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「聖遺物など手土産にすぎん。カンザスが献上しなかろうと状況は変わらん。奴は聖遺物という分かりやすい言い訳をヴァーツラフ国王に用意したのだ」
ゾインは棚の上に置いてある透明なショットグラスに蒸留酒を注ぎ、その独特な樽の香りを楽しむ。
「タリッジが連れていた荒くれ者らは全て火災で死んだと聞く。ならば彼に絡む者は誰だ? ダリアス、お前は知っているはずだ」
「……ライカ=ブランディ。いえ、その従者の、たしか……」
「エインズという名、らしいなその従者は」
ゾインはエインズと顔を合わせたことがない。
ならばこの人はどこでエインズのことを知ったのだろうかと、ダリアスはゾインの情報網に恐れた。それと同時に父上ならばそれくらい不思議ではないかもしれないとも思った。
「エインズの存在はリーザロッテ閣下を動かす程の脅威、価値を持った人間だったのだ。ダリアス、お前はまず相対したエインズの価値を見誤った。そしてエインズを連れたライカ嬢、ブランディ家を見誤った」
ゾインはショットグラスに入った蒸留酒を呷る。
その強いアルコールがゾインの喉を焼く。そして鼻を抜ける香り。その余韻を楽しみながらゾインは続ける。
「閣下が脅威に感じるエインズという者、それが固執したタリッジの存在。お前は自らの従者であったタリッジの、その価値を見誤ったのだ」
薄暗い部屋の中、穏やかな表情のゾインがその瞳を冷酷に冷たく光らせる。
「ダリアス、お前は間違いなくソビ家、王族、ブランディ家の三つ巴の関係のバランスを動かしたのだ。正確には、これまで優勢に振れていたソビ家への天秤を逆転させたのだ」
ゾインはそっとグラスを棚に置き、体重を寄せる。
「ダリアス、私に兄弟が多くいたのを知っているか? うん?」
「い、いえ。お、お母さまからそのようなことをうっすらと聞いたことがあったかもしれないといった、あやふやなものです」
いたのだよ、とゾインはさらっと答える。
「そして、もういない。ソビ家は代々、当主以外の兄弟は短命でな、なぜか」
ダリアスはまるで極寒にいるかのような寒さに身体を震わせる。
ゾインのその眼差しが、そして書斎に並ぶ調度品が、歴代の当主の肖像画が、ダリアスを囲む。
ダリアス=ソビであるが、まるでそこには一族の温かみはない。
「の、呪い……」
一歩後ずさりながらダリアスは言葉を無意識にこぼす。
そんなダリアスの言葉を聞き、ゾインは広い書斎で大きく笑う。
「ふはは、あはははは。呪い。正にそうだな。仕組まれた呪いだな」
そしてすぐにすっと普段の顔つきに戻るゾイン。
笑った表情のお面をその顔から取り外したように、一瞬で笑みが消え去るゾイン。
そして、面の下から覗くその表情はおよそ家族に、息子に見せるような表情ではなかった。
「ダリアス。別に私、いやソビ家はお前が『短命』でも構わんのだよ」
ダリアスの膝は完全に笑ってしまっており、ぺたりと無様に尻餅をつく。
そんな様子を、歴代ソビ家当主の肖像画が見下ろしている。そして同様にゾインはダリアスに対して路肩の小石でも見るような冷たい眼差しを向ける。
四方八方から死神の黒い眼差しがダリアスを貫く。
過呼吸になり、胸を押さえながらダリアスがゾイン=ソビを見上げる。
「……私は、生命は尊いものだと思っている。無用な殺生は良くない。だがな、お前の母親がお前の弟、もしくは妹を孕んだ時、」
ゾインの穏やかな声色は、甘ったるい呪詛のようにダリアスの耳に届く。
「――、お前はソビ家の呪いを受けることを意味するぞ? うん?」
〇
「いや、タリッジ殿の件、なんとかなりましたよエインズ殿」
その日の夕食の席で、カンザスは口火を切る。
午後に登城したカンザスは、ソビ家従者のタリッジが主人の同意もなしにブランディ家へ招き入れたこと、これに対して申し開きしに行ったのだ。
相手は国王陛下であるが、この一件は我ながら強引な交渉をしなければならないと覚悟したカンザスはエインズから譲り受けた聖遺物を手土産に、国王陛下に対して、この交渉における一つの逃げ道、言い訳として用意していた。
しかしこの一件はカンザスが登城する前に何かしら整理がついていたようで、彼が予想していた以上にすんなりと意見が聞き入れられ、建前だけの注意を少し受けただけで実質一切のお咎めもなしという肩透かしな結果に終わった。
