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「あっ、そうだ! ちょっと大きい荷物があるからソフィアも運ぶの手伝ってほしいんだよね」
太陽の沈んだ商業区の一角で、エインズは思い出したようにソフィアに声をかける。
「荷物ですか? エインズ様、何か買われたのですか?」
「うーん、まあ、見たら分かるよ」
そうしてソフィアが腰を下ろしていた場所からある程度歩くと、そこには大男が仰向けで倒れていた。
体中、痣や多数の切り傷、出血が見られたが息はしており、死んではいない。完全に伸びきって意識がない。
その傍らには大人でも持ち上げるのがやっとの大きさ、重さのクレイモアが転がっている。
「ええっと、荷物というのはどちらでしょうか?」
「どっちもだよ、ソフィア。クレイモアの方は僕のマジックボックスで運ぶからいいんだけど、この人は一人じゃ運べないからさ」
エインズは生活魔法のウォッシュでタリッジの汚れを洗い流すと、説明も程々に両脇をエインズとソフィアのそれぞれが持ち、タリッジの足を引きずりながら商業区の中心地まで運ぶ。
エインズはもちろんだが、ソフィアもまだ粗さは残るものの、身体強化が出来るようになったため、無事に運ぶことが出来た。逆に身体強化が使えなければソフィアはその巨体に圧し潰されていただろう。
義足に片腕がない細い男と、ブラウスにフレアスカートを履いた上品な身なりの女性が両脇から大男を支えながら大通りを歩く。
その光景は傍から見れば異様なものだったようで、商人たちは足を止めてエインズらが自分の前を通り過ぎるのを眺めていた。
街灯に照らされ、商人同士の取引や酒場の賑わいはまるで昼間と変わらない。
一般街区と異なり、人でごった返すような混雑はない。それも大通りが縦横に走り、一つ一つのヤードが広いことも混雑を回避している要因に挙げられるだろう。
中心までくれば、乗合馬車も走っていれば、荷馬車も停留所に停まっている。
気を失っているタリッジを乗せなければならないことや、ブランディ家の屋敷まで帰らないといけないことを考え、荷馬車を一台貸し切り、キャビンにタリッジを横に乗せ、空いているスペースにエインズとソフィアが座った。
陽が沈んでも賑わいが衰えない一般街区を通り抜け、キルク東部の居住区の石畳を走る。
屋敷の前まで来ると、リステや他のメイドが荷馬車の音で何事かと外に出てきた。
エインズは簡潔にタリッジの治療と、部屋を与えてほしい旨を伝え、リステ経由でエインズの頼みを聞いたカンザスがこれを了承。
治療が施されたタリッジをエインズとソフィアで運び、案内された部屋のベッドに寝かせる。その後、ダイニングへ向かいカンザスやライカとは少し遅い夕食を取った。
「それで、エインズ殿。運んできた彼は?」
「あいつって、タリッジよね?」
紅茶を傾けながら答えるのはライカ。
カンザスにとっては初めましての人物を娘が知っていた。そこに疑問を抱く。
「ライカ、彼を知っているのかい?」
「ええ。入学試験の時に見たんだけど、ダリアスの従者をしていた剣士だったわ。ほら、昨日の夕食の時に話した、エインズと打ち合った剣士よ」
カンザスは「ダリアス」という名前で眉がぴくりと動く。
「ダリアスといえば、ゾイン=ソビの長子であるダリアス=ソビのことかい? そのソビ家のところの従者ってことかい?」
「そう記憶しているわ。まあ、エインズに負けて従者をクビになっていなければ、だけどね」
そうしてライカは再び、カップに口をつけ優雅に啜る。
頭の回転が速いカンザスは、すぐに現在の状況を判断し思わず頭を押さえそうになる。
「カンザスさん、彼を僕の従者にしたいんだけど、どうにかしてくれないかな?」
「エ、エインズ様!?」
「エインズ、正気!?」
ライカは試験の際に、タリッジのその人となりを知っていたためエインズの言葉に驚きの声も漏らす。
