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見た目は娘のライカとそれほど変わらない。所々その幼さが垣間見える。しかしその反面、所々浮世離れした思考も見え隠れする。
それは王国の貴族社会、伏魔殿を生き残ってきたカンザスすら恐怖を覚えるほど。
「何か言いました、カンザスさん?」
「いいえ、何も。王国への報告を考えていたところで、その他愛もない呟きですよ」
だが逆に、これで魔術師エインズの指標が一つ分かった。
回答によっては死んでいたというリスクを払ったことで、カンザスも得るものがあった。この指標を頼りにカンザスはエインズを利用し、さらに利益を得ることが出来る。
カンザスにとって、エインズは劇物。薬毒同源。諸刃の剣。
あとは、それを間違えないことだ。
カンザスの背中に伝った汗が気持ち悪く残った。
「そういうことだからソフィア、君の後輩だからね? 優しくしてあげなよ」
「エインズ様に因縁をつけ、剣を向けた人物ですのでいまだ消化しきれていませんが……。エインズ様がそうおっしゃるのでしたら私はそれに従うのみです」
「今のところ、タリッジの方がソフィアよりも身体強化もうまく使えているし、吸収できるところは多いと思うよ?」
「エインズ様をお守りする剣は私の一本で十分でございます!」
エインズの何気ない言葉で、タリッジへの対抗心を燃やすソフィア。
そうしてエインズはブランディ侯爵の了承を得たのである。
「……なるほどな。それでエインズは俺の便宜を図ってくれたから、こうしておれは今恥を晒せているってわけか」
タリッジが治療を受け、用意してもらった客間で眠っていた間に行われた処遇判断の一部始終をソフィアが説明した。
既に昼前ではあるが、タリッジがブランディ家当主のカンザスと言葉を交わしたのは、「好きなようにしてくれ」と一言だけであった。
そしてカンザスは聖遺物を手土産に、タリッジの一件をヴァーツラフ国王へ報告しに屋敷を出発したのだった。
「そうそう。感謝しなよタリッジ」
「おいタリッジ、『様』が抜けているぞ。貴様の命の恩人であるエインズ様を呼び捨てとは何事か!」
「堅っ苦しいな、この女……。俺の村にもいたぜ、こういう石頭の女。総じて行き遅れて腫物みてえになってたぜ?」
「な、なんだと、タリッジ貴様! 言って良い事といけないことがあるんだ。第一、私はお前をだな――、」
顔を真っ赤にしながら、つらつらと高説を垂れるソフィアとそれを煩わしそうに聞き流すタリッジ。
そんなタリッジのミスマッチな服装にいまだ腹を抱えて笑っているエインズ。
そんな三人を傍から眺め、また変なのが増えたなとため息をつくライカ。すでに彼女の中でソフィアは変な人物の仲間入りを果たしている。
「……でも流石にあれは似合ってないわよね」
それには傍に控えていたリステも同意した。
しばらく悩んだライカであったが、別に自分の従者でもないことに気づき、どうでもいいかと決断を放棄した。
〇
場面は変わり、ソビ家の屋敷。
傍若無人なダリアスが脂汗を浮かばせ、怯えた目をしている。
普段の彼を知る者が彼のこんな様子を見れば、人違いを疑い信じられないだろう。しかしそのどこか斜に構えたような顔つきとにじみ出る嫌味な雰囲気は間違いなくダリアスのもので、滅多に見ることが出来ない貴重な場面に、いい気味だと気分を良くすることだろう。
「はあぁ」
怯えながら直立するダリアスの目の前で、日の光が差し込む窓を背に豪勢な椅子に腰を下ろしている人物が深くため息をつく。
それだけでダリアスはびくっと肩を震わせる。
「ダリアス、お前につけた従者の……、なんだったか?」
「タリッジです、父上」
「そうだ、タリッジ。お前につけたとは言え、ソビ家に仕えていた人間だ。この一件はソビ家の一件として見過ごせない」
