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「エインズ殿、お待ちください」
エインズの背中に声を投げたのは、キリシヤの指示を受け教室を駆けだしたセイデルであった。
「セイデルさんですか。あの魔法使いが戻れと言ってきましたか? 嫌ですよ僕」
辟易とした表情で足を止めるエインズ。
そんなエインズの横に並ぶ形でセイデルが立ち、共に歩き出す。
「いいえ、気の毒に思いますがハンナ=ウィールズは思考停止したように動かなくなりました。私がここに来たのはキリシヤ様の命あって、エインズ殿の案内をしなさい、と」
学院は広いですので、もしかすると迷子になってしまうかもしれません、とセイデルは苦笑いを浮かべる。
そこで奥に続く長い廊下を見たエインズはセイデルの危惧はもっともかもしれないと思った。
「……まさか『魔術』学院があんなにもお粗末な講義をしているとは思いませんでしたよ。期待に心を躍らせていたのが馬鹿みたいです」
肩を落としながら話すエインズにセイデルは苦笑してしまう。
「彼女の肩を持つようであれですが、彼女やここに勤めている教諭のその全てが、彼女が話した講義の内容を受けて学んでいるのです」
もちろん私もですが、とセイデル。
「……まあ彼女らがこうなってしまった理由も分からなくもないんですがね」
溜息をつくエインズ。
物事が発展、進化することはつまり様々な恩恵を受けられることになるが、その反面、その物事の根底を見失いやすくなってしまう。色鮮やかな表面ばかりが目立ち、その泥臭い根底は見向きされなくなる。
実際、印刷技術が発展し原典の副本が多く出回っている。その他の教材や魔法に関する書物も多く出されており、知識の吸収がかなり容易になっている。
新たな知識を求めるエインズとしては嬉しい限りなのだが、現代を生きる者らからすれば、悲しいことに出来上がったものを鵜呑みにするばかりで、その基礎から考えることがなくなってしまっていた。
「なるほど、エインズ殿のその俯瞰した物の考え方、まるでキリシヤ様と同年代の方とは思えませんね」
並んで歩く二人以外に廊下に人はおらず、ドアが閉められたいくつかの教室の方からは講義が続く声が聞こえる。
「セイデルさんはここの卒業生でしたね?」
「ええ。ですから私が出た後に建物を作り変えていない限り、構造は把握しておりますよ」
「でしたらここに多くの本が所蔵されている、みたいな場所はありますか?」
もちろんです、とセイデルは頷いて返すとエインズの半歩前を歩き、図書館までの道を案内する。
魔術学院の広大な敷地に比べれば小さな校舎だが、それでも多くの学生が講義を受けるため、それなりの大きさはある。
長い廊下にどこも同じような壁に教室のドア。
まるでゴールの見えない迷路のようだが、窓から見える緑鮮やかな外の風景がそんな無機質な廊下に潤いをもたらす。
「この前はエインズ殿に私と手合わせしていただきたいと言いましたが、今はそんな自分が恥ずかしい限りです」
錬金術を簡単にやってみせたエインズの魔法の腕前はもちろん、魔法に対する考え方、その一端に触れたセイデルは、エインズとの差を実感した。
「魔法・魔術が関わる話になった時、僕はどうしても自分に嘘がつけず厳しい物言いになってしまいます。ですが、恥じるべきはそこではないのですよ、セイデルさん」
一回りも歳が上のセイデルに対して、十二歳そこらの青年が高説垂れるというなんとも奇妙な状況。
「僕だって最初からここにいたわけではありません。恥に恥を重ねて、どうしようもない八方ふさがりに立ち止まったことも数知れません。今だって恥を重ねている真っ最中ですよ」
ですが、とエインズは続ける。
「恥を忌避してその場に立ち止まり続けることこそ、愚の骨頂。残した恥も後には笑いの種になれば、勲章にもなる。対して、愚かさの頂には何もない。毒もなければ養分もない。ただただ死んだ地面とそこから生える渇き切った砂のような果実だけ」
エインズは続ける。
「……絶対に譲れない欲望を形に、世界の理に触れる術が魔術。そんな魔術を扱う魔術師の中にメッキだらけで張りぼての勲章が一つもない人間なんていませんよ」
絶賛生き恥晒し中ですよ、とカラカラ笑うエインズ。
だがそれを聞いていたセイデルは笑わない。
通常ならば、一回りも下の人間が語る人生観など聞くに堪えず、何を知ったようなことをと鼻で笑うものだ。
加えて、エインズの正確な年齢は知らないが、キリシヤやライカの話を聞くに成人前後なのだろうと予測がつく。そんな成人そこらの若僧が語る人生観など夢物語なんかよりも質が悪い。
だが、エインズのそれはまるで違った。
セイデルは確信した。エインズの言葉の重さは、自身の数倍以上に長く濃密な人生経験を積んでいる、と。
「……なるほど。私も在り方だけは魔術師のようにありたいですね」
これからの自分の在り方に得心がいったセイデルは飲み込むように頷く。
「それじゃあこれから恥を晒しましょう、セイデルさん! 従者の仕事も忘れて、講義や主人の護衛もほっぽり出して散策を続けましょう!」
急に剽軽な様子を見せるエインズに、セイデルは思わず笑ってしまう。
「ははは、そうですねエインズ殿。何事も行動あってこそですからね。喜んでお供致しますよ」
二人の足は図書館へと向かう。
エインズとセイデル、二人は校舎より一回り小さい大きさの図書館に辿り着いた。
エインズを先頭に図書館の扉を押し開けて中に入る。
まずエインズの鼻を抜けるのは紙の匂い。
保管状態が良くないものもあるのか、年季の入った本は少しカビ臭いがどこか、バニラやコーヒーまたは切ったばかりの芝生のにおいも入っているような落ち着かせる香りが広がる。
新しめな本はそれで、新鮮でパリッとした香りを出す。
「けっこうな数、保管されているんですね……」
建物の奥まで本棚が伸びており、そこには隙間一つなく本が敷き詰められている。加えて階層を数段に分けてその本棚は上にまで伸びている。
「そうですね、多くの生徒が利用しますので、同じものが複数ある書物なんかもございます。もちろん、代表的なものは『原典』のその副本なのですが」
セイデルは、懐かしいですねと言いながらぐるりと見回しながら学院時代に思いを馳せた。




