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魔術師は自らその域に到達する者もいる。しかしそれはかなり稀である。ならば今回の魔術騒動は現に魔術師である者の仕業である方が高いと見るのが妥当。だがこれも、現在サンティア王国で確認されている魔術師は、リーザロッテとエインズのみ。
リーザロッテの知る限り、エインズは黒炎の魔術を持たない。同じくリーザロッテも黒炎の魔術を持っていない。であるため先の可能性は否定される。
そこで関わってくるのが、午後に登城するカンザスと献上予定の聖遺物。
聖遺物の性質を考えると黒炎の『制約』に大きく影響することがある。そしてそれを献上しにやってくるのが、カンザスときた。本来であればそこに因果関係を見いだせないが、それがエインズの面倒を見ているカンザス=ブランディであれば話は別だ。
実際にエインズが事を起こしたわけではないだろうが、間違いなく彼が――、あの魔神がこの件に関わっているに違いない。そして聖遺物を持ってくるということは事が全て終わったことを意味するに違いないのだ。
「なんならエインズも王城に寄越して、直接聞いたらどうだ? あいつの性格だ、あっさり答えると思うがな」
「……よしてくれ。またダルテの顔が真っ赤に茹で上がる。今度は血管が千切れてしまうかもしれん」
篤い男ではあるがな、とヴァーツラフは呟く。
「だが、そなたがそう言うのであればもうこの件は心配事ではなくなった」
グラスを傾け、ヴァーツラフは常温の水を呷る。
「そうですね、父上。残るは――」
「ああ、ブランディ卿とソビ卿の問題だな……。貴族間の政治も外交と変わらず面倒なことこの上ない」
ハーラルも水差しからグラスに水を注ぐと、少量口に含み喉を潤す。
「ああ、仲の悪い家々だな。今度は何が原因だ?」
リーザロッテは朝食を全て食べきり、空のグラスに手酌でワインを注ぐ。
「ソビ家長子のダリアスの従者タリッジが問題でな。あろうことか、話題の絶えないエインズが自らの従者にしてしもうた」
はあぁ、とヴァーツラフは頭を抱える。
一端の貴族であれば、ヴァーツラフの一声で全て収まるが、ソビ家もブランディ家もサンティア王国の古参貴族でその発言力と力はかなり強い。王族といえども下手に関与したくないのが本音である。
「ソビ家は父上を通してブランディ卿を告訴しようとする動きをとっているのです」
対応を間違えてしまえば、三つ巴の争いになってしまうかもしれないとハーラルは危惧する。
これだけ歴史が長ければ、繁栄している王国といえども、一枚岩ではなくなってしまっている。それが故に複雑な内部政治が問題として浮上してしまうのだ。
「エインズが従者を、な。あいつは何と言っているのだ?」
「エインズ殿から直接の申し開きではなかったのですが、従者のソフィア殿が代わりに答えてくれました。僕には理解できないのですが、『エインズ様はいまだタリッジへ問答中でございます』とだけ」
ハーラルの説明を横で聞いたヴァーツラフは再度ため息をつきながら口を開く。
「よく分らんが、そんな問いかけ程度で他貴族の従者を奪ってくれるな、まったく」
そんなヴァーツラフの様子を眺めて、リーザロッテは首を横に振った。
「やめておけ、ヴァーツラフ。あいつが『問答』の真っ最中だと言っているのであれば一切それに関わるな」
「なぜだ、リーザロッテ」
顔を上げ、リーザロッテを見るヴァーツラフ。
「関われば、間違いなく死ぬぞ。あやつの『問答』を邪魔する者は、女こども関係なく、貴族王族、国すらも迷わず消し飛ばす。民の安全、国の安寧を維持したいのであれば、手を引けヴァーツラフ。一夜も越せずに滅ぶぞ?」
リーザロッテが珍しくヴァーツラフの心配をするが、ハーラルはまだ得心がいっていない様子だ。
「……はぁ、ソビ家には妾の名を出せばよい。治まらねば妾が出向くことになるぞと言ってやれ。ゾインも妾の正体を知らんわけではなかろう?」
ゾイン=ソビ。ソビ家現当主。
ブランディ家と並んでサンティア王国の古参な貴族。
その現当主。あまり表舞台に出てこないが、その裏の支配力はそこらの貴族と桁が違う。
表の世界ではブランディ侯爵が台頭しつつあり、裏の世界ではソビ侯爵。その間に挟まるようにしてヴァーツラフら王族がいるのだ。
そしてエインズを囲い込もうとしているブランディ家は以前にも増して力をつけている。
「それは助かる、リーザロッテ。早速そなたの名、一筆もらって使いを送りたい」
ハーラルは一度席を外し、紙を一枚持ってくる。
その白紙の下部にリーザロッテは筆を走らせる。
「あとの内容はそなたらで適当に書いておけ。まったく、いつから妾はそなたらの相談役になったのか」
リーザロッテの名が入った紙をヴァーツラフは受け取ると、
「そう堅いことは言わんでくれ。今度礼をする」
と立ち上がり、部屋を後にしようとする。
そこでリーザロッテは思い出す。先日行われた玉座の広間でのエインズとリーザロッテの一件を。
「……あっ! おい、ヴァーツラフ思い出したぞ! そなた、先の借りをまだ妾に返しておらんぞ!」
そうリーザロッテが言い切る頃にはすでにヴァーツラフの姿は消えていた。
こういう時だけ、歳の割に機敏な動きを取るのだ。
「まったく、あの坊やは……」
「リーザロッテ様。父上に先ほどのお言葉、伝えておきましょうか?」
困惑した面持ちのハーラル。
そんなハーラルを手であしらうようにして、
「よいよい、いつものことだ。ハーラルも戻るがよい。そしてキリシヤをよく見守っておくがよい。よそ見すれば一瞬で嵐の真ん中に立っているかもしれんからな」
ハーラルは扉の前でお辞儀をして部屋を後にした。
すれ違うようにして、ミレイネが開かれた扉を閉めながら中へ入ってくる。
リーザロッテはワインを一口飲むと、日が差し込む窓から外を眺めながら口を開く。
「それにしても、だな。……ミレイネ、そなた『聖遺物』が何か知っているか?」
「はい、存じております。王族や英雄、勇者など著名人の私物に多く見られ、魔石とは違い無尽蔵に魔力を生成し、持つ者へ供給するもの、ですね」
しかしそれは結果に過ぎない。
「そういえばおかしいですね。今回ブランディ侯爵が持ってこられる聖遺物は無名なものと報告を受けています」
無名の聖遺物など初めて聞きましたとミレイネはテーブルの上を片付けながら言う。
「あんなものを『聖』遺物などと、綺麗な名前をつけたものだ。そこに無名も有名もない。なぜ、あれらが魔力を無制限に生成するか知っているか?」