怯えるダリアスの前で、椅子に座りながら一枚のきめ細やかな紙で書かれた手紙を黙読していた人物は、ダリアス=ソビの父であるゾイン=ソビ。ソビ侯爵家現当主であり、裏の世界では王族よりも強い力を持つと言われている、傑物。
「従者を奪われる、……それもあのブランディ家に、だ。これを許せば私や先代らソビ家の立つ瀬がないのだ。だから私はヴァーツラフ国王へ告訴した」
ゾインは再度ため息を一つつき、目を通した上質な紙の手紙をひらひらとダリアスに見せる。それは一枚の紙。
ダリアスにはその内容がはっきりと見えるわけではないが、そこに書かれている文章は短い。
「それでどうして、こうして勅書が私のところに来るのだ? うん?」
ゾインの言葉には苛立ちは込められていなかった。素直に疑問を口に出しているような口ぶり。
しかしそんな言葉すらダリアスには恐怖を覚えさせる。そもそもダリアスは父親から書斎に呼ばれた時点で震える程の恐怖を覚えている。これまでの経験がダリアスに条件付けを完了させてしまっている。
「勅書にはこう書かれている。従者タリッジの件は無条件に現状を吞め、と。国王ただ一人の署名程度であれば私は食い下がる。だが、ここにはリーザロッテ閣下の署名もあるのだ。これが意味することを、ダリアス、お前には分かるか? うん?」
「……っ」
「分かるまい。分からず、私までも後手を踏んでしまったからこういう状況に陥っているのだ。私が言いたいことが分かるか、ダリアス? 答えろ」
淡々と怒気を含むことなく、普段の会話のように言葉を紡ぐゾイン。
ゾインは眉間にしわを寄せることもせず、何ならその表情からは穏やかさすら感じさせるほどのもの。
「……僕はソビ家の英名に泥を塗ってしまいました、父上。どうにかしてこの汚辱を晴らすべく――、」
「はあぁ。……ダリアス、違うのだ」
ゾインはゆっくりと、わざとらしく首を何度か横に振り、ダリアスの言葉を遮って続ける。
ダリアスはそんなゾインの一挙手一投足に不安で瞳が揺れる。
「ダリアス、お前この一件に絡む全てにおいて、その価値を見誤ったのだ」
ゾインはゆっくりと立ち上がり、後方の窓を見やる。
窓から覗く太陽は高く上っており、じっと窓際に居れば汗ばむ程の陽気。
ゾインが手に持つ勅書は無詠唱で燃やされ、灰がはらりと替えたばかりの絨毯に落ちる。
これだけのことできっとゾインは書斎の絨毯をまた取り換えるだろう。だがその程度の些事をゾインは気にも留めない。
「勅書にリーザロッテ閣下の名前が書かれたことが意味することは、私がどれだけ食い下がろうが国王は私の意見を全く聞かないことに加え、これ以上食い下がれば家ごと潰すぞという脅しなのだ」
古参貴族のソビ家現当主の私をだぞ? とゾインは冷ややかに笑う。
「つまり、ソビ家とそこに絡む王国の裏の顔を敵に回す以上の脅威をブランディ家に感じたということだ。ここに我々への譲歩はない。そして逆を言えば、その脅威をブランディ家、カンザスは手に入れたのだ」
では、その脅威はなんだ? と、ゾインはダリアスに背を向けてカーテンを閉め、日光を遮る。
「タリッジだ。いや、正確には彼に絡むもの、だ」
「せ、聖遺物、でしょうか?」
ダリアスは恐怖に掠れた声で答える。
タリッジはエインズとの打ち合いの末引き分けに終わったが、その内容を見れば互角なものではなかった。剣士としての実力、ソビ家の従者がブランディ家の従者に実力的に敗れたという結果だけが残った。
その挽回策としてタリッジがスラム街で見つけた、本来ダリアスのもとへ持ってくるはずだった聖遺物。それがブランディ家に渡った。
無尽蔵に魔力を生成する聖遺物。それはサンティア王国においてかなり希少価値のあるものだ。使いどころによっては金銭的価値以外に、政治的価値を見出すことも十二分に可能。
日光が遮られ、薄暗い部屋にソビ家当主のゾインとその息子ダリアスの二人だけである。
二人には広すぎるゾインの書斎の広さ。
その調度品のどれもがダリアスには冷たく見える。