるでしょう、『原典』のその原本でございますよ」
にっこりと笑いかけるルベルメル。
「へえ、やっぱり、そんなに有名な書物になっていたんだなあ。でもあれ、読みにくくない? さっき初めて読んでみたけど、副本の方が読みやすくない?」
自然に話が流れていく様子に、ルベルメルはやはり考えすぎかと小さく息を吐く。既に敵地に入ってしまっているルベルメル、気づかぬうちに必要以上に気を張っていたのかもしれない。
「そうですね、原本の方は書きなぐられたように、ぐちゃぐちゃですものね」
「ルベルメルさん、ひどいよ。あれでも丁寧に書いたのかもしれないよ?」
「そんなことはないですね。まるで蛇を描いたようで、象形文字かと思いましたわ」
ルベルメルは穏やかに笑いながらエインズとの会話を楽しむ。
そこからも原典の話から、他の書物について、魔法についての話、と様々に話題を変えながら、ルベルメルは久しぶりの穏やかな会話に気分が晴れていく。
エインズとの会話。名家の従者ということもあり、魔法の知識もルベルメルと対等で、雑談一つとってもすごく心地よい。
講義の途中で、我慢ならず学院の教諭相手に吹っ掛けてしまった話もエインズはした。それを面白おかしく聞くルベルメル。
「なるほど、エインズさんであればここの講義が退屈に思われるのも無理ないでしょうね」
手で口元を隠しながら笑うルベルメル。
エインズは空になったカップをルベルメルの方へずらし、おかわりを要求する。
それに頷いて静かにポットを傾け、注ぐ。
再度香気を飛ばす、穏やかなひと時。
次代の明星という組織に入ってから久しく忘れていた、こんなにも穏やかな時間。原典を奪うという目的すらも忘れてしまう幸せなひと時。
それはルベルメル、エインズともに昼休憩の合図であるベルの音も聞き逃してしまう程に。
淹れられた紅茶を傾けるエインズと、それを頬杖つきながら幸せそうに眺めるルベルメル。
こんな風に他愛もない会話を誰かとして、穏やかに日々を過ごす人生もありだったなとルベルメルは感じた。
右腕がない彼もきっと優れた魔法士だろう。だが、話していると、その纏う空気は名家に仕える従者のものではない。
ルベルメルや、次代の明星に与する人間とどこか似た空気を感じた。
彼ならばきっと仲間になってくれるかもしれない。そうすれば、ここを離れ、日々の業務の合間でもこんな気持ちが晴れる穏やかな時間をこれからも過ごせるのかな、などと淡い期待を持った。
そんな穏やかな時間は、ここ『禁書庫』に入ってきた第三者によって終わりが告げられる。
「エインズ殿! もしかして、こちらにおられるのですか?」
それは男の声。
禁書庫の入り口の方から聞こえる声は、ルベルメルの前で紅茶を楽しむエインズを呼ぶ声。
「あっ、セイデルさんだ。……やばい、もしかして時間過ぎていたかな?」
すぐにカップをソーサーに置いて、席を立つエインズ。
ルベルメルはすぐに頭を動かす。エインズは無害だが、今の声の主はどうか。同様に無害であれば問題ない。
本棚を曲がり、セイデルの姿を見つけるエインズ。
「セイデルさん、もしかして時間過ぎてましたか?」
苦笑いを浮かべるエインズに、少し焦ったような表情をするセイデル。
「時間はそうなのですが、……エインズ殿、どうしてこちらに?」
穏やかに尋ねるセイデルだが、彼はここがどんな場所なのか知っている。
そして、エインズの他に人の気配を感じる。
周囲への警戒を高めるセイデル。




