03
魔術学院の図書館は基本的に学生の勉学に役立つ書物や論文などが多く置かれている。そのため、最も利用される原典のその副本はかなりの数が並べられている。
加えて、娯楽的要素が強い小説や子ども向けの絵本なども置かれている。論文などはもちろんそうだが、魔法の技術を伸ばすきっかけは様々だ。そのため、手を伸ばす人間がどれほどいるのか分からない、かなりニッチな分野の書物なんかも保管されている。
これだけの本があるんだから一度も手に取られていないものもあるんだろうな、とエインズは背表紙に書かれているタイトルを流し読みながら本の森を歩く。
「うわっ! すごいな、これは」
エインズが行き着いた本棚には、ぎっしりと原典の副本が敷き詰められていた。
原典はエインズが手書きで残したメモの集合体。
アインズ領の森から出てきたエインズは、ここまで何度か副本の存在を見聞きしてきた。だが、一度もその手に取ったこともなかったなと、本棚いっぱいの異様な光景に手を伸ばしながら思う。
適当に一冊を棚から抜き取り、開く。
走り書きした汚いエインズの文字は、読みやすくまとめられており要点を掴みやすく編集されていた。
整然と印刷された文字らは、誰が手に取っても読みやすく、これで魔法の知識が広く行き渡ったのだと考えると、感慨深いものがある。
副本を積極的に作ったのは悠久の魔女だと、エインズは聞いている。
聞くに、悠久の魔女は真に魔術師であるのだとか。であるならば、どうして副本を作製し、世に知識を広めたのだろうか。
「……知識こそ力。普通なら独占したくなるものだけどなあ……」
魔術師の行動には何かしら理由がある。興が乗り、無為に動くことは少なからずあるが、それでも行動の多くは自分の目的のためにある。
ならばこの副本の存在、これは悠久の魔女の目的に繋がる手段なのか。
パラパラと捲られていくページに、カビ臭い本の匂いがふんわりと漂う。
もう少しゆっくり見て回ろうかな、とエインズは手に持った副本を棚に戻す。
「セイデルさん、ゆっくり見て回ろうかと思いますので別行動をとりませんか?」
音一つない本の森。
本棚で姿が確認できないセイデルに、エインズは声を飛ばす。
「そうですね! 私もそう思っていたところでございます! お昼休憩の合図に鳴るベルの音を区切りにしましょうか!」
遠くから聞こえるセイデルの声。張っていることから、先ほどのエインズの声は小さく聞き取りづらかったのかもしれない。
エインズは先ほどよりも声を張って「分かりました!」と返し、歩を進める。
それからも気になった本を手に取り、中を開いては読んでいくエインズ。
歩いては本を取り、足を止める。本を戻し、さらに森の奥へ奥へと進んでいく。
「……うん? ちょっと埃っぽいかな?」
気づけば清掃が行き届いていない、薄暗い一角に辿り着いていた。
本のタイトルが見て分かるように、もちろん明りは点されている。しかしそこは何か雰囲気が違っていた。
いうならば、タス村の夜の森。エインズがまだ間伐や魔獣の統制を行なっていない無秩序で陰鬱な森の空気。
生徒の多くはここまで足を延ばさないのだろう。棚にかぶった埃の厚みがそれを物語っている。
魔術学院の図書館には合わない陰鬱さに、俄然興味が湧くエインズ。
その足取りは軽快なもの。
「……ここは?」
くたびれ、朽ちかけた本の森の奥には古めかしい扉が一枚。
それに手を伸ばし、触れるエインズ。
「施錠はされていたようだけど、……開いている? 無理やり開けられたのかな」
開いているのならば問題ない。開いていなくとも、今のエインズであれば欲求に身を任せ無理やりこじ開けて中に入るだろうが。エインズはドアノブを掴み、捻る。
中に入ると、そこは外の陰鬱な空気はまったくない、明りが十分に満たされた清潔な部屋だった。
壁には本棚が置かれているが、図書館のように、本がいっぱいに敷き詰められているようなものではなく、一冊一冊がガラスのケースで覆われて大切に保管されている。
それだけでここにある本らは、外の本棚に並ぶそれらよりも貴重なものだと分かる。
大理石のような、つるっとした石張り床を歩きながらエインズは見回していく。
靴の音はそれほどでもないが、木製の義足の方は歩くたび音が響く。
「……あら? どなたか来られたのでしょうか?」
部屋の奥の方から声が聞こえた。
その声の主はコツ、コツと落ち着きある足音を立てながらエインズに近づいてくる。
本棚から姿を現した声の主は、女性。
肩のあたりで切り整えられた髪に、化粧によるものだろう、真っ赤な唇が印象的だ。
「すみません、扉の鍵が開いていたので、つい……」
左手で頭を掻きながら苦笑いを浮かべるエインズ。まさか中に人がいるとは思わなかった。
「あら、これはこれは。私も入らせてもらった立場ですので、そのように腰を低くなさらなくても」
そう穏やかに話すものの、女性の目はエインズを探っていた。
「見るところ、貴方様はここの学生さんではないよう……、ですね?」
魔術学院の制服を着ていないエインズは、女性には普段学院にいない外部の人間だと推測される。
外部の人間が、このタイミングで、女性がいるこの書庫に入ってくるということは、つまり。
一気に警戒心が強まる女性。
「待って、待って! 僕は従者だから。従者の仕事を放棄してほっつき歩いているけど、学院に入る許可はもらってあるから!」
必死に弁明するエインズ。
しかしまだ警戒心を和らげない女性。
「僕はエインズ。ライカ=ブランディの従者として学院に通っているんだって。それでさっきまで講義を見学していたんだけど、退屈すぎて出てきちゃっただけで、本当に、怪しい人間じゃないから!」
エインズのその様子に、嘘は言っていないことが分かった女性は警戒心を和らげる。
この様子だと、このエインズという人間はここがどのような場所か理解していないようだ。
穏便に済ませられるものなら、穏便に済ませるのが一番。女性はそう判断した。
「これは失礼しました。普段、あまりこちらには人が来ないものですから怪しんでしまいました。不快に思われたでしょう、申し訳ございません」
女性はぺこりとエインズに頭を下げる。
「私はルベルメルと申します。以後、お見知りおきを」