「これで何の憂いもなくタリッジは僕の従者になれた訳だ! 感謝しなよ、君が今こんな豪勢な食事にありつけるのも僕のおかげなんだからね」
「口元にいっぱいパンくずつけながら誇らしげに言われてもなあ。なんか締まらねえんだよな、この主人はよ」
タリッジはテーブルマナーも気にせず、ガチャガチャと音を立てながら料理に手をつけ、ワイングラスを手づかみで握り、一気に喉へ流し込む。
「貴様はもう少し品を身に着けるべきだ。貴様の恥はエインズ様を辱めることに繋がるのだ。そのことを重々認識した上でだな――」
静かに最小限の音で食事を進めるソフィア。
エインズ、ソフィア、タリッジの三者三様。そんな彼らの様子を笑いながら眺めるカンザスはエインズに尋ねる。
「そういえばエインズ殿、そろそろ魔術学院の合格者発表が行われ、実際に学院に行けますが、その後どうですか?」
カンザスが訊いているのは、魔術学院にエインズが価値を見いだせたのかというところだ。
エインズは先の入学試験で、およそ学院のレベルは知れた。
そのためエインズの魔術学院に対する興味が薄れ、ライカの従者として学院へ通わないという判断を下してしまったのではないかとカンザスは懸念しているのだ。
「それなんですよね……。確かに試験を見たところ、僕が行ったところであまり意味がないのでは、と思うんですけど、講義を一つも見聞きせずに判断を下すのも早計かな、と」
つまりは最低でも一度は講義を確認し、どの程度の教育レベルなのかそしてどれほどの内容を教えるのか、知っておきたいということだ。
「魔術学院の学食は美味しいって聞くわよ? エインズにしたら、そっちの方が魅力的かもね。わたしもずっと気になっているのよ」
ライカは、そういえばと思いだしたように、エインズに魔術学院における学食の評判の良さを教える。
「確かに。私も学生の時に学食に通っていたが、その当時から美味だったね。まあ、多くの王族貴族の子息令嬢が学院に通っていたため、料理の質を彼らの水準まで高めたって噂だね」
そういった理由で、料理人が学食料理に腕によりをかけているという噂がさらに噂を呼び、サンティア王国の料理人の言わば登竜門のような場所となった。魔術学院の学食で数年勤めあげた料理人は、料理の道で大成すると言われている。
よって自ずと年々その料理の質が高まってきているのだ。
「学食は基本的に学生のみが利用でき、学生の親ですら学院のイベントの時以外は利用出来ないといったところでね、随分と前から予約されるほどらしいんだよ? もちろん、学生優先みたいだけどね」
と、カンザスは結んだ。
それにはエインズも興味津々といった様子で、頭の中で想像して口内に溢れ出る唾液を飲み込むほど。
「あと気になっていることと言えば、それほど裕福な家庭ではない学生のその知識の源が知りたいんですよね。昨日、ソフィアと一緒に王都西部を散策してみたけれど、収穫はタリッジだけだったし」
「タリッジは、収穫に入るのでしょうか?」
「てめえ、喧嘩売ってんのか?」
売り言葉に買い言葉。ソフィアとタリッジはすぐに口喧嘩を始めるが、エインズはそれを無視する。
王都キルクは散策するには広すぎる。
そのため、エインズの気になっていることを解決するとなると、手っ取り早いのが直接学生に話を聞くということである。
そうすれば無駄骨を折ることもなく、目的を果たせる。
「エインズ殿がライカの従者として学院に通って下さるなら、これ以上心強いことはないのですが」
「まあそれは実際に魔術学院に行ってみてのお楽しみですね。それに、まだライカが合格したとは決まっていないですよ」
エインズは皮肉めいた顔でライカを見つめるが、一方のライカは試験内容に自信満々であるためエインズの軽口に微動だにしない。
「なに? もしかしてエインズ、そんなにわたしの下で馬車馬のように働きたいの?」
かえって反撃される始末。
ライカの口撃に辟易とするエインズを見て、彼女は噴き出して笑う。そんなライカに釣られてエインズも噴き出す。
そんな二人を穏やかに眺めながらカンザスはリステに注いでもらった紅茶を口にして落ち着く。
エインズが巻き起こした、王都キルクを襲った一夜の嵐はこうして落ち着きを取り戻したのだった。
しかしそれも一時の落ち着き。魔術師がいる所、荒立つ時は台風並みに荒立つものである。