ソフィアは、今日の火事の際に、何やらエインズに因縁をつけて自分とは離れたところで真剣を振り回していたところを見ていた。不服に思いながらもエインズの言うことだったため運ぶのを手伝ったが、まさか従者にするとは思いもしなかった。
「僕が冗談でそんなことを言うとでも?」
「昨日はあれだけあいつのこと嫌っていたし、そんな口元を汚したまま言われても、ね」
エインズの口元についたソースを見ながら、ぷっと笑うライカ。
凛々しく言って決めたつもりだったエインズは、恥ずかしそうに素早く口元をナプキンで拭い、続ける。
「昨日の敵はなんとやら、だよ。まあ、これはお願いでもなく決定事項だからね、カンザスさん」
カンザスを見やるエインズ。
対するカンザスとしては、あまりソビ家とは事を荒立てたくはない。相互不干渉といったところか。そこにソビ家従者の奪取は一歩間違えれば政治的な弱みを握られることに繋がってしまう。
「エインズ、なんだか偉く強気なのね?」
ライカはいまだ疑問を解消出来ていない。その答えをエインズが教えてくれるのか別として、サンティア王国の侯爵家当主であるカンザスに対してここまで強引に交渉を仕掛ける理由に見当がつかない。
「カンザスさん、僕は知りましたよ」
「?」
「今がどういった時代なのか。時の経過を」
エインズのそれは何の脈絡もない話だったが、カンザスは一瞬で汗が噴き出る。
カンザスの視線はエインズの横に座るソフィアに映る。対する彼女は、顔を伏せて座っている。
なるほど。その経緯は不明だが、彼女の何かしらの言葉をきっかけにエインズは点と点を結び付け、そして現状を理解してしまったのかとカンザスは察した。
カンザスの横に座るライカ。彼女はまだエインズの発した言葉の意味するところを理解しきれていない。だが、時間をかけて整理すれば理解出来ない娘ではない。
「加えて言えば、僕は政治にまったく興味がない。カンザスさんが何を思い、何を政治に利用しようが別に僕はどうでもいい。……だけど一線は引かないといけない」
「……」
カンザスは急激に体温が上がり、服の下で汗がしたたり落ちる。それでも表情は普段の穏やかなまま。多くの人間を見極めてきた、カンザスの炯眼がエインズのその天眼を見定める。
静かなまま、時が過ぎる。
カンザスとしては、別にエインズの要求を呑んでも問題はない。ソビ家とは将来的に衝突することは間違いない。であるならば、ここでエインズの要求を満たすことで、エインズに貸しを作りたい。
「エインズ殿――、」
限りなく、打算的な考えを隠した穏やかな声色でカンザスは話し始める。
「魔術師の領分に踏み込むことは絶対に許さない」
エインズの言葉に凄みはない。
食後のコーヒーを啜りながらカンザスに目を向けることなく話す。
だが、それだけでカンザスは言葉を続けることが出来なくなった。
自分が、原典の著者である『銀雪の魔術師、アインズ=シルバータ』と誤った名で呼ばれていることを理解した上で、彼は魔術師エインズ=シルベタスとして魔術の領分について語ったのだ。
つまり、その上でカンザスがそこに踏み込むということは、自ら死地に踏み込むということ。エインズがそこまで意図して言葉を発したのかは不明だが、少なくともカンザスはそう読み取った。
「……分かりました、エインズ殿。エインズ殿の客人は私の客人。同様にエインズ殿の朋友は私の朋友でございます。そのように図りましょう」
「本当ですか? 助かります、カンザスさん」
朗らかな表情で礼をするエインズ。
その優し気な表情には先ほどのような冷たい恐怖は感じられない。しかしこれが、いまだエインズの言うところの魔術師の領分を侵し、打算的に動こうものならカンザスは切られていたかもしれない。
カンザスの炯眼が彼にそう語り掛ける。魔術師エインズ=シルベタスはカンザスを一つの道具として手段として見ている節がある。それがダメになれば別に他を探せばいいか、と。そうして魔法・魔術以外のものを切り捨てる。
「……本当は何を意味して『魔神』と称したのでしょうね」




