06
「なら、シアラはどうするのだろう?」
そうエインズが問いを投げた時だった。
エインズらから離れたところ、シアラからペンダントを奪った男たちの仲間と思われる下劣さをそのまま形にしたような者たちが複数現れた。
「おい、あの上玉の姉ちゃん、まだいやがったぜ? ガキを奴隷商に売り払おうと思って戻ってきてみたが、これは運がついてやがる!」
「へっへへ。そうだな。あそこの男をさっさとぶっ殺して早く楽しもうぜ!」
下卑た笑い声をあげながら男たちは目の前の女を誰が一番に楽しむか、その順番を争い始める。
それにはすぐにソフィアも気づく。しかし今彼女には相棒である剣がない。騎士を務めてきた中でこれほどまで帯剣しなかったことを恨んだことはソフィアにはなかっただろう。
「エインズ様、時間はかかると思いますが私が彼らの相手を――、」
ソフィアは男たちを見据えたまま、エインズに声をかけた時だった。
エインズは男たちを、ソフィアを、視界に入れることもなく彼らに背を向けたまま、義足の左脚でコンと一度地面を叩く。
叩いた一点を基点として、一瞬にして辺りが凍てつく。
氷地獄。
ソフィアとシアラを残し、それ以外を全て氷の世界に閉じ込める。
「……っ」
ソフィアは何も言えず瞠目して、男たちが分厚い氷に閉じ込められ一瞬にしてその命を絶やした様子を眺めることしか出来なかった。
急激な寒さがソフィアを襲う。
思わず身体が震える。それは寒さによるものか、それとも。
「……シアラ」
その極寒の中でエインズは銀色の髪をなびかせ、尚もシアラから意識を外さない。
「スラムを、この場所を、そしてこの場所でわたしとわたしのお母さんの生き血を啜れるだけ啜って見捨てた住民を――、」
「……」
エインズは言葉を挟まず、紡がれるのを待つ。
「――、ころす」
先ほどまで揺れていたシアラの瞳は、真っすぐエインズを見据えていた。
「いいだろう。最後だ、シアラ」
これからエインズはシアラに最後の問いを投げるのだろう。
そして恐らくこれから投げられる問いがなんなのか、シアラには何となく理解出来ていた。
「きみはお母さんを誇らしく思っていたのかい?」
きた。
シアラは一度目を閉じる。答えは決まっている。
「思ってない。……そんなのは、どうでもよかった」
「シアラはお母さんにどうしてほしかったの?」
シアラは氷地獄の中、側溝から顔を覗かせていたネズミが凍り付き死んでいる姿を見つけた。
「寄ってくるドブネズミを無視して、わたしだけを見ていてほしかった」
「……」
エインズは口を閉じたまま静かにシアラを見つめる。
シアラは思う。
彼は分かっているのだ。シアラは続けて言葉を紡ぐことを。
「それでも寄ってくるやつは、徹底的に払い除けてわたしだけを救ってほしかった。わたしのためにもお母さんのためにもならないやつらはころして」
それは決別。
静かにシアラの言葉を聞き届けたエインズは、一拍置いて口を開く。
「これで『問答』は終了する。――限定解除『奇跡の右腕』」
シアラは目を見開く。
エインズの空の右腕から半透明の青い手が現れる。
右肩部に留めてあった白手袋を取り、得体の知れないその右手に嵌める。
「魔術師エインズ=シルベタスが誓約のもと、シアラが真に求める力、その魔術を伝授しよう」
エインズは手袋が嵌められた右手をシアラの頭の上に置く。
シアラはその不気味な右手に奇妙な居心地の良さを感じる。
そして、シアラの頭の中に走馬灯のようにある一つの魔術、その発現と扱い方が流れてくる。それは生まれ持った手足のように、自然に感じた。
「そうか、これがわたしの力」
直後、シアラの世界が時を止めたように固まる。
空間を切り裂き、別世界の異物が現れシアラの脳に直接語りかけた。
突然の出来事にシアラは驚いてエインズを見たが、エインズもその奥にいるソフィアも瞬き一つせず固まっている。
これはシアラただ一人に向けて起きている現象。
シアラはその異物の言葉を聞き入れた。
シアラが聞き入れた直後、異物は裂かれた切り口に戻っていき、空間は元通りになる。そして世界は再び動き始める。
「限定解除『黒炎の意志』」
シアラの小さな胸元に小さな黒点が現れる。
それは揺らめきながら大きくなり、そのままシアラの右手に伸びる。
赤黒く燃えるその炎は、シアラの右手から離れ氷地獄に落ちる。
それはエインズそしてソフィアを残し、氷の世界を飲み込み燃やし尽くす。
氷に封じられた男も赤黒い炎に包まれ、灰も残さず消える。顔を覗かせていたネズミも消え、そして朽ち果てそうな寝床の数々を燃やし尽くす。合わせてその中で息を潜めていたドブネズミのような住民も断末魔の悲鳴さえ残さず燃やし尽くす。
それからわずかな時間が経った。
荒れた石畳も姿を消し、彼らの目の前に広がるのは焦土。
スラム街、そしてそこに住まう住民からの決別。
シアラはそれらを成した。
「ソフィア、これから君が言っていた悪漢どものところに乗り込もうか」
ソフィアは少女が魔術に開花する瞬間、その始終を目の前にし、そしてその圧倒的な力に瞠目していた。
そこにエインズの呼び声。それは普段の気さくさを内包する声色に戻っていた。
「は、はい。しかし彼らがどこにいるのか分かりませんが……」
拠点を知っている仲間たちはもうこの世界には灰一つとして残っていない。
「シアラなら、分かるよね?」
エインズがその青い瞳と白濁とした瞳のふたつの目でシアラを優しく見る。
「はい。お母さんのペンダントが教えてくれている気がします」
シアラは力強く頷く。
「最期までついていくよ、シアラ」
全てを燃やし尽くす黒い炎を操る、黒炎の魔術師シアラとエインズ、ソフィアの三人は何もかもなくなってしまった焦土の上を歩き始め、少女の求める処へ向かう